「周恩来秘録 上・下」by 高文謙
毛沢東と周恩来。中華人民共和国の建国以来、30年以上にわたり国家運営を二人三脚で
担って来た二人の関係の真相に迫った本。いわゆる共産党の正史に対して、数多くの
反論を試みており、非常に興味深い本だった。
ちなみに筆者は80年代から10年以上、中国共産党の中央文献研究室に勤務。
周恩来生涯研究小組組長を務めた。まさにこの問題のエキスパート。
89年の天安門事件後、渡米しこの本を書き上げたという。
第1章 毛沢東との恩讐の発端 (周恩来21歳~45歳)
中華人民共和国の建国前に遡り、共産党の対国民党戦線の頃の二人の関係を描いている。
僕は知らなかったが、最初は周恩来は毛沢東の上司だったらしい。そこからの二人の関係の
変遷はのっけから、毛沢東の陰謀が炸裂しており、その後の関係(毛沢東の攻撃、
周恩来の我慢)のひな形はこの時から作られていたことが窺える。
本書はこう結んでいる:
「毛は、周を自分の軍内での指導的地位に挑戦しうる相手とみて、終始警戒心を緩めず、
常に攻撃した。しかし同時に、革命の大業を成し遂げるのに必要かつ依存せざるを
得ない人物とみていた。毛は死ぬまで周に対するこの矛盾した心理的葛藤から
抜け出すことはなかった。これこそ、毛が複雑な歴史の中で毛周関係にいかに対処して
きたのか、その謎を解くカギなのである。」
第2章 文化大革命がはじまる (周恩来68歳)
文革は「大躍進」の失敗により失墜した毛沢東の権力奪還の動きであったことは
前回取り上げた(「毛沢東秘録」http://ameblo.jp/yt25/entry-11525032383.html)で
述べたが、本書ではそれを周恩来の毛沢東と劉少奇の二人に対する関係性に重きを
おいている。
この章で著者は周恩来が死ぬまで持ち続けた行動原理「晩節を全うする」を紹介している。
「周は革命の晩節を全うすることと毛沢東に忠実であることを関連付けていた。
そこには忠君思想が含まれており、彼が中国の儒家政治文化伝統の影響を受けていること
と大いに関係していた。実際に延安整風以降、周は万時君臣の道によって毛との関係を
処理し始め、全力を尽くして毛にかしずいた」
第3章 周恩来の二重役割 (周恩来68歳)
文革は結果として数千万人の餓死者を出し、国家の基盤をめちゃくちゃにした。
周恩来は文革を支持をしつつ、行政府の長として国家運営をなんとか正常に戻そうとする
二重の役割を負わされた。
後年、鄧小平は周恩来が文革期に毛沢東に妥協して"走資派"粛清に協力したことについて
こう述べている。
文化大革命の時に、われわれのような者はみな下りた。幸い彼は残った。文化大革命において
彼の置かれた立場は非常に困難であった。多くの心にもないことを語り、多くの心に違うことをやった。しかし人民は彼を許している。というのは彼がそれをやり、その話をしなければ、
彼自身がポストを守れず、そのなかで中和作用を果たし、損失を減らす役割を果たすことができなかったであろう。彼はかなり多くの幹部を保護した。
第4章 劉少奇に手をかける (周恩来69歳)
前章と同じく、毛沢東に従い、国家主席であった劉少奇の追い落としに協力する様が
描かれている。またこの辺りから毛沢東の妻である江青の登場シーンが多くなっていく。
第5章 文革陣営が割れた (周恩来70-72歳)
文革は劉少奇や鄧小平の"走資派"の追い落としには成功したが、間髪を入れず、
内部抗争が始まった。江青と国防相の林彪である。「正史」によると林彪は劉少奇を
追い落として自分がNo2になることを企んで文革で積極的な役割を果たしたとあるが、
実際には林彪はかなり冷静な人間で、毛沢東の猜疑心の強さや、自分の健康問題などを
考え、政治からなるべく距離を置こうとしていたようだ。しかし、結局は巻き込まれ、
江青に激しく攻撃されながら、破滅に向かって毛沢東とも関係がおかしくなっていた。
第6章 林彪の死、この致命的な一撃 (周恩来72-73歳)
毛沢東と林彪の権力争いは結局、林彪の毛沢東に対するクーデター未遂まで発展する。
そしてクーデター失敗による林彪の国外逃亡、その途中での飛行機の墜落による死亡、
と事態は最悪の結末を迎え、追い詰めた毛沢東にも反動を残した。
もう1つ特筆すべきは過去来、周恩来は劉少奇、林彪がNo.2でいたお蔭で、
No.3という位置にとどまり、毛沢東との直接対決が避けられる状況にいたが、
二人の死により、一気に党内序列二位に押し上げられてしまう。
そしてそれから死に至るまで、毛沢東の攻撃に絶えず晒されていくことになる。
第7章 難局を切り抜けられず (周恩来74歳)
この時期、毛沢東が危篤状態に陥り、病床で周恩来への権力移譲が毛沢東の口から
伝えられる。余談だが、責任の重さに周は失禁をしてしまったらしい。彼自身は「自分には
統率する能力はなく、助手にはなれるがかじ取りにはなれない」と何度もこぼしていた。
この辺りは優雅泰然のイメージが強い周恩来の生の姿が垣間見れる。
ほどなく毛沢東が回復すると、周への権力移譲を後悔し始め、執拗な攻撃を周に加えていく。
そこで「党内路線闘争の歴史的教訓」を総括するという名目で、周恩来に自己批判を
迫った。数十年前におこった「伍豪事件」まで遡り、三日三晩徹底的に、自己批判をし、
その間、江青や文革派からの集中砲火を浴びるのは、どれほど辛かっただろうか。
そして本書の最大の告発ともいえる周恩来のがん治療の停止命令の全容が本章で
明らかにされている。周恩来が初期の膀胱がんに罹ったことが判明し、至急毛沢東に
報告された。毛沢東からの回答は次の4つ:
1) 本人と夫人には秘密にすること
2) 検査不要
3) 手術不要
4) 漢語と栄養を強化すること
ちなみに医師団の所見によれば、この時に適切な治療をしていれば治癒率は80~90%と
見込まれていたようだ。毛沢東の指示はどんな意図が隠されていたのだろうか?
第8章 ニクソン訪中の破門 (周恩来73-75歳)
悪化する一方のソ連との関係を牽制するために、米国との関係修復の必要性が高まった。
周恩来はこの時、中国側窓口として獅子奮迅の活躍を見せ、世界的な名声を博した。
これが皮肉にも毛沢東の警戒心に火をつけることになった。
一連の周恩来への攻撃は主に江青を始めとする四人組が表に立つが、著者は
その黒幕は毛沢東だったと断定する。毛沢東のメンツを守るため、四人組に全ての
罪を押し付けようとしてそうなったと思うが、普通に考えてみれば、最高権力者の
後ろ盾がないたった4人の派閥が、内外の人望厚いNo.2を攻撃できることは無い。
第9章 儒家批判 周打倒の声の中で (周恩来75-76歳)
毛沢東の周批判は更に加速していく。これは人事面でも担保されており、
文革初期に劉少奇と失脚した鄧小平のカムバックを企てる。正史においては、周と鄧の
関係は密接であり、周の路線は鄧に引き継がれていったとされているが、著者は
鄧は常に毛沢東派の人間であり、復活は周恩来から業務を引き継ぎ、周を無力化させる
という意図があったとしている(結局、鄧小平は毛沢東の意図通りに動かず、再度
失脚してしまうのだが)。
ちなみにこの期に及んでも、周恩来のがん治療を故意に遅らせようとしている。
正史は四人組に責任を押し付けているが、黒幕は毛沢東だったと著者は断言している。
第10章 周恩来の死、毛沢東時代の終焉 (周恩来77歳)
毛沢東の攻撃に精神的にダメージを受けながら、末期がんの痛みに苦しむ周恩来の心境は
察して余りある。最後の病魔との戦いは壮絶だったようで周夫人は、その後安楽死への
支持に傾斜していった。
そして臨終。その際に「何をぬかす。見よ。天地は覆らんとす。中国に毛沢東が現れた」
と毛沢東をたたえる歌「東方紅」の一節を口ずさんだそうだ。
上下で800ページほどあり、それなりのボリュームがあるが、非常に読みごたえがあった。
中国のように国家による情報統制が行われている国であれば、語れるものより
語られないものが多い国で、米国の大学の補助を受けながら、歴史の裏側を紐解いた
本書は貴重な近代史の一資料だと思う。中国に興味がある人なら是非一読をお勧めする。
周恩来秘録〈上〉―党機密文書は語る (文春文庫)/文藝春秋

¥770
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周恩来秘録〈下〉―党機密文書は語る (文春文庫)/文藝春秋

¥770
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担って来た二人の関係の真相に迫った本。いわゆる共産党の正史に対して、数多くの
反論を試みており、非常に興味深い本だった。
ちなみに筆者は80年代から10年以上、中国共産党の中央文献研究室に勤務。
周恩来生涯研究小組組長を務めた。まさにこの問題のエキスパート。
89年の天安門事件後、渡米しこの本を書き上げたという。
第1章 毛沢東との恩讐の発端 (周恩来21歳~45歳)
中華人民共和国の建国前に遡り、共産党の対国民党戦線の頃の二人の関係を描いている。
僕は知らなかったが、最初は周恩来は毛沢東の上司だったらしい。そこからの二人の関係の
変遷はのっけから、毛沢東の陰謀が炸裂しており、その後の関係(毛沢東の攻撃、
周恩来の我慢)のひな形はこの時から作られていたことが窺える。
本書はこう結んでいる:
「毛は、周を自分の軍内での指導的地位に挑戦しうる相手とみて、終始警戒心を緩めず、
常に攻撃した。しかし同時に、革命の大業を成し遂げるのに必要かつ依存せざるを
得ない人物とみていた。毛は死ぬまで周に対するこの矛盾した心理的葛藤から
抜け出すことはなかった。これこそ、毛が複雑な歴史の中で毛周関係にいかに対処して
きたのか、その謎を解くカギなのである。」
第2章 文化大革命がはじまる (周恩来68歳)
文革は「大躍進」の失敗により失墜した毛沢東の権力奪還の動きであったことは
前回取り上げた(「毛沢東秘録」http://ameblo.jp/yt25/entry-11525032383.html)で
述べたが、本書ではそれを周恩来の毛沢東と劉少奇の二人に対する関係性に重きを
おいている。
この章で著者は周恩来が死ぬまで持ち続けた行動原理「晩節を全うする」を紹介している。
「周は革命の晩節を全うすることと毛沢東に忠実であることを関連付けていた。
そこには忠君思想が含まれており、彼が中国の儒家政治文化伝統の影響を受けていること
と大いに関係していた。実際に延安整風以降、周は万時君臣の道によって毛との関係を
処理し始め、全力を尽くして毛にかしずいた」
第3章 周恩来の二重役割 (周恩来68歳)
文革は結果として数千万人の餓死者を出し、国家の基盤をめちゃくちゃにした。
周恩来は文革を支持をしつつ、行政府の長として国家運営をなんとか正常に戻そうとする
二重の役割を負わされた。
後年、鄧小平は周恩来が文革期に毛沢東に妥協して"走資派"粛清に協力したことについて
こう述べている。
文化大革命の時に、われわれのような者はみな下りた。幸い彼は残った。文化大革命において
彼の置かれた立場は非常に困難であった。多くの心にもないことを語り、多くの心に違うことをやった。しかし人民は彼を許している。というのは彼がそれをやり、その話をしなければ、
彼自身がポストを守れず、そのなかで中和作用を果たし、損失を減らす役割を果たすことができなかったであろう。彼はかなり多くの幹部を保護した。
第4章 劉少奇に手をかける (周恩来69歳)
前章と同じく、毛沢東に従い、国家主席であった劉少奇の追い落としに協力する様が
描かれている。またこの辺りから毛沢東の妻である江青の登場シーンが多くなっていく。
第5章 文革陣営が割れた (周恩来70-72歳)
文革は劉少奇や鄧小平の"走資派"の追い落としには成功したが、間髪を入れず、
内部抗争が始まった。江青と国防相の林彪である。「正史」によると林彪は劉少奇を
追い落として自分がNo2になることを企んで文革で積極的な役割を果たしたとあるが、
実際には林彪はかなり冷静な人間で、毛沢東の猜疑心の強さや、自分の健康問題などを
考え、政治からなるべく距離を置こうとしていたようだ。しかし、結局は巻き込まれ、
江青に激しく攻撃されながら、破滅に向かって毛沢東とも関係がおかしくなっていた。
第6章 林彪の死、この致命的な一撃 (周恩来72-73歳)
毛沢東と林彪の権力争いは結局、林彪の毛沢東に対するクーデター未遂まで発展する。
そしてクーデター失敗による林彪の国外逃亡、その途中での飛行機の墜落による死亡、
と事態は最悪の結末を迎え、追い詰めた毛沢東にも反動を残した。
もう1つ特筆すべきは過去来、周恩来は劉少奇、林彪がNo.2でいたお蔭で、
No.3という位置にとどまり、毛沢東との直接対決が避けられる状況にいたが、
二人の死により、一気に党内序列二位に押し上げられてしまう。
そしてそれから死に至るまで、毛沢東の攻撃に絶えず晒されていくことになる。
第7章 難局を切り抜けられず (周恩来74歳)
この時期、毛沢東が危篤状態に陥り、病床で周恩来への権力移譲が毛沢東の口から
伝えられる。余談だが、責任の重さに周は失禁をしてしまったらしい。彼自身は「自分には
統率する能力はなく、助手にはなれるがかじ取りにはなれない」と何度もこぼしていた。
この辺りは優雅泰然のイメージが強い周恩来の生の姿が垣間見れる。
ほどなく毛沢東が回復すると、周への権力移譲を後悔し始め、執拗な攻撃を周に加えていく。
そこで「党内路線闘争の歴史的教訓」を総括するという名目で、周恩来に自己批判を
迫った。数十年前におこった「伍豪事件」まで遡り、三日三晩徹底的に、自己批判をし、
その間、江青や文革派からの集中砲火を浴びるのは、どれほど辛かっただろうか。
そして本書の最大の告発ともいえる周恩来のがん治療の停止命令の全容が本章で
明らかにされている。周恩来が初期の膀胱がんに罹ったことが判明し、至急毛沢東に
報告された。毛沢東からの回答は次の4つ:
1) 本人と夫人には秘密にすること
2) 検査不要
3) 手術不要
4) 漢語と栄養を強化すること
ちなみに医師団の所見によれば、この時に適切な治療をしていれば治癒率は80~90%と
見込まれていたようだ。毛沢東の指示はどんな意図が隠されていたのだろうか?
第8章 ニクソン訪中の破門 (周恩来73-75歳)
悪化する一方のソ連との関係を牽制するために、米国との関係修復の必要性が高まった。
周恩来はこの時、中国側窓口として獅子奮迅の活躍を見せ、世界的な名声を博した。
これが皮肉にも毛沢東の警戒心に火をつけることになった。
一連の周恩来への攻撃は主に江青を始めとする四人組が表に立つが、著者は
その黒幕は毛沢東だったと断定する。毛沢東のメンツを守るため、四人組に全ての
罪を押し付けようとしてそうなったと思うが、普通に考えてみれば、最高権力者の
後ろ盾がないたった4人の派閥が、内外の人望厚いNo.2を攻撃できることは無い。
第9章 儒家批判 周打倒の声の中で (周恩来75-76歳)
毛沢東の周批判は更に加速していく。これは人事面でも担保されており、
文革初期に劉少奇と失脚した鄧小平のカムバックを企てる。正史においては、周と鄧の
関係は密接であり、周の路線は鄧に引き継がれていったとされているが、著者は
鄧は常に毛沢東派の人間であり、復活は周恩来から業務を引き継ぎ、周を無力化させる
という意図があったとしている(結局、鄧小平は毛沢東の意図通りに動かず、再度
失脚してしまうのだが)。
ちなみにこの期に及んでも、周恩来のがん治療を故意に遅らせようとしている。
正史は四人組に責任を押し付けているが、黒幕は毛沢東だったと著者は断言している。
第10章 周恩来の死、毛沢東時代の終焉 (周恩来77歳)
毛沢東の攻撃に精神的にダメージを受けながら、末期がんの痛みに苦しむ周恩来の心境は
察して余りある。最後の病魔との戦いは壮絶だったようで周夫人は、その後安楽死への
支持に傾斜していった。
そして臨終。その際に「何をぬかす。見よ。天地は覆らんとす。中国に毛沢東が現れた」
と毛沢東をたたえる歌「東方紅」の一節を口ずさんだそうだ。
上下で800ページほどあり、それなりのボリュームがあるが、非常に読みごたえがあった。
中国のように国家による情報統制が行われている国であれば、語れるものより
語られないものが多い国で、米国の大学の補助を受けながら、歴史の裏側を紐解いた
本書は貴重な近代史の一資料だと思う。中国に興味がある人なら是非一読をお勧めする。
周恩来秘録〈上〉―党機密文書は語る (文春文庫)/文藝春秋

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周恩来秘録〈下〉―党機密文書は語る (文春文庫)/文藝春秋

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「毛沢東秘録 上・中・下」 by 産経新聞取材班
本書はその毛沢東を中心に、1950年代~1970年代までの30年以上にわたる中華人民共和国史を
纏めたもの。その過程において、毛沢東と内外の主要人物との関わりが詳しく描写されている。
章建てを解説すると
第一部:「四人組」崩壊
毛沢東の晩年から始まる「四人組」と改革派(周恩来・鄧小平)の間の権力闘争が、
毛沢東の死後、「四人組」の逮捕で終わる一部始終の内幕をドキュメントしたもの。
第二部:司令部を崩壊せよ
文化大革命のきっかけとなったNo.2の劉少奇への毛沢東の猜疑心の形成に始まり、
実働部隊になった紅衛兵と「四旧打破:(すべての旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣を
叩き潰そう、という文化大革命のスローガン)の破壊活動の模様。
そして修正主義者の代表格として敵視された劉少奇の悲惨な最期までが描かれている。
第三部:人民戦争の勝利万歳
1956年のフルシチョフによるスターリン批判は毛沢東に一生付きまとう恐怖感を与えた。
(自分も死んだら、糾弾され辱めを受ける)。そこから中ソ対立が生まれる。
一方で国内の事情は、製鉄・農業政策の失敗による大量の餓死者を生み出し、
党内での立場が弱まり、国家主席の地位を劉少奇に譲らなければならない事情に
追い込まれた毛沢東が、権力奪還のため文化大革命の狼煙を上げるまで。
年代的に第三部はちょうど第2部の前時代にあたる。
第四部:毛主席的親密戦友
文化大革命は次第に過激化し、またその支持者である造反派同士の抗争も絶えず、
混乱を極めた。このため、毛沢東は文革の終息を決意し、事後を文革の推進的立場を
担った林彪にゆだねた。林彪は1969年の党大会で「毛沢東の後継者」と公式に位置づけ
られるまで権力を高めていく。一方で深まる中ソ対立の打破のために、米中の緊張緩和が
模索されニクソンの訪中につながる。この米中接近の立役者は周恩来であり、
自分の権力低下を焦る林彪は色々策を弄すが、結局は毛沢東の怒りに触れ、最後は
国外逃亡中に墜落死という、結末に至る。
第五部:儒者宰相対紅都女皇
体力的に衰え始めた毛沢東と、ポスト毛をにらんだ周恩来や鄧小平などの改革派と
四人組の間の権力闘争を描いている。文革で失脚していた鄧小平が復活するのもこの頃。
一方、毛沢東は左右のバランスをとって権力維持を図ろうとしており、その一語一句が
両派の権力闘争の天秤を変えていく様が描かれている。
第六部:若干の歴史問題に関する決議
周恩来の死と、それを悼む民衆の四人組に対する怒りが頂点に達した第一次天安門事件。
そして毛沢東の死。革命一次世代の相次ぐ死により、一つの時代が終わろうとしていた。
四人組逮捕はその象徴とも呼べるかもしれない。
そして毛沢東の死から5年後の1981年。「建国以来の党の若干の歴史問題関する決議」を
党が採択し、文革を発動した毛沢東の誤りを初めて公式に認めた。
しかし一方で「中国革命に対する功績は誤りを遥かに凌いでいる」としており、
毛沢東の権威そのものは否定していない。
中国、正確には中華人民共和国、の歴史は毛沢東を中心に据え、形成されてきた。
これは市場経済を導入し、経済大国になった現在でも、共産党の一党支配が続く限り、
変わらないと思う。
上・中・下とかなりボリュームがあるが、全般的に新聞社の著によるものなので、
ルポ形式で読みやすく、また章建てが秀逸なため、時系列で頭の中が整理しやすい。
毛沢東時代の中国を一読してみるには、非常に良い資料だと思う。
今は絶版しているみたいだが、ぜひ再版してほしい。
毛沢東秘録〈上〉 (扶桑社文庫)/産経新聞ニュースサービス

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毛沢東秘録〈中〉 (扶桑社文庫)/産経新聞ニュースサービス

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毛沢東秘録〈下〉 (扶桑社文庫)/産経新聞ニュースサービス

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纏めたもの。その過程において、毛沢東と内外の主要人物との関わりが詳しく描写されている。
章建てを解説すると
第一部:「四人組」崩壊
毛沢東の晩年から始まる「四人組」と改革派(周恩来・鄧小平)の間の権力闘争が、
毛沢東の死後、「四人組」の逮捕で終わる一部始終の内幕をドキュメントしたもの。
第二部:司令部を崩壊せよ
文化大革命のきっかけとなったNo.2の劉少奇への毛沢東の猜疑心の形成に始まり、
実働部隊になった紅衛兵と「四旧打破:(すべての旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣を
叩き潰そう、という文化大革命のスローガン)の破壊活動の模様。
そして修正主義者の代表格として敵視された劉少奇の悲惨な最期までが描かれている。
第三部:人民戦争の勝利万歳
1956年のフルシチョフによるスターリン批判は毛沢東に一生付きまとう恐怖感を与えた。
(自分も死んだら、糾弾され辱めを受ける)。そこから中ソ対立が生まれる。
一方で国内の事情は、製鉄・農業政策の失敗による大量の餓死者を生み出し、
党内での立場が弱まり、国家主席の地位を劉少奇に譲らなければならない事情に
追い込まれた毛沢東が、権力奪還のため文化大革命の狼煙を上げるまで。
年代的に第三部はちょうど第2部の前時代にあたる。
第四部:毛主席的親密戦友
文化大革命は次第に過激化し、またその支持者である造反派同士の抗争も絶えず、
混乱を極めた。このため、毛沢東は文革の終息を決意し、事後を文革の推進的立場を
担った林彪にゆだねた。林彪は1969年の党大会で「毛沢東の後継者」と公式に位置づけ
られるまで権力を高めていく。一方で深まる中ソ対立の打破のために、米中の緊張緩和が
模索されニクソンの訪中につながる。この米中接近の立役者は周恩来であり、
自分の権力低下を焦る林彪は色々策を弄すが、結局は毛沢東の怒りに触れ、最後は
国外逃亡中に墜落死という、結末に至る。
第五部:儒者宰相対紅都女皇
体力的に衰え始めた毛沢東と、ポスト毛をにらんだ周恩来や鄧小平などの改革派と
四人組の間の権力闘争を描いている。文革で失脚していた鄧小平が復活するのもこの頃。
一方、毛沢東は左右のバランスをとって権力維持を図ろうとしており、その一語一句が
両派の権力闘争の天秤を変えていく様が描かれている。
第六部:若干の歴史問題に関する決議
周恩来の死と、それを悼む民衆の四人組に対する怒りが頂点に達した第一次天安門事件。
そして毛沢東の死。革命一次世代の相次ぐ死により、一つの時代が終わろうとしていた。
四人組逮捕はその象徴とも呼べるかもしれない。
そして毛沢東の死から5年後の1981年。「建国以来の党の若干の歴史問題関する決議」を
党が採択し、文革を発動した毛沢東の誤りを初めて公式に認めた。
しかし一方で「中国革命に対する功績は誤りを遥かに凌いでいる」としており、
毛沢東の権威そのものは否定していない。
中国、正確には中華人民共和国、の歴史は毛沢東を中心に据え、形成されてきた。
これは市場経済を導入し、経済大国になった現在でも、共産党の一党支配が続く限り、
変わらないと思う。
上・中・下とかなりボリュームがあるが、全般的に新聞社の著によるものなので、
ルポ形式で読みやすく、また章建てが秀逸なため、時系列で頭の中が整理しやすい。
毛沢東時代の中国を一読してみるには、非常に良い資料だと思う。
今は絶版しているみたいだが、ぜひ再版してほしい。
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「ワイルド・スワン 上・中・下」 by ユン・チアン
日本占領下の時代から、中華人民共和国の建国、共産党の統治、そして文化大革命の時の
中国国民の生活を、祖母、母親、そして著者の3代に渡り、実体験を通して描いた
ドキュメンタリー。なかなか内部の情報が出てこなかった中国の生の生活、
様子が生々しく描写されている。
共産党(この場合、厳密には毛沢東存命時)の治世は、端的に言うと、個人崇拝の、
思想の統制、自由の剥奪など、おおよそ人間性を強く否定された統治であり、
本の中で描かれている1つ1つの出来事はグロテスクとも言えるほど。
「反革命分子」や「階級敵人」に対する住民の非難のえげつさ、そして非難する側に
居た者があっという間に非難される側に突き落とされ、家族にまで類が及び、
結果「疑心暗鬼」という感情が国民に蔓延した。
著者はこう言っている。「本当の理由は仲間同士のひがみであった。革命の名のもとに
人々は様々な私怨を晴らした」
結果、「揚子江を下った先々で文化大革命が残した醜い傷跡を見た。廟宇は叩き壊され、
彫像は引き倒され、古い町並みは見る影もなくなっていた。これが古代に高度の文明を
誇った国の姿だとは、とても思えなかった。だが、中国が失ったものは、もっと根深い。
中国人は美しいものを全て叩き壊してしまっただけでなく、美しいものを愛でる心も、
美しいものを作る技術も失ってしまったのである」
文革とは反対勢力に対する毛沢東の権力争いの結果として生まれたものであり、
その原因は毛沢東個人の病的ともいえる猜疑心、権力への執着と筆者は結論付けている。
ここまで来て多くの読者は文化大革命、毛沢東を非難すると思う。
実際にそういうレビューも目にした。
けど僕にはここで語られていることが全くの異国の出来事に見えなかった。
日本の戦時下でもほぼ同じことが起こってなかっただろうか?
天皇の神格化=毛沢東の神格化、思想の統制=特高警察、反革命分子=非国民。
いずれも戦時の日本も同じような状態にあったと思う。
個人崇拝の危険性、思想の統制、個人の自由の制限がろくな結果をもたらさない事は
歴史が証明している。こういう本を読むことで、負の歴史に触れることで
少なくとも危険な未来を選択する抑止力になるかもしれない。
その意味で僕はこの本を、徐々に右化していく日本へのpre-cautionとして捉えたい。
ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)/講談社

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ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)/講談社

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ワイルド・スワン(下) (講談社文庫)/講談社

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中国国民の生活を、祖母、母親、そして著者の3代に渡り、実体験を通して描いた
ドキュメンタリー。なかなか内部の情報が出てこなかった中国の生の生活、
様子が生々しく描写されている。
共産党(この場合、厳密には毛沢東存命時)の治世は、端的に言うと、個人崇拝の、
思想の統制、自由の剥奪など、おおよそ人間性を強く否定された統治であり、
本の中で描かれている1つ1つの出来事はグロテスクとも言えるほど。
「反革命分子」や「階級敵人」に対する住民の非難のえげつさ、そして非難する側に
居た者があっという間に非難される側に突き落とされ、家族にまで類が及び、
結果「疑心暗鬼」という感情が国民に蔓延した。
著者はこう言っている。「本当の理由は仲間同士のひがみであった。革命の名のもとに
人々は様々な私怨を晴らした」
結果、「揚子江を下った先々で文化大革命が残した醜い傷跡を見た。廟宇は叩き壊され、
彫像は引き倒され、古い町並みは見る影もなくなっていた。これが古代に高度の文明を
誇った国の姿だとは、とても思えなかった。だが、中国が失ったものは、もっと根深い。
中国人は美しいものを全て叩き壊してしまっただけでなく、美しいものを愛でる心も、
美しいものを作る技術も失ってしまったのである」
文革とは反対勢力に対する毛沢東の権力争いの結果として生まれたものであり、
その原因は毛沢東個人の病的ともいえる猜疑心、権力への執着と筆者は結論付けている。
ここまで来て多くの読者は文化大革命、毛沢東を非難すると思う。
実際にそういうレビューも目にした。
けど僕にはここで語られていることが全くの異国の出来事に見えなかった。
日本の戦時下でもほぼ同じことが起こってなかっただろうか?
天皇の神格化=毛沢東の神格化、思想の統制=特高警察、反革命分子=非国民。
いずれも戦時の日本も同じような状態にあったと思う。
個人崇拝の危険性、思想の統制、個人の自由の制限がろくな結果をもたらさない事は
歴史が証明している。こういう本を読むことで、負の歴史に触れることで
少なくとも危険な未来を選択する抑止力になるかもしれない。
その意味で僕はこの本を、徐々に右化していく日本へのpre-cautionとして捉えたい。
ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)/講談社

¥860
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ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)/講談社

¥800
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ワイルド・スワン(下) (講談社文庫)/講談社

¥800
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横浜 山手散策
僕の住んでいる横浜麦田町の隣町である山手は幕末から明治32年まで外国人居留地だった
地域で、洋館や教会、石畳の通りなど古き良き時代の香りが色濃く残る地域です。
自転車で5分程度なので、ぶらっと散歩がてらに行ってみました。

旧ベーリック邸

旧ベーリック邸の居間

同じく旧ベーリック邸の居間(コンサバトリー)

旧ベーリック邸の他にもたくさん古い洋館があります。
ここは旧ベーリック邸の向いにある洋館。

こんなおしゃれなテラス席でお茶が飲めたりします

海が見える丘公園のイングリッシュガーデン
落ち着いたハイソな雰囲気が漂うため、家族連れというより大人の夫婦が散歩をしていたり、
お茶を飲んでいたり、している雰囲気です。休日の昼下がりには絶好のロケーションです。
麦田町は一方に山手、もう一方には本牧があり、こちらはイオン、ユニクロ、ゲオ、
ブックオフなどほぼ生活のインフラが完備されてます。どちらも自転車で5~10分圏内。
両国は両国で色々な良さがありましたが、横浜はやはり格別です。
ここを拠点にして、翌檜で居続けたいと思ってます。いつか檜になれると信じて。
地域で、洋館や教会、石畳の通りなど古き良き時代の香りが色濃く残る地域です。
自転車で5分程度なので、ぶらっと散歩がてらに行ってみました。

旧ベーリック邸

旧ベーリック邸の居間

同じく旧ベーリック邸の居間(コンサバトリー)

旧ベーリック邸の他にもたくさん古い洋館があります。
ここは旧ベーリック邸の向いにある洋館。

こんなおしゃれなテラス席でお茶が飲めたりします

海が見える丘公園のイングリッシュガーデン
落ち着いたハイソな雰囲気が漂うため、家族連れというより大人の夫婦が散歩をしていたり、
お茶を飲んでいたり、している雰囲気です。休日の昼下がりには絶好のロケーションです。
麦田町は一方に山手、もう一方には本牧があり、こちらはイオン、ユニクロ、ゲオ、
ブックオフなどほぼ生活のインフラが完備されてます。どちらも自転車で5~10分圏内。
両国は両国で色々な良さがありましたが、横浜はやはり格別です。
ここを拠点にして、翌檜で居続けたいと思ってます。いつか檜になれると信じて。
「あすなろ物語」by 井上靖
高校生の時、国語の先生の影響で井上靖を読み始め(確か、始めは「夏草冬涛」)、
かなり井上靖にハマってきた時に、出会った珠玉の一品。今回20年ぶりに読み返してみた。
明日は檜になろうと一生懸命に考えている木。それでも永久に檜になれない、
そんな木を翌檜(あすなろう)と言う。この事は人は己の天分を決して越えられない、
という人生の哀しみにも見える。そして第1章の加島と冴子の心中はその暗示的な出来事にも
見える。しかし、著者はここで「克己」という概念を提示し、それをあすなろの木に例えて
物語を紡いでいく。
自分に克つこと。高校生だった頃、この「克己」という言葉は僕の感性を思いっきり刺激し、
留学に向けて大きな弾みになった。1章目から当時の想いがフラッシュバックしてきた。
物語は更に続いていく。「あすなろ」は一生懸命に檜になろうと思っている。
謂わば目標、夢、そういったものに必死に打ち込んでいる。そしてそれさえ厭う鮎太は
「あすなろ」ですらない、と気づく。つまりこの段階で、「あすなろ」は「檜になれない、
可哀想な木」から「明日はなにものかになろうとする木=何かに向かって人生を生きていく」
という比喩に変化する。そしてその原動力になるのが、克己だと言っている。
そして最終章。戦争は人々から明日を奪い、日本からあすなろが居なくなった。
日本人のだれもが明日という日を信じなくなった。
しかしそれでもゆっくりと、しかし確実に人々は明日に向かって歩み始める。
その明日が実現できないものでも、あすなろたちは檜になろうと頑張り始める。
この「あすなろ」に与えられた定義はカミュの不条理の概念(シーシュポスの神話)と一致する。
どちらも「頑張っても越えられない壁(それは檜になることだったり、石を押し続ける
不条理だったり」の存在を認めつつ、それに希望をもって立ち向かっていく人間の姿こそが、
人間らしい、と言っている。僕にとって、洋の東西を超えた普遍性を見つけた
最初の瞬間だった。
久しぶりに読んでみて、20年の隔たりを全く感じさせない名作だった。
僕はこの本を特に日本の中学、高校生にぜひ勧めたい。
そして克己という言葉を胸に刻んで、どんどん世界にチャレンジしてほしい。
恐らく10年後、20年後は確実に世界市民という概念が今より強くなってくる。
世界レベルの競争の中に、負けてしまわない、たとえ負けるとわかっていても、
チャレンジをし続けること、「あすなろ」で居続けること。
この本はそうした未来に対する僕たちの基本姿勢を再確認させてくれる。
あすなろ物語 (新潮文庫)/新潮社

¥515
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かなり井上靖にハマってきた時に、出会った珠玉の一品。今回20年ぶりに読み返してみた。
明日は檜になろうと一生懸命に考えている木。それでも永久に檜になれない、
そんな木を翌檜(あすなろう)と言う。この事は人は己の天分を決して越えられない、
という人生の哀しみにも見える。そして第1章の加島と冴子の心中はその暗示的な出来事にも
見える。しかし、著者はここで「克己」という概念を提示し、それをあすなろの木に例えて
物語を紡いでいく。
自分に克つこと。高校生だった頃、この「克己」という言葉は僕の感性を思いっきり刺激し、
留学に向けて大きな弾みになった。1章目から当時の想いがフラッシュバックしてきた。
物語は更に続いていく。「あすなろ」は一生懸命に檜になろうと思っている。
謂わば目標、夢、そういったものに必死に打ち込んでいる。そしてそれさえ厭う鮎太は
「あすなろ」ですらない、と気づく。つまりこの段階で、「あすなろ」は「檜になれない、
可哀想な木」から「明日はなにものかになろうとする木=何かに向かって人生を生きていく」
という比喩に変化する。そしてその原動力になるのが、克己だと言っている。
そして最終章。戦争は人々から明日を奪い、日本からあすなろが居なくなった。
日本人のだれもが明日という日を信じなくなった。
しかしそれでもゆっくりと、しかし確実に人々は明日に向かって歩み始める。
その明日が実現できないものでも、あすなろたちは檜になろうと頑張り始める。
この「あすなろ」に与えられた定義はカミュの不条理の概念(シーシュポスの神話)と一致する。
どちらも「頑張っても越えられない壁(それは檜になることだったり、石を押し続ける
不条理だったり」の存在を認めつつ、それに希望をもって立ち向かっていく人間の姿こそが、
人間らしい、と言っている。僕にとって、洋の東西を超えた普遍性を見つけた
最初の瞬間だった。
久しぶりに読んでみて、20年の隔たりを全く感じさせない名作だった。
僕はこの本を特に日本の中学、高校生にぜひ勧めたい。
そして克己という言葉を胸に刻んで、どんどん世界にチャレンジしてほしい。
恐らく10年後、20年後は確実に世界市民という概念が今より強くなってくる。
世界レベルの競争の中に、負けてしまわない、たとえ負けるとわかっていても、
チャレンジをし続けること、「あすなろ」で居続けること。
この本はそうした未来に対する僕たちの基本姿勢を再確認させてくれる。
あすなろ物語 (新潮文庫)/新潮社

¥515
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「孫文 (上・下)」by 陳 舜臣
前回読んだ、舛添要一著の「孫文‐‐その指導者の資質」が消化不良で、
孫文という人物をもう少し掘り下げてみようと読んでみた。
結論から言うと徒労に終わった感が強い。これは著者自身が認めていることだが、
司馬遼太郎のような創作小説ではなく、なるべく史実に則った小説にした、
という体裁のため、歴史的イベントに対する解説や、孫文をはじめとする主要人物の
描写や彼らの関わりがあっさりし過ぎて、読み物として面白くない本だった。
また辛亥革命で物語が終わっているのも中途半端な感じがする。
中華民国の建国後も、袁世凱との確執、日本への亡命、「大アジア主義講演」など
むしろ辛亥革命後の方が、孫文を語るテーマが色々ありそうな気がするのだが。。。
孫文〈上〉武装蜂起 (中公文庫)/中央公論新社

¥720
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孫文〈下〉辛亥への道 (中公文庫)/中央公論新社

¥720
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孫文という人物をもう少し掘り下げてみようと読んでみた。
結論から言うと徒労に終わった感が強い。これは著者自身が認めていることだが、
司馬遼太郎のような創作小説ではなく、なるべく史実に則った小説にした、
という体裁のため、歴史的イベントに対する解説や、孫文をはじめとする主要人物の
描写や彼らの関わりがあっさりし過ぎて、読み物として面白くない本だった。
また辛亥革命で物語が終わっているのも中途半端な感じがする。
中華民国の建国後も、袁世凱との確執、日本への亡命、「大アジア主義講演」など
むしろ辛亥革命後の方が、孫文を語るテーマが色々ありそうな気がするのだが。。。
孫文〈上〉武装蜂起 (中公文庫)/中央公論新社

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孫文〈下〉辛亥への道 (中公文庫)/中央公論新社

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「孫文‐‐その指導者の資質」by 舛添 要一
孫文といえば辛亥革命を通じて、清朝を終わらせることで、夏から数千年続いた君主制を
廃止し、共和制国家である中華民国を樹立した立役者なのだが、個人的に興味を持ったのは
孫文ひいては辛亥革命を通じて、多くの日本人が彼を支えたこと。
21世紀はアジアの時代と呼ばれて久しい中、尖閣諸島など領土問題ですったもんだしている
両国関係をもうちょっと長いスパンで考察してみようと原点である中華民国と国父と
呼ばれる孫文をもうちょっと詳しく知りたいな、と思って読んでみた。
梅屋庄吉や宮崎滔天など孫文を支援した日本人の共通点は中国の革命だけに焦点を絞って
見ておらず、欧米列強のアジア全域への侵略への抵抗の一環として考えていたこと、
そして孫文もまさに辛亥革命の中に汎アジア主義を見ていたこと。日中両国にとって
こうしたハネムーンが存在したことはちゃんと認識しておくべきだと思う。
同時になぜそうした関係が崩壊し、現在に至ることになったのかも。
孫文と日本の関係が悪化し始めたのは辛亥革命以降で、日本は欧米列強に対して
アジアの一員として対峙すべきところを、彼らと一緒に中国に対して無理難題を
要求し始めた。対華21ヶ条要求などどんどんエスカレートしていく中で、日本は
アジアの嫌われ者になっていった。
そんな日中関係、ひいては日本のアジア諸国に対する姿勢について孫文は次のように
述べている。
「支那人の排日は日本人が伝授したのだ。日清、日露両戦後に支那人は日本から
強制せらるるままに要求を容れてしまった。しかし、極東の優秀権を把握した
と称する日本が何時も英米に対しては意気地がない。支那には無理を言うが、
英米に対しては正義すらも主張しえない。」
100年前から日本人のメンタリティーにはあまり変化がないような気になるのは
気のせいだろうか。明治維新を成し遂げ、欧米列強に比する存在になった日本に対して
欧米の植民地主義に苦しむアジア諸国は色々期待した。
しかしその期待に応えられなかったがゆえに、中国に限らず、アジアの対日感情は良くない。
その最初の躓きである孫文の辛亥革命への支援と関係の悪化をもうちょっと詳しく
勉強したかったのだが、本書は肝心のところがあっさりし過ぎて、物足りない。
核心部分の考察が弱いから最終章の「今後の中国とどう付き合うか」が物足りない。
孫文研究や日中関係の頭出しとしては適しているかもしれないが、本書だけでは
中途半端さが否めない。
孫文‐‐その指導者の資質 (角川oneテーマ21)/角川書店(角川グループパブリッシング)

¥760
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廃止し、共和制国家である中華民国を樹立した立役者なのだが、個人的に興味を持ったのは
孫文ひいては辛亥革命を通じて、多くの日本人が彼を支えたこと。
21世紀はアジアの時代と呼ばれて久しい中、尖閣諸島など領土問題ですったもんだしている
両国関係をもうちょっと長いスパンで考察してみようと原点である中華民国と国父と
呼ばれる孫文をもうちょっと詳しく知りたいな、と思って読んでみた。
梅屋庄吉や宮崎滔天など孫文を支援した日本人の共通点は中国の革命だけに焦点を絞って
見ておらず、欧米列強のアジア全域への侵略への抵抗の一環として考えていたこと、
そして孫文もまさに辛亥革命の中に汎アジア主義を見ていたこと。日中両国にとって
こうしたハネムーンが存在したことはちゃんと認識しておくべきだと思う。
同時になぜそうした関係が崩壊し、現在に至ることになったのかも。
孫文と日本の関係が悪化し始めたのは辛亥革命以降で、日本は欧米列強に対して
アジアの一員として対峙すべきところを、彼らと一緒に中国に対して無理難題を
要求し始めた。対華21ヶ条要求などどんどんエスカレートしていく中で、日本は
アジアの嫌われ者になっていった。
そんな日中関係、ひいては日本のアジア諸国に対する姿勢について孫文は次のように
述べている。
「支那人の排日は日本人が伝授したのだ。日清、日露両戦後に支那人は日本から
強制せらるるままに要求を容れてしまった。しかし、極東の優秀権を把握した
と称する日本が何時も英米に対しては意気地がない。支那には無理を言うが、
英米に対しては正義すらも主張しえない。」
100年前から日本人のメンタリティーにはあまり変化がないような気になるのは
気のせいだろうか。明治維新を成し遂げ、欧米列強に比する存在になった日本に対して
欧米の植民地主義に苦しむアジア諸国は色々期待した。
しかしその期待に応えられなかったがゆえに、中国に限らず、アジアの対日感情は良くない。
その最初の躓きである孫文の辛亥革命への支援と関係の悪化をもうちょっと詳しく
勉強したかったのだが、本書は肝心のところがあっさりし過ぎて、物足りない。
核心部分の考察が弱いから最終章の「今後の中国とどう付き合うか」が物足りない。
孫文研究や日中関係の頭出しとしては適しているかもしれないが、本書だけでは
中途半端さが否めない。
孫文‐‐その指導者の資質 (角川oneテーマ21)/角川書店(角川グループパブリッシング)

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「きよしこ」by 重松清
「卒業」「その日の前に」「小さき者へ」に続き、重松清の4作目。
吃音の少年の物語だ。
「伝わるよ、きっと──。大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい珠玉の少年小説」
という宣伝文句だったので、恐らく「優しさ」が前面に出た重松清お得意のハートフル
小説かと思って読んでいたし、実際に読んでいて途中までそういう印象だった。
主人公の健気さ、不憫さが前面に出て、それを取り巻く家族愛や周りの人たちとの
交流が暖かく描かれている。
しかし最後に著者の本当のメッセージが出てくる。
それは他人の優しさに支えられることでも、夢の中の自分に近づくための努力でもなく、
自立して生きていくこと、ぬるま湯から抜け出し、自分のハンディキャップと
正面から戦っていくこと、そうした前向きな姿勢を爽やかに伝えてくれる。
良い意味で期待を裏切られた。読書感がかなり爽やかだったのが印象的。
きよしこ (新潮文庫)/新潮社

¥515
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吃音の少年の物語だ。
「伝わるよ、きっと──。大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい珠玉の少年小説」
という宣伝文句だったので、恐らく「優しさ」が前面に出た重松清お得意のハートフル
小説かと思って読んでいたし、実際に読んでいて途中までそういう印象だった。
主人公の健気さ、不憫さが前面に出て、それを取り巻く家族愛や周りの人たちとの
交流が暖かく描かれている。
しかし最後に著者の本当のメッセージが出てくる。
それは他人の優しさに支えられることでも、夢の中の自分に近づくための努力でもなく、
自立して生きていくこと、ぬるま湯から抜け出し、自分のハンディキャップと
正面から戦っていくこと、そうした前向きな姿勢を爽やかに伝えてくれる。
良い意味で期待を裏切られた。読書感がかなり爽やかだったのが印象的。
きよしこ (新潮文庫)/新潮社

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「日本のいちばん長い日」by 半藤一利
1945年8月14日。御前会議により、ポツダム宣言の受諾と終戦が決定された。
翌15日、それを国民に知らしめるべく天皇自らラジオを通じて告げた。
その間の24時間の間に、陸軍の一部将校たちによるクーデターが計画され、皇居の一角を
占拠するにまで至るも、最後には断念し、玉音放送に至るまでのドキュメンタリー。
このドキュメンタリーには2つの階層とそれぞれのストーリーが克明に描かれている。
まず1つ目は鈴木首相や阿南陸相といった最高戦争指導会議構成員といういわば日本の中枢層。
この階層ではむしろ戦争終結か継続か、といった点よりもポツダム宣言の受託に際しての
条件付けで2つの陣営に分かれて、激しい議論の様子が行った様が克明に描かれている。
国体維持=天皇制の護持という点は両者とも一致していたのだが、その手段において
両者は鋭く対立した。穏健派(という呼び方が正しいかは分からないが)は天皇の国法上の
地位の保全のみを条件として受諾することを提唱し、強硬派(同じく)はこの他に次の3つ
の条件をつけることを主張した:
1)占領は小規模、短期間であること
2)武装解除は日本人の手で行うこと
3)戦犯処置は日本人の手で行うこと
結局、御前会議で3対3のまま議論が暗礁に乗り上げたところに鈴木首相が天皇に
「聖断」を仰ぐ、というところまで、非常に克明に描かれている。
もう1つは軍部(特に陸軍)の佐官クラスの動き。将軍クラスは概ね承詔必勤(天皇の
最終判断に従う)ことを是としたが、一部の佐官クラスの間ではこれを承服できずとした。
「はたして降伏することが真の大御心であるかどうか。敗北主義の重心が勝手に決め、
気弱になっている天皇に無理やり決めさせたことではないだろうか。彼らはこう考え、
論じ、説得した。やがて彼らは論じるだけでは無意味だということに気づいた。
行動することによって、つまり国体護持のために潔く散ることによって、承詔必勤よりも
彼らの行動、彼らの死が至高なるゆえんを明らかにしようと決心した。
私の死を死ぬのではなく、大義のために死ぬのだ。日本の真の在り方を探求するための
犠牲として汚名を甘んじて受けようと覚悟を決めたのである。そこには滅び行く
日本陸軍栄光の歴史の最後の1ページを飾ることになろう、という彼らの悲壮の美学が
微妙にはたらいていたのだろう。」
彼ら一部の佐官クラスは阿南陸相、そして皇居警備の責任者である近衛師団長に対し
自分たちの計画(皇居を占拠し、天皇を奉じて、戦争継続させる)を説得するが、
阿南陸相は動かず自刃する。一方でこれらクーデター首謀者たちは近衛師団長を惨殺し、
近衛師団長の名前で偽の命令を発し、皇居の一角に陣取るところまで至る。
しかし陸軍全体の中ではこうしたクーデターに賛同する者は少なく、
最後には彼らのクーデターは失敗に終わる。
8月14日から8月15日までの24時間でこうした動きがあったことを僕は知らなかったので、
本書は非常に驚きだった。1つ1つの出来事が克明に、また非常に扱いが難しい題材だけに、
恐らくは意図的に一連の経緯が中立的に描写されている。
終戦という大きな歴史の側面を垣間見せてくれる良書と言える。
決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)/文藝春秋

¥620
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翌15日、それを国民に知らしめるべく天皇自らラジオを通じて告げた。
その間の24時間の間に、陸軍の一部将校たちによるクーデターが計画され、皇居の一角を
占拠するにまで至るも、最後には断念し、玉音放送に至るまでのドキュメンタリー。
このドキュメンタリーには2つの階層とそれぞれのストーリーが克明に描かれている。
まず1つ目は鈴木首相や阿南陸相といった最高戦争指導会議構成員といういわば日本の中枢層。
この階層ではむしろ戦争終結か継続か、といった点よりもポツダム宣言の受託に際しての
条件付けで2つの陣営に分かれて、激しい議論の様子が行った様が克明に描かれている。
国体維持=天皇制の護持という点は両者とも一致していたのだが、その手段において
両者は鋭く対立した。穏健派(という呼び方が正しいかは分からないが)は天皇の国法上の
地位の保全のみを条件として受諾することを提唱し、強硬派(同じく)はこの他に次の3つ
の条件をつけることを主張した:
1)占領は小規模、短期間であること
2)武装解除は日本人の手で行うこと
3)戦犯処置は日本人の手で行うこと
結局、御前会議で3対3のまま議論が暗礁に乗り上げたところに鈴木首相が天皇に
「聖断」を仰ぐ、というところまで、非常に克明に描かれている。
もう1つは軍部(特に陸軍)の佐官クラスの動き。将軍クラスは概ね承詔必勤(天皇の
最終判断に従う)ことを是としたが、一部の佐官クラスの間ではこれを承服できずとした。
「はたして降伏することが真の大御心であるかどうか。敗北主義の重心が勝手に決め、
気弱になっている天皇に無理やり決めさせたことではないだろうか。彼らはこう考え、
論じ、説得した。やがて彼らは論じるだけでは無意味だということに気づいた。
行動することによって、つまり国体護持のために潔く散ることによって、承詔必勤よりも
彼らの行動、彼らの死が至高なるゆえんを明らかにしようと決心した。
私の死を死ぬのではなく、大義のために死ぬのだ。日本の真の在り方を探求するための
犠牲として汚名を甘んじて受けようと覚悟を決めたのである。そこには滅び行く
日本陸軍栄光の歴史の最後の1ページを飾ることになろう、という彼らの悲壮の美学が
微妙にはたらいていたのだろう。」
彼ら一部の佐官クラスは阿南陸相、そして皇居警備の責任者である近衛師団長に対し
自分たちの計画(皇居を占拠し、天皇を奉じて、戦争継続させる)を説得するが、
阿南陸相は動かず自刃する。一方でこれらクーデター首謀者たちは近衛師団長を惨殺し、
近衛師団長の名前で偽の命令を発し、皇居の一角に陣取るところまで至る。
しかし陸軍全体の中ではこうしたクーデターに賛同する者は少なく、
最後には彼らのクーデターは失敗に終わる。
8月14日から8月15日までの24時間でこうした動きがあったことを僕は知らなかったので、
本書は非常に驚きだった。1つ1つの出来事が克明に、また非常に扱いが難しい題材だけに、
恐らくは意図的に一連の経緯が中立的に描写されている。
終戦という大きな歴史の側面を垣間見せてくれる良書と言える。
決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)/文藝春秋

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休暇 in サイパン
先週1週間、サイパンに休暇に行ってきました。
マニャガハ島でのマリンスポーツやダイビング、ネイチャリングツアーなど目もくれず、
ひたすらウィンドサーフィン三昧。
クリスタルブルーの海、その水平線を見ながら、海面を走る快感!ほぼイキかけました。
今がオンシーズンなので、風にも恵まれ、特に22日は最高級のトレードウインドが吹き、
最高のバースデー・ライドになりました。
お陰様で顔と腕がまっ黒に焼け、今なら松崎しげるに勝てる自信があります。
(当日の模様は下記サイトが簡単に紹介してます)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=267530536715870&set=a.215820168553574.58317.215782785223979&type=1
写真は初日に撮った他の人のウィンド風景。

最終日に島内観光に行ったので、その時の写真を載せます。
サイパン島は美しい海や自然とは裏腹に日本人にとって悲しい歴史を持ちます。
単なるバカンスにしたくなかったので、こうした側面を見ることができて良かったです。
多くの日本人が身投げをしたバンザイクリフ。
その多くは非戦闘員である母親や子供たちだったそうです。

バンザイクリフから身投げした人たちへの慰霊碑。
皆さんが手を合わせてお祈りをささげてました。

マニャガハ島でのマリンスポーツやダイビング、ネイチャリングツアーなど目もくれず、
ひたすらウィンドサーフィン三昧。
クリスタルブルーの海、その水平線を見ながら、海面を走る快感!ほぼイキかけました。
今がオンシーズンなので、風にも恵まれ、特に22日は最高級のトレードウインドが吹き、
最高のバースデー・ライドになりました。
お陰様で顔と腕がまっ黒に焼け、今なら松崎しげるに勝てる自信があります。
(当日の模様は下記サイトが簡単に紹介してます)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=267530536715870&set=a.215820168553574.58317.215782785223979&type=1
写真は初日に撮った他の人のウィンド風景。

最終日に島内観光に行ったので、その時の写真を載せます。
サイパン島は美しい海や自然とは裏腹に日本人にとって悲しい歴史を持ちます。
単なるバカンスにしたくなかったので、こうした側面を見ることができて良かったです。
多くの日本人が身投げをしたバンザイクリフ。
その多くは非戦闘員である母親や子供たちだったそうです。

バンザイクリフから身投げした人たちへの慰霊碑。
皆さんが手を合わせてお祈りをささげてました。
