「得手に帆を上げて」  -11ページ目

「ビッグデータの衝撃」by 城田真琴

昨今のビジネスの重要テーマとなっている「ビッグデータ」を
様々な観点から分析・解説してくれる良書です。
いきなりの結論です。ビッグデータに興味がある人は「買い」です。
躊躇なくお薦めできる本です。

まずビッグデータとは次の3つのVによって定義されます。すなわち:

①Volume(大容量データ)
②Variety(多様なデータ:構造化+非構造化データ)
③Velocity(データの生成・更新頻度)

次にビッグデータが注目されてきた理由として、ソーシャルメディアなどにより
よりデータが身近になったこと、ハードウェア&ソフトウェア技術の進化、クラウドの普及を
挙げ、これらの変化により、ビッグデータの活用領域が従来の現状分析から将来予測、そして
その予測を基に最適化を行うところまで進化している事を分かり易く解説してます。
正直、こんな分かり易く、かつ面白い解説は見たことありません。

ビッグデータを構成する技術(ハドゥープやNoSQLなど)を説明した後、米国企業及び
日本企業のビッグデータ活用例をたっぷり紹介してくれます。最初に定義した概念を
実例によってなぞれるので、非常に分かり易いです。しかもこれら実例の合間に、
ともすれば技術的なメリット(大量のデータを高速に処理できる)に重きを置かれがちな
業界の中で、ビッグデータ活用のメリットは

①高速処理が出来るがゆえに要件を変え、何度でもトライ&エラーが出来るようになった
②サンプリングに頼らないロングテール部の解析が可能になった
③開発サイクルの短縮化

など、ビジネスロジックに落とし込んでくれるため、文系の僕としてはちゃんと腹落ちできる
解説になってます。


個人的には5章の「ビッグデータの活用パターン」が秀逸でした。
活用パターンを上記4つに分類し、それぞれに実例を添えて説明してくれます。

①個別最適・リアルタイム型
 →特定の個人やモノのデータを広範囲に収集、分析
 →例)行動に応じたクーポン配信など
②個別最適・バッチ型
 →同上(タイミングは不問)
 →例)機器の故障予測など
③全体最適・リアルタイム型
 →コミュニティー全体に役立つ統計情報をリアルタイムにフィードバック
 →例)スマートメータによる電力需要予測なぢ
④全体最適・バッチ型
 →同上(タイミングは不問)
 →例)Webサイトのユーザビリティー改善など

ちなみにこの章でビッグデータの活用例として紹介されていたのが、
電力の「ダイナミックプライシング」です。簡単に言うと、電力の需給状況に応じて
電力価格を反動させるものです。身近な例で言うと、旅行代金はピーク時期には
閑散期の倍くらいに設定されている場合もあると思いますが、これも需要と供給に
応じた価格設定の一例です。電力のダイナミックプライシングは僕の仕事でも
あるので、この事例は非常に分かり易く、腹落ちしました。

最後の章も5章と同様、この本のベストパートです。
ビッグデータ時代への備えとして、「ビッグデータ活用のための戦略フレームワーク」を
紹介しているのですが。その中で、情報の集約プレイヤーとしてのデータアグリゲータの
存在は非常に興味を持ちました。簡単に言うと、データを収集し、分析し、最適化の道筋を
顧客企業に提示する業態なのですが、「マネーボール」という映画にも
有った通り、データの分析方法、切り口によって価値が全然変わってくるし、
「あまり注目されていなかった領域(錯覚されていた領域)を統計的に解明する」という
フロンティアがあるような気がして、ビジネスのポテンシャルを感じました。

また同章ではビッグデータ自体に求められる人材として「データサイエンティスト」という
存在をクローズアップしてました。データを取り出す能力、データを理解する能力、
データを処理する能力、データから価値を引き出す能力、データを人に伝える能力。
こうした能力の柱になるのは統計の知識だそうです。
アメリカでは今こうした人材が引っ張りだこだそうで、企業も囲い込みを進めているようです。

総じて、概念化&図式化が非常に明快なのと、実例が豊富に提示されているため、
概念と実例、概念と実例という形で反復できる構成になっており、非常に分かり易いです。
僕の中では間違いなく今年のビジネス本のベストだと思います。


ビッグデータの衝撃――巨大なデータが戦略を決める/東洋経済新報社

¥1,890
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同級生と言う存在

先週金曜日は中学時代のバスケ部の連中と飲みました。
数か月前に飲んだ友達もいたけど、中には10年ぶりぐらいの旧友もあり、
しかもまるで昨日飲んだばかりかのようにスッと会話に入っていけるような
空気感が妙に心地よく、やはり同級生と言うものは良いもんだよな~と思った次第です。
特に中学の連中は同じ西原という同じルーツを共有しているので。

ただちょっと違和感と言うか、最近懐かしい人たちの再会が多くなり、
それはそれで自分の中で楽しく、懐かしいのですが、あまり過ぎると
なんだか居心地の良さに甘えてしまいそうで、ちょっと自分を叱咤したくなってきてます。

僕は未だ36歳だし、振り返るには早すぎます。
起業したばかりの今の自分にとって一番大切なことは新しい出会いを繰り返すことのはず。
昔の自分を再確認するのではなく、新しい自分を作っていくべき時期だと思ってます。

同級生と昔話に興じつつ、そんなことをぼんやり考えた週末でした。

「人を動かす by D.カーネギー」

人間関係、コミュニケーションに関する古典です。
確か20代の頃に一度読んだきり、久々の再読です。

ざっと内容を要約すると:

■「重要人物足らんとする欲求」人間のもっとも根源的な欲求である

■(従って)「常に相手に重要感を持たせること」がコミュニケーションの黄金律

この2点がベースとなって「議論を避ける」、「誤りを指摘しない」、「聞き手に回る」などの
テクニック論が展開されてます。その中で幾つか自分の中でハッとする項目がありました。

①まずほめる

コンサルをやっているとどうしてもロジック重視の傾向が強くなり、相手の感情面への
ケアが疎かになってしまいます。「これはロジックがおかしいですよね?」「もうちょっと
ここを詰めて下さいよ」などなど。そうすると向こうも感情的になり、結局議論になり、
こちらの意図が結果に反映されないケースが多くなると思います。D.カーネギーは
うまいことを言ってます:

「まず相手をほめておくのは、歯科医がまずは局部麻酔をするのによく似ている。
 あとでガリガリやられるが、麻酔はその痛みを消してくれる」

②顔をつぶさない

人間は誰もが「重要人物足らんとする欲求」を持っているのだとすると、顔をつぶすのは
最悪の事です。これは社会人と学生を大きく分かつ事の1つだと思います。
学生の頃って、「メジャーな奴」と「マイナーな奴」に大きく大別されていて、
「マイナーな奴」に対して皆の前で顔を潰すようなことをしても「メジャーな奴」は
ある程度までは許される風潮があったと思います(あくまである程度までですが)。
でも社会人になってそれをやると、どんな相手からも反発は必至ですし、周りからは
分別が無いとレッテルを張られます。なのでこれは最低限のルールかと。


③「1ガロンの苦汁よりも一滴の蜂蜜を用いた方が多くの蠅が取れる」

リンカーンが言った言葉だそうです。北風と太陽とほぼ同意語ですね。
D.カーネギーの本はこの事がずっと言葉を変えて繰り返されています。


最近の自己啓発本などが言っている事と結構かぶっている事も多いですが、
逆にこの「人を動かす」がそうした人間コミュニケーションの源流なんでしょう。
まさに古典と言う感じの本で、いつでも読めるよう手元に置いておきたい本です。


人を動かす 新装版/創元社

¥1,575
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「渋谷ではたらく社長の告白 by 藤田 晋」

言わずもがなサイバーエージェントの藤田社長の本です。
学生時代のバイトから起業に至るまでの経緯、起業後1年目の動きから
飛躍の糸口を見つけるまで、そして脚光を浴びた上場から一直線の下降、
そしてそこからの復活と、まさにジェットコースターのように物語が
進んでいきます。

起業したての僕にとってもこの本は非常に示唆を与えてくれる本でした。
特に所謂起業本って起業1年目の描写が少なく、成長期とかそこからどん底に
落ちた苦労話などに重きが置かれているケースがほとんどだからです。
でもベンチャーにとって最初の売り上げを上げるまでが取り敢えず五里霧中であり、
その意味でもこの本は企業に至るまで~起業1年目の描写が濃くて、非常に面白かったです。
例えば、藤田さんは創業後すぐに週110時間労働をルール化したそうです。
その理由がなるほどと思ったので、紹介します。

「始めたばかりの会社は取引もまだ少なく、はっきり言って、意外とやる事が無くて暇
なのです。ところが長時間働くことが決まっているので、余った時間に顧客見込リストを
作成したり、新規事業プランコンテストを行ったり、苦手な技術や経理に関する勉強をする
ことになります。それらを全てこなしている内に、業績が伸び、新規事業が生まれ、
やがて時間を決めなくても本当に忙しくなっていったのです」

この創業直後のある意味でのモラトリアムとその過ごし方の重要性は以前のエントリー
でも書いた「孤独な時間をきちっと過ごすこと」に共通する、大事な要素だと思います。
http://ameblo.jp/yt25/entry-11245365302.html

藤田さんはさらっと書いてますが、環境に負けず自分を鼓舞し続けるのは、
案外難しいので、この一文はすごく印象に残りました。

あともう1つ印象に残った箇所があります。ネットバブルの時代、クレイフィッシュという
会社が中小企業のIT化を促進する事業(確か月額1万円くらいでeメールが出来るようにな
サービスだったかと)で上場まで行きました。そこの社長は当時史上最年少の上場社長。
ところが大株主の光通信との確執が生まれ、それに我慢しきれず光通信との取引を
停止したところ、逆に株主権限で社長が解任されてしまったという衝撃的なニュースが
藤田さんのところに届きました。その時の一言:

「どんな事があってもキレてしまったら、ゲームオーバーなんだ」

上場云々の話は今の僕には無縁ですが、この言葉は自分の中ですごく印象に残った言葉です。
この当時、藤田さんは株価暴落の煽りを受け、世論から袋叩きに逢ってました。ネットの
書き込みは勿論、機関投資家、後輩の起業家、そして社内クーデータなど次々に襲い掛かる
ストレスを前にして、ギリギリでリミットかける凄さ。未だレベル1の僕ですが、この言葉、
大事にしていこうと思います。

何だか本のタイトル通り、等身大の藤田さんが伝わってくるそんな佳作だと思います。

渋谷ではたらく社長の告白 (幻冬舎文庫)/幻冬舎

¥560
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「関ヶ原・下」by 司馬遼太郎

いよいよ家康率いる東軍と三成が事実上統率する西軍が関ヶ原で雌雄を決します。
しかしこの「関ヶ原」のメインは戦いそのものよりもそこに至るまでの駆け引きであり、
関ヶ原に至るまでに西軍の主要な武将が家康に内通し、寝返りを約束している状況が
戦いの前に作り上げられてます。

本書を通じて「利」と「義」という対立軸で二人の武将を据えています。
即ち、人間は「利」で動くものだとの判断で、豊臣方の大名たちを切り崩した家康。
一方人間は「義」で動くものだと最後まで信じ、結果的には、諸大名の裏切りで
敗れてしまった三成。日本人の心情から見ると、「義」を奉じる三成を応援したく
なるかもしれませんが、敗北と言う結果を招いてしまったのは三成の自業自得だと
司馬遼太郎は描いてます。

「三成が敬慕する秀吉や信長の場合、すべての情勢と条件を柔軟に計算しつくした挙句、
 最後の結論に向かって信念的な行動に移るのがやりくちであったが、三成の場合は
 最初に固定観念がある。その観念に諸情勢・諸条件を当てはめて行き戦略を立てる。
 自然、その戦略には動きが取れない」

そしてこの場合、その固定観念とは「自分は豊臣家に大変な恩がある=他人も同じように
考えているはず=豊臣家への忠義だけで誰もが動く」と思ってしまったことに敗因が
あるように思われます。人間の本質は「自己の生存」であり、それは「義」に勝る
ということを本書は示しています。司馬遼太郎はこのことを次のように示してます。

「義・不義は事を起こす名目になっても、世を動かす原理にはならない」

これは本質であり、現代に至るまで色々な示唆がある考察だと思ってます。
例えばジョジョのDioの名言はそのまま、関ヶ原のテーマに通じます。

「ポルナレフ 人間は何のために生きるのか考えたことはあるかね?
『人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』
 名声を手に入れたり人を支配したり金もうけをするのも安心するためだ
 結婚したり友人を作ったりするのも安心するためだ
 人のために役立つだとか愛と平和のためにだとか 全て自分を安心させるためだ
 安心を求めることこそ人間の目的だ」

最後に三成の非だけではなく、家康にもクレジットを与えなければいけません。
それは彼の「慎重な性格」という点に尽きると思います。

「この冒険嫌いの老人は戦略の冒険性をすべて消してゆき、勝利がほとんど事務化する
 ほどの状態にまで事を運び、時を待ち、しかるのちに腰を上げようとするのである」

このスタンスは将棋名人の升田幸三のそれに完全に符合します。

「勝負と言うのは、よく読んで、たとえば事故の起きそうな点をシラミつぶしに
 検討しておいて、これなら間違いないという底辺を作っておいてから、手を下す。
 それが勝負なんですね」


まあ、在り来たりではありますが勝者には勝者たる理由が、敗者には敗者たる理由が
あるという事かと。色々人生勉強になった小説でした。

関ヶ原〈下〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

¥746
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「関ヶ原・中」 by 司馬遼太郎

秀吉が死に、家康が天下統一に向け徐々に動き始めます。
一方で幼い秀頼を擁立して豊臣家の存続を願う勢力を石田三成が中心になり
纏めていく、この2つの動きの過程、特にその中で揺れる人間心理の揺らめきが
主な中巻のあらましです。

家康が上杉家成敗のため、東征している最中に三成が反家康同盟を呼びかけます。
しかし三成の呼びかけに答えた武将たちが同時に三成挙兵の密使を家康に送ってます。
この一連の出来事を見て、次の下りに家康流の人間心理が鋭く描かれてます。

「世間は欲望と自己保存の本能で動いていることを、家康はこの年になってしみじみと
 知らされた。西軍についている諸将も、はたして西軍が勝つかという事について
 夜も眠れぬほど保安なのであった。彼らは豊臣家の護持などという事よりも、
 自家の温存を願った。が、家康が勝つとは決まっていない。そのためには大阪に
 身を置きつつも、味方の情報を敵に流すことによって、どちらが勝って良いような
 処置を取った」

ただ興味深いのは敵には超現実主義を貫いた家康も内に対しては情で結ばれた
主従関係があったようです。三成を騙す為、伏見城を敢えて西軍に陥とさせるという
計画の実行役として鳥居彦右衛門という老臣を任命します。
陥ちるという事はすなわちその守り手は全員死ぬという事を意味します。
家康は言います。

「律義者の彦右衛門以外の者にはこの死城の城将は務まらぬ。奮戦のうちに玉砕すべき
 城である。もし利口者を城将にすれば、巧妙に立ち回って敵と妥協するか、降伏するかも
 しれない。そうすれば、徳川家の威信は地に落ち、後日の政略にまで影響する。
 彦右衛門であれば、負けると分かりきった防戦を愚直に敢行し、死力を尽くして戦い、
 三河武士の勇猛振りを存分に発揮して天下を戦慄せしめてくれるだろう」

果たして、家康からの命令を彦右衛門は快諾しました。
ここまで書くと、何やら非情の鉄仮面に見えるかもしれませんが、こう続きます。

「夜に入って、家康は再び彦右衛門を奥座敷に呼び、酒を与え、様々の物語をした。
 彦右衛門は心地よく酔い、「思えばながい主従のご縁でござりましたが、これが
 今生で拝謁できる最後になりましょう」と、彦右衛門はさりげなく言って
 座を辞した。やがて廊下をさがってゆく彦右衛門の足音が聞こえてきた。
 家康は顔を覆って泣いた」

更にこう続きます。
 
「彦右衛門のような家の型の三河者がいるのが家康の軍団の特色と言って良い。
 信長の軍団にも秀吉のそれにも、こういう気質の者はいなかった。
 尾張は交通が四方に発達し信長の頃から商業が盛んなため、自然、土地として
 投機的性格が強い。才覚は優れていても、律義、愚直、朴強といった気風に乏しい。
 隣国ながら三河は逆である。純粋の農業地帯で、流通経済のうまみを全く知らない
 地帯で、自然、信長の軍団の投機的華やかさに比べ、百姓の匂いがある。
 この気質からくる主従のつながりの古めかしいばかりの強靭さが、
 いま天下の諸侯をして家康の軍団を怖れしめている最大のものであろう。

情と非情、ライオンとキツネ。ここら辺の使い分けが家康の妙だったのでしょう。
江戸幕府成立後、親藩・譜代・外様とあからさまに大名を区別した家康の考え方の
ベースにはやはりこうした内は情、外は理という考え方があったのかもしれません。


関ヶ原〈中〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

¥788
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「関ヶ原・上」 by 司馬遼太郎

「リスク:神々への反逆」で散々苦しめられたので、肩の凝らない本という事で司馬遼太郎の
「関ヶ原」を読んでます。先ずは上巻。

徳川家康と石田三成という2人の主人公とそれらを取り巻く人間模様が上巻の大きな
プロットです。とにかく家康の狸っぷりがかなり露骨に描かれていて、
例えばそれは次のセリフからも窺えます。

「ばくちは勝つために打つ。勝つためには、知恵の限りを尽くしていかさまを考えることだ。
 あらゆる細工を施し、最後に賽を投げるときにはわが思う目が必ず出る、というところまで
 言ってから投げる。それがわしのばくちだ」

一方の三成は頭脳明晰であるがゆえに他人の心情の機微を読み取るのが下手で、世間から
悪役に思われてしまう性向をかなり丹念に描いていています。この三成の性格と世の中を
例えて司馬遼太郎はこう書いてます。

「正義などと言う儒者くさい聞きなれる漢語を使いその漢語にふりまわされて、そこから
 ものごとを考えたがる。出てくる思案はすべて宙に浮いている。
(人は利害で動いているのだ。正義で動いている訳ではない)。そこを見なければ。
 と、左近は思う。

 ~中略~

 道徳など治世の哲学と思っている。秩序が整えばそういう観念論も大いに秩序維持の政道の
 ために必要だが、(しかし乱世ではべつのものが支配する)人も世間も時勢も利害と恐怖に
 駆り立てられて動く、と左近は見ている」


ちょっと話がズレるのですが、社会人と学生の道徳観の違いもここら辺にあるような気が
します。色々な人と話していて強く感じる事の1つに多くの人が社会人の人間関係に
ちょっと疲れ気味の感がしてます。

で、この利害関係というものを考慮して対応しなければいけなくなったから、というのが
社会人の人間関係を疲れさせるものにしている一因だとこの本を読んでいてふと感じました。
いわゆる「空気を読む」ことが重宝され、バランス取りながら生きることを奨励され。。。
だからこそ、純粋に好き嫌いで人間関係を定義できた学生時代を美化する傾向があり。。。

なんだか、三成を見ていて他人ごとに見えないように感じたのも事実であり、
家康みたい人間になりたいか?自問自答してます。。。

取りとめもないエントリーになってしまいましたが、続きは中巻、下巻で。

関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)/司馬 遼太郎

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「リスク:神々への反逆」 by ピーター・バーンスタイン

長く、抽象的で、甚だ難解。というのが正直な感想。
この本を読むのに1か月近くかかり、ブログのアップが大幅に遅延してしまった。
未だに本書が何を言いたいのか、良く分からないが取り敢えず要約。

■現在と過去と一線を画すものとしてリスクの考え方を挙げている。
 リスクの語源は「勇気を持って試みる」ことで、受動的な意味ではなく、
 能動的に未来を選択する意味を持つのだという。「神々への反逆」とは、過去の人にとって、
 神の手のひらの中にあると思われた未来を、人々が確率論を武器に人間の手に
 手繰り寄せてきた様を指している。確率論をもとにしたリスクの考え方が発見される以前は、 
 「未来は占い師が闊歩する領域」だった。

~ここから色々な人たち(学者、修道士、その他色々な人たち)がリスクに対してどう考え、
どう実験していったかが延々と続く。あまりに長く、抽象的で、甚だ難解なため割愛~ 


■「リスク管理とはある程度結果を制御できる範囲を拡大する一方で、結果に対してまったく
 制御がおよばず、結果と原因の因果関係が明らかでない領域を最小化すること」である。

■すべての情報を得ることはできないので、断片的な情報から帰納的な推論に頼り確率の推測
 に頼らなければならない。市場は完璧ではなく、正規分布曲線のあてはまらない不確実な
 事象がたびたび起こるため、不確実性の程度が問題であり、不確実性のもとでどの様な
 意思決定を行うかが問われるようになった。

■リスク概念や確率論の発達は、コンピュータ計算に基づく現代的なリスク・マネジメントに
 行き着く。「経済や金融の変数の多くが釣鐘型曲線に近い分布になるとはいえ、その図形は
 決して完璧な釣鐘型ではない。真実に似ていることと真実は同じではない。野生はこういった
 異常値や不完全さの中に潜んでいる。」と、コンピュータに依存した意思決定に警笛を
 鳴らしている。

■「確立の重要性は、それを手引きに行動するのが合理的だとする判断からのみ派生
 するものであって、それに実際に依存するのが正当化されるのは、現実行動において
 確立を考慮して行動すべきであるという判断によってのみである。この理由ゆえこそ、
 確率は我々人類にとって人生の手引きとなりうるのだ。ロックが言うように、「我々
 の決定的に重要な局面において、神は人類に確立の薄明かりのみを与えて下さった。
 けだし、この薄明かりさえあれば、神が我らに賜えた凡庸さと神に召されるまでの
 期間には十分だからである」と、結局リスクは制御不能な部分が残るし、それらを
 踏まえたうえで確立を手引きに色々意思決定をすることは合理的なんじゃない、
 という何とも凡庸な結論。


500ページに近い大著の割に余り学びが無かった、というのが正直な感想。
言語明瞭、意味不明瞭を地で行く文体で、竹下元首相を思い出してしまった。
次は肩の凝らない本を読もうと固く思った。

リスク―神々への反逆/ピーター・L. バーンスタイン

¥2,310
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頭の中のモヤモヤ

以前、ブログで「孤独な時間をきちっと過ごすこと」というエントリーを書きました。
http://ameblo.jp/yt25/entry-11245365302.html
そのエントリーでは「孤独な時間をきちっと過ごすこと」、
特に「何をやるべきかを熟考する=目指すべき目標を定めること」を課題設定しました。

今まで色々考えては、ポイ捨てしてきて、頭の中のモヤモヤはずっと晴れること無いですが、
今週はその事について色々考えてみたいと思ってます。
目指すべき目標と大上段に構えましたが、実際にはそんな大事ではなく、
打ち込めることを見つけれれば良いと思っています。

で、自分が今まで一番打ち込めたものは何だったかな?と考えてみると
学生時代の部活だったわけです。バスケが純粋に楽しかったし、何より仲間と1つの目標に
向かって頑張っていたあの頃は、振り返ってみるとやっぱり打ち込めていたと思います。
最近中学や高校の伝手で飲む機会がちょくちょくあるのですが、
そういう時に思うのが、自分にとってやはりバスケの交流の輪が自分の原点なのかな、と。

ここは結構ポイントだと思っていて、人間30数年やっていて最近よく思うのは、
人間には2通りのタイプがあって、チームに属する人間と、個で行動する人間です。
色々異論は出てくるかもしれないですが、僕は恐らく前者の人間だと最近よく感じます。
なので、今後個人としてずっとやっていくのか?と問われれば、NOになると思います。

じゃあどうやって人を増やすのか?どんな事業で?など色々目標設定していく必要が
ありますが、そこら辺も今週にある程度進めて行きたいと思います。

20年ぶりの邂逅 ~高校の先輩との再会~

高校の先輩方との飲み会。実に高校卒業以来20年ぶりの再会となりました。

きっかけはFacebook。たまたま繋がった高校の友達を起点として、
そこからまた同級生の友達を辿り、先輩たちと繋がることが出来ました。
で、しばらくそのままだったのですが、ある日I先輩からFBメッセが届き、
飲もうという話になり、飲み会に至ったわけです。対オーストラリア戦の日に。。。

20年ぶりに会うので、どんなに変わっているだろうか?会っても分かるのか?
という不安もありましたが、まあーこれでもかと言うくらい、先輩方は当時の面影そのままで、
しかも再会のセリフが「おい高橋、おせーよ、お前」というまるで1週間前に飲んだかのような
カジュアルさ。。。しかもお約束的に僕のジントニにポップコーン混ぜられ。。。

というような感じでいかにもフツーの体育会飲み会となりました。
とは言いつつ、やはり20年ぶりの再会は懐かしく、学生時代の繋がりの中で飲んでいると、
片意地張ってない素の自分でいられる、というか。良いもんですよね。
先輩方、どうも有難うございました。次回も是非よろしくお願いします。