この記事は、川崎ブレイブサンダース ファミリ― Advent Calendar 2022

 17日目に寄稿するものです。

※取り留めもなく乱文・長文と化しましたので、お時間のある時に

"しっかり時間を確保して"

お読み下さい(読了時間 約10分前後(汗))


昨日はさんryouta_bsk_0521による生放送でした。皆さん楽しめましたか?


録音を下記にリンクを

part1


part2 


 advent calendar全体はこちら


本日の投稿は皆様が現在のブレイブサンダースについての魅力他を書かれているので、ちょっと違った視点で…

少し古い時代のブレイブサンダースにとっての"伝説の男"についてです。

さて、ブレイブサンダースの2010年代から今季まで中心となっている選手は

・ニック・ファジーカス

・篠山 竜青

・長谷川 技

・鎌田 裕也
・藤井 祐眞
の五人

そして、一昨シーズンまで在籍していた
・辻 直人
ではないかと思います。

あれ?誰か忘れていませんか?

今季は居ませんけどね。


10年来のファミリーなら分かりますよね。

Bリーグ初年度からのファミリーも分かりますよね。

(最近の方はこれを機会に覚えて下さいね😃)

(古参ぶって申し訳ありません、そういう気は全くありませんよ)


2011-12シーズン 最下位というクラブが2012-13シーズンにPO(CS) Finalまで躍進した立役者の1人を。

そうその男こそ、"伝説の男"

ジュフ磨々道

です。



ジュフ磨々道 | プレイヤースタッツ 


 <参考>

海外のプレイヤースタッツサイト↓

International Basketball Players From Senegal- RealGM 


簡単に経歴を記すと

2005-2007
2007-2008
2011-2012
2012-2017
仙台89ERS
埼玉ブロンコス
レバンガ北海道
東芝ブレイブサンダース神奈川

※仙台/埼玉時代は帰化前だったので、登録名はママドゥ・ドューフ


国際大会には日本代表が開催国枠で出場した、2006年の世界選手権(現ワールドカップ)に出場しています。


さて、彼の加入を知ったのは……

(公式発表前なのに参加していた)ファン感謝デーでした。

※当時はシーズンの労をファンは労い、選手はファンと共に今シーズンありがとうという物ですけど、当時は今シーズンへの決起集会的イベントでした(なので、開催は8-9月の暑い中)


小向体育館に入ると見慣れぬデカイ背中、そしてネームにはDIOUFの文字

あれ?あれれれれ?

「昨年レバンガにいたマドゥじゃん😱」


もう驚きでしたね。

青学卒の辻直人、拓殖大卒の長谷川技、そして新外国籍選手のニックの加入は知っていたのですけど、あの「マドゥ」まで!!

こりゃ今季は期待できる??


そして、2012-2013シーズンに入る前、準備の段階で彼とニックが中心となり

「全員が走るバスケを展開していこう(※1)」

とコンセプトを決めたらしい。

そして、2012-2013シーズンが始まりました。

※1 あとから聞いたのですけどね。


そして、あれよあれよと昨シーズン最下位だったチームはPO進出、SFは前シーズンチャンピオンのトヨタ自動車アルバルク(現 アルバルク東京)との対戦。

1勝1敗からの第3戦、とどろきアリーナにて64-62の激戦を制し、そしてFINALへ。


FINAL の対戦相手は昨季SFで敗退し、2012-2013シーズンの優勝を目指すアイシンシーホース(現 シーホース三河)。


そのFinalの勝敗は(3勝先勝形式)

GAME1 東芝 負け

GAME2 東芝 勝ち

GAME3 東芝 勝ち(王手)

GAME4 東芝 負け

GAME5 東芝 負け……


惜しくも準優勝。

しかし、辻直人がブレサン史上初の新人王

(2 部時代に現筑波大学HC 吉田健司さんが受賞されていますけど😅)

(吉田さんもある意味伝説の男ですけど😅😅)


最後の負けた試合の後、ロッカールームで

「俺のせいで、負けたんだ(※2)」

と男泣きしたとも。

(※2 これもあとから聞いた話(汗 )


そこからブレイブサンダースの躍進は続き


ALL Japan2014(天皇杯)優勝

NBL 2013-14/2015-2016 優勝

Bリーグ 2016-17 準優勝


という結果

ブレイブサンダースを今も強豪と呼ばれるまで導き、引き上げてくれた男なのです。


あと彼と言えば思い出すのは

・PF なのにフェイド・アウェイを打つ

→その後尻もちつく。

・試合終盤に出番が無いことが決まると、コートエンドでストレッチ開始

・試合の無い日は「夜8時には寝る」発言

とこういう選手でしたね。


そして、2016-2017 シーズン後のファン感謝祭の最後に正式に引退することを発表。

そのSpeechを皆静かに聴きました。

※リンクに2016-17シーズンファン感謝祭を貼りました。お時間のある時に是非見て下さい。

最後の方なので……

(時間指定のやり方が?なのでその点は申し訳ない🙏🙏)


<閑話休題>======

FINAL 試合終了後、そのシーズン限りで引退することを決めていたのでしょう、shoesを観客席に投げ込みました。


惜しくもキャッチ出来ませんでしたけど、片方の靴が顔面に当たって、とある方向に。

今も笑える思い出です。

→シーズン後のファン感で話したら

「うそっ、ごめんね🙏💦💦」と(笑)


また、「ACやらないの?」と聞いたら、

「仕事が忙しいし、教えるの下手なんで」と

※仕事=実は選手中から別の事業をしていたんですわ。社長として……


そして、ファン感謝祭にベンツで乗り付ける(笑)

====ここまで====


そして多分、マドゥの残した遺産があるからこそ今のブレイブサンダースがあるのだと私は考えます。


伝説の男についてはこれで終わりです。


さて、伝説の男とはかけ離れます。

皆さんyoutubeはちょくちょくご覧になられてますか?

多分見てますよね(笑)


そのyoutubeにて、ブレイブサンダースに関するインタビューの数々が公開されてます

そちらを今回リスト化しました。

結構な数ありますので時間のある時にどうぞ。

 


お勧めは3本目から8本目は前アースフレンズ東京の元HCである、東頭さんと北さんの対談です。


多分見られていない方も多くいると思いますので、是非御覧ください。

(東頭さんの回し者ではございません)

現役時代から現在のGM業までの裏話が語られています。

北GMも私にとっては伝説の男の1人ですね


さて、明日はrecycle_tom's icon recycle_tomさんによる「秋田遠征」です。

"クレイジーピンク"とも呼ばれる秋田ブースター、その前での激闘試合、カメラ民でもあるrecycle_tom's icon recycle_tomさん目線でのお話です。


(なにやら帰りの空港で…… おっとネタバレ厳禁、厳禁)

お楽しみに!


さて、時々ブログ書こうかな←

(といってadvent calendarが始まらないと書かないのよね(笑))


本記事は、川崎ブレイブサンダースAdvent Calendar 2021 

24日目に寄稿するものです。

23日目は、asamin_sportさんによる

「The journey has just begun〜"代表の藤井祐眞"を追いかけて気づいたこと〜」

でした。


https://asamin-thunders.hatenablog.com/entry/2021/12/23/000000 


チームキャプテンにも就任し、ホーバスの目指すバスケの理想形にも近い「藤井祐眞」

今後の活躍に期待ですね。


本日はアドベントカレンダーへの参加は3年ぶりになります、ysmaster007が担当します。

https://mobile.twitter.com/ysmaster007


さて、唐突ではありますけれど少し回想を。


彼と初めて出会ったのは、9年前の今頃だったかな。

仕事を終え帰路に着く途中、まだ灯りが付いていたので「誰かと話しでも」と練習場に寄った時でした。


コートには勝又くんがおり、そのすぐ横に若い青年がいました。

第一印象は

「なんか、ごっつい奴がいるなぁ」

でした。


勝又くんに

「誰?」

と聞くと、

「大学の後輩で練習に参加していたんです。」

と紹介され、彼に礼儀正しく挨拶されました。


数分話していると、北さんが入って来られ

「穣次、これから挨拶しに行くぞ!」

との声。


「挨拶に行く」という事は「採用/入団決定」を意味していた(る)ので、彼のブレイブサンダースへの入団が決定したのです。


そう、その彼とは今季仙台からの移籍で川崎に戻って来た「鎌田裕也」、"かまちゃん"です。



いやぁ、仙台から川崎に戻ってくるというリリースを読んだ時には、本当に嬉しかった。



その前のシーズン終了時に契約満了という、自分にとっては驚きのリリースがあっただけに尚更です。



コロナ禍もあり、ファン感謝デー等各種イベントが出来ず、最後の会話も出来ませんでしたからね。
(結果的には最後の会話ではなくなりましたけれどもね(汗 )

さて、鎌田は確かにPT(Playing Time)はそんなには貰えません。
また、スタッツもこれといって突出したものを残している訳でもありません。


しかし、PTを貰った時には
・ゴール下で外国籍選手相手でも厳しい接触を気にせず、がっちりDEFする。

・Pick&Pop(*)から3Pをきっちり打ち切りる。
(*)スクリーン時にスクリナーとなった後、ゴール下には行かず、その場にとどまるプレー


・ゴール下でのイージショットはしっかり決め切る。


と自分に与えられた役割を文句も言わず、着実に遂行するロールプレーヤーとして、コーチ陣からの評価も高い選手です。

勿論、選手からの評価も高いと思ってます。

以前、辻くんがゴール下での外国籍選手とのマッチアップについて過去にこんなツイートをしてました。


これから引退するまで大きな怪我もせず、川崎ブレイブサンダースの一員として、活躍し続ける事を祈ってます。

そして、もう1人帰って来ましたね。
「よねすけ」こと米須玲音



大学バスケが終わったら川崎に入って
「次代のエースPG」
となるべく卒業までは毎シーズン
「特別指定選手」
として、川崎に加わってくれると思ってます。

米須くんも竜青、祐眞という2人の
「日本代表」
を経験している同じポジションの選手がいるので、良き経験をして来季の大学バスケで活躍して貰いたいと思ってます。

明日12/25 (土)は Coogeebee(クージー)さんのイブの夜・プレミアムシートからの風景」です。

お楽しみに! 

(写真は何れもkzoom200氏から提供頂きました。ご協力ありがとうございました)
本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2017の12/14(木)用の投稿記事です。

0)はじめに
私は以前の投稿でも書いた様に、バスケ経験は0な上に、審判の資格も持っていません。
上記の事を了解して頂き、読んで頂ければ幸いです。

1)今回のテーマ
今回は試合中のディフェンス・ファール判定の基準は何かについてがテーマです。

17年見てきた経験、ルールブックを読んだり、OBさんから教えて頂いた事を元に書いていますので、あくまでも「観戦時」に
・あっ、それでファールなのね
と思って頂ければ幸いです。

2)バスケのルール(参考)
BーLeagueでのルールはFIBAルールブックに基づいています。
Documents Library - FIBA.basketball

では解説を、、、ってやるとね。
・全文英語を日本語に翻訳(翻訳家じゃないよ、私(笑))
・小学6年生が理解出来るレベル(教員免許もないよ(爆))
まで書かないといけないので、それは無理(笑)→分かって頂けますよね、、、(ごめんなさい)

なので、川崎ブレイブサンダースのwebサイトに助けを求める。

バスケットボールの基本的なルール - 川崎ブレイブサンダース

観戦時に知っておくと良いルール、ヴァイオレーション、ファールについて纏まってますね。

こんな書籍もあります。
(ひとつ前の平原さん版読んだ感想として分かりやすい)
ハンディ版 バスケットボール-ルール・審判・スコアの付け方
著者:東 祐二

3)「シリンダの原則」とは。
実はここからが今回の記事における本題。
試合中、審判がディフェンス・ファールの判定を行う時には基準があります。
それがこの「シリンダの原則」です。
(バスケ(観戦も同様)において、この「シリンダの原則」という概念を知っている、いないの違いって大きいと私は思うのです。)
しかし、これが難しい(笑)

※FIBAFIBAルールブックの
Art. 33 Contact: General principles
33.1. Cylinder principle
に定義されてますので、原文読まれたい方は是非。
(参考までに引用掲載)
The cylinder principle is defined as the  space within an imaginary cylinder occupied by a player on the floor.
 It includes the  space above the player and is limited to:
・The front  by the palms of  the hands, 
・The rear by the buttocks, and 
・The sides by the outer edge of the arms and legs. 
The hands and arms may  be extended in front of  the torso no further than the position of the feet, with the arms bent at the elbows so that the forearms and hands are raised. The distance between his feet  will vary according to his height. 
ーーここまでーー

「シリンダの原則」とはどういうものなのか。
これを日本語に訳して説明となると皆さん「???」となるかと思いますので、解説ビテオをどーん。

B-Leagueでも吹かれている平原勇次さんの解説です。

つまり、上記の保護されたエリア外にて身体の接触があった場合、審判は即座に笛を吹きディフェンス・ファールがコールされます。
※試合中にDEFの選手が両手挙げて審判と話している機会を何度となく見られているかと。
→大概、真っ直ぐ伸ばしているはずの「手首」が内側に折れている。

OFFも似た考えがあるので、
・ドリブルしている選手の脇の下から腕入れてボール取りに行った時
は「イリーガル・ハンド・オブ・ユース」でファールなのですけど、、
取らないのですよ、審判さん(泣)

4)最後に
さて、今回は「試合中のディフェンス・ファール判定の基準」となる「シリンダの原則」という事について書いてきました。
本記事が
・参考になったのか、ならなかったのか
・需要があるのか、無いのか。
・知ってるわ、知らんわ、分からんわ!
と賛否両論あることは承知してます(汗
何かしらコメントを頂ければ嬉しいです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2017の12/11(月)用の投稿記事です。

本日はこの写真ネタでご勘弁をm(._.)m
昨年のアドベントカレンダーではHC/ACの現役時代からこれまでの経歴を紹介しましたけれど、今年は写真で。

現在、川崎ブレイブサンダースACの勝又くんの2年目のお姿(from ガイドブック)

 

 

因みに大東文化大学で同級であり、2004年に東芝に加入したイケメンは
(初代?王子)



現在と変わらず爽やか。
現在は富山にてAC兼任選手として、PTは短いながらもベテランらしい、ゲームコントロールを行ない活躍してます。
(富山遠征行きたい(泣))

穣次も1年しか一緒にプレー出来なくてがっかりしていたなぁ、、、と。

北さん、賢次の写真はしばしお待ち下さい(汗

最後まで読んでいただき、ありがとうございまいた。

記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2017の12/7(木)用の投稿記事です。

0)はじめに
本日は告知から。
明日、明後日は現在全体順位1位のシーホース三河との大事な1戦です。
金曜は仕事帰りに、土曜はどちらかに出かけるついででも構いませんので、是非とどろきアリーナにて川崎ブレイブサンダースを応援して頂ければなと。
※昨年は連敗。
昨年の三河戦について書かれている方のブログがありましたので、こちらもお読み下さい。

シーホース三河戦 (3/17) - KF&KB
http://recycletome256.hatenablog.com/entry/2017/03/19/214128

1)バスケ素人(競技歴0)がバスケ観戦にはまるまで(前回紹介したマスの正体)

前回の記事にて
「実はこれが完全にはまる、最終的な決め手に。
これです。」
という注釈をつけて掲載した「マス」の正体を。

 


マスの正体はこれでした。


これ、2004-2005シーズンに2回目のリーグ制覇を為し遂げた時のチーム関係者ならびに後援各位(行政、県協会他)が集まって行われた報告会にて配られた「マス」なんです。
当時、日本人エースとして活躍されていた北HCのサイン入り。

2)バスケ素人(競技歴0)がバスケ観戦にはまるまで

さて、20年以上バスケの競技経験も無ければ、観戦にすら行ったことのない私が何故「バスケ観戦にはまったのか」
要点のみザッと簡単に

・2001年
現在の会社に入社→バスケ部の存在知らない。

職場の「お姉様」がバスケ好き(北くん大好き)で「半ば強制的に」後援会入会
→バスケ部の拠点が勤務地であると言うことを知る。

マネが同期で「お姉様」の紹介で会い、仲良くなり、「観戦に来てね」と誘われる(請われる)
→とりあえず行く、そしてAJにて2OTに渡る激戦を制するのを見て感動。(少し興味を持つ)

・2002年
会社の上役(殆ど面識無し)にチーム関係者の飲み会(慰労会)に突然誘われ、連れて行って貰う。
→その関係者からも「観戦に来てね」と誘われる。(やばい、はめられた?)

前年の開幕前に大怪我して離脱した外国籍、チームにフィットしなかった外国籍の2選手と契約延長せず。
長年東芝に在籍していたF.ルイスと日本での経験豊富かつアメリカでルイスのチームメイトだったトム・クラインシュミットが加入
→トムは前年気になっていた外国籍(俄然、興味が湧き観戦回数が増える)

リーグプレーオフはベスト4で終了
→悔しい!!

・2003年
前年連れて行かれた飲み会の主賓様がACからHCへ昇格(鎌田光顕さん)
→鎌田丸の新たなる出航(行かないと!!)

リーグプレーオフは残念ながら準優勝
→第2戦で残り1分強10点ビハインドから追い付きOTで逆転勝利(代々木が揺れました)

・2004年
2003年と全く同じ相手(セミ:三菱(現 名古屋)、ファイナル:アイシン(現 三河))とのPOの激戦(全部で8試合)を制しての優勝の場面に立ち会う。
(泣いた、マジで)

そこからはもうはまってましたね。
その後のブレイブサンダースは
・2006年~2011年の暗黒時代
・2012年の転機
・2013年 14年振りの2冠達成
・2014年 激動の1年
・2015年 復活の1年
・B-League開幕とFinalでの悔し涙。
というシーズンを。

そして、私が「バスケ観戦」にドップリ漬かって行き17年が経過しました。
今ではシーズン中の週末は「バスケのスケジュール」が第一優先事項!
となってます(苦笑)
→おかげでテニスは一時ストップ。

3)結局はまった要因は?
「2003年の準優勝を見て、「優勝」が見たい!」と強く感じ、
「2004年 優勝の場面に立ち会うことが出来た。」
ことでしょうね。

だからこそ、暗黒時代も毎年、彼らの戦いを見続け、2012年からの第2次黄金期(言い過ぎ?)に立ち会い続ける事が出来たのだと思います。

4)最後に
B-Leagueから見始めた方も、昨シーズンの天皇杯決勝、リーグファイナルで「悔しい!!」と強く感じたかと思います。
その悔しさを昨シーズン観戦された方が多くいるからこそ、今シーズンまだ途中ではありますけど、昨シーズンの平均観客人数から観客数の増加と(2,456人→2,638人:182人増)に繋がっているのではと思います。
あの平塚での栃木戦の様に会場が"チームカラー"一色に染まって欲しいなぁとも。

 





※チーム目標は平均3,000人と伺ってます。
(昨年は4,789人が最高)

まずは12月にホームとどろきアリーナで開催される残り5試合が先日の平塚の様に"チームカラー"一色に染まって欲しいなぁと。

最後まで読んでいただき、ありがとうございまいた。

本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2017の12/4(火)用の投稿記事です。

皆さん、こんにちわ。
昨年のAdvent Calendar 2016に引き続き本年も参加させて頂きます。
(12/4、12/7、12/11、12/14、12/21を予定)

今回は「バスケ素人(競技歴0)がバスケ観戦にはまるまで(序)」という記事です。

自己紹介を簡単に
・現在40代前半の独身者(男)
・学生時代(中学3年)から2010年頃まではテニスの競技者(下手の横好きともいう)
・バスケは2001年から観戦スタート
という訳で、バスケの競技歴は0の素人です。

さて何故、こんな競技歴0の素人、見始めの頃は「トラベリング?プッシングファール?」というヤツが「バスケ観戦にはまった」のか。

実はこれが完全にはまる、最終的な決め手に。
これです。


これ「とあることが成されたので作られた」マスなのですけど、次回12/7の
「バスケ素人(競技歴0)がバスケ観戦にはまるまで」
にて正体を明かしたいと思ってますので、お楽しみに。

最後に
昨年はB-League初年度ということもあり、川崎ブレイブサンダース(東芝時代)の歴史を中心に担当させて頂きました。
今年は少しライトな記事を投稿して行こうと考えています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございまいた。

本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2016の12/23(金)用の投稿記事です。

 

川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)の歴史を簡単に紹介したいと思います。

 

今回は「2012~2016年までの歴史」について簡単に。

この期間を一言で表すとしたら「暗黒期からの復活と第二次黄金期の到来?」ですかね。

※かなり簡単に記載してご理解願います。(理由は文末にて)


◆2012年シーズン

 辻直人、長谷川技、N.ファジーカス、ジェフ磨々道入団

 

 洛南→青山学院大学から3Pシューターとして名を馳せていた辻 直人

 能代工業→拓殖大学にて得点力の高さがあるを長谷川 技

 数年前から契約を狙っていた新外国籍選手としてN.ファジーカス

 レバンガ北海道から帰化選手としてジェフ磨々道を獲得。

 

 昨シーズン8-34と最下位だった所からどれだけ巻き返せるかという

 期待と不安の混じったRS開幕前。

 その不安はRS開幕節の三菱電機戦(とどろきアリーナ)で払拭されました。

 開幕戦で73-68と勝利、次戦も72-58と前年度、開幕10連敗したチームとは

 思えない試合運びでの連勝。

 これは「期待しても良い?」と思わされました。 

 

 その後のRSを29-13で乗り切り、3位でのPO進出。

 

 POセミファイナルはトヨタ自動車アルバルクとの対戦。

 第1戦、第2戦ともに延長に縺れる大接戦を演じ、迎えた第3戦を

 64-62という僅差で勝利し連勝での逆転でのFinal進出。

 

 Finalは2004-2005シーズンで優勝争いをしたアイシン

 ●〇〇●●とFinalは第5戦まで縺れるも惜しくも敗戦。

 しかし、前シーズン最下位のチームが準優勝したのです。

 劇的な「CHANGE」でした。

 辻直人、川崎(東芝)史上初の新人王獲得。

 

◆2013年シーズン

 鎌田裕也、C.ボーズマン、大西崇範、平尾充庸入団

 このシーズンから(実質的なプロリーグ?となる)NBLが開幕

 

 大東文化大学から引退した桑原くんの後釜として鎌田裕也が加入。

 また、昨シーズン限りで運営企業であるパナソニックの大幅な業績不振に

 伴う、バスケットボール部休部に伴い、大西崇範、平尾充庸が移籍。

 また、新外国籍選手としてニックと旧知の仲であるC.ボーズマンが加入。

 

 リーグとしては旧JBLに所属していた7チームに加え、

 ・JBL2から兵庫ストークス、つくばロボッツ

 ・bjリーグから千葉ジェッツ

 ・新規参入チームとして和歌山トライアンズ、熊本ヴォルターズが加入。

 12チーム、東西2カンファレンスに別れ年間54試合の長いシーズンとなりました。

 ※同一カンファレンスチームとの対戦は6回(5チーム:30試合)、

  別カンファレンスチームとの対戦は4回(6チーム:24試合)

 

 RSを46-8という圧倒的(でもかなりハラハラ)な成績で締め、POへ進出。

 また、2014年1月のAJ準決勝にて残り0.7sからのニックがミラクルショットを

 決まり決勝進出し、決勝もA東京との死闘を制し、8年ぶり3度目の天皇杯戴冠。

 

 POもセミファイナルはトヨタ自動車アルバルクとの対戦を完勝し、

 ファイナルも和歌山トライアンズに対し3連勝というスイープ勝ちして

 2004-2005シーズン以来、3度目の優勝。

 

 そして、1999-2000シーズン以来の2冠を達成。

 見事な「CHALLENGE」成功。

 

◆2014年シーズン

 藤井祐眞、永吉佑也入団

 

 藤枝明誠→拓殖大学から「日本一上手いガード」とも称される藤井祐眞

 延岡学園→青山学院大学から世代別代表でも活躍していた永吉佑也が加入。

 

 連覇に向けてさぁと思っていたのですけれども、予外のアクシデントが多発。

 

 ・12/23 篠山キャプテンの左腓骨骨折による戦線離脱

 ・ 3/ 7 兵庫ストークス戦にてヤス(山下)が接触プレーでの

  左肩亜脱臼に伴う戦線離脱

 ・ボーズマンの左肩に異変。遊離軟骨除去を行うことに伴い、

  3月中旬で戦線離脱

 ・4月に入り、痛みを感じていたというニックの左足。

  検査の結果、第5中足骨の骨折が判明し、戦線離脱

 ・ 5/ 2 ハセ(長谷川)が試合中、右足を痛め、

  検査の結果、リスフラン関節捻挫による戦線離脱

 ・同日、栗原が慢性的に抱えていた股関節炎の悪化

  に伴う戦線離脱

 

 と前年は全く怪我人もでず、トレーナー陣もびっくりしていたのですけれども

 故障者多発という状態で最終節で3位から4位に転落し、POセミファイナルでは

 アイシンと対戦。

 ・Game1 58 - 90

 ・Game2 38 - 88 

 前年の2獲得に対し、「CHARGE」を掛けるも予想外のアクシデントでシーズン終了。

 

◆2015年シーズン

 晴山ケビン、野本建吾、谷口光貴、B.ブッチ入団

 

 ケビン、建吾、光貴は前シーズンの登録期限直前にアーリーエントリー制度を

 利用し3月以降のRS、POに出場していました。

 しかし、実質的なルーキーシーズン。

 

 C.ボーズマンは左肩をオペした関係で契約を解除し、新規外国籍選手として

 NBA D-Leagueを中心に活躍していたB.ブッチを獲得。

 

 このシーズン

 ・和歌山トライアンズの活動停止

 ・2014-2015シーズンまで行われいたカンファレンス制度が廃止

 という改定が行われ12チーム×5回戦、計55試合のRSでした。

 

 RSは38-17の3位でPO進出。

 POベスト8はレバンガ北海道に連勝

 POセミファイナルは初戦を落とすも、残り2戦を気迫で勝ち切りファイナル進出。

 POファイナルは連敗スタートし、「もうダメ?」と思わされる中、第3戦で辻くんが

 吹っ切れたかのように爆発し、その勢いも得て3連勝。

 逆転でのNBL最終王者に輝く。

 

 AJは落としてしまったもののNBL最終王者に輝いたので

 「NEXT CHALLENGE」に一応成功。

 

◆2016年シーズン

 R.スパングラー入団

 

 昨年のメンバーに加え、NCAAトーナメントFinal4に進出したオクラホマ大学から

 R.スパングラーを獲得。

 

 「Be Brave」をスローガンに12/22(木)現在で中地区首位、全体でも首位の

 22勝3敗でシーズン14連勝中です。

 

 さて、今日、明日のクリスマス決戦 A東京戦はどうなるのか。

 連勝記録を止めずに同じく13連勝とJET気流に乗っている千葉JETSとの

 年末決戦に臨めるのか。

 また、1/5~1/9の天皇杯、1/14のKBL所属安養KGCとのEACCも制することも

 できるのか。

 楽しみはつきません。

 

 皆さんも可能であればとどろきアリーナ他(横須賀で3試合、平塚で2試合)に

 来て頂き、バスケットボールのスピードあふれる展開を見て、声援を送ってください。

 ※初めて見るのでルールがわからないという方がいましたら、

   2Fスタンドにて解説することもOKですよ。(見つけてみてください(笑))

 

明日12/24(土)はRie Hiraoさんの記事でお楽しみください。

 

<お断り>本記事は諸事情が重なった関係で作成時間が取れなかったため

     かなり手抜きしました。

     2001~2016シーズン(特にPO進出シーズン及び2012~2016)

     については機を見て改めて本ブログまたは移行先のブログに投稿いたします。

 ※アドベントカレンダーで本ブログを知ったという方については

  1) DMにて本ブログのことを知った旨の連絡をください。

   (誰からでも受け付けるようにしてあります。)

  2) その後、別途ご連絡します。

本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2016の12/21(水)用

の投稿記事です。

 

川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)の歴史を簡単

紹介したいと思います。

 

今回は「2006~2011年までの歴史」について簡単に。

この期間を一言で表すとしたら「暗黒期の再来」ですかね。

 

2007年に応援団が解散(*)になったこともあり、

観戦に行く事の試合では(自称コールリーダーとして)

声援をリードしていたので(?)、申し訳ない。

殆ど試合の記憶がありません(汗

 

(*)応援団は製造部門の若手が結成されていたのですけど、

 2001年のITバブル崩壊という不況の影響もあり全社的な

 若手の採用の見送り、また応援団を担っていた若手が

 中堅レベルまで育ったことで社業専念という方針もあり、解散。

(仕方ない、この時期不況でしたからね(2008年にはリーマンショックも))

 

ということで各年度のシーズントピックが中心になります。

 

◆2006年シーズン

 加々美裕也、町田洋介、J.ウォーカー、R.ホーカム入団

 

 このシーズン、前シーズン途中にて経営破綻が生じた

 福岡レッドファルコンズに代わる参加チームがなかったため、

 7チーム×4回戦総当たり=24試合というシーズンでした。

 

 前年限りで日本バスケに長らく在籍していた両外国籍選手

 F.ルイス、T.クラインシュミットが引退したため、

 新規に外国籍選手を2名獲得。

 J.ウォーカーは過去に4つのリーグで得点王を獲得

 R.ホーカムはSASからドラフト指名を受けた

 (実際にはブルズで6試合出場)

 という経歴を持っていたのだが・・・。

 

 また、世界選手権が日本で開催され、代表活動で節政、伊藤が

 シーズン直前まで練習に参加できず、そして外国籍も2人入替えと

 いう事もあり、チームケミストリーが何処まで組み上げられるか、

 少し不安がありましたけど、

 RSが始まるとその不安は的中。

 

 シーズンが始まってみると両名ともに東芝のDEFシステムを

 理解できておらず、また司令塔の節政も組立てに苦労し、

 何とか北、折腹、伊藤、ホーカムを中心にとOFFの組立てを

 行いましたが、「平均失点85.8点(6/7チーム)」、「被FG%48.5%」

 という「DEFから自分達のバスケを」という自慢のDEFが崩壊したことを

 カバー出来る様な得点力はなく、7勝17敗で6位という結果でシーズン終了。

 詳細はこちら

 

 AJもアイシンとベスト8で対戦し、惜しくも東芝61-68で敗戦。

 ※E.マッカーサーをどのようにFトラブルに陥らせるかがキーと思って

  見ていたのですけれども結果的にはギリギリのF4で堪えられ、

  得点も22点(両チームトップ)を奪われるという完敗でしたね(汗

 

 <Topics>

 ・新人 加々美 4戦目のトヨタ戦で左足複雑骨折で早々の離脱。

 ・得点力を期待して獲得したJ.ウォーカーの素行に色々と問題が・・・

  →ホーム最終戦(vsパナソニック)にて肩を脱臼し、そのままシーズン終了。

 ・イートン、最終戦前日に転倒し、緊急入院。

  →検査の結果問題なしということで、当日の朝名古屋に移動し

    三菱電機戦に出場。

 

◆2007年シーズン

 石崎巧、菊地祥平、J.スミス入団

 このシーズンからJBL Super LeagueからJBLにリーグ名が変更され、

 試合数が35試合に(8チーム、5回総当たり制)

 また、レラカムイ北海道がプロチームとして加入。

 

 昨シーズン得点王のR.ホーカムは残留し、インサイドの起点となる

 J.スミス(後に日立でも活躍)を獲得。

 

 鎌田HCは節政、北というこの12年間不動のスターターから、

 黄金世代と呼ばれたルーキー2人石崎、菊地にスターターを託す。

 石崎、菊地、加々美、R.ホーカム、J.スミスという2005年までの

 節政、北、伊藤、外国籍×2という不動のスターターから一新して臨む。

 

 開幕3連勝と「これは行ける?」と思わされましたけれども、

 この12年間、節政、北中心だったチームを石崎、菊地中心に

 変えたこともあり、徐々に綻びが見え始め、またシーズン序盤で

 北さんがルーズボールに飛び込み肩を痛め、長期離脱というアクシデントも

 重なり、その後は連勝することはほとんどなく連敗を続けるという

 厳しいシーズンが続き13勝22敗で7位でシーズン終了

 詳細はこちら

 

 AJはトヨタ自動車アルバルクに準決勝で敗退し3位という結果に

 

<Topics>

 ・今治での試合(対パナソニック)。

 青野くんの地元、愛媛県での試合だったので満員の観客に対して1人で

 声援送っていたら、冷たい目線をずっと受けていたなぁと。

 

・月寒の悪夢

 北海道、月寒での試合。

 初戦は勝ちましたけれども、2戦目はJ.ウィリアムズが壊れたかのように3Pを

 連続して決めてくれた結果、東芝76-97北海道で大敗。(ご参考

 その後、月寒で行わる試合は2011年まですべて連敗するという因縁の地になりました。

 

◆2008年シーズン

 宇田康利、C.ヴァィオレット、P.コーネル、桑原義典入団

 シーズン前に激震が走る。

 伊藤俊亮がリンク栃木ブレックスへ移籍。

 板倉令奈が三菱電機ダイヤモンドドルフィンズへ移籍

 志村雄彦が仙台89ersへ移籍。

 町田洋介が滋賀レイクスターズへ移籍

 また、北卓也、折腹祐樹の2名が引退。

 

 これまでインサイドを張っていた伊藤の移籍を受け、

 この年bjリーグに転向したOSGフェニックス(現:三遠ネオフェニックス)から

 桑原義典を緊急補強。

 このシーズンから外国籍選手のOnコートルールが変更されたこともあり、

 日本人ビッグマンの補強がどのチームとも重要だったシーズンだったかと。

 ※うちは宋燕忻以外 2mの選手が居なかったので。

 

 そして、HCが鎌田さんから田中輝明さんに交代。また、北さんがACに。

 

 外国籍選手も田中HCがゴンザガ大学時代から目を付けていた

 C.ヴァイオレットを獲得。

 また福岡レッドファルコンズ、日立サンロッカーズに所属していた

 P.コーネルを獲得

 (P.コーネルは2005-2006シーズンにFG%成功率部門、

  またリバウンド部門でもでトップだった選手。)

 

 そして、OSGの転出を受け、JBL2優勝のリンク栃木ブレックスが新規加入。

 

 AJは準々決勝にてトヨタ自動車アルバルクに99-87で敗戦し、ベスト8止まり。

 RSは開幕節リンク栃木ブレックスに連勝というスタートも

 ホーム開幕戦でパナソニック相手に66-67で敗戦後、

 下位チームから勝ち星は上げれるもののこのシーズンPOに進出した

 上位チーム(トヨタ自動車、日立、アイシン、パナソニック)との対戦成績が

 4-16という成績であり、RSは15-20で6位で終了。

 詳細はこちら

 

<Topics>

 ・田臥見たさに開幕戦、午後休取って現地入り(開幕戦)

  宇都宮の人の列に驚いたのと共に、現B-rAids代表 萩島さんと

  この時、知り合えたのは忘れません。

 

 ・コーリー・ヴァイオレット

  宮地陽子さんの当時のブログに記載がありますけれども、出だしは好調。

  しかし第3戦のパナソニック戦では終了間際に2FTを得て、1本でも決めれば

  OT突入だったのですけれども・・。

  2FTとも外し、相手HCの清水さんが小躍りしていたのを忘れていません。

  また、ポンプフェイクが出来ないためFG%は55%代を推移し、

  この後3年間FT成功%が落ちていくことになるとは想像も出来ませんでした(汗

 

◆2009年シーズン

 山下泰弘、富田卓弥、T.ニュートン入団

 

 明治大学で3Pシューターとして活躍していた大型PGの山下泰弘

 筑波大学で日本人インサイドとして活躍していた197cmの富田卓弥

 レラカムイ北海道で安定したインサイドプレーヤーであったT.ニュートン

 がそれぞれ加入。

 しかし、これまで14年チームをけん引していた節政貴弘が引退。

 黄金期を担っていた3選手がすべていなくなってしまいました。

 

 このシーズンから試合数が42試合に(8チーム、6回戦総当たり

 前半戦はチームの年齢層が近くなったこともあり、コミュニケーションも

 うまく取れ、1巡目は2位という好成績でしたが、2巡目後半から3巡目前半に

 大きな連敗があり、終わってみれば後半の失速した結果、22-20の5位

 4位日立23-19だったので、もう少しでPOというシーズンだったのですけれども。

 詳細はこちら

 AJはまさかのベスト8でレラカムイ北海道に敗退するという波乱。

 

<Topics>

 ・リンク栃木ブレックス 参入2シーズン目でJBL制覇

  ちょうど海外出張中でまったく気にしていなかったFinal。

  諸事情でYahooメールを使うことになり、異国の地で驚かされた。

 

 ・石崎巧電撃退団

  最終戦の帰りのバスの中で突然、退団し海外挑戦する意向を表明。

  これは衝撃的な出来事でした。

  今後10年はうちの屋台骨を担ってくれると思っていた選手でしたので・・・

 

◆2010年シーズン

 栗原貴宏、C.オバノン入団

 

 久しぶりに日本大学から栗原貴宏が加入。

 また、トヨタ自動車アルバルクで'00シーズンから活躍していた

 C.オバノンが加入。 

 

 開幕から5連勝と例年になく良いスタートを切ったのですが、

 その後は上位チームから勝ち星を得られずRSを17-19で終了。

 2011/3/11 東北を襲った「東日本大震災」の影響で。

 2011/3/11を以てRSは打ち切り。POも開催されずでした。

 

 この時点で負け越してはいたものの4位に付けていたので

 このまま行けばと少し復活を感じさせてもらえるシーズンでした。

 

 AJは準々決勝で日立サンロッカーズに68-56で敗退

 

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 個人的には2010/8/22~2010/10/30までの間、大阪への出張を命じられ

 序盤の7節は全く見れず(今の様にネット配信もありませんでしたからね)

 ※システム設計担当なのに工事監督(補助)やってました(汗

 

 そのため、出張期間中時間を作って見に行って試合は兵庫県加古川で

 行われたパナソニック戦のみ(10/24(日))

 しかも、パナソニックにボコボコにされての敗戦

 凹んだまま帰阪し、次の日徹夜作業だったが思い出ですかね。

 

 そして戻ってからも体調が優れず、久しぶりにまともに見れなかったシーズン

***********************************

 

◆2011年シーズン

 篠山竜青、F.サンバ、S.メリット、C.モス、勝又穣次入団

 HCが田中輝明さんから北さんに交代。

 そして、佐藤賢次が引退し、ACに就任。

 

 昨年に引き続き日本大学から篠山竜青が加入。

 リンク栃木ブレックスで日本一を経験しているS.メリット、

 欧州での経験豊富なC.モス、レバンガ北海道から勝又穣次を補強。

 

 RSが始まると・・・

 勝てない。兎に角勝てない。開幕から10連敗。

 やっとレバンガ北海道との対戦にて連勝した時は嬉しかったなぁ。

 

 シーズン中盤で立て直しを図るべくACとして折腹さんが11/25から復帰。

 しかし、すぐにチームが良くなる訳もなく

 11/19(土)リンク栃木ブレックス~1/29(土)レバンガ北海道戦までの間

 14連敗。

 

 AJ中断前の率直な感想がこちら

 

 その後はチームOFF、DEFに安定感が戻って来た結果、上記の様な大きな

 連敗は生じなかったものの8-34という成績で最下位に。

 

 AJは準々決勝でトヨタ自動車アルバルクと対戦し58-81で敗退。

 

明日はhjmngsさんの「Go Go サンダース!!」でお楽しみください。

 

<お断り>本記事は諸事情が重なった関係で作成時間が取れなかったため

     かなり手抜きしました。

     2001~2016シーズン(特にPO進出シーズン及び2012~2016)

     については機を見て改めて本ブログまたは移行先のブログに投稿いたします。

 ※アドベントカレンダーで本ブログを知ったという方については

  1) DMにて本ブログのことを知った旨の連絡をください。

   (誰からでも受け付けるようにしてあります。)

  2) 別途、作成したら連絡を入れるようにいたします。

本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2016の12/18(日)用の投稿記事です。

 

川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)の歴史を簡単に紹介したいと思います。

今回は「2001~2006年までの歴史」について簡単に。

この期間を一言で表すとしたら「第1次黄金期の継続と終焉」ですかね。

 

※All Japanは2001年までは外国籍on2が認められていたのですけど、2002年から「日本人のみで戦う」というルール変更が行われました。

(2007年まで。目的は日本人ビッグマンを育てるという理由。

 帰化選手、見なし日本人選手はOK)

 

◆2001年シーズン

 小野元、J.スティーブンス入団

 昨シーズンで引退したT.ホーバスに変わる得点源として、J.スティーブンスを、

 また北の控えとしてピュアシューターである小野元(中央大学)を獲得。

 

 しかし、シーズン開幕直前インサイドの要として期待をしていた

 A.グリグズビーが左足のACLという重症を負い、急遽別な外国籍選手

 E.デイリーを獲得。

 

 そして、正PGの節政までシーズン序盤の怪我で離脱。

 結果、RSは中々勝てない状況が年内続き、年始のAJへ。

 

 AJが始まる前の頃には節政、A.グリグズビーも復帰。

 1発勝負のトーナメントで優勝を目指しましたが、セミファイナルにて

 アイシンに敗れ、優勝ならず。

 

 その後再開されたRSはAJの勢いもあり前半戦に比べ戦い方がまとまり、

 7-14の6位Finish。

 

 このシーズン一番印象的だった試合はAJベスト8 vs トヨタ自動車アルバルクとの試合。

 先述の通り、RSは中々思ったようなバスケが出来ず苦しんでいました。

 そして、ベスト8でJBL勢、RSでも2敗していたトヨタ自動車との対戦ということで

 会場のお客さんもボルテージが上がっていました。

 そしてその試合内容はダブルOTまで縺れかつ、

 トヨタは折茂、渡邉、東芝は北が5FでFOとなる大接戦を制した物凄く熱い試合でした。

 

 また、このシーズンを以て会社の業績不振の影響からいすゞと

 ボッシュ(旧ゼクセル)が活動休止に。

 (いすゞはリーグ制覇を果たしながらも休部ということで驚きました。

  →前年から内定取消し等(身内で1名喰らった)が起きていましたので…。

 

◆2002年シーズン

 佐藤賢次、伊藤俊亮、T.クラインシュミット入団

 

 外国籍選手を一新

 ボッシュの活動休止もあり、前年諸事情でチームを離れたF.ルイスが復帰。

 そして、アメリカCBA時代に同じチームでプレーしていた

 T.クラインシュミットが加入。

 また、今も千葉で頑張っている伊藤俊亮、

 2000年インカレを制覇した青山学院大学から佐藤賢次が加入。

 

 AJは残念ながらベスト8で松下電器に72-81で敗戦

 

 RSは節政、北のコンビに加え、2年ぶりの復帰となったF.ルイス、

 そしてT.クラインシュミットの活躍、途中からは伊藤がスターター

 定着したこともあり、12-9の3位で終え2年ぶりのPOセミファイナルへ

 

 対戦相手はトヨタ自動車アルバルク

 ・Game1 東芝81-85トヨタ

 ・Game2 東芝78-85トヨタ

 で惜しくも敗退。

 残念ながら3位でシーズン終了

 

 T.クラインシュミットの加入を知った時は大喜びしましたね。

 理由ですけど、外国籍PGだったので

 「節さんと違ったどんなゲームメイクするのだろう?」

 という単純な理由です。

 

◆2003年シーズン

 新規入団選手は無し。

 

 HCが吉田さんから鎌田さんに交代

 先シーズンからメンバーの大きな変更もなかったんので、順調にシーズンを

 進められるかと思っていたのですが・・・

 シーズン序盤でいきなりT.クラインシュミットを怪我で欠き、

 またもう一人の外国籍選手であるF.ルイスも骨折。

 

 AJまでの前半戦を7-7の5割で凌ぐ。

 AJは準決勝でトヨタ自動車アルバルクに68-75で敗戦

 

 後半戦は前半戦を怪我で欠いた外国籍選手2人も戻り、

 またその間を日本人インサイド選手達が踏ん張ったことで

 チーム戦力層が厚みを増し、最終的にはRSを16-12の2位で

 2年連続のPO進出

 

 このシーズンはセミファイナルを横浜国際プールで開催

 (現:横浜ビーコルセアーズのホームコート)

 

 

 対戦相手は三菱電機メルコドルフィンズ(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)

 ・Game1 一進一退の好ゲーム。

  ラスト同点を狙った北の3Pはリングとボードの間に挟まり、

  東芝72-75三菱電機で惜しくも惜敗。

 ・Game2

  後のない東芝は持ち味のDEFから自分達のバスケをしっかり展開し、

  東芝70-65三菱電機で1勝1敗のタイに。

 ・Game3

  試合開始前にハプニング。係員の不手際で照明が落ちる。

   →照明が戻るまでの時間分、試合開始が遅れる。

    (照明施設の関係で、横浜国際プールで暗転は出来ないのです。)

  そんなハプニングにも見舞われましたが、東芝75-59三菱電機と快勝し、

  先にFinal進出を決めていた前年度王者、アイシンとの対決へ

  ※4年ぶりのFinal進出

  <こぼれ話>

  アイシンは松下電器とのGame2にて第3Qまで24点差(47-75)で負けていた。

  しかし、第4Qにその点差をひっくり返し大逆転勝ち(87-86)

  ラストはJRのブザビ、ロング3P。

  ※見逃したことを未だに後悔してます。

 

 ファイナルは聖地 代々木第二体育館

 ・Game1 東芝69-78アイシン

  開始2:30で東芝1-9というアイシンが主導権をいきなり握る展開。

  しかし、まだ8点差。これから逆転出来ると応援していましたけど、

  最終的にはこの1Qの立ち上りのリードを巧みにコントロールした

  アイシンが先勝。

 

 ・Game2 東芝75-72アイシン(OT)

  後のない第2戦。

  DEFを立て直した東芝が31-30の1点リードで折り返し。

  後半第3Qに入ってからは一進一退の攻防を繰り広げるが、

  結局第3Q終了時点で46-52とアイシンリード。

 

  さらに第4Q立ち上りにE.マッカーサーに得点を決められるが、

  東芝も連続得点を重ね、53-54と点差を詰める。

  しかし、東芝が掴んだと思っていた波はアイシンへと移り、

  C.トーマスの3P等で残り2分を切った所で57-62。

 

  この後にビッグプレーが。

  フリーで飛び出した後藤のレイアップを北がジャンプ一番でブロック。

  7点差となるのを防ぎ点差が5点差のまま、

  残り1分を切った所から奇跡が起きる。

 

  激しいDEFを後藤に仕掛けた北が転倒。

  倒れ込んだ北にボールをぶつけて外に出しマイボールにしようと投げた

  後藤のボールが北のお腹にすっぽりと。

  それをフォローしたT.クラインシュミットの得点で3点差。

  その後、佐古のドライブで再び5点差へ。

  この時点で残り31秒。

 

  節政はナンバーコールし組立てを図るが、上手く行かず

  「マッカーサーの腕が絡んでいたので打てば入らずとも3本のFTが貰える」

  と判断し、シュート。これが決まる。

  ボーナスFT1本は外れORをF.ルイスがキープし、北へ

  北の3Pが決め、逆転。(代々木が揺れました、まじで)

 

  しかし、そこは王者アイシン、佐古がFTを得る。

  佐古はこれで決まったとガッツポーズをしFTラインへ。

  しかし、2本目が外れOTへ。

  

  OTはアイシンが7得点を奪うも東芝がFTを5本決め、トドメは北さんのドライブと

  3Pで大逆転。Game3へと決着は持ち越された。

 

 ・Game3 東芝78-81アイシン

 

 

 (「JBL OFFICIAL BOOK バスケットボール日本リーグ機構 

    JBL 12YEARS MEMORY 12年間を振り返って」 から転載)

 

試合後、小野くんと話し込む北さん

 

◆2004年シーズン

 板倉令奈、宮永雄太入団

 

 昨シーズンの雪辱を晴らすべく臨んだシーズン

 前半戦は13-3と良いスタートであったが、後半戦7-5と少し失速。

 トータル20-8、RSシーズン2位で4年連続のPO進出

 

 AJは準々決勝でトヨタ自動車アルバルクに79-78と惜敗しベスト8どまり

 

 POセミファイナルは川越総合公園体育館(遠かった(汗 )

 前年に引き続き三菱電機との対戦

 ・Game1 東芝86-55

 ・Game2 東芝92-103

 ・Game3 東芝90-78

 と前年同様第3戦まで縺れるも何とかリベンジのキップを確保

(「月刊バスケットボール 2005年5月号から転載)

 

 Finalは3連覇を目指すアイシンとの対戦。

 3-2で制し1999-2000シーズン以来5年振り2度目のリーグ制覇

 ・Game1東芝92-80アイシン(OT)

 ・Game2 東芝60-52アイシン

 ・Game3 東芝59-66アイシン

 ・Game4 東芝48-73アイシン

 ・Game5 東芝75-73アイシン

 

 

(いずれも「月刊バスケットボール 2005年6月号から転載)

 いや、いずれの試合も色々なドラマがありましたが、私の能力では伝えきれないので。

 

 

◆2005年シーズン

 志村雄彦入団

 2000年シーズンに出来なかった連覇を目指して臨んだシーズン

 RS前半戦は9-5で乗り切り、AJへ

 準決勝 vsトヨタ戦では残り1.7sからの板倉令奈のミラクル逆転3Pが決まり

 劇的な逆転勝利で決勝へ。

 

 決勝は前回のAJ決勝と同じ三菱電機との対戦。

 準決勝で鵜澤くんがE.マッカーサーを抑え込み、

 勢いのある三菱電機と思っていたのだが、決勝が始まるとスタートから

 東芝ペースで試合が進み、危なげなく東芝78-55三菱電機で勝利を収め

 2000年以来6年振り2度目のAll Japan制覇

(出典:東芝ブレイブサンダースHP)

 後半戦7-5と少し勢いが落ちたものの16-10のRS3位でPO進出

 ※このシーズン「福岡レッドファルコンズ」が新規参入するもRS途中で資金繰りが

  ショートし、AJ以降のRSから撤退という大きな事案もありました。

 

 POセミファイナルは横浜文化体育館で開催。

 対戦相手はPO初出場のOSGとの対戦。

 RSでは1-3と戦績不利な状況であったが連覇を目指すチームは

 土壇場に強いと信じていましたが・・・

 ・Game1 東芝73-82

 ・Game2 東芝80-87 と完敗。ベスト4でシーズンを終える。

 

 POの試合前、F.ルイスは今シーズンを以て引退する旨を(この時36歳)話していたとの事。

 引退するルイスのためにと奮闘しましたが、

 OSGの川村、朝山、堀田というアウトサイドシューター

 PGの大口、DEFの良い鈴木鉄夫、

 日本人インサイドの桑原、鹿毛

 外国籍選手A.カスタス、J.ハニーカットという

 東芝と比較して平均年齢が5歳近く若い勢力には敵いませんでした。

 

さて、明日(12/19)はkanzmrswさんの

「フロサポにわかりやすくサンダースの選手を紹介する2」

でお楽しみください。
川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)の歴史については

12/21(水) 2006~2011シーズン

12/23(金) 2012~2016シーズン

を寄稿する予定です。

 

<注記>

本記事の作成において

バスケットボール日本リーグ機構が企画・監修した

「JBL OFFICIAL BOOK バスケットボール日本リーグ機構 

 JBL 12YEARS MEMORY 12年間を振り返って」

また、月刊バスケットボール「2005年5月号、6月号」

からの引用を多数しましたことをお断りしておきます。

本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2016の12/17(土)用の投稿記事です。

 

川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)の歴史を簡単に紹介したいと思います。

今回は「1995~2000年までの歴史」について簡単に。

 

この期間を一言で表すとしたら「第1次黄金期までの苦しい道のり」ですかね。
まだ、この時期は東芝レッドサンダースでした(汗


◆1995年シーズン
 北卓也、節政貴弘、渡辺純平、B.ロウサム入団

 第一次黄金期の担い手となる北卓也、節政貴弘が入団。
 また、昨年まで川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)のACを務めていた

 B.ロウサムが新外国籍選手として入団。


 3選手とも1年目からスタータとして活躍するも、
 チームはCリーグ6位/6チーム(3-13)となり、まさかの入替戦へ。
 入替戦をなんとか勝ち切り1部残留を決める。
 

 近年まで北さんが「印象に残っている試合は?」と聞かれると
 「1年目の時の入替戦」と答えるほど、苦しくまた厳しいシーズンでした。

 

◆1996年シーズン
 折腹祐樹、野間耕治、F.ルイス、S.バード入団

 前年の悔しい戦績を払拭すべく新たに新外国籍選手としてF.ルイス、S.バード

 を獲得。
 そして、北の後輩である折腹、控えのPGとして野間を獲得

 S.バードは近年ニックが入団するまで「東芝歴代最強の外国籍選手」

 と言われるほどの実力者でした。
 ※本来はGなのですけれども、日本では200cmあったのでFとして活躍。
 →つまり第2の司令塔的役割も果たしていたのです。

 

 また、F.ルイスはNBA経験は無いもののイスラエル、CBAの幾つかのチーム

 を経ての入団。 ※当時25歳。(~2006まで在籍)

 

 また、実質的な指揮が真下さんから吉田健司さんに変わった結果、チームとしての
 戦い方が変化し、 前年度リーグ戦、Cリーグ最下位だったチームは蘇り、
 Cリーグ1位/6チーム(10-6)の成績を上げ、POに進出(1部昇格後、初)

 

 POベスト8では住友金属スパークスを下し、セミファイナルへ進出。
 しかし、セミファイナルではトヨタ自動車ペイサーズ(*)相手と対戦。
 しかし、 第1戦 62-63、第2戦 69-71 と大接戦を演じるも
 惜しくもセミファイナルにて敗退
 (*)1999年にトヨタ自動車アルバルクに改称。

 

◆1997年シーズン
 高橋和広、田名部淳一、K.ポートマン入団

 リーグ戦前に行われた第2回JBLトーナメントで優勝。

 (1996年~1997年の2年間のみ開催)

 
 ※いすゞ自動車は前年大活躍したケニー・ウォーカーの体調不良で契約断念。
  トヨタ自動車はトム・ホーバス、J.J.ユーバンクスの故障によりリーグ戦でも苦戦。

 

 リーグ戦は前年度の勢いを維持した状態でTリーグ1位(13-3)でPOに進出。

 POベスト8ではゼクセル、セミファイナルでは大和証券(現:新潟アルビBBの前身)

 を下しファイナルで3連覇を目指すいすゞ自動車ギガキャッツと対戦。

 

 この年のFinalは前年までの代々木第2体育館ではなく東京体育館での実施。
 これは昨年度Finalにて観客制限が発生したためのファンへの配慮であった。

 

 初戦は89-95で敗戦。
 後のない第2戦、節政が佐古をプレッシャーDEFで抑え、いすゞの狙う

 トランジションの早いゲーム展開をさせない。
 この作戦は的中したのだが、ハーフライン付近から投じられたA.クックのショットが
 決まり43-40で前半終了。

 後半は一進一退の攻防であったが、バードが4PFとなった場面から流れが

 いすゞに傾き、76-80で惜しくも敗戦。

 

 目の前でいすゞの3ピート(3連覇)を見ることとなる。


◆1998年シーズン
 新規入団選手は無し。

 前シーズンのメンバーが13名(引退1名)と戦力ダウンが殆ど無い状態でリーグ戦

 を戦い抜きTリーグ1位(14-2)でPOに進出。

 

 POベスト8ではゼクセル、セミファイナルでは松下電器を下し、Finalでは4連覇を
 目指すいすゞ自動車ギガキャッツと2年連続の顔合わせ。

 と、同じ土俵に上がれるようになってきたのですけれども。。
 なんと1部昇格してからRS、PO含めていすゞから1勝もできていないという戦績。
 

 しかも、インサイドの要であるK,ポートマンはシーズン中に右手を故障。
 また、野村さん(北さんのバックアップ)は松下戦で左アキレス腱断裂という
 チーム状態で迎えたFinal

 ・Game1
  RSのスタッツでは平均得点差が12.8点(いすゞ87.5/東芝74.7)という中、
  スローペースでは戦わず、点の取り合うゲーム展開に持ち込み、89-80と先手を
  取る。いすゞにとっては4年ぶりに追う展開になった。

 

 ・Game2
  いすゞはGame1での修正としてスタートとして南山に代わり佐久本を起用。
  これにより、北へのディフェンスを強化。そして、南山投入後は佐古&南山の
  PnRを多用し、佐古へのDEFが集中した所をアウトサイドから南山が華麗に

  3Pを決める。
  結果、76-95で敗戦。対戦成績は1勝1敗のタイに。

 

 ・Game3
  共に1勝1敗。今日勝った方が優勝という大一番
  ※2004-2005シーズンまで3戦2勝形式

  東芝は第1戦でのハイペース&いすゞよりもスターター1人当たり

  平均2分長いPTによる体力消耗の影響が出始め、思うようなゲーム展開が

  行えない。
  

  後半、残り少ない体力の中、DEFでのオールコートプレスも選択し

  追いすがったが万事休す74-85で敗戦。

  松下電器(1983~1987)以来の4連覇を許すこととなる。

 ※All Japanはベスト4でいすゞ自動車に72-74で敗北。
  しかし、これがAll Japanでの初の入賞(ベスト4以上である。)

 

◆1999年シーズン
 中元剛、A.グリグスビー入団

 K.ポートマンに代わりリバンド面で活躍していたA.グリグズビーをゼクセルから

 獲得。 また、日大から197cmの中元剛が入団。

 

 RSはTリーグ1位(12-4)で4年連続のPO出場。

 ベスト8では日立本社をセミファイナルではトヨタ自動車を第3戦まで縺れるも
 振り切って、Final進出。3年連続同じ顔合わせとなるいすゞ自動車との対戦。

 

 ・Game1
  RSでやられていたいすゞのファストブレイクへのDEFとして2-2-1のプレス。
  また、ポストに落としてからのドライブを防ぐために2-3のゾーンDEFを敢行。
  しかし、インサイドへのDEF意識が高まった結果、意識の薄くなったアウトサイド
  からの3Pを佐久本、マイケルに面白い様に決められてしまう。
  後半だけで7本の3Pを浴びせられ、65-75で敗戦

 

 ・Game2
  続くGame2も王者の風格を見せるいすゞのペースとなり東芝はバード頼みの
  OFFが続くこととなる。
  しかし、前半残り7分にいすゞに悪夢が襲う。
  速攻を防ぐためにボールに迫った瞬間、佐古とルイスが接触。
  佐古は鼻骨を骨折し、退場してしまうのであった。
  しかし、前半を終えて22-35といすゞのリードで折り返し。
  ※佐古はその後、病院へ
  
  佐古の居なくなった後半、控えPGである井上、安西がゲームを組み立て始め、
  後半2分が過ぎたところで18点にリードを広げる。
  しかし、ここから東芝のDEFの罠が効き始める。
  1) Game1で行っていたプレスDEFをPGに仕掛ける事でリズムを崩し始める。
  2) 2-3のゾーンでインサイドを固め、外郭打ちを誘発。
    そこから2-3のゾーン→トライアングル2にDEFを変更し、L.デービス、佐久本に
    G陣がタイトなマークを行い、パスコースを遮断。
    これによりL.デービス、佐久本に無理な状態で打たせ確実にDRを確保する

  気づいた時には時すでに遅し、後半だけで54得点を上げた東芝が76-64で勝利。

 

 ・Game3
  Game2途中で離脱した佐古がコートに戻ってきた。
  中1日での決戦となるGame3 吉田HCはGame1,Game2での内容を振り返り、
  北、バードを活かすOFFオプションを組み上げる。

  しかし、そこは王者いすゞもDEFでのマッチアップの変更、2-3のゾーンを
  組むことで東芝に主導権を渡さない。また、T.ドージャーの外郭が決まり、

  一進一退の五分の展開。そう、総力戦であった。

  

  後半、吉田HCは勝負に出る、前半好調だったT.ドージャーに対し、

  折腹をマッチアップさせる。
  これは外郭を打たせるのを防ぐためだけではなく、T.ドージャーがインサイドで

  ポストアップしたくなる状況を作り、外でボールが回ることを防いだのだった。
  結果、インサイドプレーヤーであるマイケルが外に出ざるを得ない状況を

  作り出すことに成功し、いすゞのリズムを崩した。
  

  リズムの狂ったいすゞは思うような得点を上げることができず、

  東芝はOFFのリズムを作り、点差を広げていく。

  最終スコアは82-66.
  

  いすゞ自動車ギガキャッツの5連覇を止め、悲願の初優勝。
  All JapanはFinalで三菱電機を破り初優勝していたため、2冠達成である。

 

◆2000年シーズン
 宋燕忻、山中健一、篠原隆史、Tホーバス入団

 Back to Back(連覇)を目指したシーズンであったが大黒柱の一人であった
 S.バードが突然の引退。急遽、1990年から安定的に得点を積み上げていた
 T.ホーバス(現:WJBL JX-ENEOSサンフラワーズ HC)を補強。 
 

 また、田名部の新潟への移籍、田中(啓)の引退もあり、みなし日本人扱いとなる
 宋燕忻(200cm)、日体大4連覇の立役者の一人である篠原隆史(210cm)、
 控えPGとして節政の後輩となる山中健一を獲得


 RSは2000年シーズンから参加チーム数が12チーム→8チームとなり、

 3回戦総当たり制に変更される。

 (PO進出チーム数もも8チームから4チームへと変更)
 

 RSシーズンは勝敗数ではいすゞと並ぶも直接対決で2勝1敗と

 勝ち越していたため、RS1位としてPO進出。

 

 All Japanの連覇を逃し、リーグ戦の連覇の可能性が残っている状態で臨んだ
 POセミファイナル 対トヨタ自動車アルバルク戦
 

 RSシーズンでも2勝1敗と勝ち越ししてはいたのだが、最終第3戦は

 79-82と負けていた。

 

 RSでの平均得点は東芝79.5Pts、トヨタ83.8Ptsと得点面ではトヨタ有利。
 逆に平均失点では東芝75.6Pts、トヨタ82.0ptsと東芝有利。
 つまり、ロースコアの展開に持ち込めれば東芝は勝てるはずだった。

 

 Game1:そのプラン通り71-64と失点をRS平均以下に抑え、先勝。
 Game2:76-67で敗戦。
 Game3:72-80で敗戦。

 

 1996年シーズンから4年ぶりにいすゞへの挑戦権をトヨタが得る。

 残念ながら連覇を目指したシーズンは決勝の舞台に立てずに

 終わってしまった。
 ※All JapanはFinalでいすゞに敗れ、準優勝。

 

明日も引き続き、私ysmaster007による

「川崎ブレイブサンダースの歴史(2001年~2005年)」をお送りいたします。

※2003年~2006年のPOに関する記述は少し簡単にしています。

 

<注記>
本記事の作成において
バスケットボール日本リーグ機構が企画・監修した
「JBL OFFICIAL BOOK バスケットボール日本リーグ機構 
 JBL 12YEARS MEMORY 12年間を振り返って」
からの引用を多数しましたことをお断りしておきます。