本記事は川崎ブレイブサンダース Advent Calendar 2016の12/17(土)用の投稿記事です。

 

川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)の歴史を簡単に紹介したいと思います。

今回は「1995~2000年までの歴史」について簡単に。

 

この期間を一言で表すとしたら「第1次黄金期までの苦しい道のり」ですかね。
まだ、この時期は東芝レッドサンダースでした(汗


◆1995年シーズン
 北卓也、節政貴弘、渡辺純平、B.ロウサム入団

 第一次黄金期の担い手となる北卓也、節政貴弘が入団。
 また、昨年まで川崎ブレイブサンダース(東芝ブレイブサンダース)のACを務めていた

 B.ロウサムが新外国籍選手として入団。


 3選手とも1年目からスタータとして活躍するも、
 チームはCリーグ6位/6チーム(3-13)となり、まさかの入替戦へ。
 入替戦をなんとか勝ち切り1部残留を決める。
 

 近年まで北さんが「印象に残っている試合は?」と聞かれると
 「1年目の時の入替戦」と答えるほど、苦しくまた厳しいシーズンでした。

 

◆1996年シーズン
 折腹祐樹、野間耕治、F.ルイス、S.バード入団

 前年の悔しい戦績を払拭すべく新たに新外国籍選手としてF.ルイス、S.バード

 を獲得。
 そして、北の後輩である折腹、控えのPGとして野間を獲得

 S.バードは近年ニックが入団するまで「東芝歴代最強の外国籍選手」

 と言われるほどの実力者でした。
 ※本来はGなのですけれども、日本では200cmあったのでFとして活躍。
 →つまり第2の司令塔的役割も果たしていたのです。

 

 また、F.ルイスはNBA経験は無いもののイスラエル、CBAの幾つかのチーム

 を経ての入団。 ※当時25歳。(~2006まで在籍)

 

 また、実質的な指揮が真下さんから吉田健司さんに変わった結果、チームとしての
 戦い方が変化し、 前年度リーグ戦、Cリーグ最下位だったチームは蘇り、
 Cリーグ1位/6チーム(10-6)の成績を上げ、POに進出(1部昇格後、初)

 

 POベスト8では住友金属スパークスを下し、セミファイナルへ進出。
 しかし、セミファイナルではトヨタ自動車ペイサーズ(*)相手と対戦。
 しかし、 第1戦 62-63、第2戦 69-71 と大接戦を演じるも
 惜しくもセミファイナルにて敗退
 (*)1999年にトヨタ自動車アルバルクに改称。

 

◆1997年シーズン
 高橋和広、田名部淳一、K.ポートマン入団

 リーグ戦前に行われた第2回JBLトーナメントで優勝。

 (1996年~1997年の2年間のみ開催)

 
 ※いすゞ自動車は前年大活躍したケニー・ウォーカーの体調不良で契約断念。
  トヨタ自動車はトム・ホーバス、J.J.ユーバンクスの故障によりリーグ戦でも苦戦。

 

 リーグ戦は前年度の勢いを維持した状態でTリーグ1位(13-3)でPOに進出。

 POベスト8ではゼクセル、セミファイナルでは大和証券(現:新潟アルビBBの前身)

 を下しファイナルで3連覇を目指すいすゞ自動車ギガキャッツと対戦。

 

 この年のFinalは前年までの代々木第2体育館ではなく東京体育館での実施。
 これは昨年度Finalにて観客制限が発生したためのファンへの配慮であった。

 

 初戦は89-95で敗戦。
 後のない第2戦、節政が佐古をプレッシャーDEFで抑え、いすゞの狙う

 トランジションの早いゲーム展開をさせない。
 この作戦は的中したのだが、ハーフライン付近から投じられたA.クックのショットが
 決まり43-40で前半終了。

 後半は一進一退の攻防であったが、バードが4PFとなった場面から流れが

 いすゞに傾き、76-80で惜しくも敗戦。

 

 目の前でいすゞの3ピート(3連覇)を見ることとなる。


◆1998年シーズン
 新規入団選手は無し。

 前シーズンのメンバーが13名(引退1名)と戦力ダウンが殆ど無い状態でリーグ戦

 を戦い抜きTリーグ1位(14-2)でPOに進出。

 

 POベスト8ではゼクセル、セミファイナルでは松下電器を下し、Finalでは4連覇を
 目指すいすゞ自動車ギガキャッツと2年連続の顔合わせ。

 と、同じ土俵に上がれるようになってきたのですけれども。。
 なんと1部昇格してからRS、PO含めていすゞから1勝もできていないという戦績。
 

 しかも、インサイドの要であるK,ポートマンはシーズン中に右手を故障。
 また、野村さん(北さんのバックアップ)は松下戦で左アキレス腱断裂という
 チーム状態で迎えたFinal

 ・Game1
  RSのスタッツでは平均得点差が12.8点(いすゞ87.5/東芝74.7)という中、
  スローペースでは戦わず、点の取り合うゲーム展開に持ち込み、89-80と先手を
  取る。いすゞにとっては4年ぶりに追う展開になった。

 

 ・Game2
  いすゞはGame1での修正としてスタートとして南山に代わり佐久本を起用。
  これにより、北へのディフェンスを強化。そして、南山投入後は佐古&南山の
  PnRを多用し、佐古へのDEFが集中した所をアウトサイドから南山が華麗に

  3Pを決める。
  結果、76-95で敗戦。対戦成績は1勝1敗のタイに。

 

 ・Game3
  共に1勝1敗。今日勝った方が優勝という大一番
  ※2004-2005シーズンまで3戦2勝形式

  東芝は第1戦でのハイペース&いすゞよりもスターター1人当たり

  平均2分長いPTによる体力消耗の影響が出始め、思うようなゲーム展開が

  行えない。
  

  後半、残り少ない体力の中、DEFでのオールコートプレスも選択し

  追いすがったが万事休す74-85で敗戦。

  松下電器(1983~1987)以来の4連覇を許すこととなる。

 ※All Japanはベスト4でいすゞ自動車に72-74で敗北。
  しかし、これがAll Japanでの初の入賞(ベスト4以上である。)

 

◆1999年シーズン
 中元剛、A.グリグスビー入団

 K.ポートマンに代わりリバンド面で活躍していたA.グリグズビーをゼクセルから

 獲得。 また、日大から197cmの中元剛が入団。

 

 RSはTリーグ1位(12-4)で4年連続のPO出場。

 ベスト8では日立本社をセミファイナルではトヨタ自動車を第3戦まで縺れるも
 振り切って、Final進出。3年連続同じ顔合わせとなるいすゞ自動車との対戦。

 

 ・Game1
  RSでやられていたいすゞのファストブレイクへのDEFとして2-2-1のプレス。
  また、ポストに落としてからのドライブを防ぐために2-3のゾーンDEFを敢行。
  しかし、インサイドへのDEF意識が高まった結果、意識の薄くなったアウトサイド
  からの3Pを佐久本、マイケルに面白い様に決められてしまう。
  後半だけで7本の3Pを浴びせられ、65-75で敗戦

 

 ・Game2
  続くGame2も王者の風格を見せるいすゞのペースとなり東芝はバード頼みの
  OFFが続くこととなる。
  しかし、前半残り7分にいすゞに悪夢が襲う。
  速攻を防ぐためにボールに迫った瞬間、佐古とルイスが接触。
  佐古は鼻骨を骨折し、退場してしまうのであった。
  しかし、前半を終えて22-35といすゞのリードで折り返し。
  ※佐古はその後、病院へ
  
  佐古の居なくなった後半、控えPGである井上、安西がゲームを組み立て始め、
  後半2分が過ぎたところで18点にリードを広げる。
  しかし、ここから東芝のDEFの罠が効き始める。
  1) Game1で行っていたプレスDEFをPGに仕掛ける事でリズムを崩し始める。
  2) 2-3のゾーンでインサイドを固め、外郭打ちを誘発。
    そこから2-3のゾーン→トライアングル2にDEFを変更し、L.デービス、佐久本に
    G陣がタイトなマークを行い、パスコースを遮断。
    これによりL.デービス、佐久本に無理な状態で打たせ確実にDRを確保する

  気づいた時には時すでに遅し、後半だけで54得点を上げた東芝が76-64で勝利。

 

 ・Game3
  Game2途中で離脱した佐古がコートに戻ってきた。
  中1日での決戦となるGame3 吉田HCはGame1,Game2での内容を振り返り、
  北、バードを活かすOFFオプションを組み上げる。

  しかし、そこは王者いすゞもDEFでのマッチアップの変更、2-3のゾーンを
  組むことで東芝に主導権を渡さない。また、T.ドージャーの外郭が決まり、

  一進一退の五分の展開。そう、総力戦であった。

  

  後半、吉田HCは勝負に出る、前半好調だったT.ドージャーに対し、

  折腹をマッチアップさせる。
  これは外郭を打たせるのを防ぐためだけではなく、T.ドージャーがインサイドで

  ポストアップしたくなる状況を作り、外でボールが回ることを防いだのだった。
  結果、インサイドプレーヤーであるマイケルが外に出ざるを得ない状況を

  作り出すことに成功し、いすゞのリズムを崩した。
  

  リズムの狂ったいすゞは思うような得点を上げることができず、

  東芝はOFFのリズムを作り、点差を広げていく。

  最終スコアは82-66.
  

  いすゞ自動車ギガキャッツの5連覇を止め、悲願の初優勝。
  All JapanはFinalで三菱電機を破り初優勝していたため、2冠達成である。

 

◆2000年シーズン
 宋燕忻、山中健一、篠原隆史、Tホーバス入団

 Back to Back(連覇)を目指したシーズンであったが大黒柱の一人であった
 S.バードが突然の引退。急遽、1990年から安定的に得点を積み上げていた
 T.ホーバス(現:WJBL JX-ENEOSサンフラワーズ HC)を補強。 
 

 また、田名部の新潟への移籍、田中(啓)の引退もあり、みなし日本人扱いとなる
 宋燕忻(200cm)、日体大4連覇の立役者の一人である篠原隆史(210cm)、
 控えPGとして節政の後輩となる山中健一を獲得


 RSは2000年シーズンから参加チーム数が12チーム→8チームとなり、

 3回戦総当たり制に変更される。

 (PO進出チーム数もも8チームから4チームへと変更)
 

 RSシーズンは勝敗数ではいすゞと並ぶも直接対決で2勝1敗と

 勝ち越していたため、RS1位としてPO進出。

 

 All Japanの連覇を逃し、リーグ戦の連覇の可能性が残っている状態で臨んだ
 POセミファイナル 対トヨタ自動車アルバルク戦
 

 RSシーズンでも2勝1敗と勝ち越ししてはいたのだが、最終第3戦は

 79-82と負けていた。

 

 RSでの平均得点は東芝79.5Pts、トヨタ83.8Ptsと得点面ではトヨタ有利。
 逆に平均失点では東芝75.6Pts、トヨタ82.0ptsと東芝有利。
 つまり、ロースコアの展開に持ち込めれば東芝は勝てるはずだった。

 

 Game1:そのプラン通り71-64と失点をRS平均以下に抑え、先勝。
 Game2:76-67で敗戦。
 Game3:72-80で敗戦。

 

 1996年シーズンから4年ぶりにいすゞへの挑戦権をトヨタが得る。

 残念ながら連覇を目指したシーズンは決勝の舞台に立てずに

 終わってしまった。
 ※All JapanはFinalでいすゞに敗れ、準優勝。

 

明日も引き続き、私ysmaster007による

「川崎ブレイブサンダースの歴史(2001年~2005年)」をお送りいたします。

※2003年~2006年のPOに関する記述は少し簡単にしています。

 

<注記>
本記事の作成において
バスケットボール日本リーグ機構が企画・監修した
「JBL OFFICIAL BOOK バスケットボール日本リーグ機構 
 JBL 12YEARS MEMORY 12年間を振り返って」
からの引用を多数しましたことをお断りしておきます。