タイトルのメトミニーとは、アイデア大全by読者猿

『43個目の発想法「幸田露伴のメトニミー(換喩)」』からの引用である。

 

 

成功者の真理に迫る:幸田露伴の“運”哲学 渡部昇一(上智大学名誉教授/英文学者・評論家) Wikipedia:ja.wikipedia.org/wiki/渡部昇一

 

◎運を軽く見るなかれ

作家・幸田露伴は、“運”について独自の考えを持っていた。一般的には運とは偶発的なもの、あるいは責任逃れの言い訳のように扱われがちだが、露伴の視点は真逆。彼は運とは、人生における姿勢や態度で左右される「引き寄せの力」であると主張する。

◎反省する者が運を引き寄せる

メトミニーでもお馴染みの露伴によれば、偉業を成し遂げた人物ほど、自身の過ちを冷静に自己責任として捉える傾向があるという。誰かに責任を押しつけることで一時的な心理的安心を得ることは可能だが、そこから得られる成長は皆無。逆に、失敗の本質を自ら掘り下げることによって、知恵や向上心が養われる。

 

◎運命の紐のたとえ話

露伴は運のメカニズムを「紐」に例える。触れると痛みを伴う“金属製のごつい紐”を辛抱して引き続けると、やがて大きな運が訪れる。一方、“絹のように滑らかな紐”は快適だが、引き寄せるのは不運。心地よさに甘んじている者には、大きなチャンスは巡ってこないのだ。

 

◎幸運は自ら作るもの

「運は自分の姿勢が形作るものだ」と露伴は語る。“自責で反省を重ねることが、人間としての進化につながる”という論理は、現代でも通用する普遍的な成功法則である。

 

こぼれ話①:露伴の娘・幸田文も運に敏感だった?

露伴の娘である小説家・幸田文は、「日々の習慣が人生を変える」という母譲りの哲学を持っていた。彼女は“箸の持ち方”ひとつで人の品格まで見抜けると断言。こうした日常的なこだわりもまた、小さな運を積み重ねる手段なのかもしれない。

 

こぼれ話②:福沢諭吉の「運命は自ら開く」哲学

福沢諭吉(啓蒙思想家)は、「努力しない者に運は訪れない」と説いた。露伴とは異なる語り口ながら、運に主体性を与える点では共通している。実は多くの明治の偉人たちが“運”を単なる偶然としては捉えていなかったことが興味深い。

 

🍺 “酒仙”と呼ばれたほどの酒好き

  • 晩酌は日課で、ビール・清酒・ウイスキーなど何でも嗜んだ。

  • 最期の数日前、「ビールが飲みたい」と言い、家族が苦労して入手。吸飲器で一口飲んで酔い、静かに息を引き取った。

  • 娘・幸田文は「父の霊前に酒瓶が並ぶのは景気のいい眺めだった」と語っている

 

ちょっと おしゃべり:運がいいと感じる人の行動パターン

心理学の研究によると、「自分は運がいい」と思い込んでいる人の多くは、感謝日記をつけている、挨拶を欠かさない、靴を揃えるなどの細かなルーティンを大切にしているそうです。こうした“さりげない規律”が、意外にも運を引き寄せる鍵かもしれません。

 

 

 

 

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🧭ドラッカーの人生から導かれた7金言

上田惇生(元・ものつくり大学教授、ドラッカー学会代表、ドラッカー入門著者)は、経営学の巨人ピーター・F・ドラッカーが人生で得た7つの精神的節目を紹介しています。それぞれの教訓は、ドラッカーの実体験や読書から生まれたもので、現代の働き方や生き方にも深く通じるものです。

🎯教訓一覧:ドラッカーの哲学

  1. 目標と未来像を描いて行動する

  2. 常に全力を尽くす(神々が見ていると意識する)

  3. 一度に一つのことに集中する

  4. 定期的に振り返り、計画を立てる

  5. 新しい仕事に必要なことを見極める

  6. 成果を記録し、結果を振り返る

  7. 自分が「何によって記憶されたいか」を考える

有名すぎる話ですが、あえて掲載してみました!
2の例として、銅像の後ろ側も手を抜かない、という例が挙げられてます

🎼こだわりの第一歩:オペラから学んだ挑戦心

若き日のドラッカーが感銘を受けたのは、80歳を過ぎた作曲家ヴェルディのオペラ。 「満足できないから、もう一度挑戦する必要があった」という言葉に、彼は衝撃を受けます。 この経験から「目標とビジョンを持って生きる」ことの大切さを学び、習慣化しました。

🗿神々の視線:見えぬ部分にも魂を込める

次に彼が読んだのは、ギリシャの彫刻家フェイディアスの逸話。 パンテオンの屋根に設置された彫刻の背面にまで手を抜かず、「神々は見ている」と語ったフェイディアスの姿勢に、ドラッカーは「誰にも見えなくても完璧を目指す」精神を刻みます。

📜こぼれ話①:ドラッカーと図書館の関係

ドラッカーは若い頃、ハンブルク市立図書館の蔵書をほぼ読破したと言われるほどの読書家でした。 彼の著書には200人以上の思想家の言葉が引用されており、読書が思想形成の土台となっていたのです。

📜こぼれ話②:シュンペーターとの会話

ドラッカーが40代の頃、父と経済学者シュンペーターの会話を耳にします。 「何によって知られたいか?」という問いに、シュンペーターは「優秀な学生を育てた教師として記憶されたい」と答えました。 この言葉が、ドラッカーの第7の教訓「記憶される価値とは何か」に繋がります。

 

 

🎼 80歳のヴェルディから“挑戦し続ける精神”を学ぶ

  • ドラッカーが若い頃に聴いたオペラ『ファルスタッフ』は、80歳のヴェルディが作曲したもの。

  • 「最高傑作は次の作品だ」と語るヴェルディの姿勢に衝撃を受け、「目標とビジョンを持ち続けること」の大切さを悟った

☕ちょっと おしゃべり:ビジネス書の意外な読者層

最近では、ドラッカーの『マネジメント』が高校生や大学生にも読まれています。 特に『もしドラ』のヒット以降、経営学が青春小説のテーマになるなど、ビジネス書の読者層が広がっているのは面白い現象ですね。月刊致知、おすすめです。経営者向きで、書店では売ってないので未だに知名度はいまひとつですが。

 

 

📜 ドラッカーは“経営学者”ではなかった? 実は本人は「経営学者」と呼ばれることを好まず、「社会生態学者」と名乗っていました。彼の関心は企業の利益ではなく、組織が社会にどう貢献するかという“人間と社会の関係性”にありました。マネジメントは単なる技術ではなく、人間の幸福を追求する手段だと考えていたのです。

 

🖼️ 日本美術コレクターとしての顔 ドラッカーは日本の古美術に深い愛情を持ち、室町時代の水墨画や南画を中心に約200点もの作品を収集しました。円高の時代ですよ。浮世絵には興味を示さず、むしろ“渋好み”の禅画に惹かれていたのがユニークです。彼のコレクションは現在、千葉のミュージアムに寄託されています

 

 

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ドラッカー入門 著者上田惇生  解説

🔪熱意と工夫で一流へ

道場六三郎氏(主人/日本料理人)は修業時代、「人の倍働いて、人が3年かかる仕事を1年で習得する」という意気込みで、ひたすら「早く・美しく」を意識したそうです。 ネギやキューリを切る際、人が2本でこなすところを3本、4本、5本と挑戦。種類の異なる野菜にも応用し、効率化と技術向上を追求しました。

進歩が少しでも見えると、仕事が楽しくなるもの。こうした小さな成果は、料理人としての喜びへと繋がっていきました。

🧊細部に魂を宿す段取り力

作業スピードだけでは限界があり、段取りが必要不可欠。冷蔵庫一つとっても、仕切りを設け、食材の位置をメモして扉に貼れば開閉の手間が減り、庫内温度も安定する。 できる料理人なら「冷蔵庫を開けなくても中身が頭に入っている」のが当たり前に近い世界。こうした細部への配慮こそが、腕前以上に職人の差となると氏は語ります。

⏱締め切りに間に合わせる技術

仕事にも人生にも“デッドライン”はつきもの。時間を無駄にせず、テキパキ行動することが、どんな職業にも共通する成長の鍵だと強調しています。 ただ努力するだけでなく、効率と工夫を積み重ねることで初めて人の倍の仕事をこなすことが可能になるのです。

📜こぼれ話①:板前修業と剣道の共通点

道場氏は若かりし頃、剣道にも熱中していました。鍛錬を重ねるごとに「型」と「気」が技に反映され、まさに料理の所作に通じるものがあったそう。料理人としての感性は、剣道場にも根を張っていたのです。

📜こぼれ話②:メモ魔の料理人

道場氏は当時からメモ魔で知られており、料理の気づきから冷蔵庫の配置まで、すべて記録していたとか。のちの著書にも、その手書きメモが引用されている。 これが「型を持ちつつ常に進化する料理人」の基盤だったと言われています。

 

 

🍚 “一汁三菜”の順番が逆⁉ 会席料理との違い

項目 懐石料理 会席料理
主目的   茶を美味しく飲むため  酒を楽しむため
飯・汁の位置   最初に出る  最後に出る
雰囲気   静寂・簡素  華やか・宴席向け
  • 懐石では最初にご飯と味噌汁が出るのが特徴。これは胃を刺激する濃茶の前に、軽く腹を満たすため。

  • 一方、会席料理は酒を楽しむための豪華なコースで、飯と汁は最後に登場

☕ちょっと おしゃべり:厨房の音楽事情

最近では厨房内にBluetoothスピーカーを導入する店も増えているとか。リズムに合わせて包丁を入れると、作業効率が上がるという説も…? クラシック、ジャズ、EDM——職人たちの“料理プレイリスト”が意外と熱いジャンルらしいですよ。

 
 
 

🥢 “鉄人”という言葉は流行語になったが、実は… 「鉄人」という呼称は、番組内で“その道を極めた達人”を意味する言葉として使われましたが、実はこの言葉、当初はスタッフの間で「ちょっと大げさすぎる」と懸念されていたそうです。それでも採用された結果、1990年代の流行語として定着。今では料理界以外でも“○○の鉄人”という表現が使われるほど浸透しました。

🎬 演出は“料理版の仮面ライダー”を目指していた? 番組の演出を手がけた田中経一氏は、「料理人をヒーローとして描きたかった」と語っています。鉄人たちの登場シーンは、まるで特撮ヒーローのように照明と音楽で演出され、主宰・鹿賀丈史の「甦るがいい、アイアンシェフ!」という決め台詞も、仮面ライダーの変身シーンを意識したものだったとか。

 

 

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「今日が新しい始まり」―土光敏夫、簡素の哲学と日々への覚悟 

吉良節子(元秘書)

 

冷房のない自宅、ギギギ音のする玄関扉、ギシギシミシミシ鳴る底の抜けそうなお化け屋敷のよな床。神奈川県横浜の一角に立つ土光敏夫邸は、昭和の豪邸とは程遠い。かつて東芝社長、経団連会長を務めたとは思えぬほど、外見は簡素そのものだった。

 

訪れる人が「暑い」とこぼしても、当人は意に介さず。「会社が困るなら」と応接間にだけ冷房を設置したものの、寝室に入れることは拒否。物持ちのよさも異常なほどで、擦れて書けなくなりかけのペンさえ「まだいける」と言って離さなかった。

 

そんな土光氏が色紙に書く定番は「日新 日日新」。これは中国の古典『大学』の一節で、「今日という日は全ての人に平等に訪れ、昨日より進歩するべき」といった意味合いがある。

 

一度は臨時行政調査会(臨調)の責務をやり抜き、生前に民間人として初の「勲一等旭日桐花大綬章」を受章。その後は横浜の自宅で静かに療養されるようになり、毎週、吉良節子秘書が訪問していた。

 

「一日の決算は一日に済ます。昨日にこだわらず、明日を心配せず、今日を誠実に生き抜く」。土光氏が毎朝心に誓っていたこの哲学は、彼の人間性そのものだった。

 

食事はメザシを好み、服装や鞄は使い古したものを大切にする。華やかさを嫌い、潔癖なまでに質素を貫いた。受章式の際には「個人は倹約に、国は豊かにあるべき」と語ったように、公と私を徹底的に分けた人物だった。

 

そんな姿勢に通じるエピソードを思い出す。ある企業トップが「高級車はステータス」と言ったとき、土光氏はふっと笑い「必要なら軽トラで十分でしょう」と返したという。言葉の奥に、実直な哲学がにじむ。

 

ちなみに土光氏は「公務員の給与水準は国家の信頼を左右する」とも語っていた。それは、彼の「私利私欲なく国を想う心」からの発言だったと感じられる。

 

余談ながら、鶴見駅周辺では戦後の面影を残す商店街がいくつか残っていて、夏祭りでは昭和歌謡が鳴り響き、地域住民が踊りに興じている。土光氏の家がこの土地にあったのも、何か彼自身の価値観に通じているような気がする。

 

 

🧠 「社会生態学者」としての思想家的側面 土光氏は単なる経営者ではなく、「社会全体の合理化」を目指した思想家でもありました。企業の再建だけでなく、行政改革や財政再建にも深く関わり、「増税なき再建」を掲げて国鉄・電電公社・専売公社の民営化を推進しました

📚 読書家としての異常な集中力 80歳を過ぎても毎晩4時間読書を続け、英語・ドイツ語の専門書を読み漁っていたそうです。

 

🚍 バス通勤と階段生活 経団連会長になってもバス通勤を続け、会館のエレベーターは1基だけ稼働。他は停止して経費削減。自ら階段を使い、役員にも「社員の倍働け」と檄を飛ばしていました

 

本当です!

またアイドルグループ「FES☆TIVE」のメンバー土光瑠璃子の、曾祖父にあたる人物です。

驚きですよね。奥さんもキレイな人ですからね。

 

 

🐟 “メザシの土光さん”は演出だった⁉

  • NHK特集で放送された「85歳の執念」で、夕食にメザシと田舎煮が映されたことで「清貧の象徴」として有名に

  • 実はこの演出は、秘書が「財界人の質素な生活を見せれば行革が進む」と説得して実現したもの。

  • 本当は岡山から送られてくる山海の珍味も食べていたという話も。

🏠 社長室のバス・トイレ・キッチンを撤去した男

  • 東芝社長に就任した際、社長室にあった豪華設備をすべて撤去。徹底してます

 

 

参考URL 土光敏夫(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%85%89%E6%95%8F%E5%A4%AB

 

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土光さんの孫娘です

 

稲盛和夫氏(京セラ・第二電電創業者/公益法人稲盛財団・京都賞創設者)

🧠 「知恵の蔵」をめぐる物語

技術者であり経営者として長年ものづくりに携わった稲盛氏は、ある時から「神秘的な英知」に導かれていると感じるようになった。自身の成功の理由を、才能や偶然に帰すのではなく、「宇宙に蓄えられた真理の宝庫」に触れる瞬間があったからだと語る。

 

こうした「知恵の蔵」は、努力を続けている者のみに静かに扉を開く。実際、彼が創設した国際賞「京都賞」の授賞式では、世界的な研究者たちもその神秘的な体験を共有していた。

 

彼らが語るには、創造の瞬間とは、机上ではなく休憩中や夢の中など、予期せぬ時に訪れることがある。まるで宇宙が静かに囁くような、その「ひらめき」は人智を超えたものかもしれない。

 

そして稲盛氏は、人類の文明を支えてきた偉人たち──エジソンなど──もこの「知恵の蔵」にアクセスしていたと確信している。

彼らの偉業は、ただ努力の賜物ではなく、ひらめきを授かるほどの信念と集中力がもたらしたものだった。

 

ちなみに、稲盛氏自身が素材研究で成功を収めた背景にも、そうした霊感の存在があると語っている。まるで、神がくれたヒントをキャッチするためにアンテナを磨いていたかのようだ。

 

 

🧩 追加エピソード

余談だが、スティーブ・ジョブズも「禅」の瞑想を通じてインスピレーションを得ていたことで知られている。Appleの製品設計は、機能性だけでなく「直感的に感じられる美しさ」を追求しており、まさに知恵の蔵から引き出された感性といえるだろう。

 

🧠 “びびり”を自認していた慎重な性格 稲盛氏は自らを「びびり」と認めており、すべての行動に深く考え抜く姿勢を持っていました。JAL再建の際も、社員の生活や社会的影響を考慮し、慎重に決断したと語られています

 

🩸 創業メンバーが“血判状”で誓いを立てた⁉

  • 1959年、京セラ創業時に集まった若者たちは、誓詞血判状を交わして「この会社を絶対に成功させる」と誓った。

  • これは単なる契約ではなく、命を懸けた覚悟の証だった。

 

<雑談>

そういえば最近、「人工知能にひらめきは宿るのか?」という話題を耳にした。もしAIにも知恵の蔵にアクセスする“感性”があるとしたら、次の文明の担い手は人間だけではないかもしれない。まあ、私はまだ「宇宙と対話する」ほど悟ってはいないけどね(笑)。

 

🍚 吉野家の牛丼を愛した“庶民派”の一面 意外にも、稲盛氏はファーストフード好きで、特に吉野家の牛丼(並盛)を好んでいたそうです。有楽町店を常連として利用し、ラモス瑠偉氏などの重要人物との会食にも使っていたという逸話も残っています

 

 

 

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困難は解決策を連れてくる
川勝宣昭 DANTOTZ consulting 代表
――――――――――――――――――――――

日本電産芝浦が業界首位に立ち、
なお成長軌道に乗ったところで、
私は2社目の再建を命ぜられました。

5年前と同じように、
ある日突然派遣が決まったのです。

 

その会社はエレベーターの速度制御機をつくる


ネミコンという社名で、
規模こそ1社目より小さいものの、
再建への道のりは遙かに難しいものとなりました。

 

会社規模は従業員が100名程度で、
売り上げ約40億円に対して年間8億円の赤字で、
永守重信社長から与えられたテーマは、
やはり1年以内の黒字化です。

 

なぜ難しいかと言えば、
新しい速度制御機をエレベーター製作会社に採用してもらうには、
試験期間に最低1年を要するという慣行がありました。

 

そのためいくら新規の営業に走り回ったり、
製品開発に力を注いでも、
 

1年以内の売り上げ増に繫がらない状況にあったのです。

悩んだ揚句に国内市場から目を転じ、
注目したのが当時開発ラッシュの続く中国市場でした。

 

調べてみたところ中国では
エレベーター製作会社の社長に
自社製品を気に入ってもらえれば、
僅か1週間で採用が決まるというのです。

 

 

一休み

エレベーターの有名な裏技として、間違えた階数を取消ししてしまう方法があります。キャンセルしたい階数ボタンをダブルクリックするか、長押しすることで、間違って押してしまった階数をキャンセルできます。子供がイタズラしたら、試してみよう。あれ連射するの楽しいんですよね笑

 

 

 

すぐに中国市場に打って出たことで、
 

翌月から売り上げ増が見込めるようになりましたが、
すぐに手放しには喜べないことが分かりました。

なぜなら中国の相手企業から支払いがなされないばかりか、
 

手形制度が存在しないため
訴訟に持っていくことすらできないという状況に直面したのです。

この時も必死に打開策を探し求めた結果、
上海にある国営商社と組み、そのナンバー2を動かすことで
相手企業に代金を支払わせることができました。

 

中国では企業と企業よりも、
人と人との関係が大きなウエートを占めているのです。
中国とはそういう商習慣の国なのです。

 

こうして八方手を尽くすことで
黒字化への道筋をつけたわけですが、
いかに困難な状況においても
何かしら行動を起こせば解決策は必ず出てくるというのが、
日本電産で得た一番の教えだったかもしれません。

 

「困難は解決策を連れてくる」

これは永守重信社長の言葉の中で
私が最も感銘を受けたものの一つで、
これに関連してこんな話をしてくれたことがありました。

 

「向こうから困難さんがやって来る。
誰でも困難からは逃げたい。
だから君も困難から逃げたいだろう。
しかし困難さんから逃げてみろ。
 

困難さんは脇を通り過ぎて行くが、
ひょっとその背中を見たら、
後ろに『解決策』というリュックを背負っているじゃないか。
逃げたら解決策も逃げて行くんだぞ」

生きた教訓とはこういうものかと思ったものです。

………………………………………

🧠 世界初の“安全装置付き”エレベーターは公開実験で信頼を勝ち取った!

  • 1854年、アメリカの技術者エリシャ・オーチスが「安全装置付きエレベーター」を発明。

  • ニューヨークの展示会で、わざとロープを切っても落下しないことを実演し、観客を驚かせた。

🎭 映画の“落下シーン”はほぼウソ 映画でよく見る「ワイヤーが切れて落下!」という演出、実は現実ではほぼ起こりません。ワイヤーは複数本あり、安全率は定員の約10倍。さらに調速機と非常停止装置が作動するため、落下事故は極めて稀なんです
 

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今に手中すれば、心配な事は何一つ起こっていない。

未来への不安や過去の後悔に捕らわれるな。

🧢バットと命のはざまで──ある高校野球部員の物語

2006年6月某日。小山台高校野球部の監督に就任して2年目の福嶋氏に、胸を突く悲劇が降りかかった。 夏の大会を控えた部員たちが、練習終わりに新しいバットを買いに行きたいと申し出る。頼もしい2年生レギュラー・市川大輔も同行することに。

「行ってこい。仲間と選びに行け」 そう送り出したはずの彼が、数時間後には帰らぬ人となっていた。

帰宅途中、自宅マンションのシンドラー社製エレベーターに巻き込まれる事故に遭い、大輔は命を落とす。 手にはバットを握りしめたまま。その姿に、誰もが言葉を失った。

💬母の手紙と少年が残した“未来への指針”

部員たちは泣き崩れ、監督自身も後悔の念に苛まれる日々。 しかし、そんな暗闇に一筋の光をもたらしたのは、大輔のお母さんから届いた温かなメッセージだった。

「涙顔の練習じゃ、大輔も悲しみます。笑ってバットを振ってくださいね」

さらに、大輔が野球日誌に綴っていた言葉が、部員たちの心に火を灯す。

  • 「普通をこなすって、実は難しい」

  • 「毎秒悔いなく生きたい」

  • 「エブリ・デイ・マイ・ラスト(毎日が、最期だと思って生きる)」

この言葉が、部員たちの姿勢を根底から変えた。甲子園を目指し、再スタートを切る原動力となった。

 

 

 

🧠努力の価値、そして日常との融合

小山台は都内有数の難関校。部活動の時間も場所も限られている。 それでも、「野球は生活の延長線」「地道な努力が未来を拓く」と、福嶋監督は選手たちに伝え続けた。 事故を機に、チームはより深く結束し、目的意識を持って練習に励むようになる。

🐞帰ってきた君──赤とんぼの奇跡

4ヶ月後、千葉経大附高との試合でのこと。ベンチに座る福嶋監督の膝に、一匹の赤とんぼが止まった。

「大輔か…?」と手を差し出すと、そのトンボは指先にしっかりと乗る。 飛び立ったあとも、「おい、大輔!」の呼びかけに反応し、再びベンチへ舞い戻った。 そのグラウンドは奇しくも、大輔がレギュラーを初めて勝ち取った場所だった。 選手たちは涙し、確かに“彼は帰ってきた”と感じた。

🎈雑談ですが…赤トンボって、人懐っこいですよね?

昔、夏休みの自由研究で「赤トンボはどんな指に止まりやすいか」という実験をしたことがあります。 結果は「冷たい指より、温かい指」。つまり、心も温かい人の元に寄ってくる…なんて小学生なりの結論でした(笑) 大輔くんも、そんなぬくもりに吸い寄せられたのかもしれませんね。

 

 

😢 甲子園での顔面骨折事故と“新基準バット”導入(2019年)

  • 岡山チームの投手が、広島チームの打者のライナーを顔面に受けて

  • この事故が契機となり、打球速度を抑える“低反発バット”が導入された

  • 当事者は「高校野球をつまらなくしてしまった」と語る一方、安全性向上の必要性を理解している

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🍺惚れることで仕事は変わる:福地茂雄流ビジネスマインド

アサヒビール元社長・福地茂雄氏の哲学は「惚れること」に集約される。営業の世界では、好かれるより先に“好きになる”姿勢が重要だという。冷たくされた顧客ほど、「絶対に打ち解けたい」と心を燃やすことで、不思議と距離が縮まる。初対面が最悪だった相手ほど、後に家族ぐるみの仲になったという逸話もあるほどだ。

 

人間関係においては、こちらの好意が伝わらなければ相手の心も動かない。男女、友人、職場、そして“仕事そのもの”に対しても、この法則は生きてくると福地氏は語る。

🎯嫌いだった営業こそが天職に

学生時代は会計学に没頭し、希望していたのは経理職。勤務地も東京ではなく地元の九州を望んでいた。しかし現実は、苦手な営業職で、大阪へ赴任。まったく希望通りではなかったはずが、今では大阪弁が馴染みすぎて「関西の出身ですか?」と聞かれるほど地元愛が深まっている。

 

人事部が出す「転勤希望」調査票にも、毎回白紙で提出。なぜなら「自分よりも見識のある人が決めたほうが適任だ」という信念があるからだ。それが吉と出たのか、入社から13年半もの長期間、転勤なく大阪勤務を継続。その間に“営業嫌い”は“営業こそが自分の道”に変わっていった。

📘エピソード:酒と惚れ方の関係

面白い話がある。ビールの銘柄変更に悩む居酒屋オーナーに対し、福地氏は“まず好きになってもらう努力”を重ねる。結果、最初はアウェイだったアサヒが、その店の定番に昇格。この「惚れ戦略」は商品にも人にも共通して効く。まるで“好きな人に振り向いてもらう努力”のようなビジネスモデルだ。

 

 

🚄 新幹線で学生にビールを奢った“伝説の営業マン”

  • 就職活動で落ち込んでいた学生に、隣の席の男性が「ビール飲む?」と声をかけ、アサヒスーパードライを2缶奢る

  • 会話の最後に名刺を渡し、「アサヒビールをよろしく!」と笑顔で降車。

  • 学生はその後ずっとアサヒのファンに。“商品愛”が人の心を動かした瞬間

🍵ちょっとした雑談:惚れるとき、人は鼻が利く?

“惚れる”とは、感情の話だけでなく、五感が冴える現象でもあるらしい。ある研究によれば、恋に落ちる瞬間、人間の嗅覚が一時的に鋭くなるとか。営業マンが顧客に惚れると、その人の好みや機微が自然と読み取れるようになる…なんてこと、実際あるのかもしれない。

 

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ドイツの友人が言ってました。スーパードライ、これ上手いなぁ。

でもなんて言うドリンク?   ビールとは思わなかったようです。。。

 

 

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タガヤ社長との対談

 

✨視力を失った少年・智の言葉とその強さ

九歳の福島智(さとし)が、眼圧の急激な上昇により視力を失う前、苺の水分量まで気にするほど水を避けていた姿が印象的だった。医師や看護師が飲み物をすすめても頑なに拒み、顔はまるで干からびたミイラのようになっていった。

それほどまでの苦しみの中でも、泣きながら耐えていた彼に、病室の人々が寄ってきて「神様にお願いするよ」と声をかける場面は、まるで祈りのようだった。

 

それでも手術は実らず、智の両目は見えなくなった。親としては、ただただ「かわいそうやなぁ」と思うしかなかったが、本人は違った。祖父が泣いていたことを知った智は、病院の地下に向かい電話でこう語った。

「お祖父ちゃん、泣いてもしゃあないよ。 世界一の先生でもあかん時はあかんねん」

さらに彼は言った。

「悲しんで泣いてる暇があったら、 これからどう生きてくか考える方がええやろ? 僕は大丈夫やから」

この言葉を聞いて祖父はさらに涙を流したという。

 

普通の大人でも受け止めきれない現実を、まだ小学生の少年が静かに乗り越えていく姿は、周囲の大人にとって衝撃だった。母として、親が言うのも何やけど「すごい子やな」と思うしかなかった。

 

今、彼は、世界初の常勤の大学教授である(東京大学)

🧠点字とコミュニケーション

智の母・福島令子は、この経験を経て「指点字」という触れて読む点字コミュニケーション法を考案。智さんとのやりとりを可能にする手段を模索した結果、生まれたこの技術は、視覚障害者の可能性を広げた。

 

😨 急性緑内障発作は、まさに“目の救急事態”とも言えるほど、突然発症し、放置すると数日で失明に至る可能性もある非常に危険な病気です。

🍵雑談:視覚と味覚の関係

ところで、視力を失った人の中には「味覚が鋭くなる」という声もある。香りや舌触りに集中することで、味を立体的に感じるようになるとか。フランス料理の世界では、視覚を遮って食事する“ダイニング・イン・ザ・ダーク”というイベントも人気。

 

智くんの苺の話を思い出すと、食べるという行為も五感のバランスが問われるなぁと実感する。

 

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福島智の生い立ちを描いた映画

『桜色の風が咲く』

 

 

「準備・実行・後始末」――勝ち方を問い直す美学 桜井章一(雀鬼会 会長)

 

麻雀とは本来、相手に迷惑をかけることで成り立つ勝負――そんな風に思われがちです。 しかし雀鬼会では、「信頼される打ち方」を大切にしています。 キャッチボールのように、互いが受け取りやすい球を放つ。それが「本当の勝負」なのです。

 

先日の全国選手権には約200名が参加。 通常なら一人の優勝者だけが称えられますが、うちでは全員が達成感を得て帰っていきました。 成績や点数に関わらず、それぞれが自分の役割を見つけ、やりきる。 結果よりも過程を重視し、「力を出し切ること」が何よりも尊い。

 

人生だって、準備・実行・後始末のサイクルがあってこそ成熟する。 大会が11時から始まるなら、11時に到着したらすでに遅い。 本当に意識のある者は、2時間前には練習を始め、周囲を整えています。

 

子どもたちが大人に不信感を抱くのは、後始末すらできない姿を目にするからでしょう。 例えば海のイベントやスポーツの後でも、うちのメンバーは率先して荷物や道具を片づけて帰ります。 あるときグラウンド管理のおじいさんが、「40年見てきた中で、こんなに後始末が完璧な人たちは初めてだ」と驚いたことも。

 

衝撃! 初手の字牌(白発中、東西南北)切りの禁止
雀鬼会においては字牌の扱いを重視する。第一打目ではなく第二打目ならいいのかというと 必ずしもそうではなく、字牌そのものを軽んじることを禁忌としている。単純に確率論だけでの話ではないのだ
 

 

ビジネス誌に寄稿するようになった彼・桜井氏だが、かつてはイカサマの帝王と恐れられ・・・・おっと、それは内緒笑

 

ショーイチという彼の自伝漫画は名作です。面白いですよ

🎤 平野早矢香(元卓球日本代表)との意外な接点

  • 2024年、テレビ番組で平野さんが「オリンピック前に桜井氏から“勝負に迷いは禁物”という金言をもらった」と語り、銀メダル獲得に大きな影響を受けたと話題に

 

ちなみに最近では、麻雀卓よりもボードゲームに夢中な若者も増えてきたそうで。 とはいえ、どんな競技でも「始まりから終わりまで美しく」が、心を育てるのではないでしょうか。

 

🌊 ところで余談ですが、海岸清掃アプリって知ってますか? 散歩ついでにごみ拾いをして記録をつけると、ポイントが貯まって地域で使えるとか。 遊びと社会貢献が融合するなんて、時代の工夫ってすごいですよね。全く関係なくてすみません

 

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伝説のイカサマ 桜井章一