「今日が新しい始まり」―土光敏夫、簡素の哲学と日々への覚悟 

吉良節子(元秘書)

 

冷房のない自宅、ギギギ音のする玄関扉、ギシギシミシミシ鳴る底の抜けそうなお化け屋敷のよな床。神奈川県横浜の一角に立つ土光敏夫邸は、昭和の豪邸とは程遠い。かつて東芝社長、経団連会長を務めたとは思えぬほど、外見は簡素そのものだった。

 

訪れる人が「暑い」とこぼしても、当人は意に介さず。「会社が困るなら」と応接間にだけ冷房を設置したものの、寝室に入れることは拒否。物持ちのよさも異常なほどで、擦れて書けなくなりかけのペンさえ「まだいける」と言って離さなかった。

 

そんな土光氏が色紙に書く定番は「日新 日日新」。これは中国の古典『大学』の一節で、「今日という日は全ての人に平等に訪れ、昨日より進歩するべき」といった意味合いがある。

 

一度は臨時行政調査会(臨調)の責務をやり抜き、生前に民間人として初の「勲一等旭日桐花大綬章」を受章。その後は横浜の自宅で静かに療養されるようになり、毎週、吉良節子秘書が訪問していた。

 

「一日の決算は一日に済ます。昨日にこだわらず、明日を心配せず、今日を誠実に生き抜く」。土光氏が毎朝心に誓っていたこの哲学は、彼の人間性そのものだった。

 

食事はメザシを好み、服装や鞄は使い古したものを大切にする。華やかさを嫌い、潔癖なまでに質素を貫いた。受章式の際には「個人は倹約に、国は豊かにあるべき」と語ったように、公と私を徹底的に分けた人物だった。

 

そんな姿勢に通じるエピソードを思い出す。ある企業トップが「高級車はステータス」と言ったとき、土光氏はふっと笑い「必要なら軽トラで十分でしょう」と返したという。言葉の奥に、実直な哲学がにじむ。

 

ちなみに土光氏は「公務員の給与水準は国家の信頼を左右する」とも語っていた。それは、彼の「私利私欲なく国を想う心」からの発言だったと感じられる。

 

余談ながら、鶴見駅周辺では戦後の面影を残す商店街がいくつか残っていて、夏祭りでは昭和歌謡が鳴り響き、地域住民が踊りに興じている。土光氏の家がこの土地にあったのも、何か彼自身の価値観に通じているような気がする。

 

 

🧠 「社会生態学者」としての思想家的側面 土光氏は単なる経営者ではなく、「社会全体の合理化」を目指した思想家でもありました。企業の再建だけでなく、行政改革や財政再建にも深く関わり、「増税なき再建」を掲げて国鉄・電電公社・専売公社の民営化を推進しました

📚 読書家としての異常な集中力 80歳を過ぎても毎晩4時間読書を続け、英語・ドイツ語の専門書を読み漁っていたそうです。

 

🚍 バス通勤と階段生活 経団連会長になってもバス通勤を続け、会館のエレベーターは1基だけ稼働。他は停止して経費削減。自ら階段を使い、役員にも「社員の倍働け」と檄を飛ばしていました

 

本当です!

またアイドルグループ「FES☆TIVE」のメンバー土光瑠璃子の、曾祖父にあたる人物です。

驚きですよね。奥さんもキレイな人ですからね。

 

 

🐟 “メザシの土光さん”は演出だった⁉

  • NHK特集で放送された「85歳の執念」で、夕食にメザシと田舎煮が映されたことで「清貧の象徴」として有名に

  • 実はこの演出は、秘書が「財界人の質素な生活を見せれば行革が進む」と説得して実現したもの。

  • 本当は岡山から送られてくる山海の珍味も食べていたという話も。

🏠 社長室のバス・トイレ・キッチンを撤去した男

  • 東芝社長に就任した際、社長室にあった豪華設備をすべて撤去。徹底してます

 

 

参考URL 土光敏夫(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%85%89%E6%95%8F%E5%A4%AB

 

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土光さんの孫娘です