我が”懺悔録” | 頭痛 あれこれ

頭痛 あれこれ

 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 これまで、「治療指針・マニュアル」と称して、偉そうに講釈を垂れてきました。
 しかし、何を隠そう「私自身が片頭痛で医師としての現役時代に苦しめられ、鎮痛薬の”セデスG”を発作時には1日3回は最低限度、頻繁に服用していました。
 この詳細を述べれば、再度 Seed さんから同じ事を繰り返し言うなと、苦情を言われることは目に見えておりますので、まず以下のこれまでの記事をザットご覧下さい。
 


  実は、私も片頭痛持ちでした
    
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-11949839076.html


  私も”セデスG”のお世話になっていました
    
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-11950063704.html


  頭痛薬と腎障害、発癌性
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-11950059951.html


  私と頭痛医療の出会い
    
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-11950014311.html


  一般開業医からみた慢性頭痛
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12577960407.html

 

片頭痛は”社会的弱者の症候群(病気?)”なのか???


 私は、これまで片頭痛を含めて慢性頭痛の原因は”健康的な生活を送っていないため”と述べて参りました。そうであれば、皆さんからおかしいのではないかと疑問視されることは当然の話です。それは、私が医師であるからです。医師なら「健康的な生活」を送っていたのではないかと当然言われることです。この点をまず説明する必要があります。


 私の医学部時代は、テニスに明け暮れ、夏休みには自転車で野宿をしながら九州を1周したり、四国の八十八箇所巡りをしたり、徒歩で中国山脈を縦断したりと、体力には誰にも負けない位に自信がありました。
 そして、卒業年度が丁度、積年のインターン闘争の最終年度でした。インターンが廃止になると、卒業後の臨床研修を自主的に行うために青医連・広島支部を結成し、自主研修が行われていましたが、その2年目に同僚が勤務していた国家公務員等共済組合連合会 呉共済病院・内科に私が交代で行くことになりました。
 この時は、名ばかりでしたが一応、青医連・広島支部長の肩書きでした。このため、採用されるに当たって病院長および内科医局長から徹底的にマークされるようになりました。
 当時の国家公務員等共済組合連合会 呉共済病院・内科は、岡山大学第2内科のジッツ病院であり、私と同学年の先生が2名勤務し、国試をボイコットせずにストレートで既に内科医局員として働いていました。これに対して、私は国試を遅れて受験したため、まさに新卒者そのものの状態で、最底辺の医師として生活が始まりました。
 最底辺の医師として、内科全体の雑用をすべて行うようにされました。
 内科医長の予診係、病棟での処置(心電図の記録・静脈切開・気管切開・セングスターケンチューブの挿入等々)、病理解剖のシュライバー、救急部での診療・処置の介助と息をつく暇もなく病院中を駆けずり回らなければなりませんでした。
 さらに、当時の国家公務員等共済組合連合会 呉共済病院・内科は日本全国に先駆けて、人工透析を手掛けていました。この当時は、血液透析装置はキール型しかなく、このため除水効果が悪く、この除水目的で腹膜透析を併用していました。ということは、昼間に血液透析を、さらに夜間に腹膜透析を併用していました。このようになれば徹夜の作業になります。こうした仕事がすべて新入りの医師に押しつけられていました。
 2年目になると、20人の患者を受け持たされることになりました。
 こうした仕事が研修医5年間のするべきことでしたので、毎日、生活のリズムなどは全くなく、すべて行き当たりばったりの生活で、規則正しい生活とは程遠く、睡眠も3,4時間それもソファーで横になる程度であり、食事も摂ったり摂らなかったりでした。
 こうした、まさに”タコ部屋”なみの生活を送っていました。
 さらに、内科医長は当時「鬼軍曹」とも称される程、恐れられており、これが精神的に甚大なストレスになっていました。


 こうした5年間の研修医生活を終えて、外国旅行に行かせてもらいました。


 悲劇は、この外国旅行中に始まりました。旅行の初日、昼食後、激しい頭痛に見舞われ、この時は、安物の赤ワインを飲んだためと安易に考えていました。
 ところが、旅行を終えてから病院勤務が始まったわけですが、患者の様態が悪く3日前後徹夜して、終わった後飲酒すれば、判で押したように激しい頭痛に見舞われるようになり、その後は、飲酒しなくても激痛に襲われるように至りました。
 発作時は、ただひたすらセデスGを頻回に服用して耐え、あたかも「二日酔い」を装って、この激しい頭痛を誰もからひた隠しに隠していました。


 当時は、自分の頭痛は「睡眠不足」が最もよくないと解っていながら、これだけは「患者さんの様態次第」であり、これを避けるためには医師を辞めるしかないと思い詰めたこともありました。その後の経過は上記にこれまで記載した通りです。


 以上のように、私は自分の激しい頭痛が何だったのか、専門家によっては診断は異なると思います。私は、医師としてこのような「頭痛」で悩まされることを”恥”と思い、あくまでも「二日酔い」を装って、ただひたすらセデスGを飲み続けました。


 これが、私の「懺悔録」です。


 今では、偉そうに患者さんに「自分の頭痛の経過」を明確にするようにと勧めていますが、患者さんによっては、こうしたことを他人に知られては困る、恥だ、と思われる方々がいらっしゃることは事実です。ここに、頭痛診断の難しさがあります。
 また、市販の鎮痛薬がよくないと忠告されようとも、痛みから解放されるためには「服用」せざるを得ないことも承知しています。現に、私自身もセデスGを連用して腎臓癌になると警告されようとも服用し続けました。
 ですから、これまで専門家に勧められるまま、トリプタン製剤を連用され慢性化させてしまわれた方々を決して非難することはできません。
 このようなことを、ひとつづつ克服することによって、解決策が見出されてくるものと思われます。
 例えば、私の頭痛の場合、不規則な生活の連続が原因と思われますが、このようなことは、「時間外労働時間の制限」が問われていますが、現在どこの病院でも最底辺で働く医師がいなければ維持できません。これを今後、どのように解決していくかが問われています。決して、個人の努力だけでは、こうした問題は解決できないことです。
 病院だけでなく、全ての企業が優良な企業とは限りません。ブラック企業はいくらでも存在します。こうした企業に身を置く方々は大変な思いを強いられています。
 こういった意味合いで、片頭痛とは「下級国民の病」と考えざるを得ません。
 「上流国民」であれば、理想的な「健康的な生活」は、する気になれば入手できるかもしれませんが、「下級国民」はそうもいかないことが最も問題にされなくてはなりません。


 こういった意味で、これまで下のような記事をこれまで掲載してきました。
 是非とも、参考にして戴ければと思っております。


強者の論理、弱者の論理
 
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12365964724.html


真の”健康教育”とは
 
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12362316598.html


私達は”肩身の狭い思いで”治療すべきなのでしょうか?
 
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12361005076.html


慢性頭痛患者さんに未来はあるのでしょうか
 
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12296828020.html


食品産業界と片頭痛
 
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12296232999.html


なぜ、真実は覆い隠されるのでしょうか
 
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12294906376.html