「あなたは掛け替えのない存在、誰にも替わることができない存在です。」

そのことを伝えたくて私はシャンティハウスの活動を始めました。

私達は生きていると、個人差はありますが、必ずと言っていいほど、「人にとって自分は価値があるか?」ということを感じることがあります。

それは幼い子どもが母親に愛されているかを確かめるために一生懸命自己主張したりまたは役に立とうとするのと一緒で、本当に本能的な感情なのだと思います。

人は人との繋がりの中に自分の存在の意味を見いだす動物だからなのかもしれません。

でもこの関係性の中では度々、自己価値を認めてもらえないような経験をします。

否定されたり、拒否されたり、叱られたり、または知らず知らず強要されたり、理想像にはめ込まれたり、求めていない褒められ方をされたり、人によって様々な経験があります。

そんな経験の中で、「私はわたしのままでは愛されないのではないか・・」という恐れが生まれることがあります。

私の場合は育って来た中で、また子育ての中で、この感情を強く感じながら生きてきました。

でも子どもをなくした後に、彼の生きた大切な意味を振り返る中で「私自身もわたしでいるだけで価値のある存在なんだ。」そう思えるようになりました。

優大は社会的に価値のあるとされるものを何一つ持っていませんでした。

座ることも話すことも食べることも、もちろんお金を稼いだり目に見えるカタチとして誰かの役に立つ、ということがなく一生を終えました。

それでも私達にとって優大は感謝してもしてもしきれないほどに愛を遺してくれたのです。

生きる姿で関わって下さった沢山の方々心にも勇気や優しさや愛をもたらしました。


弱い人がいるから守る人がいる、悲しむ人がいるから優しさをもたらす人がいる、怒る人がいるからなだめる人がいる、愛を受け取る人がいるから愛を渡せる人がいて・・・。

闇があるから光を映し出すように、コインには裏と表があるように・・。

全てはつながりあって一つです。

この世に生まれでた瞬間に人はみな役に立っている。

あなたがそこにいてくれるだけで、必ず何かのつながりを受け取る人がいます。

もし今悲しみの中にいて、たった一人だと感じていたとしても、あたなが悲しんでいることで、同じように悲しんでいる人の心に勇気を与えることもあるのです。

そして少し悲しみが癒えた時、あなたが笑えば、笑って挨拶すれば、当然、喜んでくれる人がいます。

いつからでも愛を渡せる人になることができます。

あなたは一人ではありません。あなたはそこにいてくれるだけで価値のある存在。

誰にも替わることができない、掛け替えのない存在なのです。

だから私は人を愛したいと思う、心を抱きしめて、生まれてきてくれてありがとう、と伝えていきたい、と思っています。







私がカンボジアに行くために中学生の時に進路を決めた話しを昨日の記事に書きました。

大学に入学後、その想いを持ち続けることができずに私の夢は中断しました。

私にとっては生まれて初めての挫折でした。

その後、結婚して優大を産み、次男も授かり母親として日々を必死に生きている間も、ずっと心の片隅に「私にはできなかったんだ」という思いが残り続けました。

新聞やニュースで各国の紛争、難民、ホームレスの子ども達、人身売買、などの記事を見かけると心がとても痛んで目を通すことができず、自分がここにいて安心な場所で暮らしていることに罪悪感を持ちました。

10年の月日が過ぎ優大が亡くなり、自分を失ったかのような喪失感に包まれていた時です。

私を必要としてくれた息子はもういない、家族は自力で生きていけるだろう、私に生きている意味はあるのかな・・。

そんな思いが沸き上がって来て仕方がありませんでした。

それからすぐに私は3人目となる娘を授かりました。

優大のいない東京の自宅に住んでいるのが辛くなり、大きなお腹を抱えて鎌倉に引っ越しました。

もう死にたいとは思いませんでしたが、海を見ながら毎日泣いていました。

ここで海に悲しみを流し癒され、自分と向き合う日々の中で、私はしだいに自分の存在の意味を感じられるようになっていきました。

私は戦場に行って命がけで人命救助をしなくとも、死にそうな息子の介護を寝ずにしなくとも、生きてていいんだなぁと・・。

この世界にたった一人しかいない「なかじまさちえ」という存在であるだけで、もう十分に役割を果たしているんだ、と。

どんどん自分が自由になっていきました。

役に立た「なければいけない」という思い込みがなくなると、そこにあったのは、純粋にただ人を愛したい、みんなに幸せであってもらいたい、という想いでした。

小さい頃から何も変わらない、この人生を通してずっと感じ続けてきた想いだったのですよね。

その時、なんだ、私はただ人を愛したいと思っていただけだったんだなぁ、そう心底感じたのでした。

そこから私の新しい人生がスタートしました。

「あなたもわたしもかけがえのない存在、私なんてと思わなくていい、ここにいてくれるだけでもう意味があるから。」

それを伝えるためにシャンティハウスと共に新たな道を目指す日々が始まりました。

明日に続きます・・。



「大学時代はカンボジア語を専攻していました。」

と、言うと、え??なんで?と必ず聞かれます、笑。

中学時代、初めて触れた英語にとても魅せられて語学を学ぶことの楽しさに目覚めました。

それで語学の大学に行きたいと思い、何語を専攻しようかと思っていたところ、ニュースでカンボジアのことを目にしました。

私が中学生だった頃、ちょうどポルポト政権が崩壊し、カンボジアで起こった大虐殺、国中に埋められた地雷のことが大きく報道されていました。

本当に悲惨な状況でした。そして私はそれを見てすぐに私はここに行く!だからカンボジア語を学ぼうと決意したのでした。

日本でカンボジア語を学べるのは東京外大しかなかったので、中学校の時点で私は進路を一本に絞りました。

そして受験までその信念が揺らぐこと無く滑り止めも一校も受けずに母校に一発合格しました。

私はその想いの強さや叶えていく方法が変わっていると自分では全く思っていなかったのですが、夫に言ってすごく驚かれて以来、え?!私ってかなり変わっているのか?と気付いたのでした、笑。

信じる道を貫き大学に入学して、実際にカンボジアにもホームステイしNGOの仕事も学びました。

それでも何か志を貫くには納得した働き方が見えてきませんでした。

これは自己犠牲の先にあるもの?働いている人が喜んで生き生きと働いているように見えない、援助の真実が見えない、儲けのない仕事を命をかけて一生続けられる?そんな疑問が拭えませんでした。

でも、それはたぶんそう言う部分を自分がクローズアップしただけで、自分を信じることができなくなった、ただそれだけなのかもしれません。

国際協力の仕事を諦めて、丁度付き合っていた夫が駐在になり結婚し優大を授かり、私はまた違う学びの道へと進むことになりました。

人生の出来事はすべて学びとして起こるもの、しかも最善のタイミングで。

優大を育てる仕事を終えて、私はまたやっぱり、平和な世界を目指す気持ちがどんどんと湧いてきました。

これは物心ついた時から私の中にあるものだからです。

ほんの3つくらいの時から祈るということをしていました。私は無宗教ですが、漠然としたイメージながら宇宙にいる神様、に祈っていたように思います。

「家族のみんなが幸せであるように。」そして少し大きくなると「子ども達がみんな安心して眠れる世界になるように。」と。

シャンティハウスを始めるとき、実は内気だし、とてもマイペースだし、気にし過ぎるところもあるし、しかも野心がないので負けん気みたいなものがないし、踏み切ることを躊躇する理由は本当に山ほどありました、苦笑。

本当はただ家族と毎日笑いあって暮らせ、散歩が出来、文章を書いて、友達に会い、それだけで十分すぎるほど幸せだと思う自分もいます。

でもひとつだけとてもとても強いものがありました。それは「想い」です。

この想いの強さは私がカンボジアに行くと決めた時にも大学まで一直線に私を導く力となりました。

そして想いが途絶えた途端に夢への道も中断したのでした。

沸き出してくる想いに心を揃えて行動していくこと、それが夢をカタチにする一番の力となるような気がします。

今も時々これで大丈夫かな、私は本当にやれるのかな、共感してもらえるかな、様々な恐れがふと起こってきます。

それでも、今の私が大学時代の私と違うのは、優大からもらった命のバトンがあること。

10年の月日を毎日キラキラと命を輝かせ命を燃やし尽くして生きた優大が私に「ママ生きて!」と言ってくれたから。

『誰もがありのままで安心して輝ける世界をつくりたい。
みんながまるく繋がり合うたった一つの平和な地球を子ども達に遺したい。』

この命を卒業するときまで想いをカタチにし続けて、優大にまた会えた時に胸をはってママは生きたよ!と言うのが、私の一番最後に叶えたい夢です。


シャンティハウスってどういうところですか?

と聞かれて、説明する時に、いつも少し困ります、笑。

イベントスペースでもない、カフェでもない、ヨガスタジオでもない・・。

時にイベントスペースにもなり、いつも和みカフェでもあるし、ヨガも定期的にやっています。

でもそれがシャンティハウスです、とは言えないのです。

夫にでさえ、コンセプトは何なの?どういうところって説明するつもりなの?と未だに聞かれることがあります・・苦笑。

1年程を活動してきて、想いが研がれどんどんシンプルに純粋になり、今はやっと一言で言うことができます。

シャンティハウスは私にとって「誰もがありのままで輝ける平和な世界をつくる」という夢を、かたちにしていく場所です。

思い描く夢の地球のミニチュア版をここにつくりたいと思っています。

ここで私ができることは、そこに私がいることで来て下さる方に安心や癒しの時間を共にしてもらうこと。

私の役割はシャンティハウス全体にくまなく愛の光を照らしていくことです。

そう、言い切れるまでには少し時間が必要でした・・。

私にそれをやり遂げるだけの資質があるのか自信がなかったからです・・。

でも、、支えてくれる方々から、シャンティハウスがそのような存在だと言ってもらうようになり、勇気や前に進むためのたくさんの愛をもらいました。

「自信」は「自分を信じること。」自分を信じるとは未来を信じること。自分の生きる世界を信じること。

何度も何度も自分を信じようと思う日々の中で、誰でもない純粋なわたし100%で素直にまっさらな心でやってみることだとお腹の底から感じるようになりました。

シャンティハウスは様々な方が、例えば特技や想いをかたむけているお仕事などのご自分の輝きを発揮する場です。

そして様々な方が自由に参加でき、ここで暖かいつながりをもってもらえる場です。

なにより、「ありのままのご自分でいられる居場所としてあり続けます。」

今までは限定的だったイベントも多岐にわたって開催していきます。

シャンティハウスを自由な活動の場として利用していただけます。

今までと変わることは場所の利用料金などをいただくことでシャンティハウスが永く広く光を届けられるようにすることです。

利用料金などは設定準備中です。

お一人お一人が自分らしく主体的に関わって下さることを目標に、一皮むけたシャンティハウスへと生まれ変わるために私もどんどんできることをしていきます。

私が担当するカウンセリングやお話会、ワークショップなどただいま準備中です。

そしてシャンティハウスはここ鎌倉から飛び出して必要なところへも出掛けていくつもりです。

シャンティハウスで頂いた収益をもとに、障がいのあるお子さんのサポート、レスパイトや終末期のケアのための施設をつくる資金や、財団の創立、そして世界中の必要なところへの寄付にも充てていきます。

このように使ったらいいのではないかというご提案やご要望もお聞きしたいと思っています。


4月開業の予定ですが、最初の1年間は娘がまだ就園前のため出来る範囲での活動になりますが、お子さん連れがウェルカムなのがシャンティハウスのいいところです、笑、ご遠慮なくお子さんと一緒にいらしてください。

3月に入り準備が整いましたら、私の想い、シャンティハウスの夢へ共感して下さる方からの参加のお申し込みを開始します!

そして是非、みなさんのご希望を伺いたいと思っています。

シャンティハウスでこういうことをやってみたい、やって欲しい、体験、学び、出会い、様々にお聞かせ下さい♡

お問い合わせご要望などFacebook、または下記のアドレスからご連絡下さい。
shantihouse33@gmail.com




Facebookの個人アカウントから個人的な写真などを削除したりして公開の設定にしました。

今日からお友達を募集し始めました。今日はちょっと頑張り過ぎた感もあります・・。

シャンティハウスの活動を始めるにあたってFacebookを始めたのは去年のこと。

でも私はもともとsnsが苦手で、まめじゃないのでタイムラインをチェックすることも大変に思えることもありました。

見たい記事だけみる、見たくなければ無理してみない、ということができなくて、使う以上はみんなのupをくまなく読み、いいねし、時間があればコメントもし、特にいいねしてくれる方には感謝の気持ちでいいねを返すのは必須だ!と思っていました・・。

それで、不器用な私はFacebookにかけている時間がとにかく多くなってしまい、携帯をみていると娘が馬乗りのなって顔を蹴ってくる、鼻に指をぐいっと突っ込んでくる・・痛すぎた、苦笑。

その後、シャンティハウスのことを仕事にすると決めて、Facebookを使うかどうか悩んだのですが、悩み過ぎて具合が悪くなってきたので、まぁどっちでもいいんじゃない?と一旦投げ出してみました。

すると、しばらくして突然Facebookが楽しく見れるように!笑。

つまりは絶対にしなければいけないこと、ではなくなったから、急に構えがなくなったのでした。


「まじめにやる、ちゃんとやる」それが一番大切だと長年思い込んで来た私は、いつもするべきことに囲まれて暮らしてきました。

そしてその苦しさから逃れたくて、いつももがいていました。

もちろんこれは私が選んで来たことで、私の見る世界がそうだと思い込んで来たわけですが。

ちゃんとやる、の先に幸せは待っているのでしょうか?

それはきっとその始まりが自分にあるのか、他人にあるのかで全く違うのだと思います。

誰かから見てちゃんとやっているかをジャッジされることを前提としていれば、どこまでいっても満ち足りることはありません。

いつも本当の私の頑張りも気持ちもちゃんとわかってもらえない、というジレンマから離れられないからです。

それは当たり前の話しで、何故って私が私の本当を誰にも見せていないから。

気付けば人から認めてもらえるように感情を押し殺してロボットのように動いてしまう私がいました。

しかも「無意識で」自分を抑圧し我慢させ、人から見て認められるであろう理想像を演じさせてきました。

でも本当の私は置き去りにされているからちゃんとやればやるほど、苦しいしいつも疲れているしモヤモヤしている。

私はこの「愛されるためには自己犠牲がまずあるべき」という眼鏡を外しました。

あ、時々くせで眼鏡をかけたくなりますが・・苦笑

私が純粋に私の想いで行動することを少しずつ経験してきて私の世界は変わりました。

いつも満ち足りてそのぶんだけ感謝の気持ちが心にあるようになりました。

それは誰かのための感謝ではなく、ただここにある感謝でした。


もしあなたがやるべきことに囲まれていたとしたら、1回自分に聞いてみて欲しいのです。

「これは本当に私が今やるべきことなの?」って。

「誰かに~と思われたくなくて、または~と思われたくて、私はこうやるべきだと自分に課しているのは自分じゃない?」って。

するとね、もし少し時間をおいて同じことをやるとしても、全然軽さが違うのです!

心の軽さが。

私が選んで私のやることを決めるんだ、と思うのは責任も生まれるけれど自由も同じだけ生まれます。

そう言う私もついこの間もFacebookのことでめっちゃ悩んだ訳です、笑。

わたしらしく生きると決めたからわたしらしくないことを全てすぐにやめるべき、になりそうになる私・・苦笑。

でも今はそんな自分をふっと笑って心軽やかに生きることを楽しむ毎日が始まっています。

そして、すでに今日Facebookでつながって下さった暖かいハートのみなさま、本当にありがとうございます。

たくさんの励ましのメッセージも頂いてずっとジーンとしっぱなしの今日でした・・。