Facebookの個人アカウントから個人的な写真などを削除したりして公開の設定にしました。

今日からお友達を募集し始めました。今日はちょっと頑張り過ぎた感もあります・・。

シャンティハウスの活動を始めるにあたってFacebookを始めたのは去年のこと。

でも私はもともとsnsが苦手で、まめじゃないのでタイムラインをチェックすることも大変に思えることもありました。

見たい記事だけみる、見たくなければ無理してみない、ということができなくて、使う以上はみんなのupをくまなく読み、いいねし、時間があればコメントもし、特にいいねしてくれる方には感謝の気持ちでいいねを返すのは必須だ!と思っていました・・。

それで、不器用な私はFacebookにかけている時間がとにかく多くなってしまい、携帯をみていると娘が馬乗りのなって顔を蹴ってくる、鼻に指をぐいっと突っ込んでくる・・痛すぎた、苦笑。

その後、シャンティハウスのことを仕事にすると決めて、Facebookを使うかどうか悩んだのですが、悩み過ぎて具合が悪くなってきたので、まぁどっちでもいいんじゃない?と一旦投げ出してみました。

すると、しばらくして突然Facebookが楽しく見れるように!笑。

つまりは絶対にしなければいけないこと、ではなくなったから、急に構えがなくなったのでした。


「まじめにやる、ちゃんとやる」それが一番大切だと長年思い込んで来た私は、いつもするべきことに囲まれて暮らしてきました。

そしてその苦しさから逃れたくて、いつももがいていました。

もちろんこれは私が選んで来たことで、私の見る世界がそうだと思い込んで来たわけですが。

ちゃんとやる、の先に幸せは待っているのでしょうか?

それはきっとその始まりが自分にあるのか、他人にあるのかで全く違うのだと思います。

誰かから見てちゃんとやっているかをジャッジされることを前提としていれば、どこまでいっても満ち足りることはありません。

いつも本当の私の頑張りも気持ちもちゃんとわかってもらえない、というジレンマから離れられないからです。

それは当たり前の話しで、何故って私が私の本当を誰にも見せていないから。

気付けば人から認めてもらえるように感情を押し殺してロボットのように動いてしまう私がいました。

しかも「無意識で」自分を抑圧し我慢させ、人から見て認められるであろう理想像を演じさせてきました。

でも本当の私は置き去りにされているからちゃんとやればやるほど、苦しいしいつも疲れているしモヤモヤしている。

私はこの「愛されるためには自己犠牲がまずあるべき」という眼鏡を外しました。

あ、時々くせで眼鏡をかけたくなりますが・・苦笑

私が純粋に私の想いで行動することを少しずつ経験してきて私の世界は変わりました。

いつも満ち足りてそのぶんだけ感謝の気持ちが心にあるようになりました。

それは誰かのための感謝ではなく、ただここにある感謝でした。


もしあなたがやるべきことに囲まれていたとしたら、1回自分に聞いてみて欲しいのです。

「これは本当に私が今やるべきことなの?」って。

「誰かに~と思われたくなくて、または~と思われたくて、私はこうやるべきだと自分に課しているのは自分じゃない?」って。

するとね、もし少し時間をおいて同じことをやるとしても、全然軽さが違うのです!

心の軽さが。

私が選んで私のやることを決めるんだ、と思うのは責任も生まれるけれど自由も同じだけ生まれます。

そう言う私もついこの間もFacebookのことでめっちゃ悩んだ訳です、笑。

わたしらしく生きると決めたからわたしらしくないことを全てすぐにやめるべき、になりそうになる私・・苦笑。

でも今はそんな自分をふっと笑って心軽やかに生きることを楽しむ毎日が始まっています。

そして、すでに今日Facebookでつながって下さった暖かいハートのみなさま、本当にありがとうございます。

たくさんの励ましのメッセージも頂いてずっとジーンとしっぱなしの今日でした・・。