私がカンボジアに行くために中学生の時に進路を決めた話しを昨日の記事に書きました。
大学に入学後、その想いを持ち続けることができずに私の夢は中断しました。
私にとっては生まれて初めての挫折でした。
その後、結婚して優大を産み、次男も授かり母親として日々を必死に生きている間も、ずっと心の片隅に「私にはできなかったんだ」という思いが残り続けました。
新聞やニュースで各国の紛争、難民、ホームレスの子ども達、人身売買、などの記事を見かけると心がとても痛んで目を通すことができず、自分がここにいて安心な場所で暮らしていることに罪悪感を持ちました。
10年の月日が過ぎ優大が亡くなり、自分を失ったかのような喪失感に包まれていた時です。
私を必要としてくれた息子はもういない、家族は自力で生きていけるだろう、私に生きている意味はあるのかな・・。
そんな思いが沸き上がって来て仕方がありませんでした。
それからすぐに私は3人目となる娘を授かりました。
優大のいない東京の自宅に住んでいるのが辛くなり、大きなお腹を抱えて鎌倉に引っ越しました。
もう死にたいとは思いませんでしたが、海を見ながら毎日泣いていました。
ここで海に悲しみを流し癒され、自分と向き合う日々の中で、私はしだいに自分の存在の意味を感じられるようになっていきました。
私は戦場に行って命がけで人命救助をしなくとも、死にそうな息子の介護を寝ずにしなくとも、生きてていいんだなぁと・・。
この世界にたった一人しかいない「なかじまさちえ」という存在であるだけで、もう十分に役割を果たしているんだ、と。
どんどん自分が自由になっていきました。
役に立た「なければいけない」という思い込みがなくなると、そこにあったのは、純粋にただ人を愛したい、みんなに幸せであってもらいたい、という想いでした。
小さい頃から何も変わらない、この人生を通してずっと感じ続けてきた想いだったのですよね。
その時、なんだ、私はただ人を愛したいと思っていただけだったんだなぁ、そう心底感じたのでした。
そこから私の新しい人生がスタートしました。
「あなたもわたしもかけがえのない存在、私なんてと思わなくていい、ここにいてくれるだけでもう意味があるから。」
それを伝えるためにシャンティハウスと共に新たな道を目指す日々が始まりました。
明日に続きます・・。
大学に入学後、その想いを持ち続けることができずに私の夢は中断しました。
私にとっては生まれて初めての挫折でした。
その後、結婚して優大を産み、次男も授かり母親として日々を必死に生きている間も、ずっと心の片隅に「私にはできなかったんだ」という思いが残り続けました。
新聞やニュースで各国の紛争、難民、ホームレスの子ども達、人身売買、などの記事を見かけると心がとても痛んで目を通すことができず、自分がここにいて安心な場所で暮らしていることに罪悪感を持ちました。
10年の月日が過ぎ優大が亡くなり、自分を失ったかのような喪失感に包まれていた時です。
私を必要としてくれた息子はもういない、家族は自力で生きていけるだろう、私に生きている意味はあるのかな・・。
そんな思いが沸き上がって来て仕方がありませんでした。
それからすぐに私は3人目となる娘を授かりました。
優大のいない東京の自宅に住んでいるのが辛くなり、大きなお腹を抱えて鎌倉に引っ越しました。
もう死にたいとは思いませんでしたが、海を見ながら毎日泣いていました。
ここで海に悲しみを流し癒され、自分と向き合う日々の中で、私はしだいに自分の存在の意味を感じられるようになっていきました。
私は戦場に行って命がけで人命救助をしなくとも、死にそうな息子の介護を寝ずにしなくとも、生きてていいんだなぁと・・。
この世界にたった一人しかいない「なかじまさちえ」という存在であるだけで、もう十分に役割を果たしているんだ、と。
どんどん自分が自由になっていきました。
役に立た「なければいけない」という思い込みがなくなると、そこにあったのは、純粋にただ人を愛したい、みんなに幸せであってもらいたい、という想いでした。
小さい頃から何も変わらない、この人生を通してずっと感じ続けてきた想いだったのですよね。
その時、なんだ、私はただ人を愛したいと思っていただけだったんだなぁ、そう心底感じたのでした。
そこから私の新しい人生がスタートしました。
「あなたもわたしもかけがえのない存在、私なんてと思わなくていい、ここにいてくれるだけでもう意味があるから。」
それを伝えるためにシャンティハウスと共に新たな道を目指す日々が始まりました。
明日に続きます・・。