「大学時代はカンボジア語を専攻していました。」
と、言うと、え??なんで?と必ず聞かれます、笑。
中学時代、初めて触れた英語にとても魅せられて語学を学ぶことの楽しさに目覚めました。
それで語学の大学に行きたいと思い、何語を専攻しようかと思っていたところ、ニュースでカンボジアのことを目にしました。
私が中学生だった頃、ちょうどポルポト政権が崩壊し、カンボジアで起こった大虐殺、国中に埋められた地雷のことが大きく報道されていました。
本当に悲惨な状況でした。そして私はそれを見てすぐに私はここに行く!だからカンボジア語を学ぼうと決意したのでした。
日本でカンボジア語を学べるのは東京外大しかなかったので、中学校の時点で私は進路を一本に絞りました。
そして受験までその信念が揺らぐこと無く滑り止めも一校も受けずに母校に一発合格しました。
私はその想いの強さや叶えていく方法が変わっていると自分では全く思っていなかったのですが、夫に言ってすごく驚かれて以来、え?!私ってかなり変わっているのか?と気付いたのでした、笑。
信じる道を貫き大学に入学して、実際にカンボジアにもホームステイしNGOの仕事も学びました。
それでも何か志を貫くには納得した働き方が見えてきませんでした。
これは自己犠牲の先にあるもの?働いている人が喜んで生き生きと働いているように見えない、援助の真実が見えない、儲けのない仕事を命をかけて一生続けられる?そんな疑問が拭えませんでした。
でも、それはたぶんそう言う部分を自分がクローズアップしただけで、自分を信じることができなくなった、ただそれだけなのかもしれません。
国際協力の仕事を諦めて、丁度付き合っていた夫が駐在になり結婚し優大を授かり、私はまた違う学びの道へと進むことになりました。
人生の出来事はすべて学びとして起こるもの、しかも最善のタイミングで。
優大を育てる仕事を終えて、私はまたやっぱり、平和な世界を目指す気持ちがどんどんと湧いてきました。
これは物心ついた時から私の中にあるものだからです。
ほんの3つくらいの時から祈るということをしていました。私は無宗教ですが、漠然としたイメージながら宇宙にいる神様、に祈っていたように思います。
「家族のみんなが幸せであるように。」そして少し大きくなると「子ども達がみんな安心して眠れる世界になるように。」と。
シャンティハウスを始めるとき、実は内気だし、とてもマイペースだし、気にし過ぎるところもあるし、しかも野心がないので負けん気みたいなものがないし、踏み切ることを躊躇する理由は本当に山ほどありました、苦笑。
本当はただ家族と毎日笑いあって暮らせ、散歩が出来、文章を書いて、友達に会い、それだけで十分すぎるほど幸せだと思う自分もいます。
でもひとつだけとてもとても強いものがありました。それは「想い」です。
この想いの強さは私がカンボジアに行くと決めた時にも大学まで一直線に私を導く力となりました。
そして想いが途絶えた途端に夢への道も中断したのでした。
沸き出してくる想いに心を揃えて行動していくこと、それが夢をカタチにする一番の力となるような気がします。
今も時々これで大丈夫かな、私は本当にやれるのかな、共感してもらえるかな、様々な恐れがふと起こってきます。
それでも、今の私が大学時代の私と違うのは、優大からもらった命のバトンがあること。
10年の月日を毎日キラキラと命を輝かせ命を燃やし尽くして生きた優大が私に「ママ生きて!」と言ってくれたから。
『誰もがありのままで安心して輝ける世界をつくりたい。
みんながまるく繋がり合うたった一つの平和な地球を子ども達に遺したい。』
この命を卒業するときまで想いをカタチにし続けて、優大にまた会えた時に胸をはってママは生きたよ!と言うのが、私の一番最後に叶えたい夢です。
と、言うと、え??なんで?と必ず聞かれます、笑。
中学時代、初めて触れた英語にとても魅せられて語学を学ぶことの楽しさに目覚めました。
それで語学の大学に行きたいと思い、何語を専攻しようかと思っていたところ、ニュースでカンボジアのことを目にしました。
私が中学生だった頃、ちょうどポルポト政権が崩壊し、カンボジアで起こった大虐殺、国中に埋められた地雷のことが大きく報道されていました。
本当に悲惨な状況でした。そして私はそれを見てすぐに私はここに行く!だからカンボジア語を学ぼうと決意したのでした。
日本でカンボジア語を学べるのは東京外大しかなかったので、中学校の時点で私は進路を一本に絞りました。
そして受験までその信念が揺らぐこと無く滑り止めも一校も受けずに母校に一発合格しました。
私はその想いの強さや叶えていく方法が変わっていると自分では全く思っていなかったのですが、夫に言ってすごく驚かれて以来、え?!私ってかなり変わっているのか?と気付いたのでした、笑。
信じる道を貫き大学に入学して、実際にカンボジアにもホームステイしNGOの仕事も学びました。
それでも何か志を貫くには納得した働き方が見えてきませんでした。
これは自己犠牲の先にあるもの?働いている人が喜んで生き生きと働いているように見えない、援助の真実が見えない、儲けのない仕事を命をかけて一生続けられる?そんな疑問が拭えませんでした。
でも、それはたぶんそう言う部分を自分がクローズアップしただけで、自分を信じることができなくなった、ただそれだけなのかもしれません。
国際協力の仕事を諦めて、丁度付き合っていた夫が駐在になり結婚し優大を授かり、私はまた違う学びの道へと進むことになりました。
人生の出来事はすべて学びとして起こるもの、しかも最善のタイミングで。
優大を育てる仕事を終えて、私はまたやっぱり、平和な世界を目指す気持ちがどんどんと湧いてきました。
これは物心ついた時から私の中にあるものだからです。
ほんの3つくらいの時から祈るということをしていました。私は無宗教ですが、漠然としたイメージながら宇宙にいる神様、に祈っていたように思います。
「家族のみんなが幸せであるように。」そして少し大きくなると「子ども達がみんな安心して眠れる世界になるように。」と。
シャンティハウスを始めるとき、実は内気だし、とてもマイペースだし、気にし過ぎるところもあるし、しかも野心がないので負けん気みたいなものがないし、踏み切ることを躊躇する理由は本当に山ほどありました、苦笑。
本当はただ家族と毎日笑いあって暮らせ、散歩が出来、文章を書いて、友達に会い、それだけで十分すぎるほど幸せだと思う自分もいます。
でもひとつだけとてもとても強いものがありました。それは「想い」です。
この想いの強さは私がカンボジアに行くと決めた時にも大学まで一直線に私を導く力となりました。
そして想いが途絶えた途端に夢への道も中断したのでした。
沸き出してくる想いに心を揃えて行動していくこと、それが夢をカタチにする一番の力となるような気がします。
今も時々これで大丈夫かな、私は本当にやれるのかな、共感してもらえるかな、様々な恐れがふと起こってきます。
それでも、今の私が大学時代の私と違うのは、優大からもらった命のバトンがあること。
10年の月日を毎日キラキラと命を輝かせ命を燃やし尽くして生きた優大が私に「ママ生きて!」と言ってくれたから。
『誰もがありのままで安心して輝ける世界をつくりたい。
みんながまるく繋がり合うたった一つの平和な地球を子ども達に遺したい。』
この命を卒業するときまで想いをカタチにし続けて、優大にまた会えた時に胸をはってママは生きたよ!と言うのが、私の一番最後に叶えたい夢です。