虎だ!
どうも、オハラです。
小生は最近ちょっと生活がマンネリしてきてしまったので、
なるべくブログを書き続けようと思うでござるよ。
というのも、まあ僕も今年で30歳をはれて迎えるわけですが、
なかなかやっぱりこの年齢になるともうこれといって生活に新鮮味が訪れることはなく、
毎日同じ日を繰り返すだけとなってしまったでござるよ。
そこで、なんとかこの打開策として、なるべくブログの更新に努めることで、
何か日々面白いことをやらなくてはと自分自身を奮い立たせるきっかけになれたらと思った次第です。
そこで早速だが、僕は一応社会人でいわゆる普通のリーマンだが、
小さい会社で働いている人間も年齢が上なもので出会いが全くない状態だ。
これではいかんと欲す。
今年は特に出会いに飢えている小生だから何とかしなくては。
そこで最近は出会いを求めて英会話教室に通い始めました。
出会いを求める習い事の人気第二位に選ばれているのが英会話教室らしい。
ちなみに第一位は楽器教室。
僕は英語が得意だから、その得意な様をひけらかし女子たちの目をハートマークさせてやろうと
意気込んで銀座のほうの英会話教室へと通い始めた。
銀座なら若いOLたちが会社の帰りにイケメン白人教師とたどたどしい英会話をたしなみ、
すっかり外国の気に飲まれツタヤで「プラダを着た悪魔」をBlu-rayでレンタル。
小さな最低限のセキュリティ管理のあるアパートの自室でシャワーの後の「Platinum 2 hour」と
勝手に称している要は眠る前のだらける2時間で、糖質0発泡酒を飲みながら休足時間を足に貼りつけて、
Blu-rayを早速観賞。「あ、この単語さっき習った」なんてたまたま聞き取れた会話に顔をほっこりさせながら、
「やっぱり私らしく生きるのが一番だよね」と至極簡単に人生を悟った気になり、
借りてきた映画を58分くらいで止めて、結局特に何もせず満足して眠りにつく。
こういう婦女子がわんさかいるはずだと、僕は軽快なステップをふみながら英会話教室に着くも、
生徒は全員3人とも40後半のいかにも行き遅れました感バリバリのBBAたちであった。
一人は育ちが良く過保護に育てられたがゆえに若いころに遊びを覚えなかった反動で30過ぎを機にmixiで知り合った
商社マンと2年にわたる浮気の末に離婚して今は訳あり何かのベテラン窓口担当といった感じの女性、
もう一人は幼稚園くらいからずっと少女マンガが大好きで、いつかは漫画家になろうと描き続け集英社新人漫画賞短編少女マンガ部門で佳作までいったが今ではそれも諦め夢工房で働きながらイラスト投稿を続けている種型ポケモンのような女性、
最後は池谷幸雄にそのまま化粧を施した女性の3人だった。
うーむ、これでは本末転倒、僕は英語はもちろんのことそれに優先して出会いを求めているのである。
このままではこのBBAたちに僕の大事な貞操をもてあそばれてしまう。
これではいかん、転校を考えねば。
僕は虎だ、虎になるのが目先の目標だ。
虎のごとく婦女子という兎をハントする。
「獅子欺かざるの力」のごとくに婦女子を狩る。(虎だけど…)
タイガーマスクを顔に纏い、軽虎ックを運転し、虎の門の行きつけのレス虎ンで昼食、
食後に虎ンプで今日の運勢を占い「罠(虎ップ)に注意」と肝に銘じ、
再び軽快に軽虎ックを走らせるも「そういえば今日はお気に入りの大河(tiger)ドラマのタイマーを忘れたな」とため息、
テンションをあげようと虎ンスミュージックを爆音で流し、「誰も俺を虎えられないぜ」と言いながらすいすい車を追い抜き、
仕事が終われば、こじゃれたカーキーの虎ンクを片手に冷たい夜風を浴びながら虎舞竜を再生。
今日はギロッポンのクラブでナンパに虎イしてみようと、虎視眈々と女子をなめまわすように眺める、
新調したオニツカタイガーのシューズでにじり寄ると、虎柄ビキニの彼女のその妖艶なまなざしが俺を虎える。
ダンス虎ックがMAXの「トラトラトラ」にかわると、龍虎がまみえるかの如くに華麗なダンスを披露。
「この後、行きつけの虎ットリアに行かないか?」と誘うと、虎われの身となった彼女はOKと頷く。
落ち着いた雰囲気の虎ットリアで、タイガービールと彼女はティフィン・タイガーを頼む。
飲みすぎて目を覚ますと、そこは早朝のゴミ捨て場。昏睡泥棒に全てを持って行かれた僕は「一本虎れたなぁー」と言って
緞帳が降りる…
これではだめだ、何で最後の方は強盗されているんだ?
うーむ、しかしながら現状この教室では先が望めないでござるよ。
そうだ、転校してみよう…
続く
次回「オハラ、謎の転校生!?の巻」
小生は最近ちょっと生活がマンネリしてきてしまったので、
なるべくブログを書き続けようと思うでござるよ。
というのも、まあ僕も今年で30歳をはれて迎えるわけですが、
なかなかやっぱりこの年齢になるともうこれといって生活に新鮮味が訪れることはなく、
毎日同じ日を繰り返すだけとなってしまったでござるよ。
そこで、なんとかこの打開策として、なるべくブログの更新に努めることで、
何か日々面白いことをやらなくてはと自分自身を奮い立たせるきっかけになれたらと思った次第です。
そこで早速だが、僕は一応社会人でいわゆる普通のリーマンだが、
小さい会社で働いている人間も年齢が上なもので出会いが全くない状態だ。
これではいかんと欲す。
今年は特に出会いに飢えている小生だから何とかしなくては。
そこで最近は出会いを求めて英会話教室に通い始めました。
出会いを求める習い事の人気第二位に選ばれているのが英会話教室らしい。
ちなみに第一位は楽器教室。
僕は英語が得意だから、その得意な様をひけらかし女子たちの目をハートマークさせてやろうと
意気込んで銀座のほうの英会話教室へと通い始めた。
銀座なら若いOLたちが会社の帰りにイケメン白人教師とたどたどしい英会話をたしなみ、
すっかり外国の気に飲まれツタヤで「プラダを着た悪魔」をBlu-rayでレンタル。
小さな最低限のセキュリティ管理のあるアパートの自室でシャワーの後の「Platinum 2 hour」と
勝手に称している要は眠る前のだらける2時間で、糖質0発泡酒を飲みながら休足時間を足に貼りつけて、
Blu-rayを早速観賞。「あ、この単語さっき習った」なんてたまたま聞き取れた会話に顔をほっこりさせながら、
「やっぱり私らしく生きるのが一番だよね」と至極簡単に人生を悟った気になり、
借りてきた映画を58分くらいで止めて、結局特に何もせず満足して眠りにつく。
こういう婦女子がわんさかいるはずだと、僕は軽快なステップをふみながら英会話教室に着くも、
生徒は全員3人とも40後半のいかにも行き遅れました感バリバリのBBAたちであった。
一人は育ちが良く過保護に育てられたがゆえに若いころに遊びを覚えなかった反動で30過ぎを機にmixiで知り合った
商社マンと2年にわたる浮気の末に離婚して今は訳あり何かのベテラン窓口担当といった感じの女性、
もう一人は幼稚園くらいからずっと少女マンガが大好きで、いつかは漫画家になろうと描き続け集英社新人漫画賞短編少女マンガ部門で佳作までいったが今ではそれも諦め夢工房で働きながらイラスト投稿を続けている種型ポケモンのような女性、
最後は池谷幸雄にそのまま化粧を施した女性の3人だった。
うーむ、これでは本末転倒、僕は英語はもちろんのことそれに優先して出会いを求めているのである。
このままではこのBBAたちに僕の大事な貞操をもてあそばれてしまう。
これではいかん、転校を考えねば。
僕は虎だ、虎になるのが目先の目標だ。
虎のごとく婦女子という兎をハントする。
「獅子欺かざるの力」のごとくに婦女子を狩る。(虎だけど…)
タイガーマスクを顔に纏い、軽虎ックを運転し、虎の門の行きつけのレス虎ンで昼食、
食後に虎ンプで今日の運勢を占い「罠(虎ップ)に注意」と肝に銘じ、
再び軽快に軽虎ックを走らせるも「そういえば今日はお気に入りの大河(tiger)ドラマのタイマーを忘れたな」とため息、
テンションをあげようと虎ンスミュージックを爆音で流し、「誰も俺を虎えられないぜ」と言いながらすいすい車を追い抜き、
仕事が終われば、こじゃれたカーキーの虎ンクを片手に冷たい夜風を浴びながら虎舞竜を再生。
今日はギロッポンのクラブでナンパに虎イしてみようと、虎視眈々と女子をなめまわすように眺める、
新調したオニツカタイガーのシューズでにじり寄ると、虎柄ビキニの彼女のその妖艶なまなざしが俺を虎える。
ダンス虎ックがMAXの「トラトラトラ」にかわると、龍虎がまみえるかの如くに華麗なダンスを披露。
「この後、行きつけの虎ットリアに行かないか?」と誘うと、虎われの身となった彼女はOKと頷く。
落ち着いた雰囲気の虎ットリアで、タイガービールと彼女はティフィン・タイガーを頼む。
飲みすぎて目を覚ますと、そこは早朝のゴミ捨て場。昏睡泥棒に全てを持って行かれた僕は「一本虎れたなぁー」と言って
緞帳が降りる…
これではだめだ、何で最後の方は強盗されているんだ?
うーむ、しかしながら現状この教室では先が望めないでござるよ。
そうだ、転校してみよう…
続く
次回「オハラ、謎の転校生!?の巻」
はがない2
どーも、オハラです。
友人の件について以前ブログに書きましたが、
その話題のついでにですが、もう一人の友人のことを思い出しました。
その彼とも5年前くらいに縁を切ってはいるのですが、
仮に彼の名前をA君としましょう。(前回のブログのA君とは別人です)
彼は現在グラフィックデザイナーとして独立もしている立派な男ですが、
彼の難点は説教癖があるところです。
まあ誰にだって、おかしいところの1つや2つあると思います、
でもそれが許せる範囲ならもちろん僕だって彼と交流を今でも持っていたと思います。
誰だってある箇所の度が過ぎると欠点という烙印を押してしまうのは否めないと思います。
A君は中学校くらいからの知り合いで、お互いにオタクで漫画を描いているという共通点で
交流がありました。
その頃の彼はユーモアがあり、和を乱すことはしない、むしろ率先していろんなことを
やってくれる頼もしい男でした。
一緒にコミケに出て同人誌を出そうと誘ってくれたり、
彼は本当に積極的でさまざまなアクションを起こす行動的な人間でした。
そんな彼に僕は当時憧れを抱いていました、「ああ、僕もあんなにしっかりとした信念と、
行動力があればなあ」と。
僕とA君、そして気の合う仲間2人の合計4人で旅行サークルを結成し、
20歳頃は車を飛ばして日本各地を旅行しました。
底抜けに陽気で、怖いものなんてない、そんな無鉄砲で笑いの絶えない
青春そのもののサークル活動でした。
しかしながら、そんな彼が21歳頃、そろそろ大学を卒業して
就職を意識し始めたころから性格が変わってきました。
もともと彼は大学の二部、つまり夜間に通っていたのですが、
彼はこのころからデザイナーになりたいという夢を強く抱くようになりました。
そんな彼は大学4年の頃、就職活動をせず大学とデザイン専門学校を同時に掛け持ちして、
夢に向かって勉強を開始します。
彼はグラフィックデザイン、つまりポスターや広告などをデザインする仕事に、
情熱を燃やしていて、専門学校の課題に毎日寝ないで没頭をしていました。
このころから、彼は将来の夢を熱く語り始めるようになります。
もともと夢とかを熱く語る男でしたが、何か目のぎらつき方が危険な目になり始めました。
私もこのころからイギリス留学を目指し始めていたので、夢について語ることはとても励みになったのですが、
だんだんと彼のアドバイスや熱意などが説教じみてきたのです。
初めて彼に説教を食らったのは、イギリスへ行く2週間ほど前でした。
「いよいよ、僕は行ってくるよ。向こうでグラフィックデザインを学んでくるんだ」
僕は自分の夢を大いに語って、A君ととあるBARで酒を飲んでいた。
A君は一度考え込み、改めた口調で言った。
「それでさ、お前留学に行ってどうするの?」
夢を語る彼にしては随分否定的な質問だった。
私「いや、だからグラフィックデザインを勉強しに…」
A「日本でもできるよ」
私「そうだけど、僕の夢なんだよ。あと英語も勉強したいんだ。これからの時代必要だと思うし」
A「じゃあ、お前は英語を勉強しながらグラフィックデザインを勉強するということか?」
私「うん、その予定だけど」
A「どっちも中途半端に終わるんじゃないのか?一個に絞った方がいいと思うよ」
私「…」
A「ていうか、行ってどうするの?そんで日本かえって就職するの?だったら日本で勉強した方が良くね?」
私「いや、その後のことはまだはっきりとは…」
A「俺ははっきり言って行くだけ無駄だと思うよ。もっと現実的に考えたらどうだ?」
こんな感じである。
上記のやり取りを見ると、確かに目標があまり固まっていなかった僕への
厳しいアドバイスというようにも取れる。
この時、僕はとことん問い詰められ、自分の夢を「行くだけ無駄」とまで否定されたが、
それでも彼は僕を心配して厳しいことを言っているのだなと、
自分に言い聞かせた。
その後、イギリスへ留学した僕だが、時々さみしさから彼にスカイプをした。
同じグラフィックデザインをやっている仲間としていろいろとアドバイスをもらえたり、
彼のユーモアのあるバカ話を聞いたりしたかったのだが、
彼は「うん」「あ、そう」しか答えてくれなかった。
僕が何を話しても彼はそっけない返事だった。
「どうしたの?」と彼に聞くと「いや、くだらない話だったら切るよ」と彼は
言ってきた。
「電話は用事があってするものだろ?そんなくだらない話してる暇があるなら、
俺は一つでも多くのデザインと課題をこなすのに忙しいから」と切られてしまった。
昔、サークルで出かけていた時はこんなことをいうやつではなかった。
どんなくだらない話にも乗ってきてくれたし、冗談が大好きなやつだった。
夢に向かう彼の変わり様にいささか僕は困惑した。
「くだらない話をしている暇があったら、1つでも多くの作品を作る」と言っていた彼だが、
その発言をした約3か月後くらいに少しの変革が訪れる。
その発言を食らって以来、僕は彼に意味もなく連絡をすることをやめた。
イギリスでの留学からくる孤独で耐えられない時は他の友達に連絡をし、
A君には全くスカイプはしなくなったのである。
しかし、そんな彼の方から「今度スカイプしよう」という誘いが来た。
また説教をされると思った僕は「ちょっと学校のことで忙しいからまたにして」と
やんわりとかわしたのだが、あまりにしつこく「明日の日本時間の0時につけてるから、よろしく」と
時間まで指定してきた。
余程何か伝えたいことがあるのだと思った僕は仕方なくスカイプをつけた。
A「よう、久しぶり」
私「…うん」
A「どうだ、元気してるか?」
私「…まあね」
A「なんだよ、そっけないな」
私「というか、用もないのに電話するなと言ったのはそっちじゃないか?」
すると彼は平謝りをし始め、
A「いやー、あの時は悪かった。俺は色々と自分を見失っていたんだよ」
私「別にいいけど、何かあったの?」
話を聞いてみると、どうやら三日ほど前に彼の専門学校で卒業制作があったそうな。
2年間ろくに寝ないで頑張ってきた彼はここぞとばかりに会心の作品を提出したとのこと。
周りのお遊びの乗りでやってる連中と違って、彼はほとんどの時間を作品作りに捧げてきた。
だが、彼はグランプリを獲得できず、クラスのH君という人が優秀賞を受賞したらしい。
A君はこの結果を受けて僕にこう言った。
「○○会の力は恐ろしいぞ」と。
○○会は誰もが耳にしたことのある宗教団体で、かなり一般に浸透している部類の会だ。
どうもこのH君はこの宗教会員で、A君も何度か在学中に勧誘をされたという。
A君いわく、H君はとても気立ての良い好青年で明るい普通の男の子、
デザインのスキルは真ん中くらいで、そのさわやかな印象から女子にも人気があるらしい。
ここだけは僕もA君に同意するのだが、H君は女子にも人気があって、少々もてるタイプである。
だが、宗教の勧誘は男友達と二人きりになったときにしかやらない。
H君は「本当に素晴らしいものなんだ、だから君も入りなよ」と勧めてくる、
本当に素晴らしいのなら、なぜ女子たちも勧誘しないんだ?おそらくどこかで他人の目(特に女子)を気にしているのだろう。
こういう理由からA君はH君をあまり好んでいなかった、もちろんこの受賞も彼には相当不愉快だったようだ。
「きっと審査員にも同じ宗教メンバーがいたんだ、やっぱり力がある組織だな」A君はもちろん冗談交じりにそう言った。
でも、僕はA君のこの発言に納得がいかない。
というのも以前、イギリスに行く前に僕もある小さなコンペに参加したことがあったが、
結局僕は採用されず、あまりテーマにそってないような作品が選出され、負け惜しみを言ったことがあった。
「なんか、あの作品はテーマにあってないと思う。なんであれが選ばれたのかな?」
するとA君は「お前、そういうことは言うべきじゃないぞ。テーマに沿ってなくても結果的にそれが審査員の心をつかんだんだから、
負け惜しみを言う暇があったら、その失敗から学べよ」と僕に言ったのだ。
それが今やA君は自らの敗北を宗教のせいにしている。
それでも僕は久しぶりに冗談を言い合えたA君との会話がうれしく、そんなことを突っ込まなかった。
この時から、A君の厳格な性格は少しだけ緩和され、元の冗談好きのA君に戻りつつあった。
そして、そこから約6か月後に、夏休みになって僕が日本に一時帰国をし、
A君との久々の再開を楽しんだ。「イギリスはどうだ?」「向こうのデザインはどうだ?」とか、
相変わらず彼の勉強熱心さがうかがえた。
このころには彼はもう就職をしていて、小さなDTPの会社に勤めていた。
A君は専門学校の時の仲間と交流が続いているようで、その1週間後に玉川の河川敷でBBQをやるから来ないかと僕を誘ってくれた。
いろんな人に会うのはクリエイティブないい刺激になるし、僕は喜んで参加を表明した。
そしていよいよ、次の日はBBQ、この日はA君と二人で飲んでいた。
私「明日、BBQだよね?楽しみだよ。やっぱり色んな人にあって色んな刺激をもらうのって大事だよね」
A「…その刺激ってさ。」
この改まった口調に何か嫌な予感を感じた。
A「おまえはその刺激をもらってどうするの?逆におまえは彼らに刺激を与えられるのか?」
私「え…?」
久しぶりの説教口調に僕はすっかり戸惑ってしまった。
私「いや、その刺激をもらってどうするとか言われても…」
A「いやぁ、こんなこと言いたくないけどよ、1円パチンコで遊んでるようなやつに何の刺激が与えられるんだよ?」
確かに、僕は1円パチンコが好きだ。使いすぎないし、ほとんどゲームのような娯楽性がある。
ただの僕の趣味だ、僕が稼いだお金でこれくらいの趣味をやって何が悪いのだ?
ちゃんと僕だって課題もこなしているし、空き時間を使っては自分の作品作りに余念がないのだ。
久しく、説教をすることがなかったので、もうこの癖が直ったと思っていたが、やはり彼は彼のままだった。
このころから、他の一緒に旅行に行っていた友人などにA君から説教を食らっている話を相談したりしたが、
不思議なことに他の仲間には一切そういうことがないという。
たぶん、自分は人から何か説教をされたり言われやすい性格なのだと思う。
僕はひょろっとして弱そうだし、気弱だし、喧嘩腰というわけではない。
何を言ったって反論をしたりはしないし、怒ることもない。
というのも、僕にも言い返したいことは山ほどあるのだが、
妙に冷静になって「ここで自分が言い返したりしたら、このただでさえ平気で相手に説教を垂れるような人間に
その道理が通用するわけはなく、むしろこういう人たちは反論を簡単に喧嘩を売ってると脳内変換してしまう
ような人間なので、ここは言わないでこらえよう」という思考回路が僕の臆病人生の中で勝手に培われていったのである。
だから僕は学生時代に殴り合いの喧嘩なんて一度もないし、本当に我慢できなくなった時に言い返す程度だった。
むしろこうしないとこういう乱暴な人たちとは会話が進まないと思う。
たとえここで僕がA君に反論をしたら、軽い口げんかに発展は必至で、そうなると後々の関係に亀裂が生じてしまう。
言わば円滑に物事を進めるため、あえて僕は耐えているのである。さすがに金銭が発生するような場合は黙ってはいないが。
しかし、A君の場合はおもしろいことに僕にしか説教をしないのである。
人間だれしも支配欲のようなものがあって、こういう場合は自分より明らかに精神的あるいは肉体的に劣っている者を対象にして、
自分なりの真理や哲学をひけらかして、自尊心を得る、すなわち自分よりも弱者で言い返してこない人間であると充分に選定したうえで、
こういった説教を垂れる、何とも卑劣で卑しい精神の持ち主なのである。言い換えると、いじめと諸々の観点で似ている。
このころから僕は彼を疑い始めた。彼は僕に「言いたいだけ」なのではと。
それまでは僕を思ってきつい言葉を浴びせてきたように思うが、どうも合点がいかない。
それから、夏休みの度に日本に帰国しては彼と飲んだりして、
大小あれどやはり説教は相変わらず食らっていた。
説教以外では面白いやつで一緒にいることはとても楽しかったのだが、
絶縁の決定打となるできごとがあった。
それは僕が4年間の留学を終えて2010年に日本に帰国し、ちょうど仕事を探している時期だった。
A君と旅行仲間のW君の3人で久しぶりに飲むことになった。
A君はこのころ、以前に勤めていた会社を辞めてデザイン事務所に勤めていた。
このデザイン事務所で彼は相当しごかれていたようで、DTPではなくデザインを作らなければならず、
「こんなデザインつかえねーよ」「やる気あるの?」というきつい言葉を毎日のように社長から浴びせられていたという。
このころからA君はもう独立を意識し始めていて、ちょっとの自由時間を利用しては
個人的なデザインの仕事も受け持っていた。さすがにタフな男であった。こういうところは脱帽ものである。
その大事な時間を割いて、僕とA君の共通の友人W君と飲みについてきてくれた。
久しぶりの3人での酒に会話も弾み、彼の近況報告などを冗談まじりに聞いていた。
しばらくするとW君がほんの少しの間、席を外した。
僕とA君の二人きりとなり、なんとなくデザインの話になった。
A「俺、よく社長にデザインをけなされるんだ。お前から見て俺のデザインってどう思う?」
彼は僕にアドバイスを求めてきた、これはとても珍しい。
以前に彼は自分の作品を評価するなら「いいね」とか適当なことは言ってほしくないと言っていた。
言うならきついことでもいいからその人のためになるような率直な意見を言ってほしいとA君は常々言っていた。
僕も一応デザインを勉強した身である。僕は彼に率直に自分の意見を述べることにした。
私「君のデザインはアイデアがストレートすぎる気がする」
A「どういうこと?」
私「アイデアを出す時に、いろいろとその製品に関してリサーチしたり関連する言葉や事項を並べると思うけど、
君はたぶんその初期段階で浮かんだアイデアをそのまま作品にしているような気がするんだ」
A「うん」
私「君のホームページで公開している作品くらいしか僕は知らないけど、全体的にそんな印象がするんだ」
A「うん」
私「僕がイギリスで学んだのは一回目のアイデア出しで絞って行って、そこからまた二回目三回目と回数を重ねて、
そうすると最終的にいいアイデアが出来上がるっていうことなんだ。だから、忙しいのはわかるけどもう少しアイデア出しに時間を割いてもいいんじゃないかな?」
A「…うーん、なるほどな。それは一理あるかもしれない」
珍しくA君は僕の意見をすんなりと受け入れた。
僕は嬉しかった。こうやって同じデザインという土俵に立って対等な立場で意見交換ができる、何とも刺激的な仲間ではないか。
ほどなくしてW君が帰ってきた。
話題は変わり、もう一人の友人M君の話になった。
M君は僕の地元の友達で彼もまた自立を目指す夢に燃える男だった。
私「M君は頑張ってるよな」
W「ああ、そうだな」
私「ちょっとせっかちなところが心配だが」
W「そうだな、まあでも頭のいいやつだから大丈夫だろう」
するとここでA君は妙なタイミングで会話に参加してきたのだ。
A「でも、何事もやってみないとわかんねーだろ」
私「ああ、でもM君はとても行動力のある人だ…」
A「おめーだよ!!!」
A君は口調を強めて僕に怒鳴った。
僕とW君はあまりに突然の豹変に言葉をなくした。
私「え、僕?」
A「おめーよぉ、口だけじゃなくてさ。せめて同じ土俵に立ってからもの言えや」
私「は?」
A「さっきアイデアがストレートすぎるとかいろいろと勝手に言ってきたけどよ」
私「…」
A「こちとら、仕事でデザインやってるんだよ、そんな甘いもんじゃないんだよ現場は。
せめて、俺と同じようにデザインで仕事してから物を言えや」
また説教が始まった、しかもこんな変なタイミングで。
さっきの僕の指摘がそんなに心外だったのか?
でも「いろいろと勝手に言った」のではなく僕はちゃんと意見を求められたから言ったのだ。
この時ばかりは僕も激昂しそうになった。
というのも隣には関係のないW君がいるのだ。
彼まで不快にさせる必要性は全くないはず。
しかしながら、ここは飲み屋、公衆の面前だ。
僕がここで反論でもしたら、先も言った通りA君の性分を考慮すれば喧嘩に発展することは必至、
僕は胸のむしゃくしゃをなんとかこらえながら、その場をやり過ごした。
その後は何とか場の空気が一度凍りついたものの、
笑い話ができるまでなんとか持ち直し、僕とW君は帰路に就いた。
帰りがけ、W君はようやく僕が予てから言っていたA君の説教癖を理解してもらい、
僕はW君に説教に巻き込んでしまったことを詫びた。
僕は二人きりで説教するならまだしも、W君にまで被害を及ぼすA君にほとほと嫌気がさし、
この事件を機に僕はA君と会わないことを決めた。
というのも、僕は何度もA君にこの説教癖をやめるようにはっきりと彼に言い続けてきたのである。
そのたびに彼は「すまん、自分でも気を付けているんだが」と一応反省はするが結局また同じことの繰り返しなのである。
ここまでくるともう一生彼の説教癖は直らないであろうと踏んだ僕は、それ以来連絡を断った。
だが、もう一度どうしても会わなければならないイベントが発生した。
それは友人P君の結婚式である。
P君は前述した旅行仲間の一人で、僕はその旅行活動を通して仲良くなった。
そんな彼の結婚式に招待され、もちろんA君も招待されたのだが、
僕はいい気持ちではなかったが、ここはP君の大事な結婚式を祝うため、
式場では何気ない感じで再会しようと思っていた。
だが、ここでももちろん一悶着あった。
P君はA君がデザイナーをやってることをもちろん知っていたので、結婚式の二次会のDMや、
当日会場で飾るポスターなどの作成を依頼した。
ところが話がどんどん飛躍し、A君がイベント全体をコーディネートするような流れになってしまったのである。
というのも、A君は当時そういう関係の職場で働いていた。デザインがメインの仕事だが、例えば今度開業する歯医者さんの看板、ロゴ、院内の案内板など全体のデザインを手掛ける仕事のようだった。
それと並行して、独立を目指していた彼は少ない自由時間を利用して、知り合いなどから仕事をもらってはこういうトータルデザインのような仕事をこなしていた。こういう精神力や行動力には頭が上がらない、さすがだと思う。
しかし、僕もそうだが先の共通の友人W君もこの時から嫌な予感はしていたのだった。
ある日、W君が青ざめた顔で僕にとあるA4のホチキスでとめてある10ページくらいの資料を手渡してきた。
内容はA君が作成した今度開催されるP君の結婚式二次会のコンセプトとその流れの説明だった。
全部のページの上部に簡単な罫線があしらわれ全部のページに統一感が持たれているデザイン、すっきりと余白を持たせてあって、
いかにもA君が作成しそうな資料だった。彼はプロということにプライドを持っていて、こういう部分の徹底性は妥協をしない。
1ページ目には表紙としてタイトルが真ん中に書かれてあった。
彼もプロとして現在は活躍しているので、そのタイトルは記さないでおくが、
違う言い方をして要約すると「燃え上がるような男女入り乱れるコミュニケーションパーティ」のような感じだ。
1ページ目から嫌な予感が満載である。
何で燃え上がるようなことをしなければならないかというとこのP君の奥さんが
スペインとの貿易関係で働いているから情熱的なことがコンセプトである。
旦那であるP君の仕事のコンセプトはまる無視して、スペインの部分だけをコンセプトとして取り上げ、
内容は全体的に全てスペインごり押しである。
2ページ目からはデザイナーらしくこの二次会のコンセプトが簡単に書かれてあったが、
正直何が言いたいのか全く分からない説明だった。
書いてあるコンセプトと何でスペインが交わるのか、説明が無理やりすぎてあの資料もらった人間だれもが理解できなかったと思う。
彼のいつもの手段で、コンセプトを図で表すことがある。「スペイン」→「赤の国旗」→「情熱」みたいに一見わかりやすいようにあらわされているが、
よく読むと全く持って支離滅裂ですごいよ!マサルさんが時々やる図解説明ギャグと同じくらいかなりシュールな図になっている。
色々と言いたいことはあったが、内容がまず詰めすぎである。
結婚式二次会といったらよくあるのがビンゴ大会であるが、A君はここを教科書通りにはいかない。
「闘牛士ゲーム」という奇天烈なゲームを考案したのだ。
どういう内容かというと、会場であるスペインバルのテーブルやイスをいったんはけさせ、
片方の壁際に男が10人ほど一列に並び、女も10人ほど反対側の壁に一列に並んで向き合うようにする。
そして、合図とともに一斉に女が頭をもたげて両手の人差し指を角に見立て、牛のように「モォォ~!」と反対側の男の方へ列をなして突っ込んでいく。
男はその襲い来る雌牛をマタドールのごとくひらりとかわし、雌牛の背後に回ってポンと肩を叩く。
そして突進してくるときに予め確認しておいた雌牛の胸元にあるネームプレートの名前を言い「あなたは○○さんですね?」と訊く。
そして雌牛は名前があっていたら「Si(スペイン語でyes)」といい、間違っていたら「No(スペイン語でもno)」と言って、
そのままペアで舞台をはける。そして、次の10人と交代してこれを全員がやるというもの。
全く訳が分からなかった。まずネームプレートで名前を確認してるんだから、全員Siと言うはずだ。
そして、これで名前があっていたからといって何か褒美がもらえるわけではない。
いや、正確にはこの後このペアのまま席について団らんして男女間の交流を深めるみたいな流れがあったと思うが、
こんなにことはうまく運ばないだろうし、なによりゲームがゲームとして成立していない。
そして、このゲームの尺が異常に短い。こんな理解困難なゲームの説明と50人以上もいる来賓たちを壁際に移動する大作業にたった10分(5分だったかもしれない…)そしてスタートして終わるまで15分くらいだったか。
会の締めくくりに奥さんとP君でフラメンコを踊るというアイデアはナイスだった。これは来てくれたお客さんたちへのお礼も兼ねて、新郎新婦の出し物としてとてもおもしろい。
しかしながら、この闘牛士ゲームを何としても阻止しなくてはと僕とW君は一致団結した。
というのも恐ろしいことに、この資料の最後のページを見ると「司会 W君」と何の許可も話もなくW君が勝手に司会に任命されていたのだ。
こんなわけのわからないゲームの説明を5分たらずで初見の人たち50人以上に滞りなく理解させなければならないハメに。
これに関してはP君が「すまん、A君の資料にはこう書いてあるけど、もし無理なら他の人に頼むよ」と謝罪していた。
激おこプンプン丸だったW君だが御目出度い親友の結婚式なので、W君はことを荒げずにこの勝手な任命を紳士的に引き受けた。
そして、司会役には奥さん側の女友達がもう一人選抜され、P君、奥さん、その司会役の女友達、W君そしてA君の5人でファミレスでの初打ち合わせがあった。(僕はA君とは絶縁状態だったので不在)
二次会のスペインごり押しのコンセプトを説明すると全員の頭の上に?が浮かんだ。だが、ここで執拗な突っ込みは無用、ここが一番僕の納得できないところなのだが、彼は前述の飲み屋でブチ切れた一件の通り自分のコンセプトについて執拗につっこまれたり、おかしいところを指摘したり、しまいにはデザインを少し変えてほしいとクライアントとしては当たり前の文句にもイライラしてつっかかってくるのだ。
一通りの彼のプレゼンを聞いて、なんとかやわらかく「闘牛士ゲームはやめて、ここは無難に新郎新婦のなれ初めクイズをやろう」ということを伝えた。A君はしぶしぶという形で闘牛士ゲームを断念し、クイズ企画へと移行することになった。
まあここまででかなりむちゃくちゃで、彼はプロ根性を大切に仕事をしてくれているが、これが本物のウェディングプランナーやプロデューサーから提案されたら正直たまったものではない。
親愛なる読者の皆様は「まあいいじゃん。彼は好意でやってくれてるんだし」と思うかもしれないが、この手渡された10ページほどの資料の最後のページに驚愕の事実が隠されていた。
「合計請求金額 ○十万円」
戦慄が走った。A君は決して友達の為にボランティアでやるのではなく、「自分はプロだからたとえ友達の結婚式でも金をとる」というスタンスなのだ。
これだけは納得できない。友達の結婚式の二次会の企画構成そしてデザイン云々。まあ諸経費とか場所代とかどうしてもお金が発生してしまうのなら請求するのはまだわからないでもないが、デザイン料金、手数料etcで金を請求している。
しかも、さらにプロっぽくこだわっていて、その請求欄には事細かに「デザイン料(DM、ポスター代)」「手数料」など全ての金の詳細が書かれていた。
中には「BGM代」なんてものもあった。これはこの二次会中に流す音楽をレンタルしたからそのレンタル代の請求だ、そんなものは別にこの二次会の模様をDVDに収録して販売するわけでもないんだから請求しなくていいじゃないか。
更に僕たちを恐怖させたのはこの金額項目の羅列の最後の欄にこう書いてあった。
「友人特別割引 ○万円割引 也」
言葉が出なかった。A君は友人のめでたい結婚式の企画構成そしてデザインを「いいから、俺に任せとけって。友達だろ?」と無償で請け負うこともせず、
冷静に考えたらA君が企画した「闘牛士ゲーム」は結局ボツになったにも関わらずこの企画料は変わらずに請求され、あまつさえ、「それでも友達として特別に割引価格で俺のデザインや企画を提供して差し上げよう」という図々しさ。
(割引いてもまだ数十万円は残っていたと思う)
これには僕は驚愕した。それとも僕の考えがおかしいのか?
さらに先ほどのクイズの企画に関しては、プロジェクターで投影して来賓の人たちに問題を出さなければいけないので、そのスライドみたいなものをpower pointで作ってくれないかと頼み、そしてその解答の中で、「答えは○○でした~」みたいな正解VTRを編集してお披露目したかったのだが、「動画の編集は別料金だ」みたいなことを言い始めた。
どうしてここまでプロ根性という看板をぶら下げて、友人の結婚式にまで金銭を要求するのか意味が解らなかった。
更にいうと、デザイン料云々とってしまいにはBGM料まで請求しているのに、勝手に任命されたW君に対する「司会料」が請求されていなかった。
結局、W君にはA君から一銭も支払われていない。W君は司会のプロでもないから金を払う必要がないと思ったのか?
こうして、結婚式当日を迎え、僕は久しぶりにA君と再会した。
僕はよそよそしくもなんとか普通に話しかけられれば笑顔で答えてやり過ごした。
そして、問題の二次会へと展開していった。
僕たちが思っていた通り、このスペインバルにはとても闘牛士ゲームをやれるような場所もなく、
それみたことか、みんな好き勝手に会社の人同士、女の子同士、それぞれのコミュニティを作って団欒しているものだから、
とてもあの意味不明なゲームの説明なんて不可能だった。
一方でW君は嫌な顔一つしないで小さなステージ上で司会をこなしていた。
そして、あのクイズの時間がやってきた。
プロジェクターに問題が映し出される、白い背景に黒文字で問題が書かれたシンプルなスライドだった。
「では第一門、新郎が初めて…」とW君が問題を読み上げたその瞬間、
「答え:B」と次の解答のスライドが出題の途中で出てしまった。
「B!B!B!」とみんな一斉にプラカードをあげて、カオス状態だった。
このスライドをMacでプロデューサー面して操作しているのはA君である。
A君は「あれ?あれ?」とあたふたしながら操作していた。
そしてあきらめて第二問に進んだが「第二問、新郎新婦がハネムーンに…」と読んでいると。
「答え:B」とまた次の解答のページがでてしまった。
A君は急いでスライドのページを戻し、すると今度は一問目までスライドが戻ってしまい、
A君はまたも「あれ?あれ?」という感じにあせっていた。
ここまで来ると、もうW君は激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム状態だった。
それでも彼は何とか笑顔でクイズを進行し、事なきを得た。
しかしながら、金を請求して「プロだから」といいつつpower pointの操作もろくにできず、
企画を台無しにしてしまったのだから、プロとしてこれはお金を返すべきなんじゃないだろうか?
そして、最後にP君とその奥さんでフラメンコを踊って、二次会は無事に終了した。
終わってから、P君から寸志として頑張ってくれた司会のW君ともう一人の女の子の司会、そしてA君にも商品券を手渡した。
既に報酬は頂いているはずのA君は「俺はいいよ、この司会の二人にわけてやってくれ」なんて素振りを微塵も見せず、
「ああ、どうも」とその商品券をありがたくうけとっていた。
これが、怒涛の二次会エピソードだ。ここまで読めば、なんとなく何で僕が彼との縁を切ったのか、
解っていただけたと思う。他にも列挙したいエピソードはいっぱいあるのだがここでは割愛。
こうして僕は本当にこれ以来、彼に会っていない。
どうやら彼は彼のホームページによると独立してデザイナーとしてなんとか食べていってるようだ。
それだけでなく、自分が卒業した専門学校のデザイン講師もやっているようだ。
久々に何気なく彼のデザインホームページを見てみたら、色々とデザイナー雑誌にインタビューされたことや、
最近のデザインワークの様子などが写真入りで掲載されていた。彼なりに頑張っていることはとてもすごいと思う。
だが、気になるのが先の結婚式二次会のトータルコーディネートのことまで雑誌に掲載したみたいで、
その時のポスターとかDMとかが写真付きで雑誌にのっていたが、
「友人の結婚式をスペイン風にコーディネート、情熱をコンセプトに結婚式二次会を素敵にプロデュースした」
みたいなことが書かれていたと思う。
こういうことを見ると僕は世の中のいわゆる成功者と呼ばれている人間が全員疑わしく思えてきた。
ホームページや雑誌、ブログ、そういうものはこういう人たちを紹介する時に悪い部分は極力書かない。
「挫折やうまくいかない時もあった」みたいな美談で終わらせ、その陰ではあんな「闘牛士ゲーム」が企画されていたことなど、
誰も知らない。
この雑誌を読んだ若いデザイナー志望の人たちは「Aさんてすごいな」「俺もAさんみたいなデザイナーになりたい」とあこがれるんだと思うと、
少し複雑な気持ちになる。
専門学校でも多くの生徒たちから尊敬のまなざしで見られ、「先生、先生」と呼ばれて優越感に浸っているんだろう。
何か突っ込むとすぐに怒るくせに「良いデザインのためには妥協してはだめだ。クライアントを満足させなきゃいけない」みたいなことを言ってるのだろう。
もしかしたら、こういう周りを見ないで自分の目標に突っ走れる人が結局は独立して事務所を立ち上げたり、
脚光を浴びる人間になるのかもしれない。
A君は何度僕が「説教をするのはやめてくれ」と懇願しても結局直らなかった。
そして僕は友人でいることがとても我慢できなくなり、彼は結果友人を失ったがその代わりに独立したデザイナーになった。
長々と申し訳ないですが、皆さんも友人を大事にしましょう。
そして、良いことばかりの記事には何か裏があると疑ってください。
友人の件について以前ブログに書きましたが、
その話題のついでにですが、もう一人の友人のことを思い出しました。
その彼とも5年前くらいに縁を切ってはいるのですが、
仮に彼の名前をA君としましょう。(前回のブログのA君とは別人です)
彼は現在グラフィックデザイナーとして独立もしている立派な男ですが、
彼の難点は説教癖があるところです。
まあ誰にだって、おかしいところの1つや2つあると思います、
でもそれが許せる範囲ならもちろん僕だって彼と交流を今でも持っていたと思います。
誰だってある箇所の度が過ぎると欠点という烙印を押してしまうのは否めないと思います。
A君は中学校くらいからの知り合いで、お互いにオタクで漫画を描いているという共通点で
交流がありました。
その頃の彼はユーモアがあり、和を乱すことはしない、むしろ率先していろんなことを
やってくれる頼もしい男でした。
一緒にコミケに出て同人誌を出そうと誘ってくれたり、
彼は本当に積極的でさまざまなアクションを起こす行動的な人間でした。
そんな彼に僕は当時憧れを抱いていました、「ああ、僕もあんなにしっかりとした信念と、
行動力があればなあ」と。
僕とA君、そして気の合う仲間2人の合計4人で旅行サークルを結成し、
20歳頃は車を飛ばして日本各地を旅行しました。
底抜けに陽気で、怖いものなんてない、そんな無鉄砲で笑いの絶えない
青春そのもののサークル活動でした。
しかしながら、そんな彼が21歳頃、そろそろ大学を卒業して
就職を意識し始めたころから性格が変わってきました。
もともと彼は大学の二部、つまり夜間に通っていたのですが、
彼はこのころからデザイナーになりたいという夢を強く抱くようになりました。
そんな彼は大学4年の頃、就職活動をせず大学とデザイン専門学校を同時に掛け持ちして、
夢に向かって勉強を開始します。
彼はグラフィックデザイン、つまりポスターや広告などをデザインする仕事に、
情熱を燃やしていて、専門学校の課題に毎日寝ないで没頭をしていました。
このころから、彼は将来の夢を熱く語り始めるようになります。
もともと夢とかを熱く語る男でしたが、何か目のぎらつき方が危険な目になり始めました。
私もこのころからイギリス留学を目指し始めていたので、夢について語ることはとても励みになったのですが、
だんだんと彼のアドバイスや熱意などが説教じみてきたのです。
初めて彼に説教を食らったのは、イギリスへ行く2週間ほど前でした。
「いよいよ、僕は行ってくるよ。向こうでグラフィックデザインを学んでくるんだ」
僕は自分の夢を大いに語って、A君ととあるBARで酒を飲んでいた。
A君は一度考え込み、改めた口調で言った。
「それでさ、お前留学に行ってどうするの?」
夢を語る彼にしては随分否定的な質問だった。
私「いや、だからグラフィックデザインを勉強しに…」
A「日本でもできるよ」
私「そうだけど、僕の夢なんだよ。あと英語も勉強したいんだ。これからの時代必要だと思うし」
A「じゃあ、お前は英語を勉強しながらグラフィックデザインを勉強するということか?」
私「うん、その予定だけど」
A「どっちも中途半端に終わるんじゃないのか?一個に絞った方がいいと思うよ」
私「…」
A「ていうか、行ってどうするの?そんで日本かえって就職するの?だったら日本で勉強した方が良くね?」
私「いや、その後のことはまだはっきりとは…」
A「俺ははっきり言って行くだけ無駄だと思うよ。もっと現実的に考えたらどうだ?」
こんな感じである。
上記のやり取りを見ると、確かに目標があまり固まっていなかった僕への
厳しいアドバイスというようにも取れる。
この時、僕はとことん問い詰められ、自分の夢を「行くだけ無駄」とまで否定されたが、
それでも彼は僕を心配して厳しいことを言っているのだなと、
自分に言い聞かせた。
その後、イギリスへ留学した僕だが、時々さみしさから彼にスカイプをした。
同じグラフィックデザインをやっている仲間としていろいろとアドバイスをもらえたり、
彼のユーモアのあるバカ話を聞いたりしたかったのだが、
彼は「うん」「あ、そう」しか答えてくれなかった。
僕が何を話しても彼はそっけない返事だった。
「どうしたの?」と彼に聞くと「いや、くだらない話だったら切るよ」と彼は
言ってきた。
「電話は用事があってするものだろ?そんなくだらない話してる暇があるなら、
俺は一つでも多くのデザインと課題をこなすのに忙しいから」と切られてしまった。
昔、サークルで出かけていた時はこんなことをいうやつではなかった。
どんなくだらない話にも乗ってきてくれたし、冗談が大好きなやつだった。
夢に向かう彼の変わり様にいささか僕は困惑した。
「くだらない話をしている暇があったら、1つでも多くの作品を作る」と言っていた彼だが、
その発言をした約3か月後くらいに少しの変革が訪れる。
その発言を食らって以来、僕は彼に意味もなく連絡をすることをやめた。
イギリスでの留学からくる孤独で耐えられない時は他の友達に連絡をし、
A君には全くスカイプはしなくなったのである。
しかし、そんな彼の方から「今度スカイプしよう」という誘いが来た。
また説教をされると思った僕は「ちょっと学校のことで忙しいからまたにして」と
やんわりとかわしたのだが、あまりにしつこく「明日の日本時間の0時につけてるから、よろしく」と
時間まで指定してきた。
余程何か伝えたいことがあるのだと思った僕は仕方なくスカイプをつけた。
A「よう、久しぶり」
私「…うん」
A「どうだ、元気してるか?」
私「…まあね」
A「なんだよ、そっけないな」
私「というか、用もないのに電話するなと言ったのはそっちじゃないか?」
すると彼は平謝りをし始め、
A「いやー、あの時は悪かった。俺は色々と自分を見失っていたんだよ」
私「別にいいけど、何かあったの?」
話を聞いてみると、どうやら三日ほど前に彼の専門学校で卒業制作があったそうな。
2年間ろくに寝ないで頑張ってきた彼はここぞとばかりに会心の作品を提出したとのこと。
周りのお遊びの乗りでやってる連中と違って、彼はほとんどの時間を作品作りに捧げてきた。
だが、彼はグランプリを獲得できず、クラスのH君という人が優秀賞を受賞したらしい。
A君はこの結果を受けて僕にこう言った。
「○○会の力は恐ろしいぞ」と。
○○会は誰もが耳にしたことのある宗教団体で、かなり一般に浸透している部類の会だ。
どうもこのH君はこの宗教会員で、A君も何度か在学中に勧誘をされたという。
A君いわく、H君はとても気立ての良い好青年で明るい普通の男の子、
デザインのスキルは真ん中くらいで、そのさわやかな印象から女子にも人気があるらしい。
ここだけは僕もA君に同意するのだが、H君は女子にも人気があって、少々もてるタイプである。
だが、宗教の勧誘は男友達と二人きりになったときにしかやらない。
H君は「本当に素晴らしいものなんだ、だから君も入りなよ」と勧めてくる、
本当に素晴らしいのなら、なぜ女子たちも勧誘しないんだ?おそらくどこかで他人の目(特に女子)を気にしているのだろう。
こういう理由からA君はH君をあまり好んでいなかった、もちろんこの受賞も彼には相当不愉快だったようだ。
「きっと審査員にも同じ宗教メンバーがいたんだ、やっぱり力がある組織だな」A君はもちろん冗談交じりにそう言った。
でも、僕はA君のこの発言に納得がいかない。
というのも以前、イギリスに行く前に僕もある小さなコンペに参加したことがあったが、
結局僕は採用されず、あまりテーマにそってないような作品が選出され、負け惜しみを言ったことがあった。
「なんか、あの作品はテーマにあってないと思う。なんであれが選ばれたのかな?」
するとA君は「お前、そういうことは言うべきじゃないぞ。テーマに沿ってなくても結果的にそれが審査員の心をつかんだんだから、
負け惜しみを言う暇があったら、その失敗から学べよ」と僕に言ったのだ。
それが今やA君は自らの敗北を宗教のせいにしている。
それでも僕は久しぶりに冗談を言い合えたA君との会話がうれしく、そんなことを突っ込まなかった。
この時から、A君の厳格な性格は少しだけ緩和され、元の冗談好きのA君に戻りつつあった。
そして、そこから約6か月後に、夏休みになって僕が日本に一時帰国をし、
A君との久々の再開を楽しんだ。「イギリスはどうだ?」「向こうのデザインはどうだ?」とか、
相変わらず彼の勉強熱心さがうかがえた。
このころには彼はもう就職をしていて、小さなDTPの会社に勤めていた。
A君は専門学校の時の仲間と交流が続いているようで、その1週間後に玉川の河川敷でBBQをやるから来ないかと僕を誘ってくれた。
いろんな人に会うのはクリエイティブないい刺激になるし、僕は喜んで参加を表明した。
そしていよいよ、次の日はBBQ、この日はA君と二人で飲んでいた。
私「明日、BBQだよね?楽しみだよ。やっぱり色んな人にあって色んな刺激をもらうのって大事だよね」
A「…その刺激ってさ。」
この改まった口調に何か嫌な予感を感じた。
A「おまえはその刺激をもらってどうするの?逆におまえは彼らに刺激を与えられるのか?」
私「え…?」
久しぶりの説教口調に僕はすっかり戸惑ってしまった。
私「いや、その刺激をもらってどうするとか言われても…」
A「いやぁ、こんなこと言いたくないけどよ、1円パチンコで遊んでるようなやつに何の刺激が与えられるんだよ?」
確かに、僕は1円パチンコが好きだ。使いすぎないし、ほとんどゲームのような娯楽性がある。
ただの僕の趣味だ、僕が稼いだお金でこれくらいの趣味をやって何が悪いのだ?
ちゃんと僕だって課題もこなしているし、空き時間を使っては自分の作品作りに余念がないのだ。
久しく、説教をすることがなかったので、もうこの癖が直ったと思っていたが、やはり彼は彼のままだった。
このころから、他の一緒に旅行に行っていた友人などにA君から説教を食らっている話を相談したりしたが、
不思議なことに他の仲間には一切そういうことがないという。
たぶん、自分は人から何か説教をされたり言われやすい性格なのだと思う。
僕はひょろっとして弱そうだし、気弱だし、喧嘩腰というわけではない。
何を言ったって反論をしたりはしないし、怒ることもない。
というのも、僕にも言い返したいことは山ほどあるのだが、
妙に冷静になって「ここで自分が言い返したりしたら、このただでさえ平気で相手に説教を垂れるような人間に
その道理が通用するわけはなく、むしろこういう人たちは反論を簡単に喧嘩を売ってると脳内変換してしまう
ような人間なので、ここは言わないでこらえよう」という思考回路が僕の臆病人生の中で勝手に培われていったのである。
だから僕は学生時代に殴り合いの喧嘩なんて一度もないし、本当に我慢できなくなった時に言い返す程度だった。
むしろこうしないとこういう乱暴な人たちとは会話が進まないと思う。
たとえここで僕がA君に反論をしたら、軽い口げんかに発展は必至で、そうなると後々の関係に亀裂が生じてしまう。
言わば円滑に物事を進めるため、あえて僕は耐えているのである。さすがに金銭が発生するような場合は黙ってはいないが。
しかし、A君の場合はおもしろいことに僕にしか説教をしないのである。
人間だれしも支配欲のようなものがあって、こういう場合は自分より明らかに精神的あるいは肉体的に劣っている者を対象にして、
自分なりの真理や哲学をひけらかして、自尊心を得る、すなわち自分よりも弱者で言い返してこない人間であると充分に選定したうえで、
こういった説教を垂れる、何とも卑劣で卑しい精神の持ち主なのである。言い換えると、いじめと諸々の観点で似ている。
このころから僕は彼を疑い始めた。彼は僕に「言いたいだけ」なのではと。
それまでは僕を思ってきつい言葉を浴びせてきたように思うが、どうも合点がいかない。
それから、夏休みの度に日本に帰国しては彼と飲んだりして、
大小あれどやはり説教は相変わらず食らっていた。
説教以外では面白いやつで一緒にいることはとても楽しかったのだが、
絶縁の決定打となるできごとがあった。
それは僕が4年間の留学を終えて2010年に日本に帰国し、ちょうど仕事を探している時期だった。
A君と旅行仲間のW君の3人で久しぶりに飲むことになった。
A君はこのころ、以前に勤めていた会社を辞めてデザイン事務所に勤めていた。
このデザイン事務所で彼は相当しごかれていたようで、DTPではなくデザインを作らなければならず、
「こんなデザインつかえねーよ」「やる気あるの?」というきつい言葉を毎日のように社長から浴びせられていたという。
このころからA君はもう独立を意識し始めていて、ちょっとの自由時間を利用しては
個人的なデザインの仕事も受け持っていた。さすがにタフな男であった。こういうところは脱帽ものである。
その大事な時間を割いて、僕とA君の共通の友人W君と飲みについてきてくれた。
久しぶりの3人での酒に会話も弾み、彼の近況報告などを冗談まじりに聞いていた。
しばらくするとW君がほんの少しの間、席を外した。
僕とA君の二人きりとなり、なんとなくデザインの話になった。
A「俺、よく社長にデザインをけなされるんだ。お前から見て俺のデザインってどう思う?」
彼は僕にアドバイスを求めてきた、これはとても珍しい。
以前に彼は自分の作品を評価するなら「いいね」とか適当なことは言ってほしくないと言っていた。
言うならきついことでもいいからその人のためになるような率直な意見を言ってほしいとA君は常々言っていた。
僕も一応デザインを勉強した身である。僕は彼に率直に自分の意見を述べることにした。
私「君のデザインはアイデアがストレートすぎる気がする」
A「どういうこと?」
私「アイデアを出す時に、いろいろとその製品に関してリサーチしたり関連する言葉や事項を並べると思うけど、
君はたぶんその初期段階で浮かんだアイデアをそのまま作品にしているような気がするんだ」
A「うん」
私「君のホームページで公開している作品くらいしか僕は知らないけど、全体的にそんな印象がするんだ」
A「うん」
私「僕がイギリスで学んだのは一回目のアイデア出しで絞って行って、そこからまた二回目三回目と回数を重ねて、
そうすると最終的にいいアイデアが出来上がるっていうことなんだ。だから、忙しいのはわかるけどもう少しアイデア出しに時間を割いてもいいんじゃないかな?」
A「…うーん、なるほどな。それは一理あるかもしれない」
珍しくA君は僕の意見をすんなりと受け入れた。
僕は嬉しかった。こうやって同じデザインという土俵に立って対等な立場で意見交換ができる、何とも刺激的な仲間ではないか。
ほどなくしてW君が帰ってきた。
話題は変わり、もう一人の友人M君の話になった。
M君は僕の地元の友達で彼もまた自立を目指す夢に燃える男だった。
私「M君は頑張ってるよな」
W「ああ、そうだな」
私「ちょっとせっかちなところが心配だが」
W「そうだな、まあでも頭のいいやつだから大丈夫だろう」
するとここでA君は妙なタイミングで会話に参加してきたのだ。
A「でも、何事もやってみないとわかんねーだろ」
私「ああ、でもM君はとても行動力のある人だ…」
A「おめーだよ!!!」
A君は口調を強めて僕に怒鳴った。
僕とW君はあまりに突然の豹変に言葉をなくした。
私「え、僕?」
A「おめーよぉ、口だけじゃなくてさ。せめて同じ土俵に立ってからもの言えや」
私「は?」
A「さっきアイデアがストレートすぎるとかいろいろと勝手に言ってきたけどよ」
私「…」
A「こちとら、仕事でデザインやってるんだよ、そんな甘いもんじゃないんだよ現場は。
せめて、俺と同じようにデザインで仕事してから物を言えや」
また説教が始まった、しかもこんな変なタイミングで。
さっきの僕の指摘がそんなに心外だったのか?
でも「いろいろと勝手に言った」のではなく僕はちゃんと意見を求められたから言ったのだ。
この時ばかりは僕も激昂しそうになった。
というのも隣には関係のないW君がいるのだ。
彼まで不快にさせる必要性は全くないはず。
しかしながら、ここは飲み屋、公衆の面前だ。
僕がここで反論でもしたら、先も言った通りA君の性分を考慮すれば喧嘩に発展することは必至、
僕は胸のむしゃくしゃをなんとかこらえながら、その場をやり過ごした。
その後は何とか場の空気が一度凍りついたものの、
笑い話ができるまでなんとか持ち直し、僕とW君は帰路に就いた。
帰りがけ、W君はようやく僕が予てから言っていたA君の説教癖を理解してもらい、
僕はW君に説教に巻き込んでしまったことを詫びた。
僕は二人きりで説教するならまだしも、W君にまで被害を及ぼすA君にほとほと嫌気がさし、
この事件を機に僕はA君と会わないことを決めた。
というのも、僕は何度もA君にこの説教癖をやめるようにはっきりと彼に言い続けてきたのである。
そのたびに彼は「すまん、自分でも気を付けているんだが」と一応反省はするが結局また同じことの繰り返しなのである。
ここまでくるともう一生彼の説教癖は直らないであろうと踏んだ僕は、それ以来連絡を断った。
だが、もう一度どうしても会わなければならないイベントが発生した。
それは友人P君の結婚式である。
P君は前述した旅行仲間の一人で、僕はその旅行活動を通して仲良くなった。
そんな彼の結婚式に招待され、もちろんA君も招待されたのだが、
僕はいい気持ちではなかったが、ここはP君の大事な結婚式を祝うため、
式場では何気ない感じで再会しようと思っていた。
だが、ここでももちろん一悶着あった。
P君はA君がデザイナーをやってることをもちろん知っていたので、結婚式の二次会のDMや、
当日会場で飾るポスターなどの作成を依頼した。
ところが話がどんどん飛躍し、A君がイベント全体をコーディネートするような流れになってしまったのである。
というのも、A君は当時そういう関係の職場で働いていた。デザインがメインの仕事だが、例えば今度開業する歯医者さんの看板、ロゴ、院内の案内板など全体のデザインを手掛ける仕事のようだった。
それと並行して、独立を目指していた彼は少ない自由時間を利用して、知り合いなどから仕事をもらってはこういうトータルデザインのような仕事をこなしていた。こういう精神力や行動力には頭が上がらない、さすがだと思う。
しかし、僕もそうだが先の共通の友人W君もこの時から嫌な予感はしていたのだった。
ある日、W君が青ざめた顔で僕にとあるA4のホチキスでとめてある10ページくらいの資料を手渡してきた。
内容はA君が作成した今度開催されるP君の結婚式二次会のコンセプトとその流れの説明だった。
全部のページの上部に簡単な罫線があしらわれ全部のページに統一感が持たれているデザイン、すっきりと余白を持たせてあって、
いかにもA君が作成しそうな資料だった。彼はプロということにプライドを持っていて、こういう部分の徹底性は妥協をしない。
1ページ目には表紙としてタイトルが真ん中に書かれてあった。
彼もプロとして現在は活躍しているので、そのタイトルは記さないでおくが、
違う言い方をして要約すると「燃え上がるような男女入り乱れるコミュニケーションパーティ」のような感じだ。
1ページ目から嫌な予感が満載である。
何で燃え上がるようなことをしなければならないかというとこのP君の奥さんが
スペインとの貿易関係で働いているから情熱的なことがコンセプトである。
旦那であるP君の仕事のコンセプトはまる無視して、スペインの部分だけをコンセプトとして取り上げ、
内容は全体的に全てスペインごり押しである。
2ページ目からはデザイナーらしくこの二次会のコンセプトが簡単に書かれてあったが、
正直何が言いたいのか全く分からない説明だった。
書いてあるコンセプトと何でスペインが交わるのか、説明が無理やりすぎてあの資料もらった人間だれもが理解できなかったと思う。
彼のいつもの手段で、コンセプトを図で表すことがある。「スペイン」→「赤の国旗」→「情熱」みたいに一見わかりやすいようにあらわされているが、
よく読むと全く持って支離滅裂ですごいよ!マサルさんが時々やる図解説明ギャグと同じくらいかなりシュールな図になっている。
色々と言いたいことはあったが、内容がまず詰めすぎである。
結婚式二次会といったらよくあるのがビンゴ大会であるが、A君はここを教科書通りにはいかない。
「闘牛士ゲーム」という奇天烈なゲームを考案したのだ。
どういう内容かというと、会場であるスペインバルのテーブルやイスをいったんはけさせ、
片方の壁際に男が10人ほど一列に並び、女も10人ほど反対側の壁に一列に並んで向き合うようにする。
そして、合図とともに一斉に女が頭をもたげて両手の人差し指を角に見立て、牛のように「モォォ~!」と反対側の男の方へ列をなして突っ込んでいく。
男はその襲い来る雌牛をマタドールのごとくひらりとかわし、雌牛の背後に回ってポンと肩を叩く。
そして突進してくるときに予め確認しておいた雌牛の胸元にあるネームプレートの名前を言い「あなたは○○さんですね?」と訊く。
そして雌牛は名前があっていたら「Si(スペイン語でyes)」といい、間違っていたら「No(スペイン語でもno)」と言って、
そのままペアで舞台をはける。そして、次の10人と交代してこれを全員がやるというもの。
全く訳が分からなかった。まずネームプレートで名前を確認してるんだから、全員Siと言うはずだ。
そして、これで名前があっていたからといって何か褒美がもらえるわけではない。
いや、正確にはこの後このペアのまま席について団らんして男女間の交流を深めるみたいな流れがあったと思うが、
こんなにことはうまく運ばないだろうし、なによりゲームがゲームとして成立していない。
そして、このゲームの尺が異常に短い。こんな理解困難なゲームの説明と50人以上もいる来賓たちを壁際に移動する大作業にたった10分(5分だったかもしれない…)そしてスタートして終わるまで15分くらいだったか。
会の締めくくりに奥さんとP君でフラメンコを踊るというアイデアはナイスだった。これは来てくれたお客さんたちへのお礼も兼ねて、新郎新婦の出し物としてとてもおもしろい。
しかしながら、この闘牛士ゲームを何としても阻止しなくてはと僕とW君は一致団結した。
というのも恐ろしいことに、この資料の最後のページを見ると「司会 W君」と何の許可も話もなくW君が勝手に司会に任命されていたのだ。
こんなわけのわからないゲームの説明を5分たらずで初見の人たち50人以上に滞りなく理解させなければならないハメに。
これに関してはP君が「すまん、A君の資料にはこう書いてあるけど、もし無理なら他の人に頼むよ」と謝罪していた。
激おこプンプン丸だったW君だが御目出度い親友の結婚式なので、W君はことを荒げずにこの勝手な任命を紳士的に引き受けた。
そして、司会役には奥さん側の女友達がもう一人選抜され、P君、奥さん、その司会役の女友達、W君そしてA君の5人でファミレスでの初打ち合わせがあった。(僕はA君とは絶縁状態だったので不在)
二次会のスペインごり押しのコンセプトを説明すると全員の頭の上に?が浮かんだ。だが、ここで執拗な突っ込みは無用、ここが一番僕の納得できないところなのだが、彼は前述の飲み屋でブチ切れた一件の通り自分のコンセプトについて執拗につっこまれたり、おかしいところを指摘したり、しまいにはデザインを少し変えてほしいとクライアントとしては当たり前の文句にもイライラしてつっかかってくるのだ。
一通りの彼のプレゼンを聞いて、なんとかやわらかく「闘牛士ゲームはやめて、ここは無難に新郎新婦のなれ初めクイズをやろう」ということを伝えた。A君はしぶしぶという形で闘牛士ゲームを断念し、クイズ企画へと移行することになった。
まあここまででかなりむちゃくちゃで、彼はプロ根性を大切に仕事をしてくれているが、これが本物のウェディングプランナーやプロデューサーから提案されたら正直たまったものではない。
親愛なる読者の皆様は「まあいいじゃん。彼は好意でやってくれてるんだし」と思うかもしれないが、この手渡された10ページほどの資料の最後のページに驚愕の事実が隠されていた。
「合計請求金額 ○十万円」
戦慄が走った。A君は決して友達の為にボランティアでやるのではなく、「自分はプロだからたとえ友達の結婚式でも金をとる」というスタンスなのだ。
これだけは納得できない。友達の結婚式の二次会の企画構成そしてデザイン云々。まあ諸経費とか場所代とかどうしてもお金が発生してしまうのなら請求するのはまだわからないでもないが、デザイン料金、手数料etcで金を請求している。
しかも、さらにプロっぽくこだわっていて、その請求欄には事細かに「デザイン料(DM、ポスター代)」「手数料」など全ての金の詳細が書かれていた。
中には「BGM代」なんてものもあった。これはこの二次会中に流す音楽をレンタルしたからそのレンタル代の請求だ、そんなものは別にこの二次会の模様をDVDに収録して販売するわけでもないんだから請求しなくていいじゃないか。
更に僕たちを恐怖させたのはこの金額項目の羅列の最後の欄にこう書いてあった。
「友人特別割引 ○万円割引 也」
言葉が出なかった。A君は友人のめでたい結婚式の企画構成そしてデザインを「いいから、俺に任せとけって。友達だろ?」と無償で請け負うこともせず、
冷静に考えたらA君が企画した「闘牛士ゲーム」は結局ボツになったにも関わらずこの企画料は変わらずに請求され、あまつさえ、「それでも友達として特別に割引価格で俺のデザインや企画を提供して差し上げよう」という図々しさ。
(割引いてもまだ数十万円は残っていたと思う)
これには僕は驚愕した。それとも僕の考えがおかしいのか?
さらに先ほどのクイズの企画に関しては、プロジェクターで投影して来賓の人たちに問題を出さなければいけないので、そのスライドみたいなものをpower pointで作ってくれないかと頼み、そしてその解答の中で、「答えは○○でした~」みたいな正解VTRを編集してお披露目したかったのだが、「動画の編集は別料金だ」みたいなことを言い始めた。
どうしてここまでプロ根性という看板をぶら下げて、友人の結婚式にまで金銭を要求するのか意味が解らなかった。
更にいうと、デザイン料云々とってしまいにはBGM料まで請求しているのに、勝手に任命されたW君に対する「司会料」が請求されていなかった。
結局、W君にはA君から一銭も支払われていない。W君は司会のプロでもないから金を払う必要がないと思ったのか?
こうして、結婚式当日を迎え、僕は久しぶりにA君と再会した。
僕はよそよそしくもなんとか普通に話しかけられれば笑顔で答えてやり過ごした。
そして、問題の二次会へと展開していった。
僕たちが思っていた通り、このスペインバルにはとても闘牛士ゲームをやれるような場所もなく、
それみたことか、みんな好き勝手に会社の人同士、女の子同士、それぞれのコミュニティを作って団欒しているものだから、
とてもあの意味不明なゲームの説明なんて不可能だった。
一方でW君は嫌な顔一つしないで小さなステージ上で司会をこなしていた。
そして、あのクイズの時間がやってきた。
プロジェクターに問題が映し出される、白い背景に黒文字で問題が書かれたシンプルなスライドだった。
「では第一門、新郎が初めて…」とW君が問題を読み上げたその瞬間、
「答え:B」と次の解答のスライドが出題の途中で出てしまった。
「B!B!B!」とみんな一斉にプラカードをあげて、カオス状態だった。
このスライドをMacでプロデューサー面して操作しているのはA君である。
A君は「あれ?あれ?」とあたふたしながら操作していた。
そしてあきらめて第二問に進んだが「第二問、新郎新婦がハネムーンに…」と読んでいると。
「答え:B」とまた次の解答のページがでてしまった。
A君は急いでスライドのページを戻し、すると今度は一問目までスライドが戻ってしまい、
A君はまたも「あれ?あれ?」という感じにあせっていた。
ここまで来ると、もうW君は激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム状態だった。
それでも彼は何とか笑顔でクイズを進行し、事なきを得た。
しかしながら、金を請求して「プロだから」といいつつpower pointの操作もろくにできず、
企画を台無しにしてしまったのだから、プロとしてこれはお金を返すべきなんじゃないだろうか?
そして、最後にP君とその奥さんでフラメンコを踊って、二次会は無事に終了した。
終わってから、P君から寸志として頑張ってくれた司会のW君ともう一人の女の子の司会、そしてA君にも商品券を手渡した。
既に報酬は頂いているはずのA君は「俺はいいよ、この司会の二人にわけてやってくれ」なんて素振りを微塵も見せず、
「ああ、どうも」とその商品券をありがたくうけとっていた。
これが、怒涛の二次会エピソードだ。ここまで読めば、なんとなく何で僕が彼との縁を切ったのか、
解っていただけたと思う。他にも列挙したいエピソードはいっぱいあるのだがここでは割愛。
こうして僕は本当にこれ以来、彼に会っていない。
どうやら彼は彼のホームページによると独立してデザイナーとしてなんとか食べていってるようだ。
それだけでなく、自分が卒業した専門学校のデザイン講師もやっているようだ。
久々に何気なく彼のデザインホームページを見てみたら、色々とデザイナー雑誌にインタビューされたことや、
最近のデザインワークの様子などが写真入りで掲載されていた。彼なりに頑張っていることはとてもすごいと思う。
だが、気になるのが先の結婚式二次会のトータルコーディネートのことまで雑誌に掲載したみたいで、
その時のポスターとかDMとかが写真付きで雑誌にのっていたが、
「友人の結婚式をスペイン風にコーディネート、情熱をコンセプトに結婚式二次会を素敵にプロデュースした」
みたいなことが書かれていたと思う。
こういうことを見ると僕は世の中のいわゆる成功者と呼ばれている人間が全員疑わしく思えてきた。
ホームページや雑誌、ブログ、そういうものはこういう人たちを紹介する時に悪い部分は極力書かない。
「挫折やうまくいかない時もあった」みたいな美談で終わらせ、その陰ではあんな「闘牛士ゲーム」が企画されていたことなど、
誰も知らない。
この雑誌を読んだ若いデザイナー志望の人たちは「Aさんてすごいな」「俺もAさんみたいなデザイナーになりたい」とあこがれるんだと思うと、
少し複雑な気持ちになる。
専門学校でも多くの生徒たちから尊敬のまなざしで見られ、「先生、先生」と呼ばれて優越感に浸っているんだろう。
何か突っ込むとすぐに怒るくせに「良いデザインのためには妥協してはだめだ。クライアントを満足させなきゃいけない」みたいなことを言ってるのだろう。
もしかしたら、こういう周りを見ないで自分の目標に突っ走れる人が結局は独立して事務所を立ち上げたり、
脚光を浴びる人間になるのかもしれない。
A君は何度僕が「説教をするのはやめてくれ」と懇願しても結局直らなかった。
そして僕は友人でいることがとても我慢できなくなり、彼は結果友人を失ったがその代わりに独立したデザイナーになった。
長々と申し訳ないですが、皆さんも友人を大事にしましょう。
そして、良いことばかりの記事には何か裏があると疑ってください。
キャプテン翼の銅像がYotsugiに
ついに我々が動き出す時が来たようだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130322-00000053-minkei-l13
Yotsugi Bustersももちろん参加するぜ!
ファンのみんな、四ツ木公園で待ってるぜ!!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130322-00000053-minkei-l13
Yotsugi Bustersももちろん参加するぜ!
ファンのみんな、四ツ木公園で待ってるぜ!!
Blue Valentine
どーも、オハラです。
私は昨夜、ウィリーさんのおすすめで映画を鑑賞した。
それが「Blue Valentine」という映画。
この映画は特に何か大事件が起こったり、殺人が起きたり、ド派手なアクションが起こったりということは一切ない。
ただ1つ言えるのはあまりにリアルな描写とストーリーが特徴だ。
リアルというのは題材が非現実ではなく、とある夫婦のうまくいかない結婚生活を描いたストーリーだ。こういう生活がうまくいかない、家庭が問題を抱えている系の暗い映画はヨーロッパの方でよくあるジャンルだが、アメリカ映画でも陰ながら多く輩出されているようだ。
以下、ネタバレがあるのでまだ見てない人は読まないでほしい。
映画は一見幸せそうなアメリカのちょっと貧しい感じの家庭の風景から始まる。子供とふざける旦那、そして仕事までぎりぎり眠っている妻をからかいながら起こしに行く。
場面が進むと、飼っていた犬が逃げてしまい、それが路上で死んでいるところを発見した妻は泣き崩れる。そのことを旦那に告げると「だから檻のカギを閉めろといっただろ」と冷ややかに責める。ここらへんから夫婦仲があまりうまくいっていないということをにおわせ始める。
それと同時並行で旦那と妻の過去の話が所々に挿入されるようになる。若いころ引っ越しの仕事をしていた旦那そして大学で医療を学んでいる若き日の妻、二人はまだ出会ってはおらず、若き妻には大学に彼氏がいた…
このようにラブラブだったころのなれ初めと現在の冷めきった夫婦間を照らし合わせながら物語は進んでいく。この対比がとても残酷に思えるが何とも切ない。誰だって最初、付き合い初めは互いに永遠の愛を信じ、二人は一緒に暮らして永遠に歳をとらないで生きられると思いこむ。
良い時間はずっと続くことがないのだ。それをなんだか再確認させてくれたような映画でした。
最後の終わり方は映画史に残る息もできないくらいの美しい演出だった。二人の若くて最高に愛し合い、楽しかったあの頃や結婚式での花嫁姿などがこれでもかというほど美しく写真に収められていて、グリズリーベアの壮大な曲と共に切ない花火があがる。
と、どのレビューでもこのエンディング部分が一番いいと書いてあるが、私個人的にはこの後の黒い画面に白い文字でスクロールされるスタッフロールの場面が一番印象に残っている。というよりこの部分は涙がこらえきれなかった。この何気ないスタッフロールのバックに二人が出会って一番最初に歌を歌ってダンスをするシーンの音声が流れるのである。劇の中盤くらいに二人が若いころに出会って旦那が自前のウクレレでわざとらしいくらいの美声で歌を披露する、「さあ、踊って」と若き妻に全然曲に合わない適当なタップダンスをふざけながら踊らせる。若き妻は終始きゃっきゃ笑いながら「歌上手ね」と言い、旦那はもっと得意げになって美声を披露する。
この中盤のシーンの音声だけが何の編集もないままそっくりそのままスタッフロールのバックに流れるのである。もうこれで映画がおしまいだというのに、あれだけ対照的に冷めた現実と昔の盛り上がってる時期を残酷に対比させた後で二人が一番楽しかった時間を切り取って最後にもう一度流す。
この演出に私は涙がこらえきれなかった。別れを経験したことがあるなら、誰だってこのシーンで涙が出てしまうと思う。出会い初めの燃え上がっている時期、この先二人が冷めて別れてしまう現実なんて微塵も思わなかった。
みなさんもぜひ、一人で見てください。恋人とは見ないほうが良いです。
私は昨夜、ウィリーさんのおすすめで映画を鑑賞した。
それが「Blue Valentine」という映画。
この映画は特に何か大事件が起こったり、殺人が起きたり、ド派手なアクションが起こったりということは一切ない。
ただ1つ言えるのはあまりにリアルな描写とストーリーが特徴だ。
リアルというのは題材が非現実ではなく、とある夫婦のうまくいかない結婚生活を描いたストーリーだ。こういう生活がうまくいかない、家庭が問題を抱えている系の暗い映画はヨーロッパの方でよくあるジャンルだが、アメリカ映画でも陰ながら多く輩出されているようだ。
以下、ネタバレがあるのでまだ見てない人は読まないでほしい。
映画は一見幸せそうなアメリカのちょっと貧しい感じの家庭の風景から始まる。子供とふざける旦那、そして仕事までぎりぎり眠っている妻をからかいながら起こしに行く。
場面が進むと、飼っていた犬が逃げてしまい、それが路上で死んでいるところを発見した妻は泣き崩れる。そのことを旦那に告げると「だから檻のカギを閉めろといっただろ」と冷ややかに責める。ここらへんから夫婦仲があまりうまくいっていないということをにおわせ始める。
それと同時並行で旦那と妻の過去の話が所々に挿入されるようになる。若いころ引っ越しの仕事をしていた旦那そして大学で医療を学んでいる若き日の妻、二人はまだ出会ってはおらず、若き妻には大学に彼氏がいた…
このようにラブラブだったころのなれ初めと現在の冷めきった夫婦間を照らし合わせながら物語は進んでいく。この対比がとても残酷に思えるが何とも切ない。誰だって最初、付き合い初めは互いに永遠の愛を信じ、二人は一緒に暮らして永遠に歳をとらないで生きられると思いこむ。
良い時間はずっと続くことがないのだ。それをなんだか再確認させてくれたような映画でした。
最後の終わり方は映画史に残る息もできないくらいの美しい演出だった。二人の若くて最高に愛し合い、楽しかったあの頃や結婚式での花嫁姿などがこれでもかというほど美しく写真に収められていて、グリズリーベアの壮大な曲と共に切ない花火があがる。
と、どのレビューでもこのエンディング部分が一番いいと書いてあるが、私個人的にはこの後の黒い画面に白い文字でスクロールされるスタッフロールの場面が一番印象に残っている。というよりこの部分は涙がこらえきれなかった。この何気ないスタッフロールのバックに二人が出会って一番最初に歌を歌ってダンスをするシーンの音声が流れるのである。劇の中盤くらいに二人が若いころに出会って旦那が自前のウクレレでわざとらしいくらいの美声で歌を披露する、「さあ、踊って」と若き妻に全然曲に合わない適当なタップダンスをふざけながら踊らせる。若き妻は終始きゃっきゃ笑いながら「歌上手ね」と言い、旦那はもっと得意げになって美声を披露する。
この中盤のシーンの音声だけが何の編集もないままそっくりそのままスタッフロールのバックに流れるのである。もうこれで映画がおしまいだというのに、あれだけ対照的に冷めた現実と昔の盛り上がってる時期を残酷に対比させた後で二人が一番楽しかった時間を切り取って最後にもう一度流す。
この演出に私は涙がこらえきれなかった。別れを経験したことがあるなら、誰だってこのシーンで涙が出てしまうと思う。出会い初めの燃え上がっている時期、この先二人が冷めて別れてしまう現実なんて微塵も思わなかった。
みなさんもぜひ、一人で見てください。恋人とは見ないほうが良いです。
Yotsugi Bustersの走れ!マイロード!第二回 後編03
後半戦03。
御霊祭りで知り合った謎の女性の不可解な行動にウィリーがどんどん振り回される。
事態は急展開を迎える…
そして全ての謎が明らかに!?
Yotsugi Buster御霊祭、ついに完結編。
御霊祭りで知り合った謎の女性の不可解な行動にウィリーがどんどん振り回される。
事態は急展開を迎える…
そして全ての謎が明らかに!?
Yotsugi Buster御霊祭、ついに完結編。
Yotsugi Bustersの走れ!マイロード第二回 後編02
話が長いので、第二回の後半02。
果たしてゆきりん似の女子にウィリーさんは?
そして祭りの後、アドレスを聞き出した女の子との連絡のやり取りで、
次第に恐怖の世界に引き込まれる!?
ことの真相は、
次の03でついに完結!
果たしてゆきりん似の女子にウィリーさんは?
そして祭りの後、アドレスを聞き出した女の子との連絡のやり取りで、
次第に恐怖の世界に引き込まれる!?
ことの真相は、
次の03でついに完結!
Yotsugi Bustersの走れ!マイロード第二回 後編01
あの伝説のラジオ番組、「走れマイロード」が帰って来た。
メインパーソナリティをオハラとウィリーに縮小し、笑いは倍増。
地上波じゃとてもじゃないけど放送できない危ない内容のオンパレードにあなたは付いて来れるか?
大好評の第二回後半戦はオハラとウィリーの2012年の夏の思い出話 。靖国神社にて開催される御霊祭り。
そこでオハラとウィリーが体験した世にも奇妙な話とは?
Yotsugi Bustersの走れ!マイロード第二回前篇
新作ラジオをついにアップしました。
あの伝説のラジオ番組、「走れマイロード」が帰って来た。
メインパーソナリティをオハラとウィリーに縮小し、笑いは倍増。
地上波じゃとてもじゃないけど放送できない危ない内容のオンパレードにあなたは付いて来れるか?
大好評の第二回は久しぶりの収録にオハラ&ウィリー緊張しっぱなし。前編はウィリーがAKBの握手会に参加したエピソードを披露。果たしてウィリーは誰推し?
後編は近日公開予定!!
お楽しみに!
はがない
どうも、こんばんは。
オハラです。
最近めっきりご無沙汰してましたね。
いろんなことがあり全く更新が出来ませんでした。
何卒ご容赦、ご容赦。
新年あけましておめでとうございます。
本年もYotsugi Bustersは細々と活動して行きますよ。
新年の挨拶も去ることながら、皆様は今年の年賀状は何通もらいましたか?
私オハラはもう5年近く誰からも来ていません。
そこでふと我に返ってみたのですが、「小生は友達が少ない」
まさに「はがない」ですね。
というのも正直なところ、このYotsugi Busters以外に友達がいないのが現状であります。
ということで、私には今のところウィリーさん、ミラクルさん、モンチョイさんの3人くらいしかつるんで遊べる仲間がいないのです。(実質モンチョイさんはもうYotsugiを離れてしまったので、滅多に会えなくなってしまいましたが…)
Facebookなどでの友達はそれなりにいますが、実際に会ってお酒を飲もうという風にはどうにもなりませんね、たぶんFacebookの友達ってほとんどそんなつながりだと思います。
そこで私オハラはなぜこうも友達が少ないのかをじっくりと検証してみたいと思います。
そもそも、小生は「出会う人みんながともだち」というどこかの自己啓発セミナーのようなモットーは持ち合わせてはおらず、むしろ「友達は慎重に選ぶべきである」というのが小生の信ずるところであります。
友達というのは人生においてかなり大事な存在であり、それが故に慎重に選びたいのです。友達にも色々とあって、「悪友」なんて言葉もある通り友達は必ずしも自分にとって有益なものではない人生という劇のロールにはたくさん仕込まれているのである。
おそらく私はそういうトラウマが心のどこか根底にあるのではと思う。その中で特に顕著にあげられるエピソードが19歳の時に遭遇した宗教の勧誘である。
小生が19歳の時に某牛飯屋で人生初のアルバイトをしていた時期があった。時給850円だったが汗水たらしてよく働いていたなあと今では思う。そのお店にはヘルプのシステムがあって、同じエリア内の店舗でどうしても人が足らない場合には交通費をもらってそこへ派遣されるのである。
そこで、私がとある店舗に派遣された際に、なれない他店舗での業務を優しくサポートしてくれた調理担当の高校生の男の子がいた、たぶん17歳くらいの子だと思う。もちろん初めてそのときに知り合ったのだが、業務中な私語をしなかったが、終わって事務所で一息ついているとこの彼がやたら馴れ馴れしく話してきた。「普段はどこの店舗ですか?」「休みの日は何してるんですか?」その時はまだ私も若かったので人を疑うことをせず、積極的に話しかけてくれる彼を好意的に思って色々と話し込んだのを覚えている。
すると、その日に出会ったばかりなのにその場で番号とメアドを聞いて来たのだ。これが女子高生だったら最高にうれしかったが、まあこの際、男の子でも自分と友達になろうとしてくれるのはうれしいものだった、いささか展開が早すぎると思ったのだが…
そしてもう次の日には「今度遊びましょう」と誘われたのである。この時点でさすがの小生も警戒をして「なんで?何か重大な用事かい?」と返してしまった。「いや、ちょっと会って色々とお話がしたくって」と返って来た。小生は一応の警戒の意味も込めて「なーんだ、そうか。僕はてっきり宗教の勧誘か何かかと思っちゃったよ」と返信したのである。この返信に対して何も返ってこなかったことが、まさか「Yes」を暗に示していたとは…
翌日、私は彼と日暮里の珈琲ショップで落ち合った。彼は高校生には似つかない、パンパンのビジネスバッグみたいなものを携えて現れ、珈琲をお互い頼んだ後「んで、今日はどんな感じ?」と私が話を切り出すように促すと「えーと、実はですね○○教ってご存知ですか?」一気に僕の肝が冷え始め心臓が高鳴りだした。彼はそのままべらべらとその宗教について語りだし、その長い歴史を適度なファンタジーを所々に盛り込みながら語りだした。
10分ほど一人で語り、一息ついたところで、「でー、ここまでで何か質問はございますか?」と言って来た。突っ込み所はたくさんあったが、質問といえば1つだけあった「それは強制的に僕も入らなきゃ行けないのかい?」すると彼は「いえ、もちろん強制じゃないです。ただ、本当に素晴らしいんですよ、僕も昔は暗い性格でしたけど本当にこれで自分を変えられたんです」と力説をしてきた。僕が興味はないことを告げると、この後に上映会があるから来て欲しい、それを見ても自分の気持ちが揺るがなければもうそれはあなたの自由ですと言った。
上映会は洗脳の基本手段、これを見たら僕はたぶん強制的に入れられてしまうんだろう。僕は「いや、まじでごめん。本当にそういうの興味ないから」と僕は飲み物もそのままに階段を駆け下りて店を後にした。後ろから彼が「待ってくださいよー」と言いながら僕を追っかけて来たが、僕は恐怖からとにかく走って走って、駅前のカフェにしといたのが正解だった。日暮里の急な坂道を上って京成線のホームへ降り、さっと電車に乗った。
ようやく彼を振り切ったが、気づくとメールと留守電が彼から入っていた。それらは2つとも同じ内容で要約すると「この宗教に入らないと、いずれ必ず罰が当たって、あなたの生活はどん底に陥るでしょう。その時でも私たちはあなたを迎えますのでいつでも来てください」というものだった。おそるおそる留守電も聞いてみたが、彼の抑揚の無い声で先の内容が朗読されていた。
この頃から私は出会いは肝心だが、その相手をよく警戒し、自分にとって害のない人間かを考察することが大事だという持論が生まれました。この頃から私は滅多に人に連絡先を教えたりすることをしなくなりました。メアドも3つ作成し、それぞれ人ごとに分けて教えている。
まあ、上述した物は極端なケースではあるが、もちろん私にも何人か自分で開拓をした友達も過去にはいたのである。Yotsugi Bustersのメンバーはもう23年間も付き合っている幼なじみで何も垣根無く話ができる間柄だが、私は中学と高校は私立に進学しているのでYotsugiではない違う学校の友達もいたのである。
文京区にある私立の学校で、こういう電車通学となるとまず友達に一番なりやすいのは帰り道が一緒の仲間である。私は幸運にも帰り道が一緒の仲間が4人ほどいたのだが、その仲間と一緒に返っていたのはせいぜい最初の1年だけでそれ以降はクラス替えや中には色気づいて定期券をあえて遠回りして作成し、帰りに池袋方面などを寄り道できるように通学経路を全く変えてしまったりと、どんどん仲が疎遠になり、せいぜい廊下などですれ違うときに「よう」と声をかけるくらいの仲になってしまったケースもある。
もちろんその間に新しい友達を作ったりもした、だから中学高校はそれなりに友達はいたのである。ただ一端卒業してしまうと私は頭が悪かったから浪人をしたが、大学に入った人間はその新たな学び舎で、いままで触れることの無かった異性達との交流(ちなみに小生の私立学校は6年間男子校である)などをたしなみ始め、もうオタクや汗臭い男子友達とはわざわざ時間を割いてまで会おうということにはならず、ここでもどんどんと疎遠になっていったのである。
しかしながら、中学高校と同じ帰り道だった仲間の内2人とはその後、卒業しても私は交流があったのであり、彼らとたまに会ってお酒を飲んだりどこか出かけたりという行楽は非常に有意義で楽しい時間であったのも確かである。しかしながら、この仮に二人の友人(A君とB君と呼称)の内、B君は元々ネガティブな性格で、私から見てもさらにネガティブな男で普段はとても面白く甘いマスクで洋楽などを嗜むおしゃれなクールガイではあったのだが、卒業しても何もやりたいことが見つからずアルバイトも何もしないまま、いわゆるニートの生活をスタートさせ、最終的に私がイギリスに留学に行ってからもう二度と会うことがなくなってしまった。最後に聞いた便りではもともと少し興味のあった心理学を勉強すべく夜間の学校に通っているということだった、でもそれも5年以上前の情報、今はどうしているのやら。
そして、もう一人のA君なのだが、この彼はもともと1つ私がどうしても気に入らない性格があり、何度か学生時代も縁を切ろうと考えていたのだが…というのも彼はいわゆる暴力を振るう癖があるのである。皆さんも、小学校や中学校の頃を思い出してみて「そんなやついたな」と思い当たる節はあると思うのですが、このA君は何か例えば私がギャグを言うと「なんだよそれ?」とか「なんでやねん」という軽い「言葉」の突っ込みを期待している私に対し無言で「ペチン」としっかりとした音が鳴り響くくらい頭をはたいてくるのである。
さらに、子供というのは加減を知らず、本人にしては軽くのつもり、あるいは本人なりのスキンシップなのかもしれないが、強めに小生のお腹にパンチを当てたり、何かの折に、例えば思春期特有の下ねたなどをいうとその突っ込みの代わりに私のことを叩いてくるのである。たまに小生も虫の居所が悪い時は叩き返したりもしたことがあったが、こういう人間は不思議な物で自分から先に手を出したことが明らかなのに、彼らにとって見ると口舌の刃で悪口を言われた訳でもないのに、その暴力を正当なものを捉えており、「そのお前のくだらないギャグに対して、俺様は丁寧に突っ込みを入れてあげているのだ」という認識のもと、さらにはその威力が痛ければ痛いほど尚良しと思っているようで全くの加減もなく私を叩くので、私が正当に「やり返し」をしたとしても彼らにとっては「たった今、私は何もしていないのに暴力を振るわれた」と即座に認識し、結果また私に殴り返してくるのである。
まあ、皆さんも学生時代もしくは今学校に通われている人でいわゆる加減のきかない人はクラスに何人かいたと思います。彼はその中の一人なのです。A君は高校生そして大学となるとその暴力は少しずつ減って来た、すなわち大人になっていったのですが、絶縁に至ってしまった決定的な事件が2008年にありました。
あれは私がイギリスに留学して二年目の夏休みに東京に返って来ているときでした。久しぶりの日本の便利で落ち着いた生活を満喫していると、A君とも久しぶりに会ってお酒を飲むこととなりました。A君とはイギリスでもメールで時々やりとりして、こうしてときどき会ってお酒を飲むことはその当時も定期的に行っておりました。
そしてその年の夏休みに久しぶりに彼と、彼の地元でお酒を飲むことになりました。久しぶりの再会に話も弾み、うまい酒にも酔っぱらいすっかり気を良くした私たちは2軒ほどはしごの後、もう解散ということになりました。本当は私はまだ帰りたくなかったのですが、もう飲めるお店も無かったので解散ということとなりました。お店を出ると暗い夜空から雨がぽつりぽつり、するとA君は親切にもビニール傘を貸してあげるというものだから一端彼の家へ。A君の実家はマンションの一室に家族3人で暮らしていました。
いっそのこと「君の家で飲まないか?」と誘ってみたが、親がいるからダメだと言われ、「いいか、絶対に家にはあげないからな」と釘を刺され、僕はもちろんこれがネタふりだと思っていたので、とはいえ軽い勢いで彼がマンションのドアを開けて「ただいま」と奥に入って行く後ろを小生も「お邪魔しまーす」と本当に冗談と解るほどの小さな声と軽いのりで上がろうとしたら、A君はその小生の頭頂部の髪をぐいと鷲掴みにし、そのまままだ開いているドアから外へと引っ張りだすと酔った勢いですっかり加減のきかなくなった力で小生に重いボディブローを4、5発立て続けに浴びせ、すっかり痛みと恐怖で亀のように丸くなった小生の背中に平手打ちとげんこつを食らわせ、すねや膝を靴のまま蹴り、最後に思いっきりビニール傘を小生の顔面めがけて投げつけた。
危うく目にあたるところだったが、なんとかこめかみに強打して済んだ。突然のことに痛みと恐怖で震えている小生だったがなんとかそのビニール傘を拾い上げ、おそるおそる彼に近づき「あの、この傘いつ返せば…」と返却の段取りを決めようと近づいたが、そんな気遣いも全て粉々に粉砕するかのように、ただA君はゆっくり近づく小生に無言で体重の乗った前蹴りを腹に食らわした。
小生は勢いよく向いの壁まで吹き飛ばされ、胃にじんじんとした鈍い痛みを感じていると、A君はこれまた無言でドアをしめてガチャン、カキッ、カッチャッとチェーンロックまでしめ小生を完全にシャットアウトした。
しばらく、私はその場から立ち上がれなかった。それは痛みからだけでなく、どうして友達に暴力を振るわれなければならないのだろうというこの不条理な現実に絶望していた。まだ、私が「邪魔しまーす!!」と夜にも関わらず、大声で中に無理矢理入って行こうとしたなら殴られても当然かもしれないが、私はあくまで冗談としてわかる範囲での行動をとったのに。
結局、この日以来、私は彼と会うことをやめた。彼からも連絡が一切途絶えた。こうして私立の青春時代からの友達とも、もう会うこともなくなり現在にいたるのである。
この他にも留学の時に知り合った、友達もいるにはいるが、東京に在住の人がいないのであまり会うことも無くそのまま途切れてしまったケースが多い。
ということで、今年の目標は友達を作ることです。
みんなも友達は大切にね。
オハラ
オハラです。
最近めっきりご無沙汰してましたね。
いろんなことがあり全く更新が出来ませんでした。
何卒ご容赦、ご容赦。
新年あけましておめでとうございます。
本年もYotsugi Bustersは細々と活動して行きますよ。
新年の挨拶も去ることながら、皆様は今年の年賀状は何通もらいましたか?
私オハラはもう5年近く誰からも来ていません。
そこでふと我に返ってみたのですが、「小生は友達が少ない」
まさに「はがない」ですね。
というのも正直なところ、このYotsugi Busters以外に友達がいないのが現状であります。
ということで、私には今のところウィリーさん、ミラクルさん、モンチョイさんの3人くらいしかつるんで遊べる仲間がいないのです。(実質モンチョイさんはもうYotsugiを離れてしまったので、滅多に会えなくなってしまいましたが…)
Facebookなどでの友達はそれなりにいますが、実際に会ってお酒を飲もうという風にはどうにもなりませんね、たぶんFacebookの友達ってほとんどそんなつながりだと思います。
そこで私オハラはなぜこうも友達が少ないのかをじっくりと検証してみたいと思います。
そもそも、小生は「出会う人みんながともだち」というどこかの自己啓発セミナーのようなモットーは持ち合わせてはおらず、むしろ「友達は慎重に選ぶべきである」というのが小生の信ずるところであります。
友達というのは人生においてかなり大事な存在であり、それが故に慎重に選びたいのです。友達にも色々とあって、「悪友」なんて言葉もある通り友達は必ずしも自分にとって有益なものではない人生という劇のロールにはたくさん仕込まれているのである。
おそらく私はそういうトラウマが心のどこか根底にあるのではと思う。その中で特に顕著にあげられるエピソードが19歳の時に遭遇した宗教の勧誘である。
小生が19歳の時に某牛飯屋で人生初のアルバイトをしていた時期があった。時給850円だったが汗水たらしてよく働いていたなあと今では思う。そのお店にはヘルプのシステムがあって、同じエリア内の店舗でどうしても人が足らない場合には交通費をもらってそこへ派遣されるのである。
そこで、私がとある店舗に派遣された際に、なれない他店舗での業務を優しくサポートしてくれた調理担当の高校生の男の子がいた、たぶん17歳くらいの子だと思う。もちろん初めてそのときに知り合ったのだが、業務中な私語をしなかったが、終わって事務所で一息ついているとこの彼がやたら馴れ馴れしく話してきた。「普段はどこの店舗ですか?」「休みの日は何してるんですか?」その時はまだ私も若かったので人を疑うことをせず、積極的に話しかけてくれる彼を好意的に思って色々と話し込んだのを覚えている。
すると、その日に出会ったばかりなのにその場で番号とメアドを聞いて来たのだ。これが女子高生だったら最高にうれしかったが、まあこの際、男の子でも自分と友達になろうとしてくれるのはうれしいものだった、いささか展開が早すぎると思ったのだが…
そしてもう次の日には「今度遊びましょう」と誘われたのである。この時点でさすがの小生も警戒をして「なんで?何か重大な用事かい?」と返してしまった。「いや、ちょっと会って色々とお話がしたくって」と返って来た。小生は一応の警戒の意味も込めて「なーんだ、そうか。僕はてっきり宗教の勧誘か何かかと思っちゃったよ」と返信したのである。この返信に対して何も返ってこなかったことが、まさか「Yes」を暗に示していたとは…
翌日、私は彼と日暮里の珈琲ショップで落ち合った。彼は高校生には似つかない、パンパンのビジネスバッグみたいなものを携えて現れ、珈琲をお互い頼んだ後「んで、今日はどんな感じ?」と私が話を切り出すように促すと「えーと、実はですね○○教ってご存知ですか?」一気に僕の肝が冷え始め心臓が高鳴りだした。彼はそのままべらべらとその宗教について語りだし、その長い歴史を適度なファンタジーを所々に盛り込みながら語りだした。
10分ほど一人で語り、一息ついたところで、「でー、ここまでで何か質問はございますか?」と言って来た。突っ込み所はたくさんあったが、質問といえば1つだけあった「それは強制的に僕も入らなきゃ行けないのかい?」すると彼は「いえ、もちろん強制じゃないです。ただ、本当に素晴らしいんですよ、僕も昔は暗い性格でしたけど本当にこれで自分を変えられたんです」と力説をしてきた。僕が興味はないことを告げると、この後に上映会があるから来て欲しい、それを見ても自分の気持ちが揺るがなければもうそれはあなたの自由ですと言った。
上映会は洗脳の基本手段、これを見たら僕はたぶん強制的に入れられてしまうんだろう。僕は「いや、まじでごめん。本当にそういうの興味ないから」と僕は飲み物もそのままに階段を駆け下りて店を後にした。後ろから彼が「待ってくださいよー」と言いながら僕を追っかけて来たが、僕は恐怖からとにかく走って走って、駅前のカフェにしといたのが正解だった。日暮里の急な坂道を上って京成線のホームへ降り、さっと電車に乗った。
ようやく彼を振り切ったが、気づくとメールと留守電が彼から入っていた。それらは2つとも同じ内容で要約すると「この宗教に入らないと、いずれ必ず罰が当たって、あなたの生活はどん底に陥るでしょう。その時でも私たちはあなたを迎えますのでいつでも来てください」というものだった。おそるおそる留守電も聞いてみたが、彼の抑揚の無い声で先の内容が朗読されていた。
この頃から私は出会いは肝心だが、その相手をよく警戒し、自分にとって害のない人間かを考察することが大事だという持論が生まれました。この頃から私は滅多に人に連絡先を教えたりすることをしなくなりました。メアドも3つ作成し、それぞれ人ごとに分けて教えている。
まあ、上述した物は極端なケースではあるが、もちろん私にも何人か自分で開拓をした友達も過去にはいたのである。Yotsugi Bustersのメンバーはもう23年間も付き合っている幼なじみで何も垣根無く話ができる間柄だが、私は中学と高校は私立に進学しているのでYotsugiではない違う学校の友達もいたのである。
文京区にある私立の学校で、こういう電車通学となるとまず友達に一番なりやすいのは帰り道が一緒の仲間である。私は幸運にも帰り道が一緒の仲間が4人ほどいたのだが、その仲間と一緒に返っていたのはせいぜい最初の1年だけでそれ以降はクラス替えや中には色気づいて定期券をあえて遠回りして作成し、帰りに池袋方面などを寄り道できるように通学経路を全く変えてしまったりと、どんどん仲が疎遠になり、せいぜい廊下などですれ違うときに「よう」と声をかけるくらいの仲になってしまったケースもある。
もちろんその間に新しい友達を作ったりもした、だから中学高校はそれなりに友達はいたのである。ただ一端卒業してしまうと私は頭が悪かったから浪人をしたが、大学に入った人間はその新たな学び舎で、いままで触れることの無かった異性達との交流(ちなみに小生の私立学校は6年間男子校である)などをたしなみ始め、もうオタクや汗臭い男子友達とはわざわざ時間を割いてまで会おうということにはならず、ここでもどんどんと疎遠になっていったのである。
しかしながら、中学高校と同じ帰り道だった仲間の内2人とはその後、卒業しても私は交流があったのであり、彼らとたまに会ってお酒を飲んだりどこか出かけたりという行楽は非常に有意義で楽しい時間であったのも確かである。しかしながら、この仮に二人の友人(A君とB君と呼称)の内、B君は元々ネガティブな性格で、私から見てもさらにネガティブな男で普段はとても面白く甘いマスクで洋楽などを嗜むおしゃれなクールガイではあったのだが、卒業しても何もやりたいことが見つからずアルバイトも何もしないまま、いわゆるニートの生活をスタートさせ、最終的に私がイギリスに留学に行ってからもう二度と会うことがなくなってしまった。最後に聞いた便りではもともと少し興味のあった心理学を勉強すべく夜間の学校に通っているということだった、でもそれも5年以上前の情報、今はどうしているのやら。
そして、もう一人のA君なのだが、この彼はもともと1つ私がどうしても気に入らない性格があり、何度か学生時代も縁を切ろうと考えていたのだが…というのも彼はいわゆる暴力を振るう癖があるのである。皆さんも、小学校や中学校の頃を思い出してみて「そんなやついたな」と思い当たる節はあると思うのですが、このA君は何か例えば私がギャグを言うと「なんだよそれ?」とか「なんでやねん」という軽い「言葉」の突っ込みを期待している私に対し無言で「ペチン」としっかりとした音が鳴り響くくらい頭をはたいてくるのである。
さらに、子供というのは加減を知らず、本人にしては軽くのつもり、あるいは本人なりのスキンシップなのかもしれないが、強めに小生のお腹にパンチを当てたり、何かの折に、例えば思春期特有の下ねたなどをいうとその突っ込みの代わりに私のことを叩いてくるのである。たまに小生も虫の居所が悪い時は叩き返したりもしたことがあったが、こういう人間は不思議な物で自分から先に手を出したことが明らかなのに、彼らにとって見ると口舌の刃で悪口を言われた訳でもないのに、その暴力を正当なものを捉えており、「そのお前のくだらないギャグに対して、俺様は丁寧に突っ込みを入れてあげているのだ」という認識のもと、さらにはその威力が痛ければ痛いほど尚良しと思っているようで全くの加減もなく私を叩くので、私が正当に「やり返し」をしたとしても彼らにとっては「たった今、私は何もしていないのに暴力を振るわれた」と即座に認識し、結果また私に殴り返してくるのである。
まあ、皆さんも学生時代もしくは今学校に通われている人でいわゆる加減のきかない人はクラスに何人かいたと思います。彼はその中の一人なのです。A君は高校生そして大学となるとその暴力は少しずつ減って来た、すなわち大人になっていったのですが、絶縁に至ってしまった決定的な事件が2008年にありました。
あれは私がイギリスに留学して二年目の夏休みに東京に返って来ているときでした。久しぶりの日本の便利で落ち着いた生活を満喫していると、A君とも久しぶりに会ってお酒を飲むこととなりました。A君とはイギリスでもメールで時々やりとりして、こうしてときどき会ってお酒を飲むことはその当時も定期的に行っておりました。
そしてその年の夏休みに久しぶりに彼と、彼の地元でお酒を飲むことになりました。久しぶりの再会に話も弾み、うまい酒にも酔っぱらいすっかり気を良くした私たちは2軒ほどはしごの後、もう解散ということになりました。本当は私はまだ帰りたくなかったのですが、もう飲めるお店も無かったので解散ということとなりました。お店を出ると暗い夜空から雨がぽつりぽつり、するとA君は親切にもビニール傘を貸してあげるというものだから一端彼の家へ。A君の実家はマンションの一室に家族3人で暮らしていました。
いっそのこと「君の家で飲まないか?」と誘ってみたが、親がいるからダメだと言われ、「いいか、絶対に家にはあげないからな」と釘を刺され、僕はもちろんこれがネタふりだと思っていたので、とはいえ軽い勢いで彼がマンションのドアを開けて「ただいま」と奥に入って行く後ろを小生も「お邪魔しまーす」と本当に冗談と解るほどの小さな声と軽いのりで上がろうとしたら、A君はその小生の頭頂部の髪をぐいと鷲掴みにし、そのまままだ開いているドアから外へと引っ張りだすと酔った勢いですっかり加減のきかなくなった力で小生に重いボディブローを4、5発立て続けに浴びせ、すっかり痛みと恐怖で亀のように丸くなった小生の背中に平手打ちとげんこつを食らわせ、すねや膝を靴のまま蹴り、最後に思いっきりビニール傘を小生の顔面めがけて投げつけた。
危うく目にあたるところだったが、なんとかこめかみに強打して済んだ。突然のことに痛みと恐怖で震えている小生だったがなんとかそのビニール傘を拾い上げ、おそるおそる彼に近づき「あの、この傘いつ返せば…」と返却の段取りを決めようと近づいたが、そんな気遣いも全て粉々に粉砕するかのように、ただA君はゆっくり近づく小生に無言で体重の乗った前蹴りを腹に食らわした。
小生は勢いよく向いの壁まで吹き飛ばされ、胃にじんじんとした鈍い痛みを感じていると、A君はこれまた無言でドアをしめてガチャン、カキッ、カッチャッとチェーンロックまでしめ小生を完全にシャットアウトした。
しばらく、私はその場から立ち上がれなかった。それは痛みからだけでなく、どうして友達に暴力を振るわれなければならないのだろうというこの不条理な現実に絶望していた。まだ、私が「邪魔しまーす!!」と夜にも関わらず、大声で中に無理矢理入って行こうとしたなら殴られても当然かもしれないが、私はあくまで冗談としてわかる範囲での行動をとったのに。
結局、この日以来、私は彼と会うことをやめた。彼からも連絡が一切途絶えた。こうして私立の青春時代からの友達とも、もう会うこともなくなり現在にいたるのである。
この他にも留学の時に知り合った、友達もいるにはいるが、東京に在住の人がいないのであまり会うことも無くそのまま途切れてしまったケースが多い。
ということで、今年の目標は友達を作ることです。
みんなも友達は大切にね。
オハラ
心
この暗く淀んだ深淵の、
覗き込んだら自分もたちまちその闇に飲まれてしまうような、
そんな私の心の内側。
やることなすこと全て裏目に出てしまい、
私はいつも後悔の繰り返し。
悔いのないように生きようとすればするほど、
私の魂が縮小し、やがては砂粒のように微細になって、
手の間からすり抜けてこぼれ落ちる。
このこぼれる砂の一つ一つは何の夢を見ているの?
涙のように一粒落ちてはまた一粒。
この夢から覚める時、私の孤独はもはや苦痛ではなく、
むしろそれは光を放ち、やがて朝日へと溶け込んで行くだろう。
それはまるで明日の予感までも感じさせ、
その空を吸い込むような優しげな瞳に、
私はいつまでも見蕩れているであろう。
世界が終わっていたとしても、気づかないくらい。
覗き込んだら自分もたちまちその闇に飲まれてしまうような、
そんな私の心の内側。
やることなすこと全て裏目に出てしまい、
私はいつも後悔の繰り返し。
悔いのないように生きようとすればするほど、
私の魂が縮小し、やがては砂粒のように微細になって、
手の間からすり抜けてこぼれ落ちる。
このこぼれる砂の一つ一つは何の夢を見ているの?
涙のように一粒落ちてはまた一粒。
この夢から覚める時、私の孤独はもはや苦痛ではなく、
むしろそれは光を放ち、やがて朝日へと溶け込んで行くだろう。
それはまるで明日の予感までも感じさせ、
その空を吸い込むような優しげな瞳に、
私はいつまでも見蕩れているであろう。
世界が終わっていたとしても、気づかないくらい。