塩見直紀著「半農半Xという生き方」
で提唱されている
ライフスタイルのモデルです
小さな農業をやりつつ
Xつまり好きなことや天職や使命を追求する生き方ということになります
Xは人によって変わるのは
言うまでもありません
著者がこのコンセプトを提唱し始めたのが1995年くらいからということなので
随分と時間は経っているのですが
私が知ったのは2015年頃でした
衝撃を受けたと同時にすぐ共鳴し
何で自分は今まで
知らなかったんだろうというもどかしさと
うまい言葉を創り出す人がいるものだという感心が入り雑じっていました
何故なら私もいつの間に
半農半X的な生活をしていたからに他なりません
私が育った静岡県富士宮は
今でこそ焼きそばで有名になりましたが
眼前に富士山が聳え豊かな湧水に恵まれたところで
米を作っている農家も多い
しかしお決まりのように過疎化と高齢化は進んでいます
田んぼをやる人も減ってきて田んぼが余るようになります
そこで私の両親が一部の田んぼを請け負って米作りを始めるようになりました
やるのであれば環境と食の安全を考慮して無農薬で
始めてしばらくは私はそんなことに
関心は向かず、東京で暮らしていました
特に父がいろいろ仕事やしがらみを抱え込む性格なので(笑)
田んぼに手が回らなくなることも増えてきました
無農薬だと特に草取りは本当に大変です
そのうち私の東京での仕事のスケジュールが
週末から週はじめとなり
平日少し時間ができるようになりました
そしてその時間が次第に農作業によって埋まっていくようになり
「半農」のライフスタイルが定着していきました
米作りの主導権は父ですが
何年か続けているうちに私もかなりの部分を担うようになっています
まだまだ未熟もいいところですけどね
大変な農作業をいつのまにか受け入れている自分がいました
それは農をやることで感性や肉体が刺激され磨かれていることに
何となく気づいていたからです
言うまでもなく私は食べ歩きが好きです
無農薬で作られた米を
味わうようになってから
食べることへの意識も変わっていきます
おいしいものを食べた時の感動や嬉しさが増大します
それに携わる仕事や天の恵みをより身近に感じられるように
なってきたからです
味わい噛み締めるとこの料理はどうやって
出来上がったのだろうと
想像が広がります
そして自然に感謝の気持ちが芽生えてくるのです
食通と呼ばれている方は世にたくさんいます
数多く食べていることも凄いことなのですが
果たして農作業までやっているような方はどれだけいるか
農作業をやるようになってより深く味わえるようになり
またますますうまいものを食べるのが楽しくなりました
しかしそのように味わうことの素晴らしさを体得していくにつれ
このブログでもたびたび指摘していますが
飲食店でタバコの煙が漂っていることに不快感を感じるようになります
いろいろな過程を経ておいしいものが出来上がっているのに
最終的な目的である食べる時に何故タバコの煙で汚してしまうのだろう
何故そのことを当たり前であるかのように受け入れてきたのだろう
そのような状況においても禁煙のお店はあるところにはある
でも探すのが結構大変だったりする
今でこそ食べログなどにある程度は禁煙か喫煙可かの情報が
記載されているけれど
以前はなかなかわかりづらかった
ならばどうせ禁煙のお店でしか
食べたくないのだから
自分で禁煙のお店を探して食べに行って
発信すればいいのではないかと思い立ったのです
私と同じように飲食店の
煙を不快に感じている人もいるはず
禁煙の飲食店の良さを伝えるために
また喫煙可が当たり前だった
日本の飲食店の在り方に一石を投じるために
そしていろいろ食べ歩き
曲がりなりに
「店内禁煙のうまい店」という本を出版するに至りました
それと並行してブログを書き始め発信し続けています
このようなライターとしての一面は私のXのひとつということになりますね
禁煙環境を求めていても
実は本当の禁煙環境って
なかなか無いことに気づきます
禁煙店なのに入口に灰皿があったり
歩きタバコ
自動車や自転車を運転しながらの喫煙
トイレ内喫煙
煙を分けるという不可解な
分煙空間における受動喫煙
喫煙後の部屋に入室したり喫煙後の人間に近づけば二次喫煙さらには三次喫煙と
被害は広がっている
喫煙者の生態は何故あんな風に
なってしまうのか
なんでこんなにニコチン中毒が増えてしまったのだろう?
タバコって何なんだろう?
タバコそのものに対する疑問に
変わっていきます
もうわかりきっているタバコの百害をここで長々とは述べませんが
結論としては『人間は喫煙者にならない方がいい』
という結論にならざるを得ない
田んぼは土に触れ水に触れ
さまざまな植物や生き物と
触れ合う場所であります
人によって手入れされている場所であり言わば造られた自然的環境なのですが
それ故に否が応でも自然と向き合わなくてはならない
自然 環境 生態系など
まさに言葉通り自然に想いを馳せるようになっていきます
農薬を使わずに田んぼを維持すること自体が実は環境保全になっているのです
そしてますますタバコの存在が邪魔に感じられるようになってくる
農作業をやっている人にも喫煙者はたくさんいますね
農作業の合間の一服は格別なのでしょう
喫煙者になってしまえば体がそうなってしまう
拡散されて希薄になるとはいえ環境に副流煙を撒き散らし続ける
ことになります
そして必ず吸殻というゴミが発生します
マナーを守りましょうなんてきれいごとを言っていても
実際は吸殻をその辺に捨てていく輩が
必ずいます
きれいな湧水が流れる川に吸殻を捨てていく輩もいます
その吸殻が田んぼに流れ着いてくるのです
それを見つけてしまった時の腹立たしい気持ちときたら
喫煙者が存在する限りこういう負の側面は無くならないのでは
と思っています
喫煙者はニコチン依存にされてしまったが故に副流煙と吸殻を排出し続ける
環境汚染の元凶である
と言ったら言い過ぎでしょうか
ただそう言いたくなるほどに環境のことを意識するように
なってきたのです
それは自然に囲まれた環境だけでなく
都市環境においても同様です
定められた場所だけで喫煙者が
喫煙しているかというと実際はそうではない
それを喫煙者に求めることが
到底無理なのは一目瞭然です
ニコチン禁断症状を制御できていないのです
そして関係のない人達が受動喫煙を強いられ続けています
そのように考えていくと喫煙者が限りなく減った方が
ベターであることは言うまでもない
健康な人が増えると
何か都合が悪いのだろうか?
タバコの在り方に異を唱える
環境運動という一面も
私のXになっているのかなと思っています
それともうひとつ
走ることについても語ってみたい
高校時代まで陸上部に所属はしていたもののかなり走るのはおそ~い選手でした
その後ほとんど本格的に走ることもなかったのですが
2010年の東京マラソンに当選してしまいフルマラソンを走ることに
その時から毎年何かしらのマラソン大会に出走するようになりました
農をやりつつ走るのは
なかなか体がきついので
米作りの時期が終わると
ようやくマラソンシーズンの
始まりとなります
走る場所も年々変わってきました
時間がない時などは排気ガスや副流煙に
少々辟易しつつ仕方なく皇居ランを
やることもありますが
なるべく花や草木のある自然に囲まれた
環境で走りたいと思うようになってきました
山々を走ることが随分増えてきましたね
これも農をやることにより環境を意識するようになった影響が
大きいと言えます
農で使っている筋肉が走ることに
役立っているかどうかはわからないが
山々を走ることで平坦な道ばかり走るより鍛えられているのは間違いないでしょうね
農をやり山を走ることによってつくられている肉体がまさに
自然体ではないかと都合よく解釈しています
今後はトレイルランの大会にもちょっと出てみようかなと
考えている次第です
走るためにはよりエネルギーが
必要になりますね
エネルギーは食べることと直結します
当たり前ですが食べることによって体はつくられています
何をどれだけ食べるのか
なかなかこのコントロールは難しいのですが
それだけ意識するようになっているということです
逆に走るとエネルギーを欲するので食べ歩きが楽しくなってしまうという
嬉しい側面もありますね
走ること 食べ歩くこと
その他のいろいろな活動
そして生きること・・・
重要なのは
米を作り米を炊いて米を食べることが
すべての根本になっているということです
それが日本という大地に
生まれ育った人間として
とても素晴らしいことである
という実感を持てるようになっている
私はいつのまにか半農半X人になっていた
私はこれからも半農半X人で
在り続けるだろう
タバコだけにとどまらず
農薬 添加物 遺伝子組み換え 放射性物質など
食に関わる負のファクターは
ますます深刻になっていく
様相を呈しています
その中で単純に人間にという生命体にとって
良いと思えるもの
必要だと思えるもの
そしてうまいもの
それらをできる限り求めていきたいというだけです
このように書き出してみると農という根幹を意識することにより
私の中にある複数の些細なXは
広がる枝葉のようにリンクしていることがわかってきました
そのXが相乗して二乗にも三乗にも
なればいいなと思います
才能の無い私にとって
Xは何だろうという問いは
未だに悩ましいものではありますが
そしてこれからも
Xの追求は続いていくのです