はげざるのブログ -637ページ目

女性の容貌と年齢

若い女性に贈りたい言葉です。


昔、大学生の時に姉が入っていた社会人の合唱団の宴会に交じっていたときのことです。社会人ですので、女性を含めて、20代のかたも、30代の方も、4御代の方も、いろいろです。


お酒の席で、姉がほかの人と話をしていました。

20代の女の人は誰もが美しい。だけど、30過ぎたら、その人の顔はその人の責任。」


20代の女性は、化粧をしなくとも、どなたも美しいです。一般に美人とみられていない人でも、良く見ると、魅力的な容貌をしていることを発見します。

一方、心の持ち方は、顔ににじみ出てきます。30過ぎて、若さというビタミンがなくなり始めると、その人の本来持っていたものが出てきます。気持ちの持ち方、考えの素直さ、などが、表情に浮き上がってきます。年を重ねれば重ねるほど、それが言えます。


会社の若い女性と帰りの電車でいっしょになったとき、物知り顔に、あの言葉を語ってあげたら、なるほど、という表情をしていました。


なお、最近、かみさんが彼女の友達のことを美人とよく言うのに気づきました。男性としてみると、えっ美人?と思ってしまう方でも、女性は女性の容貌の魅力を引き出すのが得意なようです。








方言の表記

最近、Mixiの山形弁のCommunityで、山形弁の話題を読むと楽しく感じます。



で、「はらくつい」という言葉を思い出しました。おなかがいっぱいだ、という意味です。「くつい」というのは「きつい」という言葉のなまりかな? どこから来たかわかりません。せめて漢字がわかればと思ったのですが、いろいろ方言の言葉を考えてみると、漢字とあまり対応しない。方言の言葉というのは、そもそも、漢字という表記体系に無理やり当てはめる中央言葉とは、違った発展をしてきたんじゃないでしょうか。



仕事でマイクロソフトのかな漢字変換をやっていますので、プライベートで山形県方言辞書でも作ってみようかな、と思っています。が、単語の品詞を決め、表記を決める、のは時間がかかりそうだ。いつか・・・ 少なくとも単語の表記は、ほとんど、表音文字であるひらがなのままで定義するしかなさそうです。





箸の動かし方

青年の時に不思議な体験をしたことがあります。


故郷を出て東京の大学に通っていたときです。故郷の山形に帰省していました。お昼に寝転がって甲子園の高校野球を見てすごしていたりしたので、夏休みですね。

夜になると、田舎ですので家の周りは真っ暗です。田舎の夜の空は、都会と全く違い、墨のように黒くなります。遠くのかすかな音も聞こえて空気が澄みとおっています。家の中に人がいても、居間に電灯がついていても、寂しい気持ちがします。年老いた両親と、少年時代のときのように、一緒に夕飯を食べています。もう姉たちは、結婚し、実家にはいません。それも寂しい気持ちを強めます。

何気に、親が食事をしている所作を見ました。そのとき、なぜか、宇宙の果てかなんかとても遠くから、ここから切り離されたところから、眺めたような気持ちになりました。親は箸を動かしています。その動かし方は、なにかに支配されているようでした。一方、私も箸の使い方をなぜか習得しています。意識して教わったわけでもないのに、勉強したわけでもないのに、親の箸の使い方と自分の箸の使い方は共通しています。人と人とは、実は遠くに離れているのに、同じものをたくさん持っているんだ。箸の持ち方に限らず、共通なことは数えきれないくらいある、と思い至りました。



実は、私は、父親に反抗し、父が嫌いでした。そのため、都会の大学を選び、さっさと一人で暮らすことを選びました。人と人とは、それぞれ自分を主張して、しばしば人と対立します。人と異なることを意識します。いさかい、憎しみ、なども生まれます。でも、そういう異なるものって、実は共通するものに比べたら、氷山の一角にすぎないな。人と人とは、実はほとんどが共通じゃん。憎しみとか、対立意見なんて、どーでもいいくらい、共有の部分がはるかに大きい。



その時、人と人とは支えあっているということを、心底、感じました。