早起きの旅人
ますます動きが活発になってきたピョン吉。動きと言っても、移動手段としてはゴロゴロと転がるだけなんですが…。以前より俊敏でパワフルになってきました。最近は前へも進もうとしていますが、そちらはまだ練習中。
今でもちょっと目を離すとゴロゴロゴロ…っと、どこまでも旅に出てしまいます。その動きはカミさんもアタフタするくらい。部屋の中で小動物を放すと、スタタタっと走り回って物陰へ隠れたり、奥の方へ入り込んでしまったりしますが、ピョン吉を見てるとそんな動きを思い出します。ハイハイしだしたらこりゃ大変だわ…。
だいたい最近の朝は、なにやら胸のあたりでゴソゴソする刺激で目を覚ますことが多いです。大抵ピョン吉が胸元に転がり込んで暴れてる。何度も転がって来ては「じゃまなんですがー」とこっちを見上げる。「キミが掛けている毛布は面白い色をしているね」と引っ張っては口に入れたがる。時計を見るとまだ早朝なわけで、こっちはもう少しだけ眠りたいのに…。
ゴロゴロ、ウキャウキャと遊んでいるので、折角だからと写真を1枚撮って(とりあえず事あるごとに写真を撮っておくのが癖になりました)から二度寝しようかとケータイを差し出すと、「おもちゃ!おもちゃ!かして!かして!」という感じでいじりたがる。あーこれでもう完全に寝れなくなりました。…こうして目覚まし時計より先にピョン吉に激しく起こされる毎日です。
機動戦士ガンダム THE ORIGIN 第12巻
前巻に引き続きサイドストーリー。大きくは、除隊して地球へ移ったシャアとララアの出会い、そして連邦とジオンのモビルスーツ開発合戦についてだ。1つめのシャア&ララアは、その特殊な能力故に囚われの身となっていたララアをシャアが救うことから始まる。結果的にシャアはララアを連れて再び宇宙へ出向く事になるのだが…彼女の特殊能力を利用するという意味では、シャアの行為も他の悪人とそれほど違いがないような…まぁ愛あるが故の結束だろうか。ララアによってシャアもニュータイプとして開花するようだし。
そしてもう1つのモビルスーツ開発話。戦闘用として実戦に耐えうる物を先に完成させていたのはジオンの方だったんですな(ミノフスキー博士のお陰)。連邦側の開発責任者はレイ博士(アムロの父親)。そしてこれは、ミノフスキー博士の死を伴った小競り合いあってこそ、後のガンダム開発話へと繋がるわけです。あーそういうことね、と納得。
本巻のラストで、アムロを含む複数の家族がサイド7へ移住してくる。そう、ここから本編の第1話へと繋がるのだ。
前歯ちょろり
はえてます。1本目。下前歯がチラーリと生えてまいりました。ときどきママの指をガジガジして、ママが「いでででで!」と叫んでおります。まだパィの最中に「いでで」となった事はないようですが…時間の問題ですな。自分のパィではないにしても想像しただけで「いでで」ですな。オモチャとかの噛みようを見てると、本当に「これでもか」と言わんばかりに噛んでますよ。シリコン製の柔らかい物なんてギュムギュム音出して噛んでます。そもそもうちのピョン吉くん集中力無し。というか好奇心旺盛なんですな。ちょっと物音がすると、パィ飲んでる最中だろうが何だろうがクルリと振り向く(今は振り向くとパィはチュポンと口から外れます)。初めての場所や人はジーッとしばらく見つめるし、とにかく毎日色んな事が発見だったり刺激だったりするんでしょう。そこからどれくらい吸収してるのかは、まだ良く分かりませんが…本人が楽しんでいる、興味を持っている事は確かなようです。そういう意味でもパィを噛みながら振り向いたりする可能性が…いでででで。
いやしかし、この写真撮るの苦労しました。口開けさせるとナゼか舌をベ~って出しちゃうし、最近は益々カメラを向けられると興奮してジタバタするようになったし…。デジカメだから良いものの、ブレた写真を何十枚(何百枚?)撮ったことか…。
コスプレ成功
息子ピョン吉の節句(コスプレ)写真が出来上がってまいりました。受け取りに再び錦糸町オリナスへ。今回は結構すいてたなぁ。駐車場もスンナリ入れたし。あれくらいの人手だったら時々行くかもしれません(前回はひどかったので…)。少々親の自己満足が過ぎてしまい、ピョン吉に無理をさせてしまったかなぁと反省していた撮影会だったのですが、それでも出来上がった写真を見て大人達は非常に満足しております。同行してくれたお義母さんが非常に喜んでくれているので、ピョン吉も頑張った甲斐があるってもんです。写真入りストラップも作ってお義母さんは常時持ち歩くそうで、ピョン吉ずくしであり、ピョン吉マニアとなりつつあり、いずれピョン吉オタクとなっていくでしょう 。ストラップはもう1つ作ったので、これはもうひとりのばあちゃん(私の母=ばぁば)へ送ります。カミさんが「私も欲しい」などと言っていましたが、キミはストラップを持つまでもなく本物がいつも一緒に居るだろうっ>カミさん。
比較的評判が良いのは、やはり「祭り」。顔つきのせいか妙に和物が似合いますな。ピョン吉よ、その貫禄は誰に似たのだ?
タダで直す幸せ
我が家のボロ給湯器
がついに昇天した。最後はブレーカーをバッチンと跳ね上げ、我が家の全電化製品の電源を落とした上で、ウンともスンとも言わなくなった(おそらく、どこか漏電していたか、ショートしたのだろう)。まったく迷惑な話しである。
しかし、ここまで来ると、ようやく大家さんも管理会社も重い腰を上げてくれるわけで、念願叶って新品の給湯器へ全面交換と相成りました。賃貸物件で何が不便って、施設装置を勝手に交換できないこと。古いシステムのままでも黙って使い続けなければならない。嫌なら引っ越せと言わんばかりである。が、不幸中の幸いと申しましょうか、我々の使用中に最新システムが導入されるとは、これ幸い。
あたらしい給湯器&リモコンは喋りますな。フロに湯を張る時なんか「お風呂の栓はしめましたか?」なんてきいてくる。カミさんはそれを聞いて不安になり、実際に風呂場まで行って確認してくるほど。湯温もデジタル表示、体脂肪率や消費カロリーの計算までしてくれる。最近の給湯器は賢いなぁ…。しかも施設費用は当然全て大家さん持ち。タダ!あぁタダってすばらしい。
そういえば、ウンともスンとも言わなくなったと言えば、もうひとつ。我が家のiMac
(液晶に何も映らなくなったカミさんのパソコン)。こちらはメーカー修理に出した。メーカー指定の運送会社が勝手に持って行って、また持って来てくれる。購入時に念のため付けておいた保証プラン(AppleCare Protection Plan)のお陰で5万だか10万だかするらしい修理代はゼロ円。そうなんですよ。こちらもタダ!あぁタダってホントにすばらしい。幸い、ハードディスクの中身も消去される事無く、スンナリ1週間以内で帰ってまいりました。
我が家はこの2つの大物がリニューアル(正確には修理?)されたことにより、少しだけ生活が新しくなったような気分に。なんていうか、引っ越した直後のような、プチ気分一新な感じ。これはなかなか清々しい!タダだからか?
「わが町」を読む
ソーントン・ワイルダー作「わが町(OUR TOWN)」を読む。劇団員の石井ちゃんより、なかば無理矢理渡され、読む事になった戯曲(演劇の台本)である。初演は1938年。すでに60年以上前の古典というべき作品だ。当時の作品としてはめずらしく、大掛かりなセットや派手な演出もく無い。第1幕の冒頭にも「幕 なし、背景なし」とハッキリ書いてある。当時としては前衛的でさえあったのではないだろうか?もっとも後書きを読むと、大昔のシェイクスピア作品なども装置などはなかったそうで…ついでに役者も動かず立ちっぱなしが多かったそうな。この作品では役者に関して言えば、装置がない分、色々な表現を要求されている。
舞台にイスやテーブルやハシゴなどだけを用いて、きわめて平凡な田舎町「グローヴァーズ・コーナーズ」での生活を描く。おおむね、その場所と時間の説明は「舞台監督」として出てくる男性が語るのだが、特に何の事件が起こるでも無く、現代から見たら退屈だと思えるほど平和な生活が綴られていく。メインは、ギブスさん家の息子ジョージとウェッブさん家の娘エミリー。二人は幼なじみで、やがて恋に落ち、結婚をする。
平凡な町の人達の生活を見ているだけなのに、なぜかそこに惹かれてしまう。温かみを感じてしまう。登場人物達が素朴だからだろうか?それともどことなく感じる懐かしさからだろうか?
ラストの「墓地」では、表現としてイスを整然と並べている。これが墓石。死者達は皆そこへ静かに座っている。オイラは何もない舞台での見せ方として、この表現に一番興味を持った。シンプルでリアルだ。自分の芝居でもいつかこの表現を使ってみようかしら…。
読み始めは退屈な本だなぁなどと思ったのだが、意外と随所に発見がある。「古きを知り…」などという言葉があるが、まさにその通りで、オイラにとっては色々と勉強になる一冊であった。
2画面でショボショボ
自宅ではずっと2画面構成でパソコンを使っていたのだが(それでも19インチモニタ&15インチ液晶の組合せなので、1画面よりはマシという程度)、会社の仕事用パソコンはずーーっと21インチモニタ1台で使ってきた。しかし最近の仕事は映像を扱う作業が増えてきたり、沢山の資料を見ながら仕様書を書いたりと、どんなに表示解像度を上げても1画面では厳しい状況になっていた。そんな念願叶って、ようやく仕事パソコンも2画面(20インチ液晶×2)へと最近なりました。視界いっぱいの幅なので端から端まで目線を動かすのが大変ではあるけど、複数の仕事を平行してこなす時などもそれぞれのウィンドーをならべて置けるようになったので便利。
…しかし難点がひとつ。ブラウン管→液晶という変化は、オジサンの目にキツすぎました。液晶は明るくてハッキリしてるんだが、それがかえって疲れる結果に。お陰で帰宅時はいつも目がショボショボ…。
身近な母
14日は「母の日」ですな。今年から我が家にも「母」が居ることにギリギリになって気付きましてね、何事も最初が肝心、ということでオイラとピョン吉からカーネーションをどぞー(結局、花屋さんでお会計したのはカミさんですが…)。昼間買い物に出掛けたショッピングモールでは、どうも生花をあつかった店が見つかりませんでした。夕飯の買い出しのついでにカーネーションなどと楽をしようとしたのがいけなかったのかもしれません。もっと気持ちを込めて購入(?)せねば。そういうわけでだいぶ夜もふけてしまった買い物帰り、比較的遅くまでやっている花屋へ半ばムリヤリ滑り込みセーフでカーネーションを手に入れました(お会計はカミさん)。
タグでちゃんと一流ブランド(キリン)であることも確認。最近知ったんですがね、キリンや雪印ってバイオ事業で新種の花を数多く生みだしているんですね。きっと丈夫な花でしょう。花束も考えましたが、カミさんの希望で鉢植えを購入。カミさんへのプレゼントと共に、我が家の庭にもまたひとつ花が仲間入りしました。
「特攻の島」第1巻
「海猿」や「ブラックジャックによろしく」の作者でもある佐藤秀峰著「特攻の島」の第1巻がようやく出た。著者初めての歴史物である。本作品が週間漫画TIMESに載ったのは2004年だそうだから、単行本化まで随分と時間が掛かった事になる。戦争末期の日本…最後の対抗手段として「特攻」を選択するまでになっていた頃の話し。海の特攻兵器「回天」に乗る事を志願した予科練出身の若き主人公。「死を恐れない」「お国のために、天皇陛下のために」などという大義名分よりも、もっと本音の心情的な部分を描いている(…のだが、各人の考え方や言い分は少々現代的であるような気もする)。幼い頃から貧困にあえぎ、周囲からは非国民と呼ばれて育った彼。特攻すれば自分をみとめてもらえるのだろうか?家族のためになるのだろうか?そして「死ぬこと」の意味を考える。回天に乗って特攻するという行為が、自分が死ぬ事に値するものなのか考える。
回天という兵器は、本当に魚雷へ人が乗り込むスペースを追加しただけのような物で、特にレーダーがあるわけでもなく正に目標物へ向かって「突進」していくだけのような物だった。本巻で描かれているのは、まだ出撃命令が出る前の訓練中の様子まで。この時点ですでに初期開発者の一人が殉職している。今から考えれば、何ともお粗末なシステムであり体制であるわけだが、当時としてはこれが精一杯、最大限の努力であり、一生懸命家族や大切な人達を守るための行為であった事を考えると、あながちバカバカしいとも言えなくなる。
現代の我々は何のために生きているのだろうか?「死」を見つめる事が「生」を光り輝かせることもあるのだと感じた一冊。
