こんにちは。
老沼陽子です。
週末は、たたかいをやめていくワークショップでした。
急な募集にもかかわらずおひとりの方に参加していただき
視点を外から内へと変えることを、
言葉や身体を通して扱っていきました。
自分が本当に何を感じ、何を望んでいるか
どうして人の言動にモヤモヤザワザワするのか
些細なことで落ち込んだりイライラするのをやめられないのはどうしてか
どれも答えは外側にはなく
放っておいたり、感じなかったことにしても別にいいんだけど
おそらくはそれが好みではない方や、
それをし続けていることで生き生き出来ない自分に気づいた方が
私の所を訪ねて来てくださる。
脳内にうごめく言葉を、ノートに書いて見る。
溜め込んでいるから苦しい(ゴミやほこりや汚水と似たような…)ので、
ただ感じていることをありのまま書き出す・吐き出す行為だけでも、
頭にかかったモヤや霞はサーっと引いていきます。
ただ、ひとりではこれまで見ないようにしてきた部分との対面を
心のどこかで避けるようなところがどうしてもあるので、
他の人間の存在が必要なことがあり、
どんな問いをするかにも最初はコツがいります。
人は、人で苦しみ、人の存在を借りて自己を癒す。
詳しく内容は書きませんが
今回、内観していくことで出てきたのは
無価値観を埋めるために人の為に何かをしようとしてしまう、
その度にますます自分が空虚になっていたことへの気づき。
外から(人から)の反応・注意が欲しくて
それは感謝でも、誉め言葉でも、実は怒りですらも、たぶんなんでも良くて、
自分の方に注意を向けて欲しかった。
ということでした。
結構心の深いところまで扱っていきますが
内観のよい所は、自分でその時点での決着点(腑に落ちるところ)までもっていくことが出来ること
セラピストに依存しなくていい。
他人の考えを採用しなくていい。
正解はないし、終わりもない。
たたかいをやめていくって
奥深くにあって
意識しないうちに
脳内で自動再生されている
自分を無力にする声に気
づいていくことでもあるし
自分は自分王国の王・王女であることを思い出していく
誰も傷つけずにたたかう術を身につけていく
ということでもあるんですよね。
内観て祈りにも似ているな。
コンティニュアムと一緒です。
自分の国でたたかいがおきていたら…
武器を持って戦いたいのか
批判し続けたいのか
(これをいくら続けても、
敵を作っているのは自分、
だから自分からやめる、
自分から戦いから下りるしかないのです。)
深く潜って、
自分だけの真実にたどり着くまで
目と耳を傾け続けるのか。
真実はいつも、光と影のどちらも含んでいます。
近々募集開始します↓
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