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よかっぺいがっぺのブログ

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気が付けば1年が過ぎた。

大晦日・正月を会社で迎えた。


よく働いた。

本当に良く働いた。



結果。

グループ約30社中、売上、経常利益ともに5位でした。

昨年の28位、22位から出来過ぎのジャンプアップ。



何よりも、次年度以降の礎が出来上がりつつあった。

要するに、効率よく、確実に儲かるしくみ作り、がもうすぐ完成するのだ。



賃貸仲介手数料収入への依存体質からほぼ完全に脱却。

以前は仲介手数料が売上全体の70%を占めていた。

建物管理・建築請負・保険代理店収入で全体の90%を占めるようになった。

もちろん、手数料を受領しなくなったのではない。

増やすべき売上を増やしただけのことだ。



建物管理会社として、夜間緊急窓口を開設した。

試算では、出費がかさむだけと読んでいた。

実際には関連会社の協力もあり、大幅黒字で年を終えた。

悩みのタネだった未収金問題は全面解決。

売上計上漏れは徹底してこれを許さなかった。

しかし、社員の超長時間労働の改善がまだ出来ていない。



保険代理店業務は堅調。

ぶっちゃけ、うまくいっている部門は誰が何をやってもうまくいく。





要は保険に限らず、売れる 『しくみ』 ですべてが決まる。

『しくみ』 を理解し、徹底すれば結果は必ずついてくる。

保険部門はこのしくみが出来上がっていた。



この劇的な改善は自分の手柄だと今でも信じている。

自分が入社したから出来た改革だ。

当時の私のノウハウは、都心ではスタンダードになりつつある時代だった。

しかし、業界全体、特に地方ではまだスタンダードではなかった。


しかし、当然だが、やはり仕事はひとりでは出来ない。

部門社員100名による、必死の努力の賜物だ。


彼らの理解と協力があったからこそ達成できた。

このときほど、部門の仲間を誇りに思ったことはなかった。

そして、心から感謝し、尊敬した。

達成感を共有することの満足感が最大に得られた時期だった。



部門の全社員に対し、特別報奨金50万円が支給された。

私はグループ2000人の中から5人が選ばれる、 『優秀社員賞』 を受賞。



あれれ・・・!?


賞状をもらっただけで終わり。

金一封ないじゃん。

あんだけ頑張ったのに、

特別報奨金+決算賞与=150万円=インセンティブ。



次年度の給与査定は、

1200万円+インセンティブ。



特別報奨金は、ジャンプアップの幅が大きかったため、あくまで 『特別に』 貰えたもの。

決算賞与支給の有無は、グループ全体の利益で決まるため、自分たちだけ頑張っても意味がない。



ベースアップは確保したものの、このインセンティブでは戦意喪失してしまう。

初年度ほどのエネルギーを継続して発揮できる自信がなかった。






これじゃぁ、生活できない。





(つづく)


報道で大きく取り上げられたので多くの方はご存知だろう。

日本綜合地所(大手不動産会社)が、新卒採用した学生53人に対し、内定の取り消しを行った。

慰謝料100万円らしい。



『ひどい話ねぇ・・・。』 

『可愛そうに・・・。』


世間は言いたい放題で学生に同情し、企業を批判する。

ところで、学生に同情している人間の中に、本当に学生たちの気持ちを理解している方はいるだろうか?

確かにひどいし、可愛そうだ。

でも皆、何がひどいのか、どう可愛そうなのか、きちんと言えるだろうか?



それは、将来への第一歩を踏み出す場所を決めた、と思って(安心して)いたら再度厳しい就職活動をせざるを得ない状況に追い込まれた、ということ。既に大手企業の新卒採用は終了していること。

実は、せいぜいこの2点なのである。

当事者である学生の方もほぼ同じ見解であろう。



あえて偉そうに言うが、世間に学生らの気持ちを完璧に理解できるはずがないのである。

正しくは、悲しい気持ちは何となく理解できても、彼らに対して具体的にかけてあげるべき一言を持ち合わせていない。なぜなら、ほとんどの人は、学生らが今経験している修羅場を経験していないからだ。

だから、学生たちの気持ちを完璧に理解できる私が、学生たちにどんな言葉を伝えてあげるべきかを申し上げます。



先に言っておきます。

①世間は学生らに対し、『可愛そう』 とは絶対に言ってはいけないのです。

②学生は企業を恨んではいけません。前向きに自分の道を進んでください。



まずは軽いジャブ。


一番可愛そうなのは、今年の新入社員です。

何せ、彼らは来年もペーペーなのだ。

先輩がパンツ脱げ!と言えば新人は脱ぐしかないのだ。




では、内定を取り消された学生はどうか?

彼らは間違いなくラッキーだ。



なぜか。理由は2つ。


①彼らは働きもせずに100万円を得るのだ。


100万円の純利を稼ぐために、我々はどれだけの汗をかき、涙を流すか?

どれだけ上司・顧客の罵声に立ち向かうか?

どれだけの税金を支払うか?


枚挙に暇がない。



でも、本当の意味でラッキーだった、と思うべき点は100万円ではない。



要は、

②日本綜合地所など、クソ会社なのだ、と今わかったことがラッキーなのだ。


クソ会社だから世間の冷たい風に逆らって採用を取り消したのだ。

お金で面倒の解決を図ろうとしたのだ。


①+②入社する前に日本綜合地所がクソ会社であると判明し、入社せずに済んだ・・・だけでなくお金までもらえるのだ。



だって、こんな会社、結局は入社してから後悔するでしょ。

面倒な事はお金で解決しようとする企業体質。

世間の酷評にあおられ、慌ててベタな対応をするヘッポコ役員諸君。


そして何よりも・・・、学生にとって命綱である『新人教育』に投資したくても出来ないであろう台所事情。



入社して、

まともな教育を受けられずに退職し、

他社へ転職しようものならますます大変じゃないか。

こんな状態に陥った学生は、本当にどこの企業にも相手にされない。


そもそも、である。

本当に不動産業界で頑張りたいのなら、他の不動産会社に行けばよい。

まだたくさんの中小不動産会社が新卒採用を行っているはず。


不動産業界全体が厳しいのは事実。

でも、この業界はどんなに不景気でも、優秀な学生を獲得するための採用活動は行う。

そのかわり、入社後使いものにならん社員はスパっと斬るけど。

日本綜合地所が内定を出した学生なら、間違いなく他社でも内定を獲れるであろう。



大手企業に内定を貰いながらも反故にされる・・・。

その屈辱・悲しみ・不安感を、ほとんどの人には理解できないだろうけど、私は理解できる。

10数年前、実際に私自身が同様の経験をしているからだ。

実際には、私は彼らよりもひどい経験をしてる。


つまり、他人事ではないのである。

私は (日本中どこを探してもそう簡単には見つからない)、彼らと同様の経験をした大先輩なのだ!?



http://ameblo.jp/yokappe-igappe/entry-10148312322.html



だからあえて言いたい。


間違いなく厳しい環境下に居る学生の皆さんへ。

負けずに何とか這い上がってきて欲しい。

たかが不景気に負けるようでは悲しいじゃないか。

数年後に、今回の事件を笑い飛ばして欲しいんだ。


この悔しさをバネにジャンプした経験は、どんな資格やビジネススキルにも勝る。

私はそれを知っています。


負けるな、学生諸君!!!





P.S. 100万円は安すぎます。

    その気になれば楽勝でもっと取れます。

    そもそも、お金での解決を承諾しちゃぁダメです。

    なんで100万円なの?と企業担当者に聞いてみてください。

    根拠なんてあるはずがないのです。こんなに世間で騒がれた前例もほとんどない以上、相場もないし。

    就職の斡旋等、金額に換算できないものを求償したほうがいいですね。 

    イーストマン・コダックはやってましたよ。銀行にも 『雇ってやってくれFAX』 来てましたから。

    

    by経験者。

転職したこの会社、約30ものグループ企業で構成されている。

それぞれが独立した別会社であり、完全な独立採算制。

グループ企業といえど、別会社なので値引きやリベート(賄賂ではない)要求は容赦なし。



その中で、私が入社したのは建物管理会社だった。



この会社が、


・賃貸営業部門

・建物管理部門

・保険代理店部門


で構成されている。


そして本社のそれらとは別に、うちの部門専属の総務・経理がある。


私は、先の売上をあげる3部門に対し、責任を負う立場になったのである。

*課長って、そんなに責任重かったっけ??




最初のうちは・・・気持ち村八分気味。

そりゃぁ、新卒で入社した生え抜きの方や、20年働いている方もいる。

30歳にならない若造がひょっこりやって来て現場をかき回されたら面白くないだろう。



しかし、物事は意外な方向に向いていく。

仲間の信頼を予想以上に早く得ることができた。


お金がなかったおかげ?で毎晩必死に働いた。

もちろん、純粋にビジネスマンとしての目標が明確だったからだろうか。

真面目に働く姿勢を仲間が評価してくれたのだろう。


朝は7:30に出社。

夜は11:30位までだったかな?

終電がプロテクション(=言い訳。早く帰宅する口実)になっていた。


そのかわり、休日は完全に返上して働いた。

当時の私は、ちょっと朝寝坊するだけで疲れが完全にとれた。

だから、休みの日でも昼には出社し、夜遅くまで働いた。



家族?

完全に放置でした。



皆は?

全員、マイカー通勤。

電車通勤は私だけ。(当時、運転免許を持っていなかった。)
だから仕事は日付が変わるまで続く。




しばらくすると、会社から教習所通いを命ぜられることになる。





(つづく)