小崎軍司「山本鼎評伝」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
$.-山本鼎
小崎軍司:山本鼎評伝(1979)信濃路
$.-ブルトンヌ
山本鼎 版画:ブルトンヌ(1920)

山本鼎(かなえ)は明治15年の生まれ、それまで分業制だった木版画を自画自刻自摺した草分けです。作家というよりも美術啓蒙に忙しく、残された作品が少なく知名度が低い。それこそ、小山正太郎などが写生教育を普及させたが、山本は写生(臨画)教育よりも自由画を提唱して、発想や表現を優先させるべきと講演や美術展を企画した。また、いくら描いても一部上流階級に売るのではしかたがない、一般庶民の購買層を掘り起こすべきと、農閑期に工芸品の制作をうながし、都市への販売網敷設に乗り出すなど、美術層の底上げに腐心した。

若い時に製版の仕事に就いたことから、石井柏亭らと機関誌「方寸」、後に「アトリエ」「農民美術」誌などの創刊に関わり「図画と手工の話(アルス)」など著作も多い。石井柏亭の妹に求婚するが断られ、傷心を癒すべくフランス留学に踏み切るが、この時の借金に一生悩まされる。直情径行感激屋なことから、美術啓蒙のための講演は無料で行なうから自著「自習画帖」著作権を売り渡したりしたが、甲斐もない。

$.-富士に立つ影
白井喬二:富士に立つ影 新闘篇(大正15年)/山本鼎装幀

春陽会の仲間、木村荘八、川端龍子に山本を加えた3人で、人気連載小説「富士に立つ影」の挿絵を順番に担当するが、啓蒙活動が忙しく山本は河野通勢に替わってもらうことになる。とにかく借金を背負って慌ただしく奔り抜けた人生だったが、自由画運動はアンデパンダン展へ拡大し、版画は現代に到る表現の世界へ踏み出すことになった。彼の人生は時に戯画的で滑稽に見えたりするが、私たちが彼から受取った恩恵は限りのないものがある。