山本鼎編集「少年少女自習画帖」と関野準一郎 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
みずすまし亭通信-山本鼎
少年少女自習画帖:山本鼎、他編集:昭和5年発行

美術教育の副読本「自習画帖」の編集にあたった山本鼎(かなえ)は、小山正太郎「不同舍」出身の石井柏亭に連なる。山本は白井喬二の傑作長編小説「富士に立つ影」新聞連載初期に参加したりしているが、木版画の自彫・自摺のパイオニアとして知られる。江戸以来、分業で成り立っていた木版画が、明治の終り頃(だったかな)にようやく個人に収れんされる。金儲けがへたな医師を父に持ち大変な苦学をした山本は、版画は摺るほどに稼げると豪語したが、放庵・小杉未醒によると「債鬼の攻勢に敢然と尻をまくる度胸はあったが、残したのは疲労と借金」だけだったそうだ。

戦前の版画家は貧乏を絵に描いたようだったと、棟方志功等を生んだ版画王国・青森出身の関野準一郎「版画を築いた人々(1976)」に書き残している。彼等の生活が改善するのは戦後もしばらくしてからで、印刷(版画)史はまさしく当該者の血涙で綴られるかのようです。たとえば、毎朝届く新聞に折り込まれてるチラシ類も、複製手段としての「版画」と同義で、私たちがプリンターを使っての出力を含めいずれの印刷手段も同様です。印刷業界は次々に押し寄せる改革を受入れ消化しながら今日に至ったわけですが、現在はといえば印刷は(良くも悪くも)あまりに安易な手段になってしまいました。