木村毅「明治文学展望」のキッス雑考 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
$.-明治文学展望
木村毅:明治文学展望(昭和2年)改造社

私の読書遍歴からは「木村毅の明治文学ものは買い」ということになっている。明治文学研究の創始者&第一人者は柳田泉で、もちろん立派な研究なのだが、根っからの研究肌でとっつきにくく難しい。明治文学を鼻歌混じりで愉しみたい向きには、木村毅に勝る人物はいないだろう。やはり、当時の雰囲気を体感しているから生々しく伝わるものがある。ただ当本は少し難解。さて、1878(明11)年、ロシア・ペテルスブルグ警視総監の横暴に義憤を感じた一少女ウェラ・サシュリッチが、その警視総監を狙撃するという事件があった。

妙齢な佳人によるショッキングな事件として、欧州をはじめ一時大々的に報じられた。わが国では雑誌新聞などによって脚色され、ジャンヌ・ダルク的扱いで報じられ小説としても流布した。そうした過剰報道が、大いにプロレタリア運動に油を注ぐことになった。時代が若かったから、案外なことで社会運動家の血はたやすく沸騰したのだろう。

$.-虚無党
川島忠之助訳述:虚無党退治奇談(明15)表紙

前置きが長くなってしまった。明治の翻訳時の苦労に「訳語」の問題がある。Love(恋愛)など観念自体がないことが多く先人は苦労した。その中に、kissという言葉にも頭を悩ました。当時わが国の性愛にkissがなかったわけではないとは思うが、親嘴スル(明2)啜面昧(明5)→啜吻、口吸い(明6)の訳語では、どう読むのかね? ともあれ、森鴎外が早くから「接吻」の訳語を使っていて、この言葉が優勢になったようだ。「水沫集(明24)」にも使われている。

鴎外による “roman(伝奇)” の訳語は、漱石の宛て字 “浪漫” が主流になるまで使われたが、当時の翻訳努力に頭が下がる。とにかく、kissとはいかなるものか紛糾していた様子で、クリスマスから新年近くになると、丸善・教文館に「How to kiss」なる本が山積みされたとある。この木村毅は映画の検閲でカットされたキス・シーンをつなぎあわせた長尺フィルムを珍蔵していたそうで、新旧フィルム混交ながら、検閲は次第に寛大になりつつあるようだと書いている。これが昭和2年の記事だから、検閲は延々とあったのだね。


映画 夢で逢いましょ(1962)らしい

ザ・ピーナッツの姉伊藤エミさんのひいきでした。こんな映像を観ていると、私の幼年時代はほんとに豊かに思えてきます。あなたのおかげですよ。