2024年の初投稿です。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。😊

まずは、yoihaの年末年始を簡単に振り返ってみたいと思います。

◎12月30日
朝、長女を迎えに都内まで行って来ました。
いつもは電車で帰って来るのですが、荷物もあるので車で迎えに行きました。🚙

お昼は近くのファミレスで食べました。🍽️
yoiha はカキフライにしました。
そして、年末恒例のケーキ
yoihaは、居場所の無さそうなこちらを頂きました。
ブルターニュ・チーズケーキ

◎12月31日
毎年娘達と一緒に観ていた旧ジャニーズの『カウコン』がないので、あっさりと寝てしまいました。💤

◎1月1日
2024年が明けました。
喪中なので、年賀状が届きません。📫
寂しいようなホッとするような。

そして、新年早々大きな地震がありました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様には謹んでお見舞い申し上げます。
被災された皆様に平穏な生活が1日も早く訪れますことを心より願っております。

◎1月2日
一番近くにあるショッピングモールに行きました。
まずは、お昼に天ぷらそばを食べて
ダルゴナ抹茶を飲みました。
その後は、娘達の買い物につき合いました。

羽田空港で痛ましい航空機事故が起きてしまいました。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、お怪我をされた方々のご快復を心よりお祈り申し上げます。
そして、JAL機の貨物室の中の2つの尊い命が助けられなかったとのこと。
胸が張り裂ける思いです。

◎1月3日
昨年、イルミネーションを見てきたコクーンシティに行って来ました。 


まずは娘達のたっての希望でこちらでランチをしました。
その後は、娘達の買い物につき合いました。
途中でお茶をしながら、前日の繰り返しのような1日でした。
北九州市の繁華街で大規模火災が起きてしまいました。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

◎1月4日
あっという間に三が日が過ぎてしまいました。
いつものように沢山の食料品や日用品などを車に積み込んで、昼過ぎに長女を都内まで送って来ました。🚙
送っていった帰りの車は寂しいものですね。


そして、ニャンズ! 😸😸😸
年末には、
「みんなで力を合わせるにゃん!」
なんて、ニャルソックを張り切っていたのに

「寝正月だにゃ~ 💤」
タマ
ミケ
チャチャ
そして、この始末
今年もよろしくにゃ~  🐾🐾🐾


さて、本題に入ります。
★2020年1月に行ったポルトガル旅行の記録です。

年が明けても続くポルトガルの過去記事。
書いてる本人が飽きてきちゃいました。
早く終わりにしたいなぁ。
もうしばらくおつき合いくださいね!🙏

コインブラの前半記事はこちらです。
コインブラ大学の旧大学にやって来ました。
何年振りの母校だろう?👨‍🎓
何てね!🤪
このパターン、久し振りですね。

都内散策の時によくやっていましたが、まさか海外バージョンができるとは!😆

「無情の門」とも呼ばれる鉄の門をくぐって中に入ります。
鉄の門をくぐると、中庭に出ます。
コインブラ大学
コインブラ大学は、ディニス王によって1290年にリスボンで創立された大学が、1308年にコインブラに移転したことに始まります。
その後、リスボンに戻ったりしながら、1537年にコインブラに落ち着きます。
12~13世紀にヨーロッパで設立された中世大学の一つです。
18世紀に建造された時計塔は、学生達から「カブラ(山羊)」と呼ばれ、大学のシンボルとなっています。
まず、ラテン回廊に入ります。
かつて、ここではラテン語を話すことが義務づけられていたそうです。



帽子の間
学位の授与式などに使われていました。
元々は17世紀に造られた宮廷の広間で、壁にはポルトガルの歴代国王の肖像がかかっています。


大学の礼拝堂にも入ってみました。





最後にジョアニナ図書館入りました。
コインブラ大学の見学で一番楽しみにしていた場所です。
ジョアン5世統治の1724年に建てられました。
蔵書は30万冊にも及びます。
華麗なタ-リャ・ドゥラーダ(金泥細工)による内部装飾や調度品も素晴らしいものがあります。
2017年に公開された『美女と野獣』に登場するシーンが、ジョアニナ図書館に似ていると話題になりました。

他にも綺麗なところがあったのですが、撮影できませんでした。📱🆖

さすが世界遺産の大学。
素晴らしかったです。
こんなところで学生生活を送っていたら、もう少し勉強してたかな?
旧大学の脇を抜けて、街の方に下りて行きます
途中、旧カテドラルがありました。

旧カテドラル
アフォンソ・エンリケによって1162年に建設されたロマネスク様式の教会です。


細い坂道を下って行きます。
階段もありました。
少し開けてきました。
『カッパ』とよばれる黒マント姿のコインブラ大学の学生さん達が集まっていました。
思いを寄せた男子学生のマントの裾を、女子学生が噛みきるという習慣が今でも残っているとかいないとか?
デニス王の時代から続くならわしで、裂け目の多い学生ほどモテたとか?
yoihaがコインブラ大学に通っていたら、マントの裾はどうなっていたかな?😊

新品同様だったりして。😳
見栄をはって、自分で裂いたかも!?😅

この後はポルトガル第2の都市、ポルトに向かいました。


🔶海外旅行の過去記事です。
🌍フランスの旅🇫🇷(2018年5月)