雑誌「中央公論」二月号が日本の人口問題を特集している。
その特集でメインとなっているのは「人口ビジョン2100」なる人口戦略会議(会長・三村明夫日本製鉄名誉会長他27人のメンバーで構成)による提言である。
日本の人口はこのまま推移すると2100年には6300万人に半減し、国家そのものが衰退の一途を辿るしかないようだ。
この「人口2100」ビジョンにおいて、8100万人での人口定常化を目標に「若年世代の所得向上と雇用の改善」「共働き、共育ての実現」等多くの課題と対策を列挙している。
私には総花的で、何故か空しいお題目がならべられているようにしか思えなかった。肝心なのはお題目ではなく具体的な実行である。つまるところ、政治がどんなビジョンを掲げ具体的にどう実行していくかが重要だと思う。
その政治であるが、安倍内閣では「ニッポン一億総活躍プラン」等を掛け声に地域創生や少子化対策に取り組んできたが何の効果もなかった。岸田内閣は「異次元の少子化対策」を掲げてみたものの、私には空虚な打ちあげ花火で終わるような気がしてならない。
未婚の若者が増えたり、少子化が進んでいる原因を経済性に求めるのはやむを得ないが、その原因に偏り過ぎているのではないかと私は思う。経済的に豊になれば子供が増えるという保証はあるのだろうか。一人あたり県民所得の一番低い沖縄県の出生率が一番高いのは、経済だけでは測れないことを意味するのではないかと思う。
私がまだ独身の頃、結婚をためらっていたら、母親から「一人口は食べられないが、二人口なら食べられるもんだ」と諭された。おそらく二人のほうが、家族という単位のほうが、合理的であるという意味なのではないかと解釈できる。
私は今一番問題なのは家族観ではないかと思う。家族という単位が当然であるという家庭観が崩壊したことにあると思っている。「個」が肥大した社会になり、「家」や「家族」という概念がどこかに置き去りになってしまったのではないかと思うことがある。
「2100ビジョン」でも取り上げているが、私も必須であると思うのは「一極集中を是正し、多極集住型の国土つくりを目指す」という観点である。この特集の中には890の消滅可能市町村が挙げられているが、消滅可能都市はまさに人口減少が集約的に表れた問題であることは言うまでもない。
じつは、私の故郷の三重県尾鷲市もけっしてその例外ではない。私の小学生の頃市となったが、その時の人口はたしか37000人くらいであったと思う。それが今では16000人と半減以下になっているのである。去年何年振りかで訪れた時感じたのは、その異様な静けさであった。人気のない通り、閑散として活気がない商店街、大袈裟に言えば死んだ街であった。
人口減現象はこうした地方崩壊に極端に表れている現象だと言わねばなるまい。これをどうにかしなければ人口減の難題を解決はできる訳がないと思う。
そのためには何をすべきか。この提言にもあるように多極集住型の国土つくりを早急に具体化すべきであると考える。その一環として東京の一極集中を早く分散させるべきである。首都圏移転も一つであるが移転でなくても分散化を促進すべきである。
首都圏に大地震がくれば、日本がマヒして崩壊の危機さえある。人口減少の問題というより日本の存立維持に関わる喫緊の課題というべきではないだろうか。