腊八節(腊八节)といってピンとくる日本人はなかなかいないと思います。
中国では旧暦の12月(腊月)8日を「腊八节」と呼び、その年の五穀豊穣に感謝し、まもなく迎える「春節」の準備をする大切な祭日です。
この日に欠かせないのが「腊八粥」という数種の穀物や乾果を一緒に煮たお粥です。
この祭日、元はというと仏教と深い関係があります。
お釈迦様が成仏する以前、インド各地を遊歴していたころに、北インドのとある場所で酷熱と飢えに耐え兼ね、倒れてしまいました。そのピンチを救ってくれたのが羊飼いをしていた女性で、彼女がお釈迦様に食べさせたのが数種の穀物を甘美な泉の水で煮たお粥だったという言い伝えがあるそうです。
中国各地の仏教寺院では旧暦の12月8日である「腊八」に、この「腊八粥」を沢山こしらえて、近隣の住民たちに振る舞う習慣が残っています。
私は今年の「腊八」の前日にあたる1月9日、宿舎から車で15分程のところにある「通玄寺」という仏教寺院に「腊八粥」の仕込みのボランティアがあると聞いて行ってきました。
後から知ったのですが、このお寺、日本にインゲン豆やスイカ、胡麻豆腐、煎茶などを伝えたとされている中国人僧侶、隠元禅師(日本の黄檗宗の開祖)が修行していたお寺でした。
通玄寺
通玄寺の中庭
お寺というか趣のある民家みたい。
昼過ぎに着くと、近所の人たちが総出でお寺の年末大掃除をしています。(旧暦で新年を迎える中国では今が年末真っただ中)
肝心の「腊八粥」の仕込みは既に終わってしまっていて、プラスチックの容器にシールを貼る作業しか残っていませんでした。
一時間ほどシール貼りを手伝った後、住職とそのお弟子さんがお茶を淹れてくださることになり、たいした手伝いもしないまま、お言葉に甘えて一服させて頂きました。
近所の老若男女がボランティアに来ていました。
住職自らが生けた花。
障子に畳。まるで日本の茶室の様。日本との深い縁を感じずにはいられません。
地元の緑茶「雲霧茶」。
お粥は深夜から炊き始め、夜通しで煮上げるそうです。
明け方、煮あがったお粥を大きな寸胴に移したら、街のあちこちに運び、沢山の人に振る舞うのが毎年恒例だと教えてもらいました。
このお寺ではもち米、黒米、蓮の実、クルミ、ナツメ、クコの実、干し龍眼、小豆、ハト麦、白えんどう豆を煮たお粥に砂糖少々でほんのり甘い味付けをします。
お寺の外に並んだ寸胴鍋。翌朝にはこの中に入った熱々の「腊八粥」が町の人たちに振舞われます。
結局、この日はほとんど大した手伝いも出来ないまま、お茶をご馳走になった後に、さらにお寺の厨(台所)で地元を代表する点心の「饺饼筒」(ジアオビントン…数種の野菜や春雨を別々に炒め、水で溶いた小麦粉の生地で包んだクレープ状のもの)まで頂いてしまいました。
外で冷ましている「饺饼筒」の具材。木耳や黒くわい、干し豆腐などを炒めたものと、黒ゴマで和えた春雨。
街で一般的に食べられているものは錦糸卵や豚肉なども入っていますが、ここはお寺なので動物性のものは入りません。チシャトウや人参、お揚げなども一緒に薄皮で包みます。
近所の主婦たちによるベテランの技。包んだら弱火で焼いて完成です。
焼きあがった「饺饼筒」。断面の写真を撮るの忘れてしまいました。黒ゴマが良い感じにコクを出していて、素食とは思えないほどの満足感があります!
翌日、私の勤務先にも寸胴鍋1つ分の「腊八粥」が届けられ、スタッフ皆で頂きました。
日本でもこれによく似た「八宝粥」という缶詰の商品が、中華街やアメ横などの中国食材専門店に行くと入手できます。
妻の好物なので、東京の我が家にはいつも数缶在庫がありますが、私はあまり好きではありませんでした。
しかし今回、初めて食べる手作りの「腊八粥」を、住職に教えて頂いたお粥の起源を思い返しながら食べると、確かに色々な穀物や果実、乾果が入ったほんのり甘いお粥は、五臓六腑に染み渡り、栄養満点で、疲れた体を元気にしてくれる力がある様に感じるから不思議です。
通玄寺特製の「腊八粥」
この風習が現在の中国でどれほど支持され、継承されているのかは分かりませんが、私の赴任地では、このような伝統的な風習がまだまだ色濃く残っています。
次回は天台山の「春節」をレポートします!