9月も後半となってしまいました。

7月、8月と更新することが出来なかったので、久しぶりの投稿です。

 

中国でも7~8月の2ヶ月間は夏休みシーズンで、私が働くホテルやその周辺も多くのお客様や行楽客で賑わいました。

 

昨年4月のホテル開業以来、ここまで連日高稼働が続いたのは初めてのことでした。

 

この夏休み期間中、ホテルが位置する浙江省や隣の上海市などで、コロナによる大きなロックダウンが発生しなかった事も高稼働が続いたことの大きな要因でしょう。

 

連日の忙しさを言い訳にして、ブログの更新が滞ってしまいました。

 

中秋の月餅。夏休みシーズンが終わったと思ったら今年は9月10日が「中秋節」でした。写真は焼きたての蘇州風月餅「(xiān)(ròu)(yuè)饼」(bǐng)。この後10月1日からは「国慶節」の大型連休も控えており、まだしばらく忙しい日々が続きそうです。

 

 

さて、先日日本のネットニュースを見ていたら、女優の杏さんがWFP(国連世界食糧計画)の親善大使に就任したという記事を見つけ、興味があったので読んでみました。

 

WFPとは飢餓のない世界を目指し、紛争や自然災害などが発生した場合、食料を届けるなどの活動をしている国連唯一の食料支援機関であり、世界最大の人道支援機関でもあるそうです。

 

現在、120を超える国や地域で活動しており、WFPによると、2020年の飢餓人口は最大で8億1100万人。全世界の10人に1人が、栄養不足や飢えに苦しんでいるとのことでした。

 

 

 

これまでも「食」に関わるあらゆる情報に対して興味がありましたが、実はこの数か月、まだ()やっと(・・)ですが、食を取り巻く様々な問題や課題についても勉強しなければ、という思いがいまさらながら芽生えてきていました。

 

最近頻繁に目にする気候変動や環境変化、紛争などによる世界的な食糧問題、日本における農業の衰退や輸入飼料の高騰による畜産業への大打撃、自給率やフードロス問題、はたまた子供を取り巻く様々な食の問題など…。

 

人間が生きていくうえで切り離せないのが「食」なので、その問題の種類も多岐に渡ります。

 

私たち料理人が読む専門誌などでは、何年も前から「2050年の食肉問題」などとして、「食肉」のあり方が現在とは全く変わってしまうという内容の特集が組まれていたりもします。

 

まだ詳しく勉強したわけではないのですが、「食」にかかわる職業上、これらの問題は一般の人よりも身近に感じるテーマも多く、まずは正しい知識だけでも身につけたいなと考えているところです。

 

 

 

 毎度のことながら前置きが長くなりましたが、今回のテーマは「guāngpánxíngdòng」(光盤行動)です。



(guāng)(pán)」とはもともとレーザーディスクを意味する中国語ですが、この場合の「光盘」はお皿が空の状態を意味します。お皿を空にする行動、つまり「食べ残しゼロ運動」的な意味合いで、数年前から中国で良く聞くようになった言葉(標語)です。

 

ウィキペディアによると2013年に北京市のとある団体が始めた活動のようですが、徐々にネット上や著名人の間でも支持が広まり、2020年以降、国を挙げて第二次光盘行动を提起したことによって、現在では天台の山の中の「(nóng)(jiā)()」(農家楽…農家レストラン)でもこの標語を見かけるようになりました。

 

そもそも何故このような運動が始まったのか?

この背景には中国特有の理由があります。

 

生活の中で何よりも「食」を大切にしてきた中国では、お客をもてなす時「熱烈歓迎」の言葉の通り、客人が食べ切れないほどの料理を拵えて、歓迎の意を表す伝統があります。

 

もしも準備した料理では足りないようなことがあれば、ホスト側である主人はケチな人ということで中国人が一番嫌う「(méi)(miàn)(zi)」(面子を失う)となってしまうというのは割と有名な話です。

 

客人が食べ切れないほどの料理を卓上に並べ、お腹いっぱいにもてなす事ができて初めてその款待が成功となり、主人の面子も保たれます。

 

また、日本のように「割り勘」が一般的ではない中国では、仲間内の食事でも持ち回りで誰か一人の奢りとなる場合が多く、「ケチらずにもてなさないと面子がない」という心理が働く場合があるようです。

 

そうして人数に対して過剰気味に拵えられ、余ることが前提でいくつもの料理が卓上に並ぶのです。

 

自宅への招待であれば、余った料理は翌日に残しておき、主人とその家族が食べることになるので問題ありません。レストランでの場合も「()(bāo)」といって参加者の人たちがテイクアウトをして、やはり自宅に持ち帰って翌日の食事にすることが通例でした。

 

しかし、以前に比べて物質的に豊かになり、余裕のある食生活を送れるようになるに連れ、特にレストランなどの外食の場では、余った料理は「打包」をせず、そのまま残飯として廃棄されてしまうことも多くなってきてしまいました。

 

都市部だけでも毎年5000万人×1年分の食糧に相当する残飯が捨てられているという記事を見たこともあります。

 

世界最多の人口を擁する大国ですから、国全体で考えたらどれだけの食べ残しがあるのか?想像を絶する量です。

 

当然、このままでは良くないと国や地方政府も動き始め、昨年には食品の浪費を禁じる「反食品浪費法」も施行されました。

 

浪費の激しい客や飲食店には罰金を科したり、残飯処理費用の負担を請求できる場合もあるそうです。

 

習近平国家主席が直接「食糧安全保障」や「浪費の戒め」に言及したことや、食糧の無駄のみならず、面子を保ちながら金銭的な負担も軽減されるため、この動きは多くの国民に好意的に受け入れられ、新しい価値観が中国全土に広がりはじめています。

 

レストランに於いては、お客の側が食べ切ることが出来る適度な量しか注文しないというのが一番肝心ですが、レストラン側も注文の多すぎを指摘したり、一皿のボリュームを落としたり、どうしても余ってしまった場合には「打包」を推奨したりといった、それぞれの立場での「光盘行动」が行われています。

 

若い人の間では綺麗に食べ終わった「光盘」(空の皿)を写真に撮ってSNSに上げるのも流行っていたそうです。

 

 

天台の山の中の農家楽の店内にもこのようなポスターが貼ってあります。

 

日本では子供の時から「米粒一つに7人の神様が宿っている」とか「お米を残すと目がつぶれる」また、「食材やお百姓さんに感謝して食べなさい」などと聞いて育ってきている人が多いためか、国を挙げて食べ残しを注意するような必要性はこれ(・・)まで(・・)()無かったような気もします。

 

しかし、日本も飽食の時代を迎えて久しく、「食」に対する精神とか、感覚みたいなものは昔よりもどことなく緩く、緊張感のないものになってしまっているんだろうな、という気がしなくもありません。

 

私が身を置く飲食業界だって、とても大きなフードロス問題を抱えているはずです。

 

もう20年以上前ですが、たぶん私がまだ学生時代を過ごしていた頃、「輸入してまで食べ残す、不思議な国ニッポン」という強烈なキャッチコピーのテレビCM(ACジャパン)が流れていたのを今でも覚えています。

 

食糧問題について、まずは「出来ることから」と考えると、国に関係なく、せめて一人一人が「光盘行动」くらいは意識して取り組まなければならないのだと思います。

 

 

久しぶりの投稿、中国料理とは直接関係のない内容でしたが、これからも多くの人が豊かで楽しい食事を続けていけるためには、食の未来についてももっと考えていかなければなりませんね。

 

 

~おまけ~

 

天台の畑 夏から秋

 

7月。インゲン豆。以前の記事にも書きましたが日本にインゲン豆を伝えたとされる隠元和尚は日本に渡る前の一時、天台山の「通玄寺」にも居たそうです。

 

7月。現地では「线(xiàn)(jiāo)」(線椒)と呼ばれる種類の唐辛子。家庭でも各種炒め物に使われています。個人的な感想では天台の人は「辛さ」に強い人が多い印象です。

 

7月。とうもろこし畑。

 

7月。沢山実ったトウモロコシを収穫する夫婦。

 

9月。こうべを垂れる稲穂。

 

収穫までもう少し。江南は魚米の郷。

 

おわり