3月ボサノヴァ(闘病と子育てブログ) -116ページ目

終わりました

無事に、滞りなく父の葬儀を済ませることができた。


懸念していた母の体調は、かかりつけ医が休診返上で診てくれたり3日連続で点滴してくれたりしたおかげで、数値も改善しなんとか動けるようになった。入院せず、葬儀にも出ることができた。良かった。




父の葬儀。

父との思い出……。


思い出は、ほとんど無い。


父の仕事の関係で、私が小さい頃は父と一緒に暮らしていなかった。ちなみに兄が小さい頃は一緒に暮らしていて、沢山遊んでもらったらしい。

私が大きくなってからは私がさっさと家を出てしまったので、やっぱり思い出は無い。


父のことで思い出すことは、

近年、よぼよぼしている父を介護したこと。


まあそれでも……お別れは悲しいものだ。

気づいたら涙が流れていた。

兄は大号泣していた。

母は体調不良もありずっと背中を丸めてうつむいていた。




娘・うめてんはマイペース。これはまたあらためてブログに書こうと思う。




父がいたから、私もうめてんもこの世にいる。

父がいたから、私は学校に行くことができて、社会人になることができた。

父は私にとって、本当に大切な人だった。

お父さんありがとう。


あれや、これや……

とても忙しい。

(ブログ書く暇があるのか!?と自己ツッコミをしたいぐらいだが、こういう時ほど書きたくなるし、書くと気持ちの整理になる)


まず亡くなった父のこと。

父は8ヶ月前に入院し何度も危篤になったので、今までの間に入っている保険の確認や銀行口座の確認、各種名義を母に変更する手続きなどはすでにほぼ終わらせていた。年賀状や手紙の整理もしておいたので、各方面への死去の連絡もスムーズだ。この点ではバタバタせずに済んで、やっておいて良かったと思うばかりである。

葬儀屋さんにも事前に何社か問い合わせしてざっくりと見積もりをとっておいたので、困ることなく打ち合わせを進められた。

そしていよいよお通夜・お葬式なのだが……

母の体調が悪化。

発熱し、非常に具合が悪くなったため訪問看護師さんに相談したところ、休日にも関わらずかかりつけ医が診療所を開けてくれて、特別に点滴してくれた。

ありがたい。ありがたすぎる。の、だが……

具合は良くならず。

入院を検討することとなった。

今日またこれから診てもらう。

母はお通夜やお葬式に出られそうにない……かもしれない。

ああ、まさかこんなことになるなんて。


そして次に、

亡くなった友人のこと。

お通夜に行ってきた。

お寺だったのだが、友達と思われる同年代の方々だけで何百人もの人が集まり……

道路まで長蛇の列ができていた。

本当に人望の厚い子で。顔が広くて。お友達も多くて。

すごく周りを見て気配りをしてくれる、明るくて本当に良い子だった。チアリーディングを長くやっていて、まさにチアのイメージそのもの、太陽のような、周りを笑顔にしてくれる子だった。

なぜ、なぜこんなに早く亡くならないといけなかったのか。命を奪った病気が憎い。悲しすぎる。

沢山の写真が飾られていて、どれもが太陽のような満面の笑顔だった。

友人と私の出会いは20年ほど前、習い事のゴスペルだった。ゴスペルをやめた後も、お互い子供が産まれたら遊びに行ったり、子供の習い事(スケート)が一緒だったりと、ずっと付き合いがあった。

私が父のことでバタバタしてしばらく連絡をとっていなかった間に、病気が進んで……悲しい、悲しすぎることになってしまった。


ああ、書いているだけで泣けてきてしまう。

父のことは、覚悟があったからショックも大きくはなかったのだが、友人のことは本当に、今でも信じられない思いである。


あとブログには

子供の塾のこととか中学見学会のこと、習い事のこととか

書きたいことが色々あるのだが……

さすがに少し落ち着いてから書くことにする。


今は、


一番考えないといけないのは

母の体調だーーーー!!

お別れ

さきほど、

実家の父が亡くなった。85歳。

転倒による脳挫傷から8ヶ月。よく頑張った。大往生といって良いと思う。




そして……

たまたま、重なってしまったのだが、


私の仲良しだった

お友達も、

亡くなったと連絡があった。(病死)


こちらはまだ若いよ!40代だよ!悲しすぎる!!

子供の習い事も一緒だったし、このブログも読んでくれていて、応援してくれていた。目を閉じると、笑顔が焼き付いている。

連絡を受けて、まさかそんな……という信じられない気持ちしかなかった。




もうショックすぎて、どうしたらいいのか。


とりあえずこれから、父の葬儀についての打ち合わせだ。気を確かに、頑張らないと。