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 久々に、サウジから離れて、音楽教師としてつぶやきます。

 今年は、このコロナ禍で、合唱コンクールは通常通り行われるだろうか?

 昨年度はいろいろな形に変化して行ったところや行事自体をやめてしまったところなど、いろいろな対策がとられてきたようだが。

 

 中学生の時期に、合唱コンクールが為す意義は大きい。

 “声”という、形に見えないものを媒介にして、「人と和する喜びと難しさ」を、自らの手で創り上げていくことは、この時期の心の成長に大きく作用するはずだ。

 以前のブログで、阪神の赤星が級長をしていた時のクラスの合唱コンについて書いたが、子どもたちが合唱コンで得るものは計り知れない。

 

 合唱コンについて語り始めると、長くなりすぎるので、今回は、表題の「指揮者」にスポットを当て、その意義について書こう。

 

 皆さん、指揮者って実際のところ必要だと思います?

 

 当たり前のように合唱や合奏(オーケストラや楽団)の前に立ち、手を振ってる人・・・一見、誰でもできそうなこの役・・・いなくてもいいんじゃない?

 

って、僕は小さいときからずっと思ってた。

 教師になってからも、吹奏楽部顧問になると、あの“手を振るだけの役”をやらなくちゃいけないので、運動部の顧問を希望した。

 だって、指揮者がいてもいなくても演奏なんか変わらないでしょ?

 ※僕の大学時代、「指揮法」の授業があった。そこでは、指揮者の意義など、これっぽっちも教えてもらわなかった。オーケストラ譜を見て指揮をしながら、各パートの“出”をいかにタイミングよく指示できるか、ってことを目標として指導された。「そんなの、別にこちらが指示しなくたって、そのパートは楽譜通り演奏してれば勝手に出てくるにきまってるじゃん」って思いながら、ばからしい“棒振り’を続けていた。

 

 ところがどっこい! 違うんだなあ。

 

 指揮者によっては、はっきり言って“不必要な人”だっている。合唱だったら、ピアノ伴奏に従って歌えば、それで何とかなっちゃう場合だって実際にある。

 そこに指揮者が入ることによって何が変わるのか? いや、要はその指揮者が何を変えられるのかってことだ。変えられる人こそが「指揮者」なのだ。変えられないなら、いなくたっていいのだ。それこそ、形だけのお飾りで手を振ってるだけなのだから。

 ってことを、僕は教師5年目~7年目のバンコク派遣ではじめて実感したのだ。

 

 僕が現役のころ、合唱コンクールの時期には、「合唱コンだより」を毎年4号発行していた。その第2号には、毎回以下の記事を必ず載せていた。

 伴奏者は、ピアノができる子にしなければならないが、指揮者のほうは、“幼い”クラスでは、単なる目立ちたがり屋が立候補し、周りもそれを認めていってしまう。それこそいてもいなくてもいい指揮者をつくってしまうのだ。おまけに音楽教師も、彼らに拍に合わせて振るだけのことしか要求しない。というか、指揮の意義を知らない教師もけっこういる?

 

 では、上の記事を詳しく説明しよう。記事は言葉足らずだが、実際に子どもたちには、次のことを指導していく。

 

 ◆<指揮者ならではの仕事>伴奏者にはできない指揮者ならではのお仕事に、「テンポの揺れ」がある。これは伴奏者が引っ張ったり、合唱メンバーが自分たちで合わせるのは無理だ。リタルダンド(だんだんゆっくり)をかけてゲネラルパウゼ(全員での休止)の直後の“出”など、指揮者の指示なくしてできるものではない。

 ※こういうフレーズがあると僕は指揮者としてアピール度も上がり楽しい。たとえ楽譜にそういう指示がなくても、わざわざそういう演出をしてしまうこともあるほどだ。

 

 ◆<メンバーへの仕事>指揮者の仕事は、はっきり言って、棒を振ることではなく、メンバーの「ブレスのタイミング」を合わせることこそが、一番すべきことなのだ。棒はそのための補助具にすぎない。

 

 ◆<観客への仕事>そして、誰よりも曲を理解し、自分のパートだけでなく他のパートとの絡みや重なり、盛り上がりやダイナミクス(強弱)の変化、そしてテンポの揺れを、その指揮で、メンバーにというより背面にいる観客に見せることで、自分たちの演奏を観客により理解してもらうのだ。

 まず「向き」・・・観客は、指揮者が見ている方向に知らず知らず注目する。注目するとその音が中心に聴こえてくる(人間の耳ってそういうもの。指向性があるのだ)。Sp→At→Tn→Bsと掛け合いがあるところは、そういう風に観客にわかるように指揮をして教えてやるのだ。それによりメロディが浮かび上がったり、掛け合いのおもしろさがより際立ったりする

 そして「ダイナミクスの変化」・・・音量の小さいフレーズは、指揮者の動作により、実際の音量より小さく感じられるようになるし、クライマックスでも同様に、指揮者の振りにより、その効果はより増大する。

 

 以上のような、指揮者の活躍により、メンバーはもちろん、観客はその演奏をより深く理解できるのである。

 ※もちろん、もっとテクニカルな、例えば4ビートの曲を8ビートで振ったりすることで、メンバー自体の“ノリ”を変えるなどの指揮法もありますが、ここには指揮法のテクニックについては載せていません。それらは、実際の指揮担当の子どもの能力によって指導内容を変えていきます。上記の記述は授業の中ですべての子どもに教えていく内容です。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 付録として、伴奏者の心構えも。

 まず言っておくと、ピアノのうまい子が、伴奏もうまいかというと、否である。ピアノにはない、歌独自の「ブレス」を理解していない子は、いかにテクニックがあってもよき伴奏とは言えないのだ。

 歌には、必ずブレスが必要だ。それはピアノのブレスとは異なり、生理的な時間を必要とする。だから、ピアノ伴奏者にも一緒に歌いなさいと指導をするのである。伴奏が独りよがりな“演奏”にならないように。

 ※プロの指揮者の中には、生理的なブレスの必要がない弦楽器群に対して振る際でも、わざと歯擦音を出してブレスを表現する人もいるほど。ブレスって、単に“息を吸う動作”なのではなく、大事な演奏の“表現”でもあるのだ。

 

 こういうつもりで、子どもたちを指導していくと、子どもはどんどん変化していくよ。そして、指揮と合唱と伴奏がまさしく一体化していくんだ。

 僕ら教師がどんなイメージを持って指導に臨むかが、大切なんだよね。

 

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