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 ぼくが担任だった頃は、学級便り(教師作)や学級新聞(生徒作)に、生き方やクラスへの想いなど、道徳的なものも思うままにいろいろ載せてきた。

 道徳の授業では、教科書だけでなく自作教材にも率先して取り組んでいたが、その中の一つを、当時の道徳主任が気に入ってくれ、県の道徳の機関誌に市の代表として載せることになったのが以下の文である(その先生にうまく乗せられていたのかもしれないが?)

 

 「サムルーン」というのは、僕がタイ派遣時に手にした漫画本で、タイでは非常に有名な実際にあったお話だそうで、日本語訳にもなっており、とても衝撃的な内容だった。

 特に僕にとっては、当時教えていた孤児院の子どもたちの境遇と重なり、一気に読んだ覚えがある。

 

 そのお話と、孤児院の指導でお世話になったある方の活動の崇高さに心ふるわされ、自作教材化したものです。

◆  ◆  『足長おばさんと里親制度』  ◆  ◆

 「サムルーン」というお話を知っているか。

 タイ人の子どもの名前をタイトルにしたこの話は、タイのイサーン地方(貧しい東北の田舎)を舞台にして始まる。イサーンでは様々な悪条件・悪環境のため作物がとれず、わずかばかりの米で一家が暮らさなければならない。

 小学5年生のサムルーンの家もその例にもれず、毎日を飢えの恐怖と闘いながら暮らしていた。そんな環境の中で、手配師からの

「3千バーツ(当時1万5千円くらい)で子どもを働きに出さないか?」

という申し出に、父はサムルーンを売る。家を助けるためだからということで、サムルーン自身も承知をして‥‥(上記がその場面のページ)


  バンコクに連れていかれたサムルーンは工場に閉じ込められ、一日16時間の重労働を強いられる。一度は逃げ出したが、連れ戻されひどい仕打ちを受ける。仕打ちと過度の栄養失調のため彼は重病に陥ってしまう。工場で死なれると困るため、重病のままバスに乗せられ、サムルーンは故郷に帰ることだけを念じながら息を引き取る。


・・・・・これは実際にあった話で、今なお現実に起こっていることなのである。


 私はバンコク日本人学校にいた3年間、現地の孤児院で毎週、合唱指導のボランティアをしていた。そこで出会った子どもたちは自分たちの境遇に負けず、互いに助け合いながら明るく生きていた。

 

 その時いっしょに指導の手伝いをしてくれていた中川さんという方は、孤児院のボランティア以外に、クロントイ(バンコク市内で一番の貧民街)で子どもたちを集めて遊んであげたり本を読んであげたり資金援助をする活動や、ノンタブリ(重度の肢体不自由児の医療施設)に日本人社会で集めた古着や日用品を持って定期的に慰問をするという様々なボランティア活動に取り組まれていた。

 その上さらに「里親」として、孤児を一人、匿名で資金援助されていた「足長おばさん」でもあった。


 視野を広げると、日頃見えない多くの貧しさが見えてくる。それを根本的に解決するのは教育だ。そしてその教育を受ける手だてとして、心ある人たちの愛情が世界各地で「里親制度」という形をとったり、いろんな基金が設けられたりしているわけだ。私たちにとっては少しの寄付が、貧しい地域では大きな恵みとなり、この愛情の和が世界に広がっていくことによって、多くの子どもたちが生きることに希望を持てるのだ。

 先日中川さんから来た手紙は、こう締めくくられていた。
「帰国してから、また里親として、今度はタイの中学二年生の男の子の面倒を見させてもらうことになりました。」 


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