ブログ 目次

 先日、かねてから行きたかった黄金の三角地帯「ゴールデン・トライアングル」へ行ってきた。ゴールデン・トライアングルとは、タイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、世界最大の麻薬密造地帯として有名なところだ。現在はミャンマーの一部でまだケシ栽培が行われているようだが、全体的には健全な観光地になった。タイとミャンマーとの国境にも行き、今回越境はしなかったが、久々にミャンマーを身近に感じて、一人の女性を思い出したのでここに書くことにする。


◆      ◆      ◆      ◆      ◆
 

 僕が、ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー女史と会ったのは33年前。現在、ロヒンギャ問題でいろいろ取りざたされているが、氏とは会っただけどころか、たしか食事も一緒にしたような気がする・・・。

 今回はそんなあやふやなお話。

 アウンサンスーチー氏は、皆さんご存じの通り、ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者である。現在は、国民民主連盟党首であり、昔まだミャンマーがビルマと呼ばれていたとき、ビルマの独立運動を主導した「ビルマ建国の父」ことアウンサン将軍の娘である。その父は、氏が2才になってすぐ、目的達成を目前にして暗殺されてしまったが、氏はイギリス留学や日本での研究員を経験し(←会ったのはこの当時)、その後、何度も軍事政権による自宅軟禁に耐えながら国のために活動して、現在は国を動かす指導者として、お父さん以上の活躍をしておられる。氏は現在74才だが、お会いしたのは33年も前のことだ。

 当時、僕は、バンコク日本人学校へ派遣され、タイ副首相の依頼により、ラジャビティ孤児院に毎週出かけていた。

 

 

 そのとき、まだ、タイ語が完璧でない私のため、お手伝いに来てくれていた日本人の女性が二人いて、その方々が僕に一度会わせたい人がいるということで会うことになった(女性方は、在タイ日本企業の重役の奥さんで、かなり広い交友関係を持った方達だった)


 スーチー氏は、日本に派遣されていた直後ということで、ずいぶん日本語が堪能で驚いた記憶がある。ただ、当時の僕は27才、目の前の出来事にがむしゃらにチャレンジするだけの若者だった。女性方が、スーチー氏がどんなにすごい方かを力説してくれたが、僕にはいっしょに何を食べたかも覚えていないほど興味がなかった。

 スーチー氏や女性方は、当時の国の情勢やこれからの政治について熱く語られていたが、僕には孤児院の子供たちの指導方法の方がずっと大事で、話はボーっと聞いていただけだった…。

 ただ、そんな僕にも2時間もいるとおぼろげながらこの方が発するオーラの強さは伝わってきた。

 その後、スーチー氏は壮絶な人生を歩む。

 決して幸福ではない、でも信念のため、国のために、常に何かと戦いながら、多くの国民を希望へと導く。

 

 僕は、帰国してからも、あのときの女性が、一国の希望となっていることに驚くと共に、ボーっとしていたあの2時間がすごくもったいないことをしたと悔やまれる。

 でも、その後、こうして不定期にスーチー女史の生き様をググっている自分がいる。

 あの細い、穏やかそうな小さな女性があのあと歩んできたこの30年。

 自分の30年と比べて感慨にふけりながら、あのときあの方と接点を持てたことを、今さらながら光栄なことだと感じる今日この頃である。