日常的スピリチュアル、安田です。
長く生きることで
過去の記憶が大きくなるのですが
記憶が大きくなることで
今の現実の歩みに
支障を来たしてしまうのです。
過去の記憶が大きいと
過去ばかりを振り返ってしまい
場合によっては過去の方が
今よりも良かったと
錯覚してしまうのです。
過去のことというのは
良くも悪くも
今さらどうにもできません。
私たちの歩みは
今の瞬間にしか歩めないし
今の瞬間の歩みが
未来に連結されていきます。
過去の記憶が大きいというのは
成長してこなかったということです。
過去のことばかりを
自慢げに話す人は
そこから成長していないのです。
常に努力をし続けていれば
過去よりも成長しているので
過去の記憶が小さくなるのです。
昔ばなしが好きな人というのは
過去の栄光に執着していて
今の現実の歩みを曖昧にしています。
成長の観点から見たら
過去よりも、今の方が成長しているので
今の基準を誇ることの方が、ごく自然なのです。
成長していない過去の方が青臭いので
過去を振り返ることに
恥ずかしさを感じるのが自然なのです。
「あの時は良かった」と
過去を栄光化していくのは
その時から成長していないことを
自らさらけ出しています。
私たちが誇るべきことは
過去の栄光ではなく
どれだけ成長したかなのです。
時代的に、過去の自慢話をしてしまうと
みっともなさを感じてしまうのです。
今、誇るべきことがないので
過去のことばかりを
話してしまうのですが
これからの次世代は
私たちの過去のことなど
興味関心がありません。
感覚的に次世代にとって
昔ばなしというのは
私たちでいう
江戸時代のような話であるので
学校の教科書から学ぶことなのです。
過去の話が、機関銃のように
次から次と出てくる人は
成長していないのです。
過去のことを話したくない人は
成長につながる歩み
努力をしています。
努力を続けることで
過去の自分よりも
成長していることを
感じるようになるので
今の歩みに集中し
投入することができます。
成長は努力をしなければ
続けなければできません。
成長につながる歩みをしていけば
どんな過去でも青臭く
見えてしまうので
過去の話をしたくなくなるのです。
私たちが誇れることは
どれだけ成長したかだけなのです。
誇ることがないと
過去のことを栄光化してしまい
成長していないことを
自ら暴露してしまうのです。
今の時代は過去の事例が
通用しないので
過去を振り返っても
何も生み出せないのです。
本来の基準から見ていかないと
今の時代に合わせた歩みが
できなくなってしまいます。
私たちは何歳になっても
今の瞬間と未来だけを
見ていくべきなのです。
今の瞬間に集中し
投入していくことで
未来につなげることができます。
過去の記憶が小さくなることで
今の瞬間に集中しやすくなり
投入しやすくなるのです。
瞑想の努力を続けることで
過去の記憶が小さくなり
集中、投入がしやすくなり
成長につながる歩みができます。
成長につながる
歩みをしていくことで
過去の自分に青臭さを感じるので
どんな過去であっても
栄光化することができなくなり
今の時代の歩みに集中することができ
投入することができます。
過去よりも今
今よりも未来は
より良くなっていくので
その良くなる基準に
合わせていくことで
より成長することができ
前に進むことができるのです。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌