新聞小説「また会う日まで」(6)池澤夏樹 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「また会う日まで」 (6) 1/1(149) ~ 1/31(178) 
作:池澤夏樹 画:影山徹

 

感想
海軍大尉の身で東京帝大の学生として過ごし、水路部に入るところまでが描かれる。その間にチヨと結婚し、満ち足りた毎日を過ごす利雄。

日曜学校で子供らを導く言葉も、何か上っ調子な感じがする。
関東大震災の悲劇も、自身に直接の被害がなかったため、自分ごととして捉えていない。
それは妹トヨが亡くなった時も同じ。悲しみよりも実務に頭が行く。

結局そういうタイプなんだろう。
実際の葬儀告知はコチラ

そのまんまやなー、と思ったら微妙に手が加えられている。

当時七歳だった福永武彦だが、本人は全く記憶がないと言っている。
末次郎の絶望。強い決意でトヨを娶り、ようやく自分の血が繋がった息子が生まれたものの、引き換えに妻が召された。

信仰心もなくすだろう。
教会経理の雑務は奉仕としてやるが、礼拝はしない。それが末次郎のギリギリの折り合いの付け方。
利雄なんかより、よほど魅力的な人間。

章題への考察
三つの光は妻のチヨ、甥の武彦、文彦。

一つの闇はトヨの死という考え方。
ただ光については利雄自身の身分として 海軍大尉  東京帝大理学部学生  三光教会の信徒、と表現しておりこの三つの光と、トヨの死という闇。これもアリか。
それとも妹夫婦に限定して末次郎、武彦、文彦の三つの光と、トヨの死という一つの闇、なのか・・・
次章は「チヨよ、チヨよ」・・・気が滅入る 

あらすじ
三つの光、一つの闇 1 ~ 30

大正11(1922)年、私は二十九歳の海軍大尉だった。前年海軍大学校の専科学生となり東京帝大、天文学科入学への準備中だった。


二月に米・英・日・仏・伊五か国でのワシントン海軍軍縮条約が結ばれた。平時では、火事対策の消防車を作るより産業隆盛が重要。

条約締結は好ましい。
四月、私は従妹のチヨと結婚した。軍人の婚姻には許可が要る。
この制度は、素性の怪しい者との性急な結婚を防ぐためだという。
私の場合は全く問題ない。従妹であり幼なじみ。
同輩からはよく「未婚の妻ノロ」と笑われた。

大正十一年四月二十五日、私とチヨは聖公会三光教会で、結婚の秘蹟を受けた。
思えば長い婚約だった。自分たち同士で決めたのは、あの兵学校受験前に交わしたキス。十一年前のこと。

主に導かれて自分で運命を決める、我が一族の女たち。
乗艦勤務のない水路部を目指したのは、チヨの事以外に教会の仕事が出来るのも理由にあった。
教会の日々の仕事は、信徒の無償の働きに負っており、それは魂の蓄えとなって聖ペテロが記す。
軍籍にあれば、俸給は保証されている。
その先に魂の世界がある。入り口は教会の扉。

満ち足りたチヨとの幸せな日々。専科学生として勉学は順調に進み、我が人生の方針は揺らぎないように思える。主イエスの差配として感謝。日曜ごとの三光教会での礼拝で頭を垂れる。
全ては神の配慮の内にある。

その自覚がなければ、不運が来た時に耐えられない。
聖書の「ヨブ記」。

神とサタンの議論がきっかけで、富裕な義人ヨブは全てを奪われる。
我ら神より福祉(さいはひ)を受くるなれば災禍(わざはひ)をも亦受けざるを得んや
この覚悟、我にありや?

ある日曜日。教会から戻った私たち。チヨが茶箪笥をの文箱を整理していて、手紙と共に答辞を見つけた。
チヨが小倉高等女学校の時のもの。あれからもう七年。
求めに応じてチヨは読み始めた。
来賓への謝辞。学びへの喜び・・・
大正四年三月廿三日 第十六回修了生 総代 井上 千代
拍手した私。

だが、つまらない答辞だと言うチヨ。
人の世はそうやって営まれている、との私の言葉に、言葉には重い軽いがあると返すチヨ。
今日の礼拝での祈禱書の一節を読んだ。
主は我の牧者なり われは乏(とも)しきことなからん
・・・・詩篇第二十三篇
しかし人は神の糧だけでは生きられず、カイザルの糧も要る。
この家に二人でいる限り、ここは楽園よ、と手をのばすチヨ。

その年、大正十一年の秋、物理学者アインシュタイン博士の来日が報じられた。訪日の途中でノーベル賞受賞の報を受ける。


海軍の中でも、せめて彼の業績を理解しようという機運が高まり、勉強会のとりまとめを命じられた。
聴衆は三十名ほどだが、中には将官もいる。

要点だけをまとめたものを作った。
相対性理論の概要は、ニュートン力学を拡張した重力論。
時間と空間は互いに独立しておらず、両者を繋ぐのは光の速度。
この理論によれば、慣性力と重力は、空間の歪みから生じる。
これが参加者に分かったかどうか?私自身も分かっていたかどうか。

アインシュタインについての講義を続ける。
科学における仮説と実証。一般相対性理論の一つが重力レンズ。
光が重力によって曲げられる事を、日食を利用して実証した。
月が太陽を隠した時、その近隣にある恒星を撮影し、夜間に撮ったものと比較する。そこでのズレが理論値とほぼ一致した。
一般相対性理論の公式 E=mc^2
ここでEはエネルギー、mは質量、cは光速。
聴衆の一人が、この発見は物質をエネルギーに変える爆薬を作るとかに役立つのかと聞いた。
現時点でその見込みはないと言ったが、ここで話したことは日食観測と、長崎のピカドンで二度深く関わった。

東京に住むようになって、私の信仰の拠点は聖公会三光教会になった。海外資金に依存しない自給教会。
大正十二年九月一日、東京は震災に見舞われた。
自分らの家、三光教会も被災を免れたが、それは信仰とは無関係。

多くの教会は全焼。それを忘れる事はなかった。
震災翌年、野瀬秀敏師が司牧者になられた。
愛餐会による炊き出し。

ルカ伝福音書をなぞった、パンと鮭缶詰の献立に信徒は感激した。

三光教会で私は日曜学校の教師に任命された。

サフラン組、小四、五年女子が生徒。
この年頃の少女を相手にした事がなかった私は、チヨに相談した。
イエス様の話をすればいい、とあっさり言われた。

一回分だけは筋書きを書いてくれるという。
また、日曜学校には席次はないとも言う。「ルカ伝」九章。

何も教えを知らないからこそ、いくらでも知ることが出来る。
大事なのはイエス様がいつも見ていて下さる、ということ。
10
関東大震災から四ヶ月後、私は日曜学校サフラン組の子供と父兄に向けて書簡を書いた。
新年を迎え、理想の楽園を建設しようという思い。
苦難の一年は過ぎたかに見えるが、門松が取り去られる頃には恨み、争いは渦巻く。
日々刻々新たなる事が出来る、キリストを信じる者にはこれが出来る。コロサイ書三の十。
数年間、学校や日曜学校、家庭で聖書を開き、銘々の心はキリストに向かっている。
11
信仰の生涯を送るのが幸福である一方、信仰を全うする困難。
困難、苦労なしに過ごせるようにというより、どんな苦労にも打ち勝つ力を神より与えられん事を祈る。


洗礼を受けることへの不安について言及。

神を愛せんとすればまず神に愛せられねばならない。
神が探している時に、岩陰で隠れる羊であってはならない。
12
自分たちの願う永遠の幸福は、キリストから離れてはあり得ない。
進むべきはこの道しかないと知り、その道を踏み初むるほかない。

洗礼を決断したら何の躊躇も不要。
神は罪を許し給う。過去のために現在を曇らせてはならない。
どうかこの一年が特別な御恩寵の年でありますように。

一九二四年一月。
生涯に亘ってわたしはこういうことを書き、話した。
あの時期、大学での勉学、日曜は朝の礼拝後日曜学校、その後は運営でずっと教会。妻も母の会の書記などで働いた。
二人にとって満ち足りた日々であった。
13
あの時期に持っていた三つの身分。
 海軍大尉  東京帝大理学部学生  三光教会の信徒
どれが最も大事とは決められない。三本の柱が陽光を奪い合い、私の中で争っている。
大尉、正七位、俸給は二級俸。
海軍から派遣された東大での勉学は楽しかった。
古風なニュートン、ガリレオ、コペルニクスの天文学。
いずれ私は水路部に行くだろう。

海軍だけでなく民間も天測暦を信頼して航行している。
天測暦と同様、私は聖書を信頼していた。
だが聖書を手にしていただけでは、霊の導きは得られない。

読み、考え、祈る。主の前で力を尽くす。
三本の木は根を共有している。それが私という人格。
14
家にチヨがいると思うと、嬉しくて大学からいそいそと戻る。
差し向かいの夕食で、アメリカ雑誌のジョーク。
戦艦に進路変更の警告を出すと、先方から「そちらが変えるべき」との返信。再度の返事は「こちらは〇〇島の灯台である


寝床の戯れの後、チヨに聞いた。

嬉野温泉で自分の寝床に来た時のこと。
トヨの様に懐妊したら、と思わなかったのか?
学校の先輩に教えられたのは、月のもののすぐ前なら危険はない。
「まるで月の運行だな」 「だから月のものというのよ」
15
チヨがちょっと旅をしたいと言った。それは大連。

ご主人の都合で行っている親友に会いに行く。
留守の間を何とか過ごした私。

外食もしたが、米を炊いて味噌汁ぐらいも作れる。
十日ほど経ってチヨが戻って来た。美しい街だったという。
「俺が水路部で出世し、引退したら一緒にハワイぐらいには行けるかな」
16
大連ほど遠くなければ一緒に旅もできた。
群馬の万座温泉・日進館に行った時のこと。

宿名の「日進」でチヨと姉妹艦の「春日」の話になる。
近くに稲荷神社があり、宿のグローという犬がそこの社の床下で寝ていた。参拝の男女がそれを拝む。チヨがこの絵を描き、文を添えた。
いつも拝まれるグロー。期せずして正一位に昇進した。
稲荷の狐が、後鳥羽上皇の勅令で正一位とされた事に絡んでの冗談。こういう妻をわたしは得た。
17
その頃私たちは荏原郡の戸越に住んでいた。チヨの作った弁当を持ち本郷の東大に通い、日曜にはチヨと共に三光教会に通った。
水交社の斡旋で海軍士官はこの辺りに家を借りる。

狭い庭に草花を植えて楽しむチヨ。だが子宝はなかなか授からず。
甥の武彦が当仁小学校に入ったとの葉書。トウジンではなくトウニンと読むのだ、とチヨ。物知りだなあという話から、いっとき話が弾む。
18
トヨからの手紙。

自分の方が二つも上なのにチヨを姉と呼ぶおかしさを綴る。
旦那様は毎日銀行で数字と格闘。帰ったら頭を手でトントン叩いて数字を落としてあげる。武彦もそれをまねしてトントン・・・


武彦の書いた詩が新聞に載ったという。親バカの典型。
最後に懐妊の報告。来年三月には生まれる。
19
ある日大学から帰ると、チヨの喜ぶ顔。電報が来ていた。
ダンジタンジヤウ」スエジラウ
赤飯に目刺しで祝おうと話が合う。男、女どちらがよかったかの話に、自分たちの子の事を思う。
翌日また電報が来た。フミヒコトメイメイス」スエジラウ
だが数日後、再度の電報。トヨカウネツヤマズ
お産の後の熱は怖いのよ、と言ってチヨは九州に向かった。
四日後電報が届く。アナタモイラシテ」チヨ
そんなに悪いのか? 私は汽車に乗った。
20
車中では何も出来ないので、天文学の教科書と聖書を持った。
星の動き、聖書の言葉、ともに揺らがない。

頭ではそう考えてもついトヨのことを思う。
三つ下の妹。おそろしく利発で、子供の頃は良く言い負かされた。
芯が強く、荒波を蹴立てる様にも見えたが、難破の危機を回避して末次郎と結ばれた。
八年前にはこの線路を、懐妊したトヨと共に東へ向かった。

末次郎との結婚を私が画策した。
聖書を握りしめて、トヨがこの危機を越えることを祈った。
私は混乱し、ただただこの時を越えて欲しいと念じた。
21
博多駅に迎えに来たチヨによると、熱が下がらないという。
病院でトヨの手を握る。妹の手を握るなど何十年ぶり。とても熱い。
末次郎は疲弊の極み。男同士、言うこともない。
トヨが好きで、他人の子を宿しているのを承知で娶ってくれた。
三日後、トヨは天国に召された。

 

人は本来が天の住民と考えれば死が受け入れやすいからか、カトリックではそれを帰天と言う。
どんな言葉を使おうと、悲しみは一寸も減らない。
22
トヨの召天からの数日。

なすべき事は多々あったが、末次郎は座り込む。
しかたなく私が死亡広告の案を作った。


トヨには伝道師としての働きがあり、家も知られた一族だったため、多くの人が聖公堂に集まった。牛島惣太郎先生による司式。
文彦は生後二週間、末次郎はどうやって育てて行くのか。

助けようにも福岡と東京では遠すぎる。
目前の責務。葬儀、埋葬の手配や生活の安定。
奔走することで悲哀の想いを宥めようとした。
23
文彦は病院で貰い乳をしているが、早急に人を頼まなくてはならない。
忌引き日数にも限りがあり、後をトヨに託して汽車に乗った。
十日後、チヨからの手紙。
武彦はしばらく佐世保(祖父母)に預ってもらう事にした。
乳母が見つかり、住み込みで頼んだ。女二人で家事を分担。
日曜、一人で教会に行った。末次郎は行けず。
聖歌を歌っていて、涙が止まらない。
一人暮らし申し訳ないが、もうしばらくお願い。
24
文彦が一歳三か月になった大正十五(1926)年、末次郎は三井銀行福岡支店から東京本店に移動となった。
その二か月前、私は東京帝国大学理学部を卒業し、天文学士の資格を得て水路部に入っていた。
上京して来た末次郎と息子二人は、とりあえず戸越の私の家で暮らすことになった。
武彦は近所の尋常小学校に通い、文彦の世話はチヨがした。
チヨは文彦がかわいくて仕方がない。

しかし末次郎はいつまでもこの状況を続けるつもりはない様だった。
ある日の夕食時、後添えの事を末次郎に聞くチヨに、にべもなく断る。子らと新しい母親がうまく行くとは限らない。
男手一つで育てるのは無理。一人を私たちに預けない?
25
二人の甥のどちらかを預かりたいという、チヨの考えは知らなかった。
「考えてみます」と末次郎は言った。
その夜チヨと話す。トヨさんが忘れられないのよ、とチヨ。
武彦もかわいい。だが両方は無理。


この一族は養子が多い。私も井上から秋吉になった。

文彦に秋吉姓を継がせることが出来る。
日曜の教会行きを末次郎は遠慮し、私たちは子供らを連れて行った。
26
その日の夕食どき、子供たちが寝た後に末次郎が、話があると言った。文彦を育ててやって欲しいという。

養子縁組でよいか?の問いに頷く。
もう一つ伝えることがあると言った。信仰を失ったという末次郎。
元々熱心な信徒ではなかった。

トヨと結ばれて聖公会の信徒になれた。
しかしトヨは死にました。主が連れて行かれた。
どうしてこんな不運に見舞われたのか。
産褥熱について調べた。今は感染症と分かっている。

この病で死ぬのは統計で四百人に一人。
主の計らいと統計の間で立ちすくんだ。

なぜトヨだけが天に連れ去られたのか。
27
利雄兄さんの数字とは意味が違うが、銀行員の私も数字を絶対としている、と言う末次郎。相場の動きに目をこらし、利と損を算出する。
だからこそ四百分の一の不運に考え込んだ。

なぜ主はトヨを連れ去ったのか。
教会には行くが聖歌は歌わず、唱和もせず、こうべを垂れるだけ。

抗議ではなく、不満の表明。大きな魚に飲み込まれるぞ、と私。
ヨナが、堕落したニネーヴェの町を正す勇気がない時、大きな魚に飲まれて三日を過ごし、その経験の末に堕落を正した。
28
チヨが低い声で聖歌を歌い始めた。
 神ともにいまして     ゆく道をまもり
 天の御糧もて         力を与えませ
 また会う日まで       また会う日まで
 神の守り               汝が身を離れざれ

トヨの葬儀で歌われたもの。一緒には歌わなかったが、末次郎の頬は涙で濡れていた。
「トヨにまた会う日まで、主にまた会う日まで、私は遠くをさまよいます」
やがて末次郎は礼拝にも出なくなった。教会には来るが、事務室での帳簿整理を、奉仕として行った。自分なりの筋を通す。
漫然と教会に行くだけの者より、主との真剣な対決の気持ちが強い。
29
私は肺が弱く、水路部に入った年の夏に軽い肺浸潤を患って三週間の休暇を取った。
同僚の勧めで信州の山田温泉で静養した。チヨは文彦の世話で行けず、思いついて武彦を連れて行った。

八歳の夏休みとして楽しめるだろう。
温泉宿に着き、持参した五万分の一の地図を武彦に見せた。
等高線、海抜のことなど教え、さきほど教えられた雷滝を指して「行くか?」と聞いた。「行く」と武彦は答えた。
30
地図の講義は続く。山田温泉から雷滝までを、渡した物指しで五センチだから二千五百メートル、と出した武彦。海抜の差は二百九十一メートルだから、勾配は十二パーセント弱と教えた。
行程は、散歩にほど良い坂。雷滝は確かに見るに値した。


大声で「わあ、すごいね!」と叫ぶ武彦。伯父と甥、良い仲だった。
この夏、雷滝には良く行った。実は武彦に理科への興味を喚起しようと思っての事だったが、結局武彦は東大の仏文科に行った。