100分 de 名著 松本清張 (3)「昭和史発掘:2.26事件」 NHK Eテレ 3/19放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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第3回「昭和史発掘」 副題:歴史の裏側を暴き出す

 

感想
自分が「昭和史発掘」を読んでいたのは高校生の時であり、当時単行本としては5巻までしか出ていなかったので、今回のテーマは読んでいなかった。
その後清張対応は小説主体に移行したため、この2.26事件に接する事がなかった。

当時クーデター未遂事件として扱われていたこの件が、実際にはもっと規模の大きい、政府転覆とも言える本格クーデターとして計画された。
それを公式に出されている供述書の中から炙り出して行く、清張ならではの方法。これはまさに「発掘」。

しかしこの連載が週刊「文春」で始まったというのは驚き。確かに文春の母体は「文藝春秋」。元々文化の伝道者だった。「文春砲」なんてのは汚名以外の何物でもない。

もう少し知的な方向に巻き戻して欲しいものだ。

 

話を戻して
昭和天皇とその周囲の皇族に対する、清張の鋭いアプローチにも驚く。昭和天皇への心酔は、私の母方の実家にも両陛下の写真が飾ってあり、日本国民に広く浸透していた。

そういう背景の下にこの様な事件が起こり、次第に政府が天皇を政治に利用して行く下地が出来て行った。

昭和天皇は、軍部の誘導もあったろうが、戦いを好む様な要素もあったのだろう。それは弟・秩父宮との確執から来たものかも知れない。

 

だが、こういうネタもNHKで堂々と番組作れるというのは「言論の自由 有り難し」てなとこか。

 

 

内容

進行役:伊集院光 君津有理子 ゲスト:原武史(放送大学教授)

 

清張は、生涯で千点以上の小説を書いているが、その中にはノンフィクションも多く含まれている。
突然ノンフィクション作家になったわけではなく、元々興味があった。

オーラルヒストリー(口述記録)。
当時は昭和になって、たかだか三十数年。

当時を知る人がまだ多く居た。


「昭和史発掘」が連載されたのは昭和39(1964)年~46(1973)年の週刊文春。本書全13巻(文庫版)。

後半のほとんどを「2.26事件」に費やしている(7~13巻)。
伊集院光の知識→柳家小さんが、当時末端の兵隊として参加していた。直前に気を紛らわすために落語をやったが、緊迫し過ぎて全く受けなかったらしい。
セットで良く言われる5.15事件とは全く違う(こちらは関与が数名)。2.26事件は関係者が1400名超。

 

単なるテロではない、大規模な計画。

昭和11(1936)年2月26日未明。行軍する二十数名の青年将校たち。帝都防衛にあたる精鋭部隊。

 

首謀者
栗原安秀 中尉   野中四郎 大尉   磯部浅一 元一等主計 

安藤輝三 大尉   村中孝次 元大尉  香田清貞 大尉 

坂井直 中尉         中橋基明 中尉

 

政府要人を暗殺し、国家改造を目指していた。

大蔵大臣:高橋是清(死亡)、  内大臣:斎藤実(死亡)
侍従長 :鈴木貫太郎(重傷)、 総理大臣:岡田啓介(脱出)

 

政府要人を国家に巣食う悪の象徴と断じて警視庁を占拠。

清張はこれが軍事クーデターだった事を明らかにした。

 

昭和初期の時代背景
大正から昭和にかけて、政府の演出により天皇の姿が国民から見えるようにした(狙いは明治天皇の再来をイメージ付ける)
君民一体の演出。こういう天皇なら、と直訴する者も出て来る(女性、差別を受けている者等)
青年将校らの気持ちも根底は同じ。

天皇と臣民の間に邪魔をする存在があってはならない(君側の奸)

 

この事件の成否のカギを握っていたのが、中橋基明中尉とその部隊。大蔵大臣 高橋是清を殺害した後、皇居に向かった。清張は中橋に注目(最重要人物)。この計画の成功と挫折の分水嶺。

 

この部隊は大蔵大臣暗殺後、昭和天皇を手中に収めるため皇居に向かった。
そこで守衛隊に事件を報告し、警護目的で坂下門警備として入り込んだ。クーデターは成功寸前。だがそこから警備に着くまで1時間半を要した事が、状況に変化を生んだ。

 

守衛隊司令官 門間健太郎少佐。襲撃事件の情報が集まるうちに、中橋に対する疑惑を持つ。部下に命じて呼びに行かせたところ、中橋が、警視庁に向けて手旗信号を送る寸前だった。中橋は取り押さえられ、警視庁を占拠した500名の部隊が動く事はなかった(待ちぼうけ)。

 

清張の文には迫力がある(自負を持っている)。

清張が発表する前までの、2.26事件の見方。
クーデターを起こした後、沙汰を待つ姿勢。「君側の奸を排除すれば、天皇が褒めてくれる」。要人殺傷までの計画。

清張の見解は「NO」

青年将校の側に積極的な計画があった(天皇を手中に収める)。

 

だが、それが未遂に終わったのは何故か?
中橋は、取り押さえられた時、本気であれば相手を銃殺してでも信号を出す事は出来た。だがそうなると皇居自体が銃撃の現場になってしまう(恐れ多い)。それが中橋を怯ませた。

 

清張が注目したもう一人の人物。秩父宮(昭和天皇の弟)。

事件の首謀者 安藤輝三と友人だった。
秩父宮は事件直後に、赴任先の青森弘前から汽車で東京に向かった。安藤の参加を知って、事件の収拾に努力しようと考えていた(清張の推定)。でなければクーデターの黒幕が自分であると疑われるような行動を起こす筈がない。

 

天皇は、この事件に激怒。また秩父宮との面会にも不機嫌だったという。秩父宮は変心し、決起将校らに自決を勧める。
2月28日に、陸軍首脳部により決起軍の討伐が決定され、帰順が呼びかけられた。次々に従う兵士たち。小さんに代表される、ほとんどの兵士は実情を知らず、ただ動いただけ。

 

天皇はなぜそこまで激怒したか?
重臣たちを殺されたというのが第一だが、それだけではない。
秩父宮が上京した時、貞明皇后(昭和天皇の母)と長い間話し合っていた。二人には青年将校に肩入れする考えがあった。
また皇太后は、次男の秩父宮の方を可愛かったという説あり。
それらが昭和天皇にとって不気味に映った。

タブーへの踏み込み、皇室の実体、家族の関係性等をかなり大胆に描き出している。

 

本書の、世間からの評価は?
学者たちは冷ややかな見方。清張のイメージは小説家(フィクションを書いている人間)。蔑むような扱い(逆にそれが彼の原動力になる)。
エリートではなかった事が、こういう著作を生み出した。

 

これらの資料を駆使した未完の小説がある→「神々の乱心

次回のテーマ。