こんにちは。
今回は「聖書が教える契約と結婚」と題して書きます。
記事の構成は以下のとおりです。
一、契約と義務の関係
突然ですが、あなたは契約と聞いて何を思い浮かべますか。契約という言葉は、何となく堅苦しいことだと捉えられがちですが、商品の売買を行う際には「売買契約」が成立してますし、スマホの契約や信用券(クレジットカード)の作成、高校や大学への入学、住宅の賃貸等々、現代人は毎日のように契約を取り交わしながら生活していると言っても過言ではありません。ここ日本では、太陽暦二千二十二年四月一日から成年年齢が十八歳に引き下げられ、十八歳以上になると、親の同意なしに自分で契約が出来るようになりました。こちら(KEIYAKU-WATCH)の記事では、契約について説明されています。記事の要点と、まとめを抜粋して掲載します。
- 契約とは、「法的な効果が生じる約束」のことで、「当事者同士の意思表示が合致することで成立」する(民法五百二十二条一項参照)。
- 契約によって生じる法的な責任とは、権利と義務の発生です。契約を締結すると、契約当事者は契約に拘束されることになります。つまり、契約当事者は契約の内容である約束を守らなければなりません。
- 相手方が約束を守らなかった場合は、契約違反(債務不履行)として、履行を請求したり、損害賠償の請求をしたり、契約の解除をしたりすることができます(民法414条、415条、541条、542条)。
- 契約には、典型契約(有名契約)と非典型契約(無名契約)がある。典型契約には、贈与、売買、交換、消費税貸借、使用貸借、賃貸借、雇用、請負、委託、寄託、組合、終身定期金、和解、の十三種類の契約が民法にて規定されている。非典型契約は民法には明文の規定はない。
- 契約は口頭でも成立するが、以下の目的で「契約書」を作るのが一般的。
- 契約当事者が、契約内容についてお互いにはっきりと確認するため
- 締結した契約について、後でトラブルにならないよう証拠として残しておくため(後でトラブルになった際、その契約内容を確認できるようにしておくため)
<まとめ>
契約とは、「法的な効果が生じる約束」であり、当事者同士の意思表示が合致することで成立する。
「誰と」「どのような内容で」「どのような形(方式)で」契約を締結するか、また、「そもそも契約を締結するか否か」は、契約当事者の自由である(契約自由の原則)。
契約は、一方が契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(「申込み」)を行い、それに対して相手方が承諾をしたときに成立する。
契約内容が違法であったり、公序良俗に反するときは契約が無効となることがある。
契約書は、当事者間で契約内容について明確にするため、また、後でトラブルとなることを防ぎ、トラブルとなった場合でも内容を確認できるようにするために作成する。
上記のとおり、契約とは、当事者同士の意思表示が合致することで成立する「法的な効果が生じる約束」であり、着目すべきは、「契約を締結すると権利と義務が発生する」という点だと考えます。「義務とは、人がそれぞれ立場に応じて当然しなければならない務め。」(出典:デジタル大辞泉)のことであり、日本人なら誰でも小中学校の社会科で「国民の三大義務」について学んだ事を覚えていると思います。
日本国憲法で「義務」について言及しているのは第二十六条、二十七条、三十条、六十三条、九十九条の五箇所です。国民の三大義務(教育の義務、勤労の義務、納税の義務)については習ったことを覚えておりますが、六十三条の閣僚の義務と九十九条の憲法尊重擁護の義務について習った記憶が無いのは、手前だけでは無いと思います。また、十二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」という表現からは、意図的に義務という単語の使用を避けている様な印象を受けました。
「国民の不断の努力」が国民に憲法によって課されており、国民は憲法上保障されてる自由及び権利を保持する義務を負ってるとはっきり明記されてる。何故、戦後にこの規定が生まれたか。それは、明治維新から敗戦までの大日本帝国では人権も自由も制限されて社会の有様が酷く、その反省から生まれたんや。敗戦の翌年の千九百四十六年に日本国憲法を公布、千九百四十七年に施行して新たに日本国となり、外国との戦争をようけ招いて多くの死傷者を出した忌まわしい大日本帝国憲法(明治憲法)を破棄して旧体制から変わり、戦争を放棄し、国民が主権を持ち、基本的人権と自由を得た。しかし、戦後の現代日本人は、まったくこの憲法上の義務を果たしてへん。なぜなら、日本国民の多くが憲法を勉強せず、無知であり、それ故に憲法を擁護して守る義務を負う国会議員、裁判官、その他の公務員らが憲法を貶したり軽んじたりして違反を繰り返してるのを見ても放置し、また憲法違反をする企業や民間人にも猛抗議や然るべき対応もせず放置し、不法行為が満ちてる現状に何もせず黙認し続け、社会を悪化させ続けてる。そして、売国奴の政治家や官僚や大企業らにやりたい放題されて苦しめられてるのは、抵抗もせずに黙って放置する国民自身の責任と自覚してへんのがそもそもの問題や。せやから、不作為も憲法違反の不法行為であると覚え、恥じて、悔い改め、実際に行動せい。
(引用元:真の聖書福音と預言「神の王国に相応しいように準備せよ」)
手前は数年前に聖書に興味を持ち信仰に招かれ、難解な聖書を正しく理解したいと思う様になり、ネット上で情報収集をした末にミカエル氏のブログ記事「真の聖書福音と預言」に辿り着きました。現在は閉鎖された「兄弟集いの場」に通算で一年半ほど在籍させていただき、ミカエル氏と信仰上の兄弟の皆さんから様々なご助言や慈愛ある叱責を頂戴し、以降、聖書の研究を行いつつ、それまで無知であった憲法や法律に関する勉強もするようになりました。ミカエル氏が上記記事で述べられているように、第十二条より「自由及び権利を保持するための不断の努力」も国民に課せられた義務であり、政治家や官僚や権力者たちに対して抵抗しないという不作為も憲法違反の不法行為と認識するべきですね。先に引用した記事にある「権利と義務は契約によって生じるもの」という原則に基づくと、我々日本人は政府と契約を取り交わした訳でもないのに何故、三大義務(教育の義務、勤労の義務、納税の義務)を履行(実行)しなければならないのかという疑問が生じます。何故、九年間も義務教育を受ける必要があるのだろう。何故、一日八時間、通退勤の時間も合わせたら半日近い時間を勤労に費やさなければならないのだろう。何故、我々日本人は世界一高い税金を納めているのに一向に生活が楽にならないのだろう。このように考えた事はありませんか。すべての日本人は意図して政府と契約を取り交わしてはいませんが、日本国憲法を遵守する必要があります。何故なら『憲法は、日本国の最高法規であり、国の在り方を定め、国家権力を牽制するための法である。』(キリスト道「改憲問題」から引用)からです。当該ホームページでは、すべての日本人にとって最重要課題である「改憲問題」について、小学生にでも理解出来るように解説されています。もし、当記事の読者のあなたが未読でしたら、これを機に隅々までお読みください。また、記事を読んで危機感を持ったなら、周囲の人たちにも拡散していただけましたら幸甚です。
さて、意図しない契約といえば、一年ほど前に『NHK(日本放送協会)ネット配信でも受信料が必要に しかも「一度契約したら解約できない」不可解な仕組みに?』(ITmedia Mobile)という件がX(旧ツイッター)で話題になった事を思い出します。前述したとおり、契約は当事者同士の意思表示が合致して初めて成立するにも拘らず、NHKは、パソコンやスマホの画面に表示される「ご利用意向の確認」で「同意して利用する」をクリックすると、契約締結義務が生じると説明し、不当に視聴料を徴収しようとしてますが、これは俗にいう「ワンクリック詐欺」と同様の手口であり不法行為で犯罪です。
日本放送協会(NHK)は株式会社やのうて特殊法人で、公共放送と謳ってるが嘘であり、過去記事「動画七回目投稿 何故聖書を信じるか」にて、ワクチンによる死について日本放送協会が放送法違反の歪曲報道したことを弾劾したとおりで、日本放送協会(NHK)は日本国民を欺くために嘘をつきまくり、こちら(SAKISIRU)でも言われてるとおり、日本国民から強制的にでも受信料を徴取する一方、支那等といった外国には無料で放送する売国犯罪組織や。
この体たらくで「日本放送協会」、しかも公共放送と厚かましくも自称しとるからな…。良心の呵責も無く金銭を巻き上げる日本放送協会や政府らも、その悪行に対して陰で愚痴を言うだけで見過ごして有益な抵抗活動もせず、おとなしく金を払い続ける日本国民も頭おかしい。あんたらが何もせえへんから、彼らは違法行為だろうが何だろうが好き放題するんや…。
(引用元:真の聖書福音と預言「聖書の終末預言 五」)
真実を渇望している方ならご存知のとおり、テレビという媒体は3S政策、国民総白痴化計画を推進するための最も影響力が大きい道具、大衆洗脳装置です。過去記事「肉の支配と霊の支配」でもお伝えしましたが、日本人は先進七カ国(G7)中で最も新聞・雑誌、テレビを信頼度の高い媒体だと勘違いしており、生物兵器ワクチンの接種率が異常に高い原因も、テレビ信者が大多数な事に起因してると認識しています。聖書読者の方ならご存知のように、この世は天蓋覆われた閉ざされた世界なのですが、支配層の人々はローマカトリック教徒たちがでっち上げた「宇宙」という概念を義務教育や様々な媒体を使って大衆に信じ込ませ、人工衛星なるものを打ち上げたことにして、千九百八十七年には衛星放送が開始されました。
(画像引用元:https://alchetron.com/Firmament)
日本放送協会は地上波放送の受信料を徴収するだけでなく、高精細な画像(ハイビジョン)を配信する衛星放送の受信料をも搾取しています。二千三年にはテレビは全面的にデジタル放送に移行し、その少し前からテレビを購入すると著作権保護を目的とした半導体を載せた「B-CASカード」が同梱されるようになりました。これの本当の目的はテレビ購入者全員に衛星契約を結ばせ、強制的に受信料を徴収することや、個人情報を吸い上げることにあったのだろうと推察します。日本放送協会は技術的には放送信号を暗号化(スクランブル)して、契約者でなければ視聴出来ないようにすることが出来ます。それにも拘らず暗号化に踏み切らない理由は、公共放送と自称して契約者を囲い込み、不法な富を蓄えるためだとしか考えられません。二千十三年には元日本放送協会の職員であった立花孝志氏が「NHK受信料不払い党」(数ヶ月後に党名を「NHKから国民を守る党」に変更)というふざけた名前の政党を立ち上げ「NHKをぶっ壊す」と言って政界に進出し、幾多の事件や不祥事を起こした事実を記憶されている方は多いと思います。また、彼と同様「自民党をぶっ壊す」と言って劇場型政治で大衆を扇動し、郵政民営化等の売国行為を働いた小泉純一郎元首相が破壊したのは自民党ではなく、日本人の平和な暮らしであった事も思い起こされます。
テレビだけでなく、新聞、ラジオ、ヤフー等のネットニュース、ユーチューバーやSNSの大口口座保持者など、彼ら大手報道機関や情報発信者は国民が知るべき真実や事件の真相を隠蔽し、心地よい嘘を流布することを生業としています。あらゆる報道機関は悪徳政府の手先である事を認識していただきたいです。
聖書未読の不信仰な人々は、神の律法に「嘘をついてはならない。互いに欺いてはならない。」(レビ記十九章十一節参照)と定められていることを知らず、先の大戦以降八十年間日本を戦争から守ってくれた日本国憲法を遵守しようとする意志がなく、滅びに向かっている事を知りません。また、聖書には「お前は群集に従って悪を行ってはならないし、多数に追随し論争の際に(裁きを)曲げるために証言してはならない。」(出エジプト記二十三章二節参照)とも書かれています。当記事の読者のあなたには、心地よい嘘や支配層に捏造された常識、多数派の意見に従うのではなく、聖書の真理を一心に求め、主イエス・キリストの聖く正しい教えに立ち返ることを強く推奨いたします。
二、「契約を立てる」の意味について
話を「契約」に戻します。この世に於いては「当事者同士の意思表示が合致することで成立する法的な効果が生じる約束」が契約ですが、聖書に於いては「神と人間との間で成立する法的な効果が生じる約束」であると換言出来ます。この場合の法律は「神の律法、戒め、掟」を意味します。では、旧約時代に創造主なる神はどのような人間と契約を結ばれたのでしょうか。契約を意味するヘブライ語の בְּרִית は、旧約聖書冒頭の書である創世記の六章十八節にて、「だが、我は我が契約をお前(※ノア)と立てる。お前はお前の息子らや妻、息子らの嫁たちと共に箱舟に入りなさい。」という箇所で使われているのが最初です。ノアが生きていた時代、地上は神の前に堕落し、暴虐で満ち、無垢な人ノアを除くその他大勢の人々は堕落の道を歩んでおりました。主なる神は、神を無視して放縦な生き方をしている大衆を大地もろとも滅ぼされる事を決意されました。そして、神に従順であったノアに箱舟を造る事を命じられ、契約を立てられました(創世記六章参照)。手元にある英語版のヤシャルの書の二章十一節〜十二節には、「ケナン(※アダムの子セトの孫)は成長して四十歳になったが、彼は知恵を得て、すべての知恵に通じ、知識と技量とをもって、人の子らを治め、人の子らを知恵と知識とに導いた。ケナンはその知恵によって、神が地上で罪を犯した人の子らを滅ぼされること、また主が後の世に洪水の水を彼らの上にもたらされることを知った。」と記述されています。これらの事から、創造主なる神は、神に対して従順な正しい者を選ばれ、この先何を起こされるのかを伝えられた事が分かります。洪水によって地上から神に逆らう悪人たちが一掃された後、地の面が乾き、神は箱舟から出たノアと彼の息子たちを祝福し、「産めよ、増えよ、大地に満ちよ。地上のすべての獣と空を飛ぶすべての鳥、地を這うすべての生き物と海のすべての魚、それらはお前たちの手に与えられ、お前たちを恐れ慄くであろう。すべての動いている生き物は、すべてお前たちの食料とするがいい。すべての青草と同様、お前たちに与える。しかし肉はその命である血と共に食べてはならない。そして、お前たちの命である血が、獣の前足によって流された場合、我はいかなる獣からも命を要求する。また、人間同士の血についてはその者の命を要求する。人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神に模って造られたからである。お前たちは産めよ、増えよ、地に群がり、大地に満ちよ。」(創世記九章一節〜七節参照)と仰いました。続けて神は次のように語られました。「見よ、我はお前たちや、お前たちの後に続く子孫たちと契約を立てる。お前たちと共にいるすべての生き物、共にいるすべての鳥や家畜、野にいる獣たち、お前たちと共に箱舟から出たすべてのものや地にいるすべての獣と。我はお前たちと契約を立てたので、すべての肉なるものを洪水で絶滅させることは二度とせず、洪水によって地を滅ぼすことも決してない。」(創世記九章九節〜十一節参照)神の御業で大洪水が起こされ、世界が造り変えられた後、神は二度と洪水によってこの世を滅ぼすことは決してないと、ノアと三人の息子たちと契約を立てられました。ここで気になるのが「契約を立てる」という表現です。立てると訳したヘブライ語の קוּם は、他には「起きる、立てる、現れる、実現する、持続する、義務を負わせる、規定する」などの様々な意味を持つ動詞です。「契約を交わす、結ぶ、締結する」と表現するのが一般的で、旧約聖書でもそのように表現されている箇所の方が遥かに多いです。主語が神で「契約を立てる」と記述されている箇所(創世記六章十八節、九章九節、十一節、十七章十九節、二十一節、出エジプト記六章四節、エゼキエル書十六章六十二節)に共通するのは、主なる神から契約の内容や条件を提示されているという事なので、これらの箇所は、「(神が)契約(の条件等を)を規定された」あるいは「(神が契約者に)義務を負わせた」と解釈するのが適切だと考えます。
「神は人ではないから欺くことはない。人の子でもないから悔いることもない。神が言われたことを果たされないことがあろうか。神が話されたことが実現しないことがあろうか。」(民数記二十三章十九節参照)とあるように、神は人と違って、決して人を欺くことはなく、神の御言葉は永遠不変の真理であり、その御言葉は必ず実現します。従って「洪水によって地を滅ぼすことは決してない。」という契約は現代においても有効なのです。旧約時代に最も偉大な預言者であったモーセは、エジプトで奴隷として強制労働をさせられていたイスラエルの民を導き出した際、海を割って乾いた地の上をイスラエルの民に対岸へ渡らせました。彼らを追ってきたエジプト軍も同じように海底の乾いた所を渡ろうとしましたが、モーセが主の仰るとおりに海に向かって手を差し伸べると、割れていた海が元に戻って海水がエジプト軍を襲い、一人残らず殲滅されました(出エジプト記十四章参照)。この場合、主なる神が滅ぼされたのはエジプト軍だけであり、全地(世界)を滅ぼされたのではありません。また、一般には都市伝説の類いだと認識されているアトランティス大陸も、神の御業によって滅ぼされたというのが歴史的事実だと、手前はミカエル氏の過去記事、真の聖書福音と預言「動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 後編」で知りました。このように、聖書を繰り返して読み込むと、聖書預言の正しさを歴史が証明していることが理解出来ると思います。
三、契約の更新と結婚について
(動画引用元:真の聖書福音と預言 【第七回】何故聖書を信じるか Bible, Jesus Christ, The true biblical Gospel and Prophecy、bitchute)
聖書について興味をお持ちの方ならご存知のように、旧約・新約聖書の「約」は約束ではなく契約を意味しています。そして、当該動画でミカエル氏が解説されているとおり、『古い契約は、モーセを仲介者として、神への信仰を持ってモーセの律法をすべて守るもの』でしたが、主イエスは約二千年前にこの世に来られ『新しい契約は、イエス・キリストが仲介者となり、イエスの信仰を持って神の律法、掟、戒めを守るもの』に更新されました。『神の律法と言うても、モーセの律法と重複する部分は多く、ごく一部だけ契約の更新によって守り方が変わっただけで、基本は同じ』です。世の教会に属したり、聖書の真理を無償で宣べ伝えられているミカエル氏に味方しない信仰の薄い人たちは、自称使徒のパウロやファリサイ派の人々が吹聴していた神の律法が廃止されたとする律法廃止論を信奉しているパウロ教信者と呼ぶべき存在で、「我と共にいない者は我に敵対し、我と共に集めない者は散らしている。」(マタイ十二章三十節参照)と主イエスが仰ったように、彼らの偽教義や偽福音に耳を傾けると「キリスト道」を逸れて滅びに向かうことになります。羊の皮を被った偽教師たちの言動に惑わされぬようご注意ください。
(画像引用元:真の聖書福音と預言「人間の言い伝えよりも神の掟を守れ」)
ここからは、世俗の結婚と、聖書が伝える結婚の意味を比較して考察したことをお伝えします。
この世に生まれてある程度の年数を生きた人なら誰でも、恋愛をしたり、結婚について考えたりした事があるのではないかと思います。結婚によって、家族が増える、家庭が持てる、子供が持てる、世間体が良くなる、親や身内の者が望んでいる、将来の不安が低減する、性欲を満たす相手が欲しい、人によって結婚する動機は様々ですが、弊害よりも利点の方が多いと思うから結婚しようとするのでしょう。あまり意識していない方が多数派だと存じますが、結婚は「法的な効果が生じる約束」、契約の一種であり、日本国憲法では以下のように規定されています。
二千十五年から連合国(UN)が推進するSDGs(持続可能な開発目標)を達成することが正しいと考えるおかしな風潮が強まり、同性婚を是とする人が急増してますが、当該条文に規定されているとおり、婚姻は両性の合意のみに基いて成立するものなので、同性婚を容認するのは誤りです。また、結婚という契約を結ぶことにより、夫婦には(一)同居義務、(二)協力義務、(三)扶養義務、(四)貞操義務、という四つの義務が発生します(参考記事はこちら、リコネット)。個人的には聖書を読み始めた頃から、これら四つの義務を果たそうと努力していたにも拘らず、妻や親戚からの風当たりが強くなり、彼らがカルト宗教創価学会の思想に染まっている事を指摘した途端に、激しく迫害されるようになりました。一般的な結婚の概念と、聖書に書かれた結婚の概念を比較すると下記のようになろうかと思います。
上図の中で、最も難しいのは一番右に挙げた「神と神の掟を愛する」ということの実践だと思います。ここに書いた「神の掟」とは旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)に書かれた「モーセの律法、掟、戒め」を、主イエスが更新されて御自身で完成して実践された「神の律法」のことを表しています。聖書は非常に分厚い書物なので、複数回通読するのは大変ですが、神の律法を覚えこんで日々悔い改める日々を送りつつ、聖書研究を継続していると、目から鱗が落ちるような発見があり、それを楽しむことが出来るようになって来ると思います。
「我等が神を愛し、その掟を守るなら、このことによって神の子供たちを愛することを知る。これは神の掟を守ることが神の慈愛であるからであり、神の掟は難儀やないで。」(ヨハネの手紙一 五章二節〜三節拙訳)と使徒ヨハネも言うたとおり、神の掟を守り行うことは難儀やない。それやのに、大多数の現代人が不信仰故にやらへんだけのこと。滅びゆく多数派に合わせてるようでは同じように滅びる。
(引用元:真の聖書福音と預言「偽使徒パウロの反キリスト教義 六」)
愛は強制とは相容れへんからや。他者から強制されて愛するとか、義務感を感じて無理に愛するなんて形骸的なものでしかなく、そこにほんまもんの愛は無いのは当然やろ。愛は、自主性が無ければ成立せえへんものやさかい。せやから、神も人間に神を愛するようにと強要せえへんし、隣人を自分自身のように愛することも強要してへん。
神を一番に愛するという状態になってる人は、極めて珍しく、かような人は神の律法を当然の如く遵守して、非の打ち所が無い状態で、主イエスが求めてはる「完全な者」と言える。その「完全な者」を目指して日々罪やその誘惑と戦い、打ち勝たねば救いを得る(永遠の命を得る)のは厳しいと思わなあかん。途中で信仰をやめてしまうという人は、やはりその人の内に神への愛が無いから続かへんのや。
これは、結婚生活も同じで、途中で破綻するのは、途中で配偶者の片方、又は双方が不法行為を犯して信頼を失うことをする(例えば姦通)とか、配偶者への愛が無い事が原因です。相手の収入や財産や地位等を気にして結婚を決めた者は、もれなく失敗してることから明らかやろ。金さえあれば良いなんて思う女が多く(金や子供さえあれば夫は居なくても良いとまで思う者も居る)、かような者は愛を知らぬ惨めな人間や。男性諸君は、結婚するなら、自分への愛と忠誠心(一途である事)がある女を相手として選ぶように。外見が好みとか、なんとなく気が合う等というふざけた理由で結婚を決めないように。女は、聖書を読んで女たる立場を弁え、信頼出来る男を選び、補助して支え、夫を主人として仕えるように。女がでしゃばるから、どんどん社会が悪化してることを自覚せい。
現代社会が過去最悪になったと言える程に悪化した大きな原因は、西洋かぶれに次いで、女性の社会進出促進によるものです。過去記事「迫り来る暗黒の新世界秩序(NWO)と意識改革」でも話したとおり、女性の社会進出は、悪魔崇拝者のロックフェラー家が主導したウーマン・リヴ運動によって猛烈に促進された。
永遠に実現し得ない男女平等を謳い、愚かな女たちを焚き付けて高慢にさせ、女性に家庭を放棄させ、働かせ、税収を女からも得て増やし、それらによって晩婚化及び非婚化をして子供を産ませにくくし(人口抑制)、子育てを他人任せにして愛情を希薄にさせたり、学校等で嘘の教育で子供を洗脳する等、ほんまに悪い事ばかりや。男女は、そもそも肉体の作りからして同じではないし、役割も異なる。せやから、絶対的平等なんて有り得へんし、実現不可能です。無駄な努力やし、反キリスト的な悪い行いと弁え、改めよ。
(引用元:真の聖書福音と預言「救いに値する完全な者」)
手前の結婚生活が破綻した理由も、上記のとおり妻に手前に対する愛が無いこと、手前を金蔓としか考えていないこと、そして彼らがカルト信者であったことが原因でした。現代日本人の多くは、親(特に母親)から三十歳までには結婚して欲しいとか、早く孫の顔が見たい、などと言われる場合が多いと思います。信仰に招かれた人は、必ず異教徒たちから迫害を受けるので、そのような場面に遭遇したら、改心する好機と捉え、聖書に依拠した生活習慣に切り替えましょう。
次は、婚礼について記述された聖句を読み解きたいと思います。
新約聖書 ヨハネの黙示録 十九章六節〜八節(参照)
そして、我(※使徒ヨハネ)は大群衆の声のような、多量の水の轟音のような、騒々しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞く。「ハレルヤ、全能者であり、我らの神である主が王になられた。
我らは喜び、歓喜し、彼(※主イエス)に栄光を帰そう。小羊の婚宴の時が来て、その花嫁(※真のキリスト者)は自ら準備したのだから。
そして、彼女には清く輝く亜麻布を身に纏うことが許された。その亜麻布は聖徒たちの正しい行いである。」
ヨハネの黙示録十九章には、大艱難の末期に主イエスが再臨されて、大淫婦バビロンたるローマ・カトリック、バチカンと、その教えに従った不信仰な人々が裁かれた後、主イエス・キリストの教えに従順な真のキリスト者が子羊の婚礼に、花嫁として招かれることが預言されています。上記八節に「亜麻布は聖徒たちの正しい行いである。」とあるように、主イエスは「神の律法」を覚え込み、信仰を行いで示すことを望まれていることが分かります。世の終わりに子羊の婚礼に招かれるように、日々、忍耐と努力を継続し、地道に歩み続けて参りましょう。
最後は旧約聖書のイザヤ書から、結婚が連想されて、契約についても書かれた聖句を引用し、紹介させていただきます。
旧約聖書 イザヤ書 五十四章一節〜十節(参照)
歌え、不妊の女よ、子のなかった者よ。歓喜の声をあげて叫べ、産みの苦しみを味わわなかった者よ。見捨てられた女の子供らは、夫ある女の子供らよりも多くなる、と主は言われる。
お前の天幕の場所を広げ、お前の住まいの幕を張り広げさせ、惜しみなくお前の綱を長くさせ、杭を固定せよ。
お前は右に左に広がり、お前の子孫は諸国民を相続し、荒れ果てた町々に人が住むようになる。
恐れるな、お前は恥をかくことはないであろう。恥じいるな、もはやお前は辱められることもないであろう。お前の若い頃の恥は忘れ去られ、もはやお前の未亡人としての屈辱は思い出されることはないであろう。
お前の造り主がお前の夫、その御名は万軍の主。そして、お前を救われる方、イスラエルの聖なる神、全地の神と呼ばれる方である。
見捨てられ、霊に悲しむ女として、主はお前を招かれた。そして、お前が若き妻として軽蔑された、とお前の神は言われる。
ほんのひと時、我はお前を離れたが、我は深い憐れみでお前を引き寄せよう。
怒りが噴出し、我はひと時お前から顔を隠したが、永遠の慈しみをもって我はお前を憐れむ、とお前の救い主は言われる。
これは、我にとってノアの洪水のようなものである。我は地上にノアの洪水を再び起こすことはないと誓ったように、我はお前に対して短気になったり、お前を非難したりはしないと誓った。
山々は移り、丘々は揺らぐが、我が慈しみがお前から離れることはなく、我が平和の契約は揺らぐことがない、とお前を憐れむ主は言われる。
上記聖句では、見捨てられた女に対して語られる形で主の御言葉が記述されています。先に引用した黙示録十九章の聖句に倣い、「女=真のキリスト者」と捉えてみると、性別に無関係に、主イエスの非常に深い憐れみを感じます。当記事の二、項で述べたように、ここでも主はノアの洪水を再び起こすことはしないと誓われ、主の平和の契約は揺らぐことがない、と主は仰いました。それに対して現実世界はどうでしょうか。悪魔を崇拝している支配層の人々が、人工的に起こした大洪水、即ち人工地震で起こした津波によって、世界中の人口を大幅に削減し、古代イスラエル人の末裔である純日本人を滅ぼそうとしています。不信仰の人たちは聖書を読まぬが故に、この世が平面である事実を知らずに球体であると盲信し、地震が地盤(プレート)が動いて起こっていると洗脳し、南海トラフ地震がいつ起こってもおかしく無いと思わせる空気を醸成しています。「せやけど、その日、その時間については、我が父だけを除き、誰も知らへん。各天の天使たちも知らへん。更に、ノアの時代のように、人の子の来臨もそのようであろう。大洪水の前の日々のように、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり、飲んだり、娶ったり、嫁いだりしてるさかい。そして、大洪水が来て全員を滅ぼすまで、人々は分からへんかった。人の子の来臨もまた、そのようであろう。」(マタイ二十四章三十六節〜三十九節、ミカエル氏訳、聖書の終末預言 三より引用)と、主イエスは仰いました。人工地震による大量殺戮は近日中に実行されるのでしょうが、まだ世の終わりではありません。しかし、世の終わり=主イエスの再臨があと数年以内に起こることは間違いありません。未だに世俗的に生き、娶ったり、嫁いだり、結婚を目指して婚活してるような人々は救いようがありません。主イエスの婚宴に招いていただけるように、主の花嫁となれるように備えて参りましょう。
四、結びに
個人的な話で恐縮ですが、信仰生活を始める前年に手前の祖母が百歳を目前にして亡くなり、家族葬に参加したのが手前にとっての最後の宗教儀式への参加となりました。祖母は女学校で教員を務め、お見合いで同じく教職員だった祖父と結婚し、祖父は四十代前半で中学校の校長になったと聞いています。手前は幼い頃は祖父に可愛がられ、映画や大規模な催事など様々なところへ連れて行ってもらっていたので、中学生であった頃に彼が亡くなった際は、とても悲しくなり円形脱毛症が出来た程でした。当時のことを思い起こしてみると、祖父が居なくなり祖母は落ち込むのかと思っていたのに案外平気で、寧ろ明るくなったことを覚えています。お見合いによる結婚は、謂わば政略結婚のようなものなので、夫婦間の愛がそれほど強くなかったのだろうと当時の手前は考えておりました。今にして思うと、祖母は支那系の人間で、東北地方の港町で華族であったと思われる朝鮮系の祖父とお見合いで結婚し、戦時中は士族や華族といった特権階級の人々の間で空襲に関する情報を得て、地方へ疎開したのだろうと推測しています。戦後生まれで団塊世代の手前の母親は、教職員夫婦の両親に育てられ、高校までは比較的学業優秀で、短大に進学し、保険会社に就職したと聞いています。手前の母親は「お金がない、お金がない。」と事ある毎に口にし、高校の卒業写真を見て、「あまり可愛い子がいないわねぇ。」などと言っていたことを思い出します。高校卒業後、手前は親元を離れて貸与奨学金を借りながら地方の大学に進学・卒業したので、社会人になってからの数年間は奨学金を返還しながらの生活でした。また、詳細は覚えていませんが、中学生だった頃に(恐らく手前と血の繋がりがない)父親が不倫して、離婚の危機を演じていたことがあったのですが、手前が離婚せざるを得ない状況になった時にこの話をしたところ「そんなことあったかしら。」と惚けた振りをしてました。
学校は、世の支配層に逆らわないで愚直に貢ぐための家畜養成機関なのです。学校では、権力者が国民を奴隷のように扱って搾取するために皆が走らなければならない軌道を勝手に敷き、そこから外れないように調教されているのです。自分たちだけ甘い汁を吸ってきて頭の固い団塊世代等の人間たちが、このような社会の軌道を確固たるものかのようにし、後に続く世代にそのような道に行くように教育し、それが悪循環になっています。そのように社会に洗脳された国民は、その軌道から外れた人を異端とみなし、決まった軌道を走らない人を失敗した人、変な人扱いします。これが物凄い害悪です。この事実に気付いてください。
(引用元:真の聖書福音と預言「もっと気楽に生きよう」)
このように、聖書を読まない不信仰な人々は、遵法精神も愛もなく、心も頭も悪いのです。「信じない者は既に有罪宣告されている。」(ヨハネ三章十八節参照)とあるように、彼らは救いようが無いので仕方がありません。
今回は「聖書が教える契約と結婚」と題し、契約と結婚について考察したことと、個人的な経験談を述べさせていただきました。手前は未だに「神のイスラエル教会」に進めていない半端者ではありますが、地道に努力を重ね出来るだけ早く教会に進めるように励みます。先日、ミカエル氏は活動の拠点をアメブロからサブスタックへ移転することを表明されました。教会の募集は移行が落ち着いたら再開されるとのことなので、読者のあなたも共に教会に進めるように励みましょう。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。








