こんにちは。

 

今回は「絆という偽りのつながり」と題し、手前が信仰に入ろうとした経緯について改めて書かせていただきます。過去記事「奥州地方の歴史と聖書の関係」にも書きましたが、手前は成人するまでの殆どの期間を奥州地方で過ごしました。高校から始めた硬式庭球(テニス)と音楽鑑賞、読書が趣味で、大学では電気電子工学科で制御工学を学びました。とは言っても大学ではテニスやテレビ遊戯(ゲーム)に熱中し、勉学よりも遊ぶ事や恋愛することに重点を置いていたため一年留年しましたが、就職氷河期に入る直前であったため、東京に本社がある音響機器製造企業に就職することが出来ました。会社員になってみると同期入社の知人たちは自分よりも頭の良い人ばっかりで、電気回路設計に関する知識が不足していることを恥ずかしく思い、業務に必要な知識を少しずつ体得していきました。社会人になって月日が過ぎ、仕事にもすっかり慣れて友人が数多く出来た頃に世界を震撼させた米国同時多発テロが発生しました。その中継を真夜中にテレビで観て、「世も末だなぁ。」と感じたことを今もよく覚えています。その後、インターネット・バブルが崩壊した煽りを受けて勤めていた企業の株価が暴落して全社員一律で給与が減額され、同期入社の同僚たちが次々と離職していったため、手前も危機感を覚え転職を考えるようになりました。転職するなら給与が高い企業が良いと考えていたところ、当時親しかった同僚に誘われてねずみ講紛いの怪しい自己啓発セミナーに参加してしまい、毎週末その企業の関係者と集まって話し合う生活を数ヶ月ほど送ることとなりました。当時付き合っていた薬剤師の資格を持つ公務員の女性と結婚することを考えていたため、まとまった金が必要で、その為には自己啓発に投資することは当然だと勘違いしていました。学生時代の知り合いを勧誘したり、当時所属していたテニスサークルの知り合いからも白い目で見られたりしましたが、結果的には彼女に窘められて退会したため被害額は十万円ほどで済んだと記憶しています。その後は食いっぱぐれることのない技術を習得して、安定した収入を得ることが必要だと考え、ソフトウェアの開発と人材派遣をしている小さな企業に転職しました。そこでは電気回路設計や評価の経験を基礎としてプログラミングの技術を社内研修で身につけ、某映像機器企業に派遣されて人並みに稼ぎを得ることが出来るようになりました。そして数年付き合っていた女性と海外の教会で式を挙げ、新婚旅行では伊太利亜に行きました。当時は聖書に関する知識を殆ど持ち合わせず、バチカン美術館の美術品や歴史的な建造物等を見学しましたが、その規模の大きさに圧倒されるばかりで、主イエスと聖書に関心を持つことはありませんでした。その後、派遣業で中抜きされるのは莫迦らしいと考えるようになり、再び転職を考えるようになりました。転職した企業は様々な電気部品、産業機器から一般向けの機器まで幅広く製造販売する企業でした。会社によって社内の雰囲気は違うものですが、この会社は上位下達が徹底していたことに加え、技術職であろうと背広の着用が義務付けられていたこともあって、それまでの職場よりも息苦しさを感じ「選択を誤ったか…。」と思っていましたが、それまでよりも年収が格段に上がったため我慢することにしました。その後、妻が妊娠して退職、子どもが産まれました。住んでいた社宅が手狭に感じられるようになり、会社の肩書を利用して借金をして都内にある職場へ一時間ほどの場所に家を建てることにしました。二人目の子を孕っていた妻と自分たちで家の間取りを考え、将来のことを夢に描くのは楽しい行為でした。家が建ち転居を終えたその翌月に東日本大地震が起きました。勤めていた会社の社屋は建てたばかり高層ビルで、地震が収まった後も免震構造(ビル内部に巨大な錘が入っており、地震の揺れを相殺する仕組み)により揺れ続けていた為、軽い船酔いのような状態となると同時に、社内のモニターに映し出された東北地方を襲った津波の映像を目にし、実家の家族や友人たちに被害がないかと不安になりました。この数年前から手前はフェイスブックに嵌っており、「陰謀論」や「ロスチャイルド」という言葉と911が自作自演のテロだった事を知っていたためなんとなく嫌な予感が頭を過りましたが、そんなことよりも新居で帰りを待つ、家族の安否が心配で帰宅することを優先しました。電話や携帯のメールが繋がらない状況の中、職場から同僚二人と三時間ほどかけて帰宅したことは今でも鮮明に覚えています。当時の民主党政権が、数々の不手際により再び自民党に政権が戻ったことは誰もが記憶していると思います。そもそも原子力を使って発電しようという考え方が間違っていると読者のあなたも思いませんか。また、阪神淡路大地震の際、社会党の村山富市氏が首相だった時に限って大地震が起こるのは不自然だと思いませんか。この頃から手前は政治に不信感を持つようになりました。

 

それから約四年の月日が流れ、手前の所属していた企業でも事業の「選択と集中」、組織再編の動きが活発になりました。手前どもの組織は、自分たちで仕様書を書き、支那や台湾の企業に開発と生産を委託するという形で業務を進めていましたが、会社の経営層はこの部門を他の部門と統合することを企てたようで、手前は地方にある工場への出向と、工場に勤める社員への業務移管を命じられました。手前は製品の企画開発管理者(俗にいうプロジェクトマネージャー)という業務についていましたが、アナログとデジタルが混在するうえ電気エネルギーを貯め込むバッテリーを内蔵する機器であったため、与えられた業務命令は内部事情を知っている人間から見たら、誰からみても困難なことは明らかでした。この頃から社内政治と国政の共通点、つまり老害と呼ばれるような思考停止した人々が既得権益者として政財界の頂点に居座り続け、やりたい放題していることに気がつき、仕事の傍らで様々な哲学書やビジネス書を読み漁り、社内の労働組合に相談したり、説明資料を作成して協力者を作ろうとしましたが、他部門から天下りしてきた老害経営者に対して抗議する人が現れることはありませんでした。

 

(引用元:社会実情データ図録

 

自浄作用の一切ない組織において孤軍奮闘することが虚しくなり、この頃から独立して起業することを本気で考えるようになりました。当時は瞑想(マインドフルネス)が流行っていたことあり、手前は仏教の教えを学び、悟りを得ようとしてみました。十年ほど前に自己啓発セミナーで痛い目に遭ったのに、再び高額な起業家セミナーに妻に内緒で金銭を注ぎ込んでしまい、この頃から妻との関係がぎくしゃくするようになりました。そして今度は熊本地震に遭遇し、震源地が自衛隊の駐屯地の地下であった事やネット上の情報、陰謀論者として知られる内海聡氏の著書などを通じて人工地震は陰謀論ではなく事実であると確信しました。(※人工地震についてはWeb検索では見つかりにくいため、ツイッター(X)の検索を利用して確認してみてください。)この頃、検索にはグーグルではなくダック・ダック・ゴーを用いる様になり、洗脳を解くことを楽しみとするようになりました。ですが、得た知識をどこで開示すべきか分からなかったため、手前は「note」に口座を開設して、副業にすることを考えていました。収益としては微々たるものでしたが、鬱積したものの捌け口としてはそれなりに良かったように思います。その後も担当していた製品開発の業務は、様々な問題がありましたが何とか発売まで漕ぎ着けることが出来ました。予想していた通り、手前は開発担当を外され、後任には工場にて中途採用された社員が選ばれました。そのうちの一人はうつ病と診断され、職場の雰囲気は最悪でした。前述した通り手前は一人で抗議をしていたため、他の社員よりも早く出向を解除されて東京の職場に復帰する事になりました。愛する家族の元に戻れたことは良かったのですが、満員電車で毎日出社するのはまた別のストレスが溜まります。その後、会社との拗れた関係を修復することは出来なくなり、手前は名目上は自主退職という形で辞める事になりました。妻は退職する事に関しては肯定的であったものの、起業する事には反対でした。「性格的に社長には向いてない。」と言われ、自分がどのような会社を興したいのかを説明しましたが、彼女の理解を得ることは出来ませんでした。手前は親戚でコンサルティング会社を経営している元山一證券の社員だった人に頼り、小さく起業する事を試みました。彼は法律や税金の仕組みについては精通しており、「抜け道」を探す事に長けた小狡い人で、還暦を過ぎているのに性風俗に足繁く通ういやらしい人でもありました。その上、日本会議の会員との事だったので心から信用することは出来ませんでした。しかし、自分の会社を興した以上、まずは顧客を見つけなければなりません。それ故、彼の元で会社の経営に関することは教えてもらい、自分で売るべきものは何かを毎日考えておりました。そんな折、手前はフェイスブックで「フラットアース」という言葉に出会い、この世は平面であることが聖書に書かれていると知り、この時になって初めて手前は「世界最古にして世界一多く発刊された書」である聖書を読んでいないことに思いが至りました。数日後に図書館で創世記を借りて読み、その後に口語訳聖書を購入し、読み進めるようになりました。大地が平面であることの確証が欲しかった為、レックス・太陽・スミス氏(彼のツイッター(X)の口座はこちら)らが主催する催事に足を運んでみました。彼らの説明は非常にわかり易い内容で、聖書を読み進める速度が上がりました。最初は順序を気にせず興味がある書から読んだため、正直なところ旧約聖書のダニエル書やエゼキエル書、新約聖書の黙示録や「預言」の内容を殆ど理解することが出来ませんでした。聖書を読み始める少し前まで、速読(斜め読み)する変な習慣が身についてしまっていたのかも知れません。

 

一方、家庭では妻との関係が断絶状態に陥り、同じ部屋で寝ることを拒否されるようになり、住宅の月々の返済額を稼げないなら離婚すると言われるようになっていました。彼女からの精神的な迫害は苛烈になる一方で、家では安眠出来なくなり「あんたは統合失調症だ」と決めつけられ、手前は単身で彼女の母に会いに行き、話し合うことを求めましたが、義理の母の親戚は創価学会の家系であり、痴呆症になりかけていたためそのような努力をしても無駄だということが理解できました。その二、三日後に手前は妻から電話越しに「折伏」を仕掛けられました。

1仏語。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。摂受と共に衆生を仏法に導く手段。
2転じて、執拗に説得して相手を自分の意見・方針に従わせること。

引用元:(コトバンク、「折伏」)

コロナ犯罪が始まって以降、あらゆる宗教団体に属する人間が悪人であることも暴露されるようになってきました。創価学会の妻のやり方は上記2の手口そのもので、「聖書は洗脳だ」と言って相手に反論する隙を一切与えない、恫喝以外の何ものでもありませんでした。今にして思うと、恫喝する際の彼女の表情は悪霊に取り憑かれた状態だったことが理解できます。そして仲裁に入った(某商社の副社長だった)叔父に連れられ、手前は心療内科に通院することになりました。因みに叔父の父(手前の母方の祖父)も公務員で、中学校の校長を勤めた人でした。そして数日間を家の近くあったホテル暮らしを強要され、その後はアパートを借りて別居生活を送る事になりました。睡眠薬や向精神薬を処方されましたが、これらの薬が危険であることは知っていたため、殆ど服用せずに破棄しました。この上なく精神的に辛い状態にあったのに、手前がこの難局を乗り切ることが出来たのは間違いなく聖書のおかげです。ですが、聖書は難解な書物で、どう解釈すべきか逡巡していた際に偶然目にとまったのがミカエル氏のブログ記事「真の聖書福音と預言」でした。

この世は宗教で動いてる。世界各国が悪事を働くのもすべて宗教が動機である。二千一年の9.11も米国の情報工作員による犯行であり、すべてローマ教皇へのお膳立てのためであり、宗教が動機であった。科学が絶対とする考えがそもそも間違いやしな。科学で解明出来ひんことはいくらでもあるのに、「目に見えないものは全部存在しない。非科学的だー。科学で証明出来ないものは存在しない。」等と喚くのは目も当てられへん程に愚かで惨めな人や。科学的がどうのと言う人が、なんで今のコロナ茶番は非科学的と言わへんのか謎や。PCR検査は感染症の診断に使えへんし、コロナウイルスとやらを発見するために新開発された検査やないし、感染症対策としてはマスクなんて何の役にも立たへんどころか有害やし、かえって酸欠になる、マスクに付着した雑菌を吸い込んで細菌性肺炎になる等と人体に有害なだけ。

(引用元:真の聖書福音と預言「動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 後編」)

ミカエル氏の記事を読み込み理解するまで「政教分離」出来ていないことがマズい状態であることは分かっていましたが、憲法第二十条「信教の自由」に違反する行為であることには思いが至りませんでした。また、聖書が宗教ではない事も当然わかっていませんでした。彼の記事はどれをとっても聖書の真理を非常にわかり易く解説されており、聖書の真理を理解する上で、最適な記事だと思いました。そして「兄弟の集いの場」に入れていただき、約一年三ヶ月の期間に、それまで受けたことのない慈愛に満ちたご助言と叱責を頂戴しました。それにも拘らず手前が「神のイスラエル教会」に進むことが出来なかったのは、手前の怠惰さや自分への甘さが故であり、「後悔先に立たず」ではありますが、しっかりと自制し、昨日の自分に負けぬよう気をつけつつ、失われた羊を見つけるために何をすべきか考えながら日々を過ごしております。

 

話を元に戻します。その後、手前は拝金主義者で仏教徒であった親戚たちに排斥されて、離婚届に印を押しました。「知恵ある女は家庭を築く。 無知な女は自分の手でそれをこわす。」(箴言十四章一節参照)この言葉は真理だと、身を持って知ることが出来ました。そして、聖書に書かれた教えに従い、家の所有権や子どもたちの親権、洋服、余計な持ち物等すべてを手放して世捨て人となり、単身で慎ましく生活できる環境を探し求め、西日本のど田舎に移住することを決めて信仰生活に入りました。コロナ犯罪が始まって四年が経過した現在においても、ワクチン接種に関する見解の違いなどにより、不和の状態にある家庭がまだまだたくさんあるのではないかと思います。手前が離婚を決めた際にとても参考になった記事を紹介させていただきますので、この件について悩みをお持ちの方は下記の記事をご一読ください。

 

(画像引用元動画:真の聖書福音と預言「ほんまもんの愛と暦とは」)

 

一般には「喧嘩するほど仲がいい」と言いますが、現代人の人間関係は非常に希薄で、読者のあなたも本音で語り合ったり、苦境にある人の悲痛な声に耳を傾けてくれる家族や友人は殆どいないのではないでしょうか。コロナ犯罪によって人間の本性が明らかになり、多くの人々が「今だけ金だけ自分だけ」な生き方をしていることが明らかになりました。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」(創世記八章二十一節参照)とある通り、人は生まれながらにして誘惑に弱く、悪に染まり易く、騙され易い存在です。

真のクリスチャンは聖書の御言葉を身に着けているので騙されません。行いが伴わない信仰は無益で、虚しく、死んだようなものなのです。例えば、愛していると言われて恋人になって結婚した後、浮気されたり暴言や暴力を受けたと言って泣きわめく人がたまにいます。これが言葉と行いの不一致の身近にある代表例です。言葉という口先だけに騙され、行いに注意を払わなかった代償です。クリスチャンの兄弟間でも愛していると言っても兄弟のために何もせず、何の役にも立たない世間話をしたりする位で本当に愛しているのか疑わしいです。もっとも、声掛けすらもしない人は論外で、兄弟では有り得ないです。過去記事「武士道を忘れた日本人」でも書いたように、折が良い時だけでなく、苦しい状態に陥った時にこそ助けの手を差し伸べる人が本物です。世俗の友人関係も同様であり、友達として一緒に食事したり、外出したりする関係であっても、病気になったり、ギャンブル等の不義によらないでお金に困ったり、冤罪や陰謀等によって投獄されたりした時に会いに来たり、助けようとして訪ねて来る人が本物の友達です。冷静に考えれば、そのような本物の友達はほとんどいないのではありませんか。不義や不法がはびこるこの終わりの時代は、人々の愛が冷えきっているからです。しかし、人間は苦境に立った時にこそ、その本性が見出せます。折が良い時は立派なことを言っている人が、いざあなたが苦境に立たされた時、何もしてくれないばかりか、離れて行くのではないでしょうか。このように、言葉よりも行いを重視するべきであり、言葉と行いが一致するかどうかが重要なのです。

(引用元:真の聖書福音と預言「神の御心を行う」)

上述した東日本大地震という人工地震により日本人の大虐殺が実施された際、日本放送協会(NHK)は『絆』という言葉を美化し、助け合うことを呼びかけていたと手前は記憶しています。旧約聖書の新共同訳には下記の二箇所で「きずな」と訳されていますが、個人的には下記のように訳すべきかと思います。

 

エゼキエル書 二十章三十七節(拙訳)
我はお前たちを杖の下を通らせて、契約のもとに紐づける。

 

ホセア書 十一章四節(拙訳)
我は人々の綱、愛の紐であり、
彼らの首から軛を取り去り
身をかがめて食べさせる。

 

聖書を何度も通読し、神と神の律法を愛して遵守する真のキリスト者は、主イエスに結ばれます。その反対に家族や隣人との偽りの絆、つながり、人脈を大切にしている不信仰な人々や自称クリスチャンの人々は、聖書の真理に気付かないうちに終末、世の終わりを迎えて悪魔と共に第二の死を迎えることになります。無知な現代人、特に女性の多くは交際相手の肩書きや経済力を重視し「運命の赤い糸」なるものを信じ込み、直感的にドキッとした人と相思相愛になることを夢見ている人が多いように思います。(参考記事はこちら、はぐくむ)そして、信仰心の欠片もないのに結婚式の時だけは教会で西洋由来のドレスや背広で着飾り、指輪の交換をするのが当たり前だと考えているのではないでしょうか。新約聖書では指輪を表すギリシア語 δακτύλιος が、ルカによる福音書十五章二十二節、「放蕩息子」のたとえ話の中で使われていますが、文脈的に考えて指輪と結婚式が無関係なのは明らかです。また、現代人の多くは「赤」を情熱の色とか、縁起の良い色だと考えているように見受けられますが、赤(緋色)を表すギリシア語 κόκκινος には「血の色」の意味もあり、「すべての生き物の命はその血である。」(申命記十七章十一、十四節等参照)とあり、真のキリスト者なら忌避すべき色です。また、「穀粒、種粒、顆粒、種」を意味する κόκκος という単語にはエンジ虫という昆虫を食品の着色料として利用されているようで(参考記事はこちら、logmi Biz)、健康に気遣う意味でも赤く着色された加工食品は避けるべきだと思います。

 

(引用元:真の聖書福音と預言「世の中の真相、新世界秩序(NWO)とこれからの動向」)

 

先日、共産党の委員長に田村智子氏が就任したという報道がありました(参考記事はこちら、NHK)。過去記事「女性の活躍は終末の徴」でも述べさせていただきましたが、聖書に書かれた正しい家庭のあり方は「家父長制」であり、女性が社会的に高い地位に着く現象も終末の徴の一つです。もし、あなたがこの後に及んで、まだ色恋沙汰に関する悩みなど持っているようでしたらはっきり言って絶望的です。「世も世にあるものも、愛してはいけません。」(ヨハネの手紙一 二章十五節参照)とある通り、終末が極めて近いこの時代においては、自分の身内のことや世俗のことを心配をしている場合ではなく、聖書を読み込む時間を確保することが何よりも大切です。

 

今回は聖書未読の読者の方にも聖書を読んでいただきたく思い、手前が信仰生活を始めた経緯についてを記事にしてみました。聖書の真理、主イエスの御意志については聖書研究の第一人者であられるミカエル氏が世界の誰よりも深く、正しくご存じです。彼が開設、主宰されている「兄弟集いの場」の門を叩き、「神のイスラエル教会」へ進もうとする努力を惜しまない方が、拙記事を読んで一人でも多くなりましたら幸いです。手続きについては下記の記事を熟読してご確認ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。