西部邁先生の死去に酔いどれ言いたい放題 | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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トータルで俯瞰するという巨視的視野

 『「グローバリズムは不可避説」は本当だったのか?(続編)』は明日以降の更新に回すことにしました。今この時に率直な気持ちを綴らなければ、私自身の脳みそが整理できないと思ったからです。

 

 忙しい日々を過ごしつつ、合間に考える政治、経済論やその他の論理。本を読むという時間さえなかなか取れずに過ごす日々。毎日更新し続けて枯渇していく私の脳みそとネタ。土台、毎日新しいネタを提供するという行為は非常に難易度が高く、それは不可能とも呼べる作業でありましょう。

 作業は人の思考を鈍らせ、ルーチンへと導く。私ごときに新しい真実(かも知れない論理)なるものが”毎日”発見できるとするのならば、世界はもっとより良い方向へと進んでこんな作業も必要なかったはずである。この告白は私がどうしようもなく凡人であるということと、そして世界もまた凡人で満ちているという指摘である。人によっては「なんと傲慢な」と怒る方もいるかもしれない。しかし遅々として進まぬどころか、むしろ悪くなっていくようにすら思える世界中の現象に、私はそう思わざるをえないのだ。

 

 はっきりと申し上げるが、私はある種の快楽主義者であろうと思う。性的、知的、もしくは身体的、食欲、睡眠、惰眠等々。自身が望むことを望むままにしたい欲求の塊だ。

 今にして思えば知的快楽を知らなければ、ここまで絶望的な言葉を吐かなくても良かったのではないか?と思えてならない。

 そして何を隠そう、その知的快楽を私に与えた人物こそが西部邁先生であり、または中野剛志先生であり、もしくは藤井聡先生であるというのは、このインターネットの時代において直接的にお会いしたことがなくても、その影響が甚だ大きかったというのはおかしな話ではないだろう。

 3氏に共通するのは何か?これこそが私の知的欲求を導くものであり、そして際限ない行動へと導くものなのであるが、巨視的な観点、俯瞰的な観点で世の中の事象をトータルで常識に照らし合わせて分析をする、もしくは診断をするという視点であった。

 元来、歴史好きの私はこの観点こそが歴史というノンフィクションを解釈するのに適していると直感したし、そしてそれは現実社会においても大変に役立つと思えた。

 

 1つ例え話をすると、経営者は恐らく専門バカでは成り立たない。早晩に事業は頓挫することは間違いなしである。世の中にはミクロレベルで正しく「優秀なプレイヤーが良い上司になるとは限らない」という教訓は、ビジネス書の類に山のように綴られるが、それを正しく理解するものはほとんどいないというのが実情であろう。専門バカとは「優秀なプレイヤー」に過ぎず、その優秀なプレイヤーのいうことを当てにして経営していたのでは、経営者はバカと呼ばれてしかるべきと思うのだ。

 そしてそれは我が国においては、主流派経済学と政治家、もしくは政府、もしくは官僚という構図として存在するのだから、バカな経営者と同等かそれ以上に馬鹿な連中が政治を牛耳り、そしてそのバカをのさばらせているのが”近代から生まれた大量人(大衆人、Mass)である国民であるといえよう。

 

 このような物の見方を私に強烈に感じさせたのは他ならぬ西部邁先生であり、よいことなのか悪いことなのかは置いておいて、その主張は私の直感を、出口のない論理を揺さぶったのは確かであろう。有り体にいえば、西部邁先生のせいであるといいたいのだ。そして西部邁先生のおかげであるともいえる。

 37歳の若造が語るにはまだまだ色々と足りない部分はあろうと思う。しかし37歳の若造に新たな視点を付け加えたのは、西部邁先生なのだ。これは中野剛志さん、藤井聡さんが西部門下であるとを鑑みてもほとんど間違いない事実である。その巨視的、俯瞰的、もしくはトータルで社会を眺めるという視点は、バカな政治家、政府、有識者、マスメディアなどには私が感じたこともなかった「知的快感」であった。

偽善的有識者たちの宴


 

 上記に示すリブログの内容に、私は共感を覚えるものだ。私も西部先生とは接点などインターネットを介してしかない。しかし自身の知的快楽のために、その言葉に大いに耳を傾けた、そして理解しようとしたし、恐らくこういうことを言っているんだろうと一部くらいは理解したつもりである。上記のリブログ先に大いに共感したのはこの部分だ。

 今回の事件がどこまでも皮肉なのは、「偽善だらけの日本人」にウンザリして死んでいった西部邁の自殺に対して、「素晴らし保守思想の大家を失った」「もっと西部先生から色々なことを学びたかった」などという声が噴出したことである。それもそれまで西部邁氏の著作を1冊も読んだことすらなさそうなクソ評論家まで声を揃えて言っているのだからなんとも・・・。さらに、もっと酷い例では、裏では「西部邁は老害!!何を言っているのかワケが分からん!!」などと悪口を言いまくっていた若手評論家が、Twitterで「これで保守論壇にまともな人間がいなくなってしまった」などと嘆いてみせ、それなりの数のRTを稼いでいたこともあり、なるほど偽善と、どうしようもない偽善者と見え見えの偽善的な美辞麗句すら見抜けないバカがこれほど大量にいるものだという例をまざまざと見せられた思いがした。

 ニュースではとある右派の若手評論家、ウーマンなんちゃら、様々な人が西部先生を惜しんでいるが、ではこの方々の中で西部先生がいっていた根本的な命題、つまり非常に語弊を恐れずにいうと「真実は歪な形で、それをどのように多面的に捉えて仮相を実相に近づけて解釈するか?」という意味が理解できる人がどれだけいるのか?実践している人がどれだけいるのか?

 わからないが、少なくとも右派の若手評論家やウーマンなんちゃら、田原総一朗さんなどは「異なる」と私なんかは感じてしまう。そして、私ももしかしたらその類かもしれない。

 西部先生がもしも無名で、同じ言葉をいっていたとして私は耳を貸したのか?彼らは耳を貸したのか?そして同じように「偉大な思想家を失った」といったのか?

 

 私も含めて偽善者たちの宴と呼ぶべきほかはないかもしれない。わかりやすい葬送の儀と弔事を送って日常に戻っていく。それは人間の性なのかもしれないけれども、あまりに「タテマエ」で「打算」が見え隠れするこの風景に、カツトシさんは違和感を感じたのだろう。

 これこそが『ビバ!大衆、大量人社会!」という近代以降であり、西部邁という一個人がすり減らされ、消費された。所詮はその自決すら「大衆、大量消費社会」のいち話題にしか過ぎなかった。その「大衆、大量消費社会」から弔事が送られるのだから、皮肉を通り越して「ふざけてるのか!!!」といいたくもなる。

 さらにいえば、言論の自由を振りかざしてこのように西部邁先生の立場を補強するという「ふり(かもしれない)」をして話題にする我々も、もしかしたら同罪であろう。

 

 このような稚拙な論理、思考に西部先生ならいたずら小僧のような笑顔で、刺激的な言葉を発したかもしれぬ。その存在が亡くなったこと、それ自体が私の知的快楽において悲しいのだ。

 どうも情報によると以前から自決をほのめかしていたのだそうである。なんでも病院でいじくり回されたり、というのは嫌だそうということ。自分の生死くらいは自分で決めるということなのだろう。

 西部邁先生の充実した生涯と、そしてその最後の決断に酒をなみなみと飲み干しましょう。

 

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本日の男の料理 イサギのマース煮

 マース煮ってなんじゃそら?といいますと沖縄料理なんですね。マースは沖縄弁で塩という意味なので、標準語でいうと「イサギの塩煮」となります。

 イタリア料理でもアクアパッツァという「塩と胡椒だけで魚と二枚貝、トマトを煮る料理」がありますが、それに近い料理です。

材料

  • イサギ(白身魚ならなんでもOK。切り身でもOKですよ)
  • 生姜
  • 長ネギ
  • 日本酒(泡盛がベストですが、ないなら日本酒でOK)
  • 昆布
  • 醤油(反則ですがいいんです)

調理手順

  1. イサギはまるまるなら鱗を取って内蔵を取り除き、ザルに入れて沸騰したお湯をかけて湯霜にします。臭み取りですね。新鮮なら省いてOK。表面に十字の飾り包丁を入れておきます。
  2. 鍋に魚がひたひたになるくらいの水を沸かし、昆布を入れて、その上にお魚を入れます。カットした長ネギ、細切りの生姜も入れてます
  3. 塩で塩味を適当な濃さにしたら日本酒少々をいれて落し蓋をして6~7分ほど煮ます。
  4. 火が通ったら火を止めてからお醤油数滴を香り付けに入れて完成!一旦冷ましてやると、味が染みて良いと思いますよっと。

 やや旨味がたりない・・・と思ったら、ほんの少し顆粒の本だしなんかを加えてもOKだと思います。

 

 近くに旨い沖縄料理を出す店を発見しまして、色々突きつつ、豆腐ようと泡盛で一杯やって来ました(笑)お値段もお安めで2人でいって5000円ほど。

 ・・・どうも食事の最中に写真を撮るという行為に馴染めなくて、画像は残っていないのですが(笑)

 一番美味しかったのがゴーヤチャンプルーとゴーヤのおひたし。ゴーヤのおひたしは醤油を使っていないのになぜこの味に?と不思議でした。もしかしたら塩麹かも?

 沖縄料理にもどんどんチャレンジしていきまっせ~。

 

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