戦前に憧憬を抱く保守達 | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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何故宣言するのか?

まず最初にお断りしておきたいのが、私は自分が保守だとは思っていないということです。左翼でもありませんが(笑)

言論人として私が好きなのは中野剛志氏、藤井聡氏、三橋貴明氏、西部邁氏等々ですが、不思議な事に私の好きな言論人は一様に「自分は保守だ」と仰りません。

私の勝手な解釈なのですが、人は足りないものを「宣言することによって埋めようとする」という部分があるように思えます。

立派な大人は決して自分のことを立派な大人だと宣言しませんし、勉強のできる子供はむしろ「なんで出来ないの?」と残酷にも他の子に聞いたりするでしょう?

 

逆の例をあげますと、韓国には伝統的な文化というものがあまり存在しません。だからこそ例えば「これが宮廷料理ニダ!」とか「韓国にも韓国茶道があるニダ!」とするしかないのです。もしくは起源の主張をしてみたりとかですね。

ちなみに私は別に韓国が嫌いではありません。韓国料理はまぁまぁ好きですし、その他のことは「はぁ、またやっとる」という感じで、あれは地政学的、環境決定論的に分析するとあ~なっちゃうんですよ。いや本当。んん・・・・話がずれた(笑)

まぁ要するに「出来ないやつほど、自分を大きく見せるためにアイコンを使う」という虚勢の心理がある気がするのですね。

 

人間、虚勢を張るとその虚勢を埋めるために思考が硬直し、さらに先鋭化していくのだと思います。

嘘をつくと嘘を塗り固めるために嘘が必要でしょ?それと一緒なんじゃないかなと。

戦前の憧憬とはなんなのか?

私も20代中盤くらいまでネトウヨでしたから、その頃はとにかく「戦前の日本はすごかった!」「特攻隊はすごかった(いや、凄いんですけどね、本当に)」「先人たちはとにかく凄い!」「従って日本は凄い国だ!」「今は平穏なので一致団結してないだけ!」「何かあれば一致団結!超サイヤ人ならぬスーパー日本人になる!」と思ってましたよ、恥ずかしながら。

林語堂の『人生の黄金時代は老いて行く将来にあり、過ぎ去った若年無知の時代にあるにあらず。』という言葉を思い出します。

 

さて、過去にネトウヨだったので私にも「いわゆる保守が、戦前に見る憧憬とは何か?」は感覚的には理解できます。しかしこれを今から言語化しようってんだから、無茶な話だ(笑)

話は江戸時代における武士道にまで遡ることになります。あぁ、ややこしい。

・・・・言語化しなくてよくね?(しますけど・・・しますけどねっ!)

言語化するには「大衆主義(ポピュリズム)」への嫌悪、というキーワードが必要になってきます。ここらへんを一定程度論じないと、理解が深まらないと思うのですね。

ポピュリズムとポピュラリズムの誤解

マスメディアは何かあるとポピュリズム、あなたの病気もポピュリズムのせいだ!と言わんばかりですが、そもそも「ポピュリズム」と「ポピュ”ラ”リズム」は全然違う別物なんですよね。

簡単に申し上げますとポピュリズムというのは、アメリカの農民が起こした運動で日本語では「大衆”迎合”主義」と言われますが、西部邁氏に言わせると「もともと政党の名前だった」のだそうです。

ポピュ”ラ”リズムとはポピュラーとか言われるように、人気主義ですね。つまり大衆迎合主義というのは「ポピュラリズム」の方でして、ポピュリズムの定義とはそもそも違います。

大衆主義が「民主主義の基本」である以上、ポピュリズム自体は否定されるものでもなんでもありません。

近代の新しい専制、マス社会

北朝鮮の将軍様に使える美女たちが、一糸乱れぬ運動をする「マスゲーム」をご存じの方は多いと思います。

マスマン(大衆人)、マスソサエティとして英語で使われる「マス」ですが直訳すると「質量」「量」となりまして、つまり西部邁氏によると「大衆人」という訳よりも「大量人」という訳を当てるべきだった、というわけだそうです。

まぁ面倒くさいので大衆人と使用しますが、大衆人とは原子論的個人の「砂粒のような個人」でして、風が吹けばあっちにこっちに、そうして大量にある箇所に積もるという性質があるんだそうです。

これがトクヴィルという民主主義の偉大な観察者の危惧した「多数決による新しい専制」なのでしょう。

蛇足になりますが、グローバリズム・新自由主義・新古典派経済学はこのような個人を前提とした理論体系でして、そこには伝統も文化も常識も慣習も存在しない空虚な「金だけの社会」が出現するだろうと私は解釈しております。

これが「ポピュ”ラ”リズム(人気主義)」を加速させ、政治の劣化は切り離された個人によって止まる所なく加速し、退廃的な世界になるだろうと予想します。

大衆主義と人気主義を混同した(似非)保守

上記の予測は何も私が言っているのではなく、いわゆる保守というのも言語化出来ないまでも「感じていること」であろうと思います。

蛇足ですがブルース・リーは「考えるな!感じろ!」と言いましたが、言論を吐くものとしては「感じた上で考えろ!」でございます(笑)

いわゆる保守の危機意識というのは正に「ポピュラリズム(人気主義)」によって社会が混迷を極め、無秩序になるのではないか?という「大衆不信」のもとに成り立っております。

 

つまり本来は「ポピュラリズム(人気主義)」が問題であり、ポピュリズム(大衆主義)の問題ではないのですがこの2つを混同してしまったためにアリストクラティズム(でいいのか?貴族主義、アリストクラシー、アリストクラティア)への回帰を本能的に求めている、というのがいわゆる保守や右翼の主張でしょう。

アリストクラシーだった江戸時代、明治時代

江戸時代は言うに及ばず幕藩体制であり、武士が支配階級として日本を差配し、その中で葉隠などの「武士マニュアル本」などが出版され、もしくは平穏な世の中で文化が興隆した時代と言えます。

また明治維新も天皇を頂点とした政治体系といわゆる保守には写っていて(※1)、貴族院などもあったことからエリート主義、アリストクラシー(貴族主義)が体現されていた時代でありましょう。

しかし不思議なことに現代のいわゆる保守には知性や教養をあまり感じないわけです。

一般庶民の私ですら論じられる論を、いわゆる保守、ネトウヨから聞いたことがないのですからそう断定してもおかしくないでしょう。

※1実は明治の時代の天皇というのも、現在の天皇と役割的にはさほど変わらなかったという説が濃厚です。明治22年から立憲君主制に移行した、という説が濃厚かと。

 

冒頭の論に戻りますが、いわゆる保守とは知性、教養がないからこそ「秩序の復活」によって「権威に身を委ねたい」という他律的な衝動の表れではないか?と思われます。

「ないからこそ求める」という「人間の心理の1つ」だと思うのですね。さて、本質が見えてまいりました。

つまり彼らの本質とは、保守思想と言うものがしばしば「情動主義」と言い表されるように、上からの権威と秩序を求める「江戸時代の農民主義」とも解釈できそうな話ではないのか?と思うわけです。

※江戸時代はよく存じませんが、戦国時代の農民というのは大変にしたたかで、ここで言う農民主義みたいな「従順でおとなしい」というものではありませんでした。

戦後保守の憧憬はアイディンティティを失った故

ここまでポピュリズム、ポピュラリズム、アリストクラシーと色々論じてきましたが、現在のいわゆる保守の姿は新自由主義に迎合し、安倍政権を支持し、なのになぜか伝統と文化とエリート主義やら権威主義を支持して秩序の回復をしたいように見えます。

これらは全て「戦後保守、特に1990年代以降の保守の自分探し」と言えるんじゃないでしょうか?

確固たる思想がないものだから、秩序の回復のために戦前回帰を志向してみたり、権威に弱いものだから新自由主義を支持してみたり、二次創作の愛国教育をありがたがってみたり、と私から見ればハチャメチャでして意味がわからないのですね。

 

しかし明治維新が「欧米列強からの無茶な要求の現実に、政治体制を変えることでなんとか対応しようとした」ということを見ると、いわゆる保守とは「国難があれば日本人が団結する!であれば我々のような思想が望まれる!一致団結!秩序!俺達の言っていることは骨太!」というふうに思っているのかもしれません。

事実だとしたら国難を望むなんて、不逞の輩で無礼討ちでございますよ(笑)

そう言えば小泉純一郎元総理も「骨太の方針」やらなんやら出してましたね。

明治維新はそんなに良いものではない

ここからは私の単なる感想なので、特に見なくても良いんですけど、明治維新って外圧があってどうにもならない、だから現実的にプラグマティックに対応したのが明治の先人たちだと思うのですよね。

まさに国難の時代であり、そこから日清日露、第1次世界大戦、第2次世界大戦と続くわけで、率直な感想を言うと私は人死は嫌だし、戦争も嫌いです。

ただただ先人たちは必死に時代を駆け抜けたのだと思います。しかしこの恵まれた時代、日本には昨日書いたように「殆ど問題がない」状態であり、政治さえ変わってくれれば「日本経済の復活と自主独立がなるかもしれない」という状況です。

それなのにあえて国難を望む「自称保守」の「維新ごっこ」「武士ごっこ」に付き合っている暇はないわけですね。

 

だって自称保守から「戦後の日本は我慢ならん!」と割腹してまで訴えたのは、三島由紀夫ただ一人でしょう?

※三島由紀夫は自称ではなく、保守であったと私も思います。

えっ?私?だから保守じゃないってばよ!

 

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本日の男の料理 蒸鶏の和物

昨日スーパーに行きましたらなななななんと!鶏のささみがグラム58円!!!!通常はグラム78円くらいなのでさくっと2パック購入。さて、これで何を作ろう?ということで蒸鶏の和物のレシピを紹介。超簡単。

材料

  • 鶏のささみ
  • かいわれ大根
  • 日本酒
  • マヨネーズ
  • 醤油
  • わさび

調理手順

  1. 鶏のささみは日本酒に15分ほど漬けておきます。そのまま電子レンジに入れてチン。うちの電子レンジだと4分ほどで程よく火が通ります。火を通しすぎると固くなるので、中がやや生くらいでOK。残りは余熱で火を通します。
  2. 1の日本酒を少々、マヨネーズ3、醤油1、わさびはお好みでソースを作ります。
  3. 1のささみの粗熱が取れたら手で裂いてお皿に盛って、ソースをかけてカイワレをのせて完成!

下にレタスを敷いたりしても良いですし、みょうがや葱を混ぜてもOK。さっと出来る簡単レシピですよっと。あとこのレシピ、包丁を一切使わずにできちゃいますね(笑)

 

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