前回に引き続いて、連邦政府とアメリカの大学の関係についてのブログです。


今までの話を簡単に整理すると、


① 連邦政府の大学教育に対する権限は州に比べて限定されたものになっている。

② しかし、限られたチャンネルの中で連邦政府が大学に与えている影響は非常に強大である。

③ 連邦政府の大学教育に対する主な使用用途は、奨学金、ローン、そして研究費である。

④ 連邦政府からの拠出金はその使い道が法律で定められているため、大学の運営のために自由に使うことはできない。


という感じになりますが、今日は、連邦政府の予算に出てこない、いわば影の部分のサポートである、大学に対する税制度に対して述べてみようと思います。


アメリカにNPOが多い理由として、その原因が税制度にあると主張している人を昔何かの記事で見たことがあります。


アメリカの大学も法律上はNPOになるのですが、大学はNPOの中でも501(c)(3)という、アメリカの国税庁が定めた組織分類コードに配属されます。


この501(c)(3)は、主に次の5つうち、どれか一つをその組織の目的としているところに認定されます。すなわち、


a. 宗教活動

b. 慈善活動

c. 教育

d. literary (文学?正しい訳がわかる人がいれば教えてください)

e. 科学 (おそらく研究機関のことをさしていると思います)


そのほかにも、細かい規定があるのですが、詳しくは英語版ですがこちら:

http://www.mycorporation.com/nonprofitfaq.htm


それで、この501(c)(3)に認定されるとどうなるかというと、法人所得税を免除されます。これは、実は組織上非常に重要なわけです。所得税で本来もって行かれるところの額がまず、そのままそのNPOの収入として入ってくるからという理由がその一つです。しかし、それ以上に、これは寄付金の増加に役に立ちます。


その理由の一番目は、まず寄付金に税金がかからない、ということが挙げられます。せっかく、巨額の寄付をしたとしても、その大部分が税金で引かれてしまったら、寄付をするというモチベーションもあがりません。


次に、これは寄付金をする方の立場ですが、この501(c)(3)のNPOに寄付金をした場合、この寄付金の額は、自分の所得から控除することができます。つまり、税の申告を行う際、自分の所得を、寄付金後の所得を自分の総所得として申告することが出来るわけです。これは、累進課税システム社会においては非常に大きな意味を持ちます。


もう少し詳しく説明すると、つまり自分の所得申告額を、寄付をすることによって減らし、それによって所得税額を減らすことが出来るわけです。うまくやれば、寄付をすることによって、自分の手元に残る所得を、本来の所得より増やすことも可能になることもありえます。


話がややこしくなりましたが、要するにこの501(c)(3)は、寄付金を提供する側と受け取る側、両方にとってメリットがあるようになっているシステムがあるわけです。アメリカの大学は、その寄付金の額の大きさで有名ですが、それはこの501(c)(3)によるところが大きいわけです。


このメリットの大きさをより理解するためには、それでは501(c)(3)がなかったらどうなるのか、ということを考えてみるとより鮮明になります。


まず、当然NPO法人は、法人所得税を払わなければならないので、組織としての収入が減ります。


次に、寄付者の側ですが、法人所得税を払っている組織に対する寄付金は、所得控除の対象とはならないので、寄付した額の一部が税金として差し引かれるだけでなく、申告する所得額は、寄付金をする前の総額を申告しなければならないため、より多くの税金を引かれることになります。この状態で、果たして寄付をしようなどという人がいるのでしょうか?いたとしても、その数は限りなく限定されることになるでしょう。


というわけで、アメリカを述べた後で日本の話というのはいつものパターンなのですが、日本は、まさにこの501(c)(3)のようなシステムがない状態、というのは今でもそうなのでしょうか?2-3年前の段階では確かにそうだったと思うのですが、最近そのあたりが変わったとか変わってないとかいう話が自分のなかで明確になってはいないのですが、もしご存知の方がいればご一報下さい。


その一方で、このようなサイトを見つけました。このサイトによれば、一定の寄付金額は控除されているということです。でも、完全控除ではないようですね。


http://www.npo-support.jp/social_infra/si520.php


ともあれ、アメリカの大学はこの501(c)(3)によって、約4.5兆円分の恩恵を受けていることになります。この税優遇制度がアメリカの大学を支えていることは間違いでしょう。


さらに興味深いのは、この税制度は、高等教育政策の一環として出来たわけではないということです。この事実は全体的な視野にたって、高等教育政策というものを考えていくことの大事さを物語っているような気がします。




(一応最後に言い訳として、自分自身、税金に対する専門用語の知識はあまりないので、言葉の使い方とか間違っているかもしれませんが、その辺はご容赦お願いします)



前回のブログでは、連邦政府とアメリカの大学の関わり方を憲法という視点から見てみましたが、今日は、少し具体的に、それでは連邦政府はどうやって大学をサポートしているのかを見てみたいと思います。


Department of Educationの中に、教育のデータを扱う部署として、National Center for Education Statistics  (以下NCES)という部署があります。NCESがアメリカの教育に関するデータを一番保持しているところであり、大学に関するデータも、ここで大体見つかります。このNCESは連邦、州レベルにおいて大学教育に関連する政策を立案する上で必要な情報を数多く提供しています。


このNCESが毎年発表しているリポートに、"Federal Support for Education "というものがあります。このリポートでは要するに、連邦政府が大学にどれだけお金をつぎ込んでいるかというデータを発表しているのですが、これは非常に良く出来たレポートだと思っています。


というのは、日本もそうかもしれませんが、政府の財政支出といっても、必ずしも大学に対する全ての財政支援がDepartment of Educationから出ているとは限らないからです。また、法律によって予算に反映されない予算外の支援もあったりもします。こういった、国が発表する予算には反映されない部分も含めた教育への支援額を発表しているのがこのリポートであり、連邦政府と大学がどのように関わっているのかを具体的に見るには一番いいリポートだと思います。


このリポートによれば、2003年度の大学へ配分された予算は29億ドル(約3兆円)。そのうち、約2兆円は、Department of Education から支出されていますが、残りは他の機関から支出されています。


また、これとは別に、やはり約3兆円程、研究のための予算が組まれています。この予算の50%以上は、Department of Health and Human Service から支出されています。


そして、予算外の支援額として、約5兆円相当の支援が大学教育に還元されており、連邦政府としては約11兆円の支援が大学教育に対して、行われていることになります。


州政府からの支援額の合計は2003年の時点では約7兆円であり、連邦政府の支援は州政府の支援額を大きく上回ることになります。

(参照:http://www.sheeo.org/finance/shef.pdf


それでは、はたして日本は一体どうなのかというと、文部科学省のホームページを見る限り、NCESのように大学そのものにどれくらいお金が使われたのかを正確に表しているデータはないので、単純比較は出来ませんが、文部科学省発表の2003年度の予算(英語版) をもとに計算してみると、約2.7兆円くらいになります。


この数字をどう解釈するかは、人によってかわるかと思いますが、アメリカの全人口が日本の約2倍強なので、アメリカ連邦政府の「予算内」での大学教育への支援額(約6兆円)と文部科学省からの支援額を比較した時、大体支援の度合いは同じくらいだと言えるかもしれません。


しかし、アメリカの場合は、これに「予算外」の支援額約5兆円、そして州から約7兆円の支援が加わり、さらに、税制度による支援約4.5兆円が加わります。(税制度に関しては次回もう少し詳しく書きたいと思います)


とすると、アメリカの大学に対する公的支援の合計額は約20兆円、かたや日本の場合は2.7兆円。しかし、日本の場合は各県からどれだけ大学に支援が出ているのかなどが文部科学省のホームページからではわからないため、ここから多少の上乗せはあるということは頭に入れておかなければなりません。10兆円ほどの公的支援があれば、一応アメリカと日本は大学教育に対して同じレベルの支援を行っているということになりますが、はたして一体どうなのでしょうか?予算に反映されない額や、税制支援額などは一体いくらなのか?


日本はこのことからわかるように、お金に関するデータの蓄積と分析があまりつよくありません。

大学教育に対して、「正確に」一体どれくらいの公的資金が投入されているのか、今これだけ大学に関する関心が高まっている中で、また政治全体で改革という言葉がやたらめったら叫ばれる中で、当然知っておかなければならない基本中の基本データのような気がするのは自分だけではないような気がするのですが・・・。(もし、日本においてもそういうデータがあるところを知っているという人がいれば是非教えてください)


ちなみにアメリカでは1980年から、公的資金がどれだけ大学教育に投入されたかというデータは存在しています。それは、政策=お金の配分、というアメリカの政治感覚によるところも大きいかもしれません。公的資金に関するデータは、日本とは比べ物になりません。しかし、日本の政治も予算案で多くの時間を費やすわけだから、もっと多角的な見方から、公的なお金の使い方を分析する必要があると思います。


話が日本のほうにそれましたが、アメリカの連邦政府の援助に話を戻します。


アメリカの連邦政府の援助で特徴的なのは、特定の大学(Native American系の大学など一部を除く)に対して、運営資金援助をしないということです。これはどういうことかというと、実際、大学は連邦政府から資金援助を受け取ります。しかし、大学は、そのお金を自由に大学の運営のために使うことが許されていません。それは奨学金に使うためだったり、ローンのためだったりと決められています。また、研究資金は、教授が自分で獲ってくるため、これもまた大学は手を出すことが出来ません。この奨学金、ローン、研究費が、連邦政府の行う主要な大学教育支援になります。これが前回のブログで述べた "Spending Power" になるわけです。

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

年末年始、ニューヨークの方に遊びに行ってまして、吉野家の牛丼や、チャイナタウンの安くておいしい料理にうつつを抜かしてまして、今まで更新が出来ませんでした(言い訳)。

なんか随分長い間更新をしてませんでしたね。

今日から気を取り直して頑張ります。


ところで、ニューヨークに行ったついでにワシントンDCにも行ってきました。そんなに近くはないのですが、長距離バスで移動すると大体片道3時間30分、往復で$40なので、悪くはないと思います。


ワシントンDCといえば、いうまでもなく合衆国の首都ですが、このDCの位置づけというのが、特に教育という分野で見た時に、実はあまり日本では正しく理解されていないような気がします。例えば、文部科学省(日本)=Department of Education(アメリカ)と考える人がいるかもしれませんが、厳密に言えばこれはイコールではありません。この2者の違いは、文部科学省のほうが権限があり、Department of Educationは権限の範囲がより小さい訳です。


もう少し詳しく説明すると、合衆国憲法には、「Education」という言葉が一回も出てきません。そして、合衆国憲法修正条項の第10では、「この憲法によって合衆国に委任されず、また州に対して禁止していない権限は、それぞれの州または人民に留保される」と書かれてあります。つまり、教育という分野は連邦政府にその権限が委任されていないので、教育に関する権限は州もしくは市民に存在するわけです。つまり、アメリカにおいては教育というのが連邦政府ではなく、州政府主導であるということがこの条文から明らかになります。実際に、州の憲法を読んでみると、Educationという言葉は沢山出てきます。また、これがアメリカに国立大学が存在しない大きな理由の一つになります。


だから、例えば日本の大学研究者の方とか、文部省関係の人とか、アメリカの教育政策を視察するということで、まずワシントンDCのDepartment of Educationに行くケースが多いようですが、それはそれでいいと思うのですが、それとともに、どこか一つの州のOffice of Higher Educationとか、州レベルの教育政策決定機関を見ると、アメリカの教育政策がもっと見えてくるように思います。個人的には、州政府の教育政策のほうが、日本の教育政策と比較できる部分が多いように思います。


ともあれ、しかしそれでは連邦政府は教育に関して何も手出しできないのかというと、もちろんそんなことはありません。やはり連邦政府は大学に対して強い影響力を持っているのであり、連邦政府の援助なしではアメリカの大学はどこも運営していくことは出来ないでしょう。


それでは、憲法で「教育」に携わる権限を与えられていない連邦政府が、どうやって現在大学教育に関わっているのか。ここからは細かい憲法の解釈の話になるので、詳細な説明は省きますが、一言で言うと、基本的に憲法上、連邦政府は次の4つの権限(Power)を与えられています。これらの4つのチャンネルを通してのみ、連邦政府は教育と関わることを許されると現在まで解釈されてきています。


1. Spending Power (財政支出)


2. Taxing Power (課税)


3. Commerce Power (通商? いまいち訳がピンと来ませんが他に思いつかないのでこのままにします)


4. Civil Rights Enforcement Power (人権)


しかし、これらの権限は"General Welfare"(一般の福祉)の向上に関わるケースにのみ行使することを許されています。従って、例えば特定の大学にのみこれらのPowerを行使することは、「特定の」福祉の向上には繋がるけれども、「一般の」福祉の向上には繋がらないため禁じられていて、例えばこれが、連邦政府が特定の大学の運営資金を拠出しない法的根拠になります。


しかし、連邦政府と大学をつなぐチャンネルが限られているとはいえ、この4つの権限の影響力は非常に大きいものであり、連邦政府の存在感は州と同じレベルかもしくはそれ以上となっているのが現状です。私立大学にとっては、あきらかに連邦政府の方から受ける影響の方が大きいです。


アメリカの大学教育システムは非常に複雑で、そのわかりづらさで有名ですが、法律という視点から見てみると結構すっきりと見えてきます。こういう観点から見てみると、アメリカという国は法というものが全ての行動原理になっているということを改めて実感します。


連邦政府とアメリカの大学の関わりを見てみましたが、次回は、もう少し具体的に、連邦政府はどのようにアメリカの大学に影響を与えているのかというのを考えてみたいと思います。



(合衆国憲法の日本語訳:Googleで、「アメリカ合衆国憲法」で検索したら以下のHPを見つけました。http://japan.usembassy.gov/j/amc/tamcj-071.html

今日は今年最後のブログになります。

年末年始にかけてニューヨークに行ってきます。

ニューヨーク市の交通機関で働く人たちによるストライキが行われていて、一時はどうなることやらと思いましたが、それもどうやら3日間で終わったようで、かなりほっとしました。


ミネソタにいたとき、一度バスの運転手たちによるストライキがあったのですが、それは3ヶ月くらい続いたことがありました。もし3ヶ月もストライキがニューヨークで行われたら、一体世界経済はどうなってしまうんでしょうかね?


ところで、今日は今年最後のブログということなので、ちょっと自分にとっての2005年を振り返りつつ、来年のことを考えてみようと思います。


今の職場に移ってから5ヶ月、勉強の毎日でした。正直大学院時代よりもなんか勉強しているような気がします。ただ、今は自分はキャンパスで働いているわけではなく、州や国の大学教育政策の方に関わっているため、あまり学生や、大学のスタッフの人たちと会わなくなったので、それが若干寂しいといえば寂しいです。しかし、またいずれは、どこかの大学のキャンパスで働きたいとは思っていますし、今の仕事はキャンパスでまた働く際にものすごく役に立つことが多いので、しばらくは今の仕事を通じて自分の力をつけていこうと思っています。


自分にとって、来年の仕事上での目標はずばり、データベースの知識を深める、これにつきます。これに関するワークショップやカンファレンスにもどんどん参加していこうと思っています。しかしこれって、あまり政策とは関係ない、と思われる人もいるかと思いますが、ところがこれが大いに関係あるわけです。


現在、アメリカの連邦、州政府、その関連機関、大学機関のような公的機関では、データを重視した運営が主流となってきましたが、その上で課題になっていることの一つが、いかにDecision Makingをする上で有効な、かつ使いやすいデータベースを構築するか、ということです。僕もこのデータベースの構築という領域に対しては初心者なので、自分も理解しきれていない部分が沢山あるのですが、僕のわかっている範囲で説明してみます。


大学の次元で見てみると、まず、各大学はそれぞれ独自のデータを保有しています。これをData Warehouse(以下DW)と呼びます。このDWに様々なデータを保有するわけです。ここでまず多くの大学がぶつかる課題は、DWが複数存在してしまっている、すなわち、データが一箇所ではなく、各所に散らばってしまっているということが挙げられます。例えば、Admission Officeしか持っていないデータとか、奨学金課しか持っていないデータ、もしくはHuman Resourceしか持っていないデータなどがその例に挙げられます。そしてそれと同時に大学の中枢部もそれなりのデータはそろっているのですが、しかし全てのデータがそこにそろっているわけではありません。当然のことながら、これは組織が大きくなればなるほどその傾向は強くなります。


これは非常に非効率な状況なわけです。一番の欠陥は、自分が知りたいデータを手に入れるために、様々な手続きを踏んだりするなどして、めちゃくちゃ時間がかかってしまうことがあるわけです。


そしてもう一つは、一面から言えばこの方が厄介だと思いますが、データが各所に散在していることによって、「真実」が多数存在してしまう、ということになるわけです。これはどういうことかというと、例えば奨学金課が持っているデータがあるとします。そして、Admission Officeも似たようなデータを持っているとします。そして、大学の中枢も似たような、しかし多少定義が異なるデータを持っているとします。そうするとどうなるかというと、それぞれが独自のデータを持っていて、しかもお互いのデータの関連性がないので、共通の見解を持ちづらく、話し合いが停滞していまう状況をつくりやすいわけです。


ということで、現在多くの組織が、それぞれのDWの構造の見直しを始めている訳です。やはり経営にもスピードが求められている中で、今のDWシステムでは、役に立たないどころか、足を引っ張りかねません。


そのDW再構築の上で、大事なこと、それは「いかに多くの人に使いやすいDW」を作り上げるか、ということです。DWにアクセスする人は、大学中枢の人だけであってはいけません。もちろん全ての人に全てのデータをアクセスさせるわけにはいきませんが、現場の人であっても、その仕事を遂行する上で必要だと思われるデータにはアクセスさせるべきです。情報はより多くの人に共有することによって、その威力を発揮するわけです。今あるほとんどのDWは扱いづらいだけでなく、その使いづらさから、扱える人が自然と限定されてしまっています。


そしてもう一つは、様々なレベルの組織の運営に対応できて、かつ役に立つようなDWを作り上げること、です。現在はただデータをストックしているだけで、いわば寄せ集めのデータでしかなく、実際には多くの人にとっては使い物にならないという状況が多いようです。

なんか抽象的な話になって申し訳ないのですが、今自分の職場でも、そういうDW的なものを作ろうとしています。うちの職場は今まで様々な研究を行ってきましたが、そこで得たデータや、研究結果などをもっと社会に広く還元していこう、という方向に向かっています。そもそも大学とは次元が違うし、大学みたいな巨大なデータベースは持ちませんが、なるべく多くの人に使われて、かつ分かりやすいものを作る、という点では大学のDWと共通したものがあります。個人的には、この経験は今後の大学のDWのあるべき姿を思考する上で、個人的にも必ず役に立ってくると思っているので、今から来年が楽しみです。



このブログ、毎日多くの人が読んでくださっていますが、改めてこの場を借りて御礼申し上げます。コメントやメールでさまざまな意見を頂き、自分自身もかなり勉強になっています。今年の反省を活かして、来年はもっと質の高いものを目指していこうと思っていますので、どうぞこれからも応援の程よろしくお願いいたします。


皆様にとって2006年が最高の年になりますように・・・。

最近、昔からの友達と話す機会がありまして(といってもメールですが)、アメリカの大学院の話になりました。そういえばこの話はブログに触れてなかったと思ったので、今日はアメリカの大学院の学生について書こうと思います。あくまでも個人の経験の範囲ですが。


まず、アメリカの大学院といえば、高い学費で有名ですが、多くの学生は、Teaching Assistant(以下TA)をして学費を免除してもらっています。他にはResearch Assistantがありますが、それは別の機会に触れようと思います。


TAは一般的には、教授が受け持つ学部の授業をサポートをします。例えば、学部1-2年レベルだと、週に3回教授が大きい教室で講義をして、TAが週2回ディスカッションと呼ばれる少人数のクラスを担当したりします。または、一つの授業まるまる院生が担当するなんて事も珍しくありません。学部によっては、4年生レベルの授業ですらも大学院生が教えるなんてこともあります。さらに言えば、大学院の授業を院生が担当するなんてこともありました。さすがにここまで来ると金返せって感じですよね。


TAは授業のほかに、採点や、オフィスアワーなどを含めて週20時間働くことなっていますが、人によっては余裕で20時間を越えることも多いようです。特に、自分も授業をとったりしているので、学期末とかになると、かなり忙しくなる人が多くなります。


TAをすると、授業料免除のほかに、給料が貰えます。給料は時給単位であり、大体相場は1時間12-15ドルくらいのようです。ミシガン大学などは、大学院生に払う給料が高くて有名です。


最近の動きとして、大学院生のTAやRAで、組合をつくる動きが全国で見られるようになって来ました。記憶は確かではないのですが、ミシガン大学がその魁だったと思います。組合を組織することによって、大学と給料の交渉や、医療保障などの交渉をしたりするところが増えてきています。ミネソタ大学でも最近、組合が出来て、この秋学期からTAの時給が1ドル増えたと、今もそこでTAをやっている友達が喜んでました。


このTA、大学院生の教育の一環として、プログラムによっては必修としているところもあります。とくに、将来教授になりたい人が多く集まるようなプログラムなどは、暗黙の了解として、全員TAをやることが義務付けられたりしているところもあります。


TAの位置づけは、大学よりも、そのプログラムの方針によって全くその内容が変わってきます。教授のただの小間使い的な扱いのTAもあれば、上記のように将来を見据えての教育の一環としてのTAもあります。


これは、ミネソタ大学のあるプログラムのTAですが、毎年、このプログラムでは、コースを全て取り終えて、後は論文だけとなった人たちの中から、毎年一番優秀(論文などの実績を見て)な人を選び、その人に、自分の好きな授業をデザインさせて、学部生に教えさせるということを行っているそうです。それが出来るということは、その院生にとって名誉であり、就職にも繋がっていくことになります。


ところでこのTAというシステム、大学院生にとってはいいかもしれませんが、必ずしも学部生にとってプラスと働くとは限りません。確かに、学部生からしたら、年齢も近い院生の方が質問がしやすいとかなんていうメリットはあるかもしれません。しかし、ほとんどの院生にとっては、TAとはアルバイトの延長のようなものであり、教授のサポート役という形ならいいですが、そんな院生がまるまる授業を担当する、ということは、高い学費を払ってまで来た学生に対して失礼だと僕は思います。


アメリカの研究型大学のデメリットはまさにこの、学部教育の軽視、ということだと思います。そんな理由で、そんな学部教育軽視の研究型大学には絶対いかない、なんていう学生も結構います。リベラルアーツカレッジが、なんだかんだ言って根強い人気があるのは、学部教育に力を入れているからだと思います。


学生は、知識を吸収するだけではなく、それ以上のものを求めていると、僕は思います。

それにこたえることが教授の役割であり、またそれが大学教育の醍醐味なのではないでしょうか。


実は先月、オンラインの授業を1ヶ月受講しました。

クラスの内容は、"American Community Survey"(以下ACS)

今日はそれに関する話です。


日本でも国勢調査が行われていますが、ACSはそれのアメリカバージョンといった感じです。


アメリカでは10年に一回、0が末尾の年に、国勢調査が行われてきました。

調査内容はShort Form と、Long Form の2種類に分かれて、Short Formでは国民全員(世帯ごと)を対象に、基本的な情報、例えば住所や、年齢、性別、人種などを記入します。


ちなみに質問の内容はこちら


ShorForm http://www.census.gov/dmd/www/pdf/d61a.pdf


一方、Long Formでは、もう少し踏み込んだ内容、例えば職業や、家の状況、家族状況、教育、その他もろもろのことを記入するよう求められます。ただし、このLong Formは、国民全員が対象ではなく、全世帯の6分の1が対象になります。


LongForm http://www.census.gov/dmd/www/pdf/d02p.pdf


国勢調査って、かなり大事な情報を提供してくれます。

自分のおかれている社会の状況を理解する上で一番信頼できるデータを提供してくれていて、

公共政策を立案する時はもちろんのこと、企業のマーケティングや、また大学の運営においても非常に大事になってきます。コミュニティカレッジでInstitutional Researchをしていた時、カレッジの置かれている社会状況を理解するために、よく国勢調査のデータとにらめっこしていました。州の政策に関わっている今、国勢調査を利用する頻度は、昔以上に増えました。


しかし、国勢調査の大きな弱点は、10年に一回しか行われない、ということです。

したがって、現在最新のデータは2000年時点のデータであり、ある人たちからすれば古くて使い物にならないわけです。


というわけで、この弱点を克服すべく、それではこの国勢調査を毎年行ってしまおうということで、最初に紹介したAmerican Community Surveyが今年から本格的にスタートしました。それによって、毎年自分のコミュニティの最新の状況が把握できるようになるわけです。


ACSは基本的に、Long Formと同じ質問をしています。ただし、ACSは年間300万人しか調査しません。従来のLongFormでは約2000万人でした。そういう意味で、規模を小さくした国勢調査、というイメージが近いように思います。ただし、5年平均データならば、サンプルは1500万人になるので、Long Form並みの質のあるデータが取れます。


翻って日本ですが、実は日本の国勢調査はアメリカ以上に気合が入っています。まず日本の場合は国勢調査が5年に一回であり(5の年と0の年で若干質問数が異なりますが)、日本は全員を対象にするそうです。そういえば大学時代住んでいたアパートに、アンケートを回収に来たおばちゃんがいたなー、と思い出していたのですが、なんと全国で80万人を動員して、全て直接回収するんですね。郵送での回収はなぜか行われていません。


日本の国勢調査の詳しい情報についてはこちら:http://www.stat.go.jp/data/kokusei/qa-12.htm#Q01


アメリカでは、まず最初が郵送での回収、次に、それで回収できなければ、電話をかける、そしてそれでもだめな場合は、調査員を現地に派遣する、という手法をとっています。もっとも全員を対称にしていないので、日本ほど労力を使う必要はないのだとは思いますが、それでも回収率は大体98%前後です。


しかし、日本の国勢調査、データを集めることにはあれだけの労力をかけているのに、データを公表するホームページはユーザーからしたら使い勝手が良くありません。このギャップは一体何なのかと思ってしまうくらい使いづらいです。アメリカのほうもたいがいですが、それでも日本よりは全然使い勝手が良いです。皆さんはどう思われますか?


日本 http://www.stat.go.jp

アメリカ http://www.census.gov/


日本政府は、他の国の政府もそうですが、沢山の調査を行います。

しかし、いつも思うのが、とにかくホームページが使いづらいんですよね。

だからせっかくいいデータを沢山持っているのに、それをもてあましてしまっているような気がします。

また別の見方として、あまりそういったデータを使う人がいないということもホームページが使い勝手が良くない理由かもしれません。


だから前回のブログの話じゃないですが、どこかのNPOが、もっとユーザーフレンドリーな国勢調査の結果を公表するホームページなんかつくってくれれば良いのに、なんて思います。


あれだけ沢山の人員とお金を動員しているのだから、もっと国勢調査の結果は広く使われるべきだよなー、と思った今日この頃でした。





先日のブログ「自分の仕事について」 に対して、数人の方から興味深いコメントを頂きました。返事が遅くなってしまいましたが、この場をかりてお礼申し上げます。コメント欄で、それぞれご返事をしようと思ったのですが、多少長くなりそうなので、本ページで書かせていただこうと思います。 ただコメントに対するその返事というよりも、そのコメントをきっかけとして、自分が思ったことを書いているといったほうが正しい表現かもしれません。その辺をご了承していただけたら嬉しいです。


先日のブログでは、日本において政策という政策は、ほとんど中央政府、つまり政治家と官僚主導で行われているような気がする、という話をしました。 アメリカも政策を実際に作成するのは官僚と政治家ですが、日本と違うのが、その政策を作り上げていく上で、彼らは沢山のフィードバックを得ることが出来ます。このフィードバックの量が、日本とアメリカでは圧倒的に違う、そう思います。


基本的に、どこの国も官僚と政治家というのは超多忙(なはず)です。やることが無限にあり、日々の作業に追われざるを得ない状況になりかねません。 世間は変化し続けていて、そのスピードは時を経るごとに速くなっていっているわけですが、その現状を把握し続けるのは、超多忙な政治家と官僚だけでは無理なのは火を見るよりも明らかです。つまり、日々の作業に忙殺せざるを得ない政治家と官僚を、いわば教育することのできる第3者機関が必要になってくるわけです。


アメリカにおいては、それをNPOが担っているわけです。こういった政策に関わるNPOは、政府が知りたくてもその余裕がなくて分からないようなことを独自に調べて、政府にその情報を提供する、という役割を担っています。


この政策系NPOには他にもメリットがあります。それは、政府に入らなくても、より多くの人がNPOを通じて政策に関われるということです。これによって、Public Policyの分野での人材の流出を防ぐことが出来るようになります。日本だと、限られたごく一部の国家公務員にならなければ政策に関われず、他は全て民間に流れていくわけですが、これは政策に無関心な人を増やすだけでなく、人材配分のアンバランス化に繋がっています。(これは大学院時代に一緒に学んだ友人の受け売りですが、日本の企業が世界トップレベルなのは、民間に優秀な人が流れやすいシステムになっているからなのではないか、と個人的にも思います。)


ただ日本に政策に関わるNPOがまったくないのかというとそんなことはなく、こういったNPOも日本にはちらほら存在しています。日本で比較的有名なのは総合政策的なシンクタンクになるのでしょうか。


しかし、あらゆる政策を扱う総合政策的なシンクタンクもこれからの日本を考えた時、非常に大事な役割を担っているし、今までも大きな貢献をしてきましたが、より健全な政策決定がなされていくためには、それと同時に一つの政策分野(例えば奨学金政策など)に特化したNPOが今後もっともっと必要になってくると僕は思います。


総合的なシンクタンクは、全体的な視野に立つことができるという強みがありますが、逆にそうであるが故に(無意識のうちにでも)政策に優先順位をつけてしまいかねない、という傾向があります。それはそれで大事なことなのですが、その優先順位が果たして正しい選択なのかどうかを判断することは、そういうシンクタンクだけでは難しい部分があります。


故に全体観にたって政策を提言する総合政策的シンクタンクと、一つの政策の重要性を常に訴え続ける特化したNPOの両方が必要となってきます。そしてその両方を考慮したうえで、政治家と官僚が政策を作り上げていく、というのが理想の形のような気がします。


しかしそうするとここで問題となってくるのが、その特化したNPOを担う人たちなのですが、今の日本の問題は、そういう特化した政策を扱う上で必要な実務的能力とかつアカデミックな知識両方を備えた人が少ないということです。またそういう人を育てる環境も整っていなく、結局は、世間とかけ離れたアカデミックの世界で生活してきた長老の教授たちにお願いするしかない、という状況になっているわけです。それがますます悪循環を促進しているような気がするのですが・・・。

今日は久しぶりに2日連続です。

先月はかなりサボってしまったので、今月はもうちょっと頑張ろうと思います。


ところで、今日のコロラドはすさまじく風が強かったです。

最大風速、90マイルを記録したそうで、横転している車もありました。

僕も職場へ行く際、ハンドルが何回もとられそうになり、普段の倍以上時間がかかってしまいました。


ところで、今日当たりから、題名にもあったように、アメリカの高等教育に関する簡単なデータを紹介していこうと思います。だらだら語るより、数字一つの方が多くを語る、ということもあるかなと思うので・・・。


というわけで、今日はアメリカの学生数について。


情報源はこちら: http://nces.ed.gov/programs/digest/d04_tf.asp


2002年の時点で、アメリカの総学生数は1600万人。日本の約5倍の数になります。

そのうち4年制大学に通うのは、1000万人

残りの約600万人がコミュニティカレッジに通います。


PublicとPrivateでわけると、Publicに通うのが約1200万人。私立が約400万人

公私の比率が3対1というのは、日本と全く正反対になります。


州別で見てみると、一番学生数(大学院生も含む)が多いのは、ダントツでカリフォルニア州

2003年の秋学期の時点で、約160万人。ここだけで約日本の半分に値する数です。

2番目がニューヨークの93万人。3番目がテキサスの87万人。

ちなみに一番少ないのが、当然といえば当然でアラスカ州の約2万人。

次に少ないのがワイオミング州の約2万3千人です。

僕がかつていたミネソタ州は、約25万人。中くらいの規模です。


州別の学生数の情報源はこちら: http://www.nassgap.org/


しかし、カリフォルニアや、ニューヨーク、テキサス、なんていう州は人口が大きいので、大学生の数も増えるのも当然なわけです。だから絶対数の大きさというのはあまり参考にはできません。


というわけで、もう一つ踏み込んでみて、それでは、進学率というのはいったいどうなのだろうかというと、これは19歳になるまでに大学にいく確率を州ごとに出してみると、一番上から、


1.ノースダコタ州 61.8%

2.ミネソタ州 53.3%

3.ニュージャージー州 52.8%


(2002年時点。全国平均、38%)


ちなみにカリフォルニアは35%で、基本的傾向として、南に行けば行くほど進学率は低くなります。


情報源:http://www.higheredinfo.org/dbrowser/index.php?submeasure=62&year=2002&level=nation&mode=data&state=0


それでは、最後に卒業率はというと、4年制大学を6年間で卒業する割合ですが、1番上から、


1.マサチューセッツ州 66.0%

2.メリーランド州 63.8%

3.ロードアイランド州 63.7%


(全国平均54.3%、2003年)


一番低いのは、アラスカ州を別とすれば、この前ハリケーンが直撃したルイジアナ州で37.4%。その次に低いのが、アーカンソーで396年間で卒業するのが5人のうち2人、とかなり痛々しい状況です。


基本的に、アメリカにおいては、南にいけば行くほど、こういった数値は低くなります。

様々な理由が挙げられますが、大きな理由の一つが、経済格差です。

また、南部は昔からメキシコやその他中米各国からの移民も多く、そういう人たちの多くは、定職につくことが出来ないでいる人がおおいわけです。


そうなると、どうなるかというと、子供にしっかりとした教育を受けさせることが出来ず、教育を受けられる豊かな人が高い給料の仕事に就き、教育を受けられない貧しい人が安い給料の仕事、もしくは仕事を手に入れることができず、経済格差はさらに広がっていくという悪循環に陥るわけです。


この悪循環を食い止めるために、アメリカの高等教育政策は存在するといっても過言ではないのですが、現状は、ますます高騰していく学費、政府からの援助金の減少、と社会の状況は、ますますこの悪循環を促進していくかのような流れになっているともいえます。


アメリカの高等教育も結構大変です。

昨日のブログで、Clark Kerrが、Universal 型のどうのこうのという話をしましたが、それを提唱したのは、Clark Kerrでは、なくてMartin Trow でした。Tetsu_8さん、ご指摘ありがとうございます!

彼は、UCバークレーの教授ですね。


ちなみにClark Kerrは、UCシステムのトップだったことには変わりなく、The Use of the University を書いた人でした。自分の中で二人がごっちゃになってました。

ということで、これからもよろしくお願いします。


先日、仕事の関係で、日本の文部科学省のホームページを見ていました。

その中で見つけたのが、「データから見る日本の教育 2005年」。

色々踏み込んだデータがあり、ただメソドロジーに関して若干疑問も感じたりするのも少なからずありましたが、それでも結構読んでて興味深かったです。


http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/toukei/05071201.htm


その中のデータの一つが、大学進学率。

2004年現在、日本は50.4%でだそうです。


(ちなみに、進学率の計算式、英語版の方だと、訳が間違っています。入学者数をEnrollmentと訳しているのですが、それだと大学に在籍している人全てを指すので、全く違った意味になります。もし読者の方で、文部科学省に知り合いがいる方は、伝えてあげてください。)


ところで、この大学進学率、昭和30年くらいからずっと調査してきているみたいで、昭和30年には日本の大学進学率は10%くらいでした。


日本の高等教育関係者の間でよく取り上げられるアメリカの有名な高等教育研究者に、Clark Kerr という方がいます。彼はもともとカリフォルニア大学システムのトップだった人で、1960年代に、カリフォルニアマスタープランという政策を行い、カリフォルニア州の州立大学のシステムを現在の形にしたということで有名な人です。


この人が言った言葉の中で、Universal Educationという言葉が出てきます。つまり、どういうことかというと、僕もここからうる覚えで、正確な数字は覚えていないのですが、


1.(たしか)進学率が15%以内ならば、Elite Education (エリート)

2.それ以上になると、Mass Education (大学教育の大衆化)

3.50%を超えると、Universal


たしかこんな感じだったと思います。

もし詳しい内容を覚えている方、ご一報ください。


彼の定義からすると、日本は50%を超えているので、Universal Educationの段階に入ったことになります。


だからなんなんだ、という話なのですが、ここで思い出したいのは、日本でよくいわれる、「大学生の学力低下」ということです。ようするに、今の大学生は、昔の大学生と比べて学力が落ちている、という話です。


「昔」というのが、いつの時代を指しているのかは知りませんが、学生の学力を今と昔で単純に比較することは出来ないような気がします。


というのは、例えば昭和30年代の大学進学率は、10%です。

つまり、選ばれた人しかいけなかった時代です。

そりゃ、頭がいい人たちだらけに決まっています。


ところが現在は50%。全入の時代とも言われている今、学力がトップレベルでない人でも、大学に入れてしまう時代です。


当時のエリート10%と、今のユニバーサル50%の学生の平均学力は、もちろん今の方が低いに決まっています。


つまり、ポイントは何かというと、昔の学生と、今の学生は質が違う、ということですね。

Clark Kerr が言いたいことも僕はここに尽きるような気がします。


つまり、エリート型の大学と、ユニバーサル型の大学の形も変わってくるということです。


日本は、昭和30年以降、大学進学者の割合を拡大する政策を採ってきました。それはアメリカも一緒であり、アメリカの大学進学者も大体日本と同じ水準に到達しています。


しかし、この二つの国の決定的な時代は、日本は、質を妥協して、高等教育を拡大してきたということであり、かたやアメリカはは質を(何とか)保ちながら高等教育を拡大してきた、という事実です。


そういう意味で、現在の日本の大学生の現状というのは、高等教育政策の過去の失敗の蓄積の結果であり、ただ学生を非難するというのは、僕は間違っていると思います。現状は起こるべくして起こったことであり、そういう事態が起こると予測できていたにもかかわらず、準備できていなかった、ということに問題があるわけです。


何があろうと、時代は変わり続けます。

その時代の変化についていけないものは、やがて廃れていくというのが歴史の常であり、

時代のせいにしているうちは、何も解決できません。

時代を先取りし、先手を打っていく、そういう組織しか生き残れない、これが社会の厳しさかもしれません。