最近、結構忙しくなってきて、ブログの更新に勢いがなくなってきていますが、いつも見に来てくださる方、ありがとうございます。なんとか頑張って続けていきますので・・・。


というわけで、今日は自分の仕事のことについて書こうと思います。


今、僕が担当しているのは、州財政のリサーチになります。

簡単に言うと、アメリカ50州の高等教育に対する州の財政を比較する、ということになります。


毎年、秋頃各州の高等教育の財政担当者にアンケートを配り(といっても全てオンラインですが)、どのように各州がお金を配分しているのかを比較します。


一言に比較といいますが、これが非常に複雑なわけです。

比較をする際に最も大事になってくるのが公平さですが、公平さを保つのに様々な要素を考慮する必要があるんですね。


例えば、アメリカは(日本でもそうですが)地域によって、物価が変わります。

極端な例を出せば、マンハッタンとか、普通サイズのアパートに住もうものなら、月30万は下らないのに、かたやサウスダコタ州なんかに住んでしまえば、2万円もかからないわけです。

というように、各州によって微妙に物価が変わるわけで、これは当然州の財政にも影響を与えるわけです。

例えば、物価が高いところは、同じ事をするのにも、より多くのお金がいるし、逆に低いところでは、それほどお金がかからないわけです。


次に、インフレーションです。ただしインフレにも色々あって、国平均や州別に別れるし、また消費者から見たインフレもあれば、経営者から見たインフレもあります。自分たちが扱うのは、大学の観点からみたインフレになります。


そして、もう一つが、州の高等教育システムのコストです。

例えば、研究型大学院に力を入れている大学は、コストが高くつくし、

コミュニティカレッジに力を入れているところは、コストが安くなります。

基本的に研究というのは一番お金がかかるところなんですね。


こういうコストという観点で見た時、低コストなのが、実はカリフォルニア州。

カリフォルニアといったら、UCバークレーとか、UCLAのような研究大学が有名ですが、

それ以上にコミュニティカレッジの数が半端なく多いわけです。


逆に、コストが高くつくのが、ちょっとマイナーですが、デラウェア州。

ここは学生のほとんどが研究型大学に行くわけで、自然と学生一人あたりにかかるお金は高くつきます。


と、以上、地域の物価、インフレ、州の高等教育システムのコストを考慮に入れた上で、各州が学生一人当たり、どれくらい支援をしているのかということを比較するわけです。


と、説明が長くなりましたが、それでは一番高等教育に対してサポートが多い州はどこになるのかというと、これまたマイナーな州ですが、ワイオミング州。学生一人あたり、約120万円のサポートがあります。


一方、一番サポートをしていない州は、バーモント州。約20万円です。

ちなみに僕が住んでいるコロラド州は、約30万円。

下から数えて3番目です。


それでは州からの支援が少ないと、逆にどうなるのかというと、学費が高くなります。

当然のことながら、一番高いのはバーモント州。一人当たり約90万円。

一番安いのはニューメキシコ州。約12万円。


違った角度で見てみると、また違ったものが見えてきます。


例えば、2001年から学費が一番上がっているのはどこかというと、カリフォルニア州。

ほぼ倍増です。

といっても、もともとが安かった(約10万円)ということもあります。


詳しくは、http://www.sheeo.org/finance/shef05.pdf


こんなわけで、最近毎日数字とのにらめっこが続いています。


しかし、数字というのは不思議なもので、見方によって、その持つ意味が全く変わってきます。その数字の持つメッセージというものをどのように伝えていくか、ここが大事になってくるんですね。


それと、もう一つ思ったのが、アメリカって、こういう政策に関わるリサーチをやるNPOがそれこそごまんとあります。日本はそういうのが、中央政府によってほぼ行われているような気がするのは自分だけでしょうか?


政策研究を行うNPOは、政治を監視するという意味においても非常に大事になってくるように思います。日本は政治がまだまだ一部の人たちの間でのみ行われているようなイメージが(自分には)ありますが、それをなるべく民衆次元に近づける必要があり、その橋渡しをする意味で政治に関わるNPOというものがこれからもっともっと必要になってくる、そう思います。


今週は、木曜日からThanksgivingという長期祝日週間に入りました。長期といっても木・金しか休みではないのですが・・・。


このThanksgivingというのは、僕もアメリカ来るまで良く知りませんでしたが、ようするに今年の収穫に感謝するという意味らしいです。こういう文化的側面を見ると、アメリカというのはもともと農業主体の国だった、ということを実感します。


他の農業の影響が出ていることといえば、アメリカの小中高は、夏休みが6月中旬から8月終わりまでと、日本に比べて倍くらいの長さがあります。大学にいたっては5月ー8月終わり、なんてところが一般的で、とにかく夏休みが長いわけなんですが、この理由というのも、夏という農業にとって大事な時期に子供という大事な労働者が学校にいかれては困る、という理由があった、ということを農家出身の職場の同僚の方が言っていました。本当かどうかはしりませんが・・・。


アメリカは日本と比べて、祝日は少ないです。日本のように、毎月何か祝日があるということはなく、数ヶ月に一回、連休がある、みたいな感じです。また、日本でいう、正月、お盆、GWみたいな1週間休み、みたいな長期祝日もなく、一番長いクリスマスでも、12月24-26日(基本的に)なんて感じです。正月は1月1日だけ休みで、2日から仕事です。もちろん組織によってはもっと休みをあげたりもしますが・・・。


これだけを見るとアメリカ人て祝日がなくて可哀そう、と思うかもしれませんが、僕の今までの職場の経験からすると、あんまりそんな気がしません。これは今まで3つの職場(大学、州政府組織、NPO)を経験してきましたが、なんでそんな気がするのかという理由を自分なりに考えてみました。


理由①: 定刻に必ず帰る


今の僕の職場は、午後4時になるとほとんど全員帰ってしまいます。それは前の二つの職場でも一緒で、早い人になると、3時30分とかに帰っている人もいました。たまに僕が7時くらいまでいたりすると、なんでそんな働いているんだ、今後は早く帰りなさい、みたいなことを言われます。


理由②: 金曜日の午後は仕事にならない


金曜日の午後は、もはや週末が始まったことを意味していて、皆浮き足立つ時間です。もちろん自分の仕事はしっかりやっている(はず)ですが、もはや皆休日モードになってしまっているので、金曜日の午後に何か新しい事をはじめようなんていうことは不可能になります。


理由③: 職場同士の付き合いが少ない


日本だと、職場の先輩や同僚、後輩で仕事の後飲みに行く、なんて光景が良く見られますが、そんな状況を目撃した、もしくは経験したことがありません。年に数回、職場主催のパーティなんていうものがあったり、昼ごはんとかを一緒に食べるというのはありますが、皆家族を大事にするので、夕方以降は家族との時間、というカルチャーがあるようです。


理由④: 個人の有給、病欠などを最大限に利用する


日本だと、有給があったとしても、気まずくてつかえないとか、使ったとしても上司から、「こんな忙しい時期に!」といわれてなぜか叱られる、ということがあるようですが、アメリカ人は、もちろんそんな周りの目をきにするなんてことはありえなく、新人であろうと、自分の権利として、それを堂々と行使します。例えば、年度末の6月くらいになると、有給を使っていない人は、無理やり休んだりする、なんてことまでするわけです。


というわけで、かなり個人のゆとりをもつことができるというのが今のところの僕のアメリカで働く(おもに教育機関ですが)というイメージです。日本で働いている方からすると、あまりにも生ぬるい、という風に思われる方も多いかもしれませんが、しかし僕はこのカルチャーは非常にいいことだと思います。その理由として、


①組織が朝型のリズム


帰宅時間が早い分、こっちの朝は早いです。僕の職場の出勤は朝8時で、早い人になると、朝6時くらいから仕事をしています。やはり朝というのは、頭も冴えている訳であって、仕事の効率もいいと僕は思います。夜遅くまでだらだら仕事をするよりは、朝8時から夕方4時まで集中して仕事をする、というカルチャーがあります。


②合理的な職場環境


語には、日本で言う「根性」や「頑張れ」という部分の精神の力を表現する言葉がありません。したがって、精神力が全てを凌駕する、というような発想がそこからでてくることがないわけです。だから例えば、人間は8時間以上働いたら集中力が落ちるのでそれ以上の労働は意味がない、とか、個人の生活にゆとりがなければ質の高い仕事が出来るわけがない、とか、個人の力をどうすれば最大限に発揮できるかという合理的な環境整備を大事にするように思います。ようするに、合理的に考えて可能なことと、無理なことのボーダーラインが結構はっきりしているわけです。長期的に見た時に、この影響というのは大きいと思います。


以上の話は、教育機関の話であって、企業では実際どうなのかは分かりません。ただ、アメリカのカルチャーは非常に家族との時間、別の言葉で言えば、私生活というものをある意味仕事以上に大事にするので、企業にも大体当てはまるような気がします。


(そういえば、昔、阪神タイガースのバースが、息子が病気になったため、シーズン途中で突如帰国し、それで球団ともめて退団に至った、なんていう話がありましたが、それなんていうのはまさに日本の仕事を何よりも最優先にするカルチャーと、アメリカの家族を何よりも大事にするカルチャーの違いが生み出した悲劇であり、それによって阪神は球界の宝を失い、以降周知のごとく暗黒時代に入っていくわけです・・・。)


欧米を中心とする外国人の人が、日本に住みたがらない大きな理由の一つが、日本では個人のゆとりを楽しむことが難しい、ということである、ということを聞いたことがあります。そして、世界中の優秀な人材がアメリカに流れていくのは、アメリカの給料がいい、ということもあるけれども、それ以上に生活しやすい、ということが挙げられると思います。


この辺になると、国土の問題となってくるので、この辺のことはなんともできないところです。しかし、たまに日本の大学で世界レベルの大学を目指す、とうたっている大学がありますが、そういう大学は、日本にはまずそういう基礎的条件でのハンデがあるということを考慮に入れておく必要があるように思います。

シリーズAIRUM今日も続きます。


今日のテーマは、”Enrollment Management”


これは要するにどういうことかというと、学生数をどのようにして維持、発展させていくかということに責任を持つ部署なのですが、Admission, Retention, Graduationなどの数字に目を光らせている部署とでもいえるのでしょうか。


アメリカ中西部の有名なリベラルアーツカレッジのIRがこのEnrollment Managementに関わるプロジェクトをしました。今日はそのセッションでの話です。ちなみに、個人的な話ですが、かつてここのIRのポジションが空いてたので自分の履歴書をおくったのですが、見事に書類選考ではねられた、という過去があり、もちろん向こうは自分がかつて履歴書を送ったなんでことは全く覚えていないだろうとは思いますが、それでもセッションに出ることに対して、なんとなく微妙な気まずさがありました(笑)。


ともあれ、このセッションで紹介されたプロジェクトというのは、簡単に言うと、全米の約2500ある郡ことに


1.この大学に興味を持っている学生の数

2.実際に出願をする学生の数

3.実際に入学できる学力を持つ学生の数


を数学モデル(Multivariate Regression, Stepwise)を用いて予測する、ということです。そうすることによって、大学のマーケティング戦略に役立てる、ということをその目的にしています。こういう社会現象を数式モデルする際よく起こることは、モデルの細部にこだわりすぎて、逆に本質からずれてしまうことなのですが、このモデルはその辺のバランスをうまく取って、その辺良く出来ているなと思いました。


ただし、これが僕の今日いいたいことではないんです。


実は、このプロジェクト、この大学に通う2年生二人によって行われました。

彼らは数学専攻だそうですが、夏休みの研究プロジェクトとして取り組んだそうです。

現在で2年ということなので、このプロジェクトに取り掛かったのは、1年生の終わり?

1年生でそんなことをやってしまう彼らも彼らですが、それをやらせる学校も学校です。

もちろん、教授からのサポートはあったと思いますが、それにしてもびっくりしました。


統計のこととか良く知っていて、僕も色々彼らから後で教えてもらいました。

セッションでの参加者からの最初の質問も、「本当に2年生なのか?」という質問でした(笑)。

IRで何十年とやってきている人たちとも堂々と渡り合っていて、世の中にはすごい学生がいるもんだと、そして、アメリカのリベラルアーツカレッジって、ひょっとしたらすごいかも、ということを少し実感したセッションでした。



今日も前回からの続きで、AIRUMでの話をします。

今日のテーマは、題名にもあるように、「大学は世間からどのように思われているのか」。

このテーマについて、アメリカ中西部のあるコミュニティカレッジが、リサーチを行いました。


このコミュニティカレッジは、その州の中心地からは程遠いところに存在しています。

州の地方都市といった感じで、そんなに大きい街ではありません。


ただ、このコミュニティカレッジの強みは、他に競争する大学がまわりにないということです。

もっとも地方に好んで大学を設立する必要性もないかもしれませんが・・・。


しかし、他に競争相手がいないとはいえ、そこに甘んじるわけでもなく、質の高い教育を提供していこうと自ら努力していこうとするところがアメリカの大学のよいところかなとも思います。


ともあれ、ここのInstitutional Researchが、上記に挙げたように、大学は世間からどう思われているのか、ということを理解するために、リサーチを行いました。そうすることによって、大学が社会から乖離していないか、ということを確認するとともに、大学の方向性は、果たして世間の期待に沿ったものなのだろうか、ということを理解するという目的もあります。


まず、このリサーチでは、「世間」を、Stakeholderと定義します。日本語では、利害関係者という訳になるのだそうです。この訳は誤解を生みやすいような気がするのですが、要するにどういうことかというと、大学に人並み以上に関わりをもっている人たち、という言葉が一番近いように思います。あまり利害といったような露骨な関係ではないような気がします。この辺になるとニュアンスの世界ですが。


このリサーチでは、以下の人たちをStakeholderと定義しました。


-地元の中学・高校の教育関係者

-地元の実業家たち

-市の政治家たち

-地元に住んでいる卒業生たち

-寄付者

-大学内の教授、職員、首脳陣

-カレッジの学生

-理事会、その他、などなど


そんでもって、以下の質問がそのメインになります。これらの質問は、アンケートという形で行われました。


-このStakeholderたちは、どれくらいこの大学のことを知っているのか?

-彼らは、今の大学の状況にどれくらい満足しているのか?

-彼らにとって、今大学がなすべきことはどういうことだと思っているのか?


特に興味深かったのは、このリサーチの結果、大学内部の人たちと、外部の人たちでは、大学が今何をなすべきかということにおいて、見解があきらかに違っていた、ということでした。ただ、やはり、アンケートのような、Qualitative Researchは、客観性を維持することが難しい上に、回答率も低くなります、とはいっても60%くらいは返答してきてくれたということだったので、この手のアンケートで、しかも多忙な地元の有力者たちが対象者ということを考えた時、この回答率は満足いくレベルではあると思います。


ここまで、数回にわたって、Institutional Researchのしている具体的な内容について紹介してきました。

特に今回は、自分からみて面白いなと思った取り組みを紹介したわけですが、こういうのを見聞きするたびにいつも気になることがあります。


それは、その結果どうなったか?

このリサーチの結果、大学はどのような決定をしたのか?


どんなにいいリサーチをしたとしても、それが大学の運営と全く関わりがないものになってしまったら、それこそ時間と労力の無駄になります。特に数日間にわたって紹介してきた、こういうリサーチというのは、1,2週間で出来るものではありません。質の高いリサーチを行うためには、それなりに時間も必要となってきます。とくに今回紹介したようなものは、実際に行われることが決定してから、最終的にプレゼンテーションとして発表されるまで数ヶ月を要したそうです。


というわけで、大事になってくるのは、リサーチの内容それ自体よりも、それを首脳陣が自分たちの意思決定にどのように有効活用していくかということになります。学長が、どういうビジョンを持っていて、そしてどのような実行プランを持っているのか。そしてそのアジェンダを基礎として、Institutional Researchは、リサーチを行うわけです。


つまり、Institutional Researchは、首脳陣の強力なリーダーシップのあるところでは、かなりの威力を発揮するけども、首脳陣が何のビジョンもなかったり、権限が弱かったりすると、あまり機能しません。それどころか、お金、時間、労力の無駄遣いになります。トップの責任が曖昧な日本の大学ではたしてInstitutional Researchが機能するのかと僕が思う理由もこの辺にあります。


一応、理想論として、Institutional Researchから、逆に様々な情報を提供していくことによって、大学の中枢に影響を与えていくことができる、という見方もありますが、これはあまり価値的でないし、やはり理想論でしかないと思います。実際にそういうことができた、という話を僕は今まで聞いたことがありません。


結局、リーダーシップということが、一番の根幹になってきます。

トップがしっかりすれば、組織が変わる、逆に言えば、トップがいまいちだと、その組織もいまいちということになります。そして人材というのは、トップがしっかりしているところに流れていくというのは、自然の流れです。いわゆる相乗効果なわけですね。


人材を生かすも殺すもリーダー次第、というわけです。



今回も、前回の続きで、先週参加した、AIRUMの話を紹介します。(AIRUMの詳細は、前回のブログ参照してください。)


University of Wisconsinのマディソン校、といえば全国でもトップクラスの州立大学ですが、今この大学で、卒業生のより正確な実態を把握しよう、というプロジェクトが進行しています。


アメリカの大学は基本的にデータ重視の経営(の方向に向かっている)ですので、それこそ数え切れないくらいの、学生の個人情報を網羅したデータベースが存在していてます。Institutional Researchはそれらのデータを管理、そして様々な角度から分析し、大学に提言を行っていきます。


ただ、数え切れないくらいのデータが存在しているとはいえ、しかし弱点もあるわけです。それは在学生の情報と比べて、卒業生のデータになると、格段にその情報量は少なくなるということです。


これは、はっきりいって、しょうがないことだと思います。大学を卒業したら、卒業生と大学の接点は格段に少なくなるわけなので、卒業生の現状を把握するようなことは難しいことかもしれません。


「大学の質は卒業生の質で決まる」というのは世間的にも言われてきたことですが、この一番知りたいことが、実は一番あいまいな、わからないことだったりします。


というわけで、Wisconsin マディソン校は、この「卒業生の質」を把握するために、卒業生の実態の把握の調査に乗り出したわけです。卒業生の実態という観点から、大学の教育の質を評価する、というのがその根本目的です。最終目標としては、在学生並みの卒業生の個人情報データベースをつくることです。


卒業生の情報を集める際、注意しなければならないのは、自己申告制にしなければならないということです。何らかの形で圧力をかけたりすることは法律上当然出来ませんし、卒業生もそこまでお人よしでもありません。というわけで、基本的に、100%の実態を把握することは不可能になります。


しかし、100%に近づける努力は出来るわけで、様々な形を通して、ウィスコンシン大学は卒業生が情報を提供してくれる状況を作ります。


基本的には次のような情報です。もちろんこれだけではありませんが、以下の情報が一番大学が知りたがっているものです。


-現住所

-職業

-職種

-ポジション

-学部時代と今の仕事が関連しているか

-大学で受けた教育が自分の人生にどこまで影響を与えたか

-現在の大学とのコネクション状況

-過去に大学に寄付金をしたことがあるかどうか


しかし、質問が複雑になればなるほど、回答率は下がるわけで、なかなか信頼性のあるデータベースをつくることは難しい、というのが今の現状のようです。


卒業生の実態を把握するということは、今多くの大学が取り組んでいることであり、これからますますシステム化していくことでしょう。そうすることによって、だんだんより正確な実態が分かってくるだろうし、これは大学教育の質を考える上で重要な情報を提供すると僕は思います。


しかし、こういったことは、卒業生の協力が必要不可欠であり、卒業生の母校愛とも言うべきものが非常に大きな幅を利かせてくるわけです。母校愛というのは、基本的に大学がそれだけ学生を大事にしたかどうかに比例すると思いますが、果たして、今の日本の大学を省みた時、こういうプロジェクトをすること自体が可能な大学が一体いくつあるのか?そんなことを考えながら、僕はこのプレゼンテーションに聞き入ってました。


10日ぶりのブログ更新になってしまいました。いつも見てくださる方、すいません。

先週は、カンファレンスがあって、そちらの方に参加していて、自分はノートパソコンを持っていないので、こういうときブログの更新が出来ないんですね。お金をためて近々買おうかと思っています。


ともあれ、今回は何のカンファレンスだったかというと、Association for Institutional Research in the Upper Midwest (AIRUM)といって、ミネソタ州、ウィスコンシン州、アイオワ州、ノースダコタ州、サウスダコタ州の、Institutional Researcherのカンファレンスだったわけです。一見、ただのローカルなカンファレンスなので、日本では誰も知らないかもしれませんが、個人的には、一番好きなカンファレンスの一つであり、内容もかなり充実したカンファレンスだと思います。今日から何日かにわたって、このカンファレンスで学んだ面白いことを幾つか紹介させてもらおうと思います。


というわけで、第1弾は、あるミネソタにあるリベラルアーツ系の私立大学の話です。


この大学は、海外留学プログラムに力を入れていて、1年間から、1学期、1ヶ月、そして1週間と、様々な期間の留学プログラムを海外数十カ国で行っていて、ほとんどの学生か何らかの形でこのプログラムに参加しています。


それでもって今回触れたいのが、この1週間のプログラムです。

このプログラムは一つの授業と連関して行われます。


アメリカの大学は、春学期が1月中旬頃から始まって、4月の終わり~5月上旬に終わるのですが、一般的に3月の中旬頃に1週間中休みがあります。この大学では、この休みを使って海外研修を行っています。


どういうことかというと、例えば、女性学(Women's Study)の授業があるとして、その授業を履修している学生たちは、学期の途中で、イギリス(女性学の本拠らしい)に行って、様々なことを実際にみてくるわけです。また、Religious Studyでは、ギリシャに行ったりするようです(なぜギリシャかは知りませんが・・・)。


要するにポイントとしては、教科書で書かれていることを、実際に現地に行って、体験し、そうすることによって、学生の視野を広げる、ということを目的としているわけです。また、そうすることによって、学生のモチベーションもあがり、学期後半の授業の質も上がる、というわけです。


もちろんお金の問題もあるので、全員参加とはいかず、希望者のみということですが、海外研修に参加した人たちが、参加しなかった人たちに与える影響もあるわけで、そういった期待もあるわけです。また大学側もある程度奨学金を用意しているようです。実際、参加者も年々増えてきています。


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と、ここまでの話のみで、「それはいいアイデアだ、うちの大学でも是非やろう!」と思ってしまった人は、大学経営には向いてないと思います。



ともあれ、ここからが、そのセッションの内容だったのですが、この大学では、このプログラムが本当に意味があるのか、という声が一部から出たわけです。つまり、「1週間海外に行ったごときで何が分かるのか」ということです。また、大学としてもこのプログラムに対して奨学金を出すことに意義があるのか、むしろ長期のプログラムにそのお金を回した方がいいのではないか、という意見もありました。


というわけで、その大学のInstitutional Researchが、以上の問いに答えるためにこのプログラムのAssessmentを行ったわけです。このセッションでは、そのAssessmentをどのようにして行ったか、ということが紹介されました。


この大学は、基本的にアンケートと、インタビュー、Focus Groupなどを使った、いわゆるQualitative Approachだったのですが、正直、リサーチ方法としてはいまいちでした。ただ、それは彼らも十分理解していたし、セッションの目的は、それを通して、よりよいリサーチ方法を作り出していく、ということです。そういうわけで、彼らの苦労話や、失敗談、また成功したことなどを聞くことは自分にとってかなり参考になりました。


基本的に教育効果という主観的なものを、客観的に評価するということは、不可能です。

これは、いわゆる文系の教授たちがよく主張することです。(日米問わず)


ただし、不可能だからといって何もしないのは、間違いであり、それは質の低下を招きます。

それが故に、その主観的なものを「できるだけ」客観的に評価する必要があります。

その主観部分と客観部分のバランスを取ることが大事になってくるのですが、それは永遠の課題のように思います。

さて、昨日の続きですが、住民投票の結果、C(支出の制限の5年間無効)は認められましたが、D(州債の発行)は、否決されました。とりあえず、一番いい形ではありませんが、高等教育関係者にとっては最悪の事態をまぬかれることができたということでほっとしている人が多いようです。


ところで、コロラド州の高等教育システムは、アメリカの中でも少し変わっています。

といってもこれは今年からの試みなのですが、コロラド州は、州の高等教育の財政援助の大部分、聞くところによると約3分2を、大学にではなく、学生に直接行っています。


普通、州からの財政援助は、大学に渡され、大学がその使い道に関してある程度の自由度を持っています。ところが、コロラド州では、それを大学を通さないで、生徒に直接あげて、そのお金の使い道を生徒の自主判断に任せるという形をとっています。州としては、そうすることによって、本来あるべき援助の仕方、つまり学生の援助に出来る限りお金をつぎ込む、そして、大学に余計な無駄使いをさせない、ということを一つの狙いにしています。


学生は、コロラド州の住民であることをまず大学に証明する必要があり、そうすると、州から一単位につき80ドル支援を受けます。一年間で約30単位とるとして、約$2400の支援を直接州から受けることになります。


もちろんそうすることによって、大学の収入は減るわけですから、学費は高くなります。去年からだけでコロラド大学ボールダー校の学費が28%も上がったというのは、実はその辺の理由が大きいです。


しかし、これには賛否両論大きく分かれます。

基本的に賛成側にいるのは、コミュニティカレッジの関係者、そして反対の立場をとっているのは、4年制大学の関係者です。


コミュニティカレッジの関係者が賛成している理由は、コミュニティカレッジは学費が比較的安いからです。

コロラド州の住民なら、学費は年間で$2500前後であり、ほとんど学生は学費を払わなくていいことになります。しかも、このシステムによって、コミュニティカレッジとしては、学生数が増えれば、収入が自動的に増えることとなり、州の財政にそこまで左右されなくなる、という目論見があります。


一方、コロラド大学を中心とする4年制大学は、あまりこのシステムに乗り気ではありません。というのは、コロラド大学の学費は年間平均$5400であり(理系の学部になると倍近くにまで跳ね上がる)、学生の負担は結局変わらない、むしろ昔よりも増えているというわけです。


そして何よりも、このシステムに対して人々が不信感を抱く理由、それは、この州からの直接的学生援助も決して安定していない、ということが挙げられます。


もともと、この法案が提出された時、援助額は$4200と設定されていました。ところが、様々な過程を経て、最終的に半分近くの$2400までいとも簡単に額は下がってしまったわけです。これによって、当初掲げられた理想と反して、このシステムの脆弱性が露呈してしまいました。


そして、今回の住民投票、もし否決されたならば、この援助額はさらに大幅に下がり、一人約$800にまでなるという予測が出ていました。事実、コロラド州政府は、各大学に、住民投票が否決された時のことを想定して来年の予算を練るように、という指示を出していました。幸い、住民投票は可決され、援助額はそこまで減ることはなさそうですが、しかしDが否決されたということもあり、これからも予断を許さない状況であることには変わりません。


ところで、コロラド大学の学費は、他の州と比べて、それでも比較的安いです。例えば、カリフォルニアの州立大学になると、学費は約$8000で、ミシガン大などは$9000になります。


州内の学生への学費をそこまで抑えることが出来るその大きな理由として、州外から来る学生への学費が悲惨なほど高い、ということが挙げられます。例えば、先ほどコロラド大学での、州内から来る学生の学費は$5300位であるといましたが、これが州外から来る学生になると、4倍以上の$23、000(約250万円-年間-)になります。コミュニティカレッジでも学費は年間約$11,000であり、これは全国的に見てもかなり高い水準になります。


これは一般的にいわれている話であり、どこまで真実かは定かではありませんが、コロラド大学ボールダー校に来る学生には金持ちが多いというイメージが世間的にあります。また、街のイメージも美しい街として全国的に知られているというのもあり、州の外から、金持ちのボンボンがわざわざ高い学費をはらって来ると言われています。実際には、大体全体の20%が州外からの学生になります。そんでもって、これは余談ですが、コロラド大学ボールダー校は、全国有数のパーティ学校だとも言われています。また、ボールダーの街の物価も他の市と比べて高く、貧しい人にはとても住めません。だから治安もいいです。


なんか最後の文章は、ゴシップみたいになってしまいましたが、それでも当たらずも遠からずかなと思います。実際、自分もボールダーで働いていますが、当初ボールダーに住もうと思ったけど、とても高くて住めなくてあきらめたという経緯があります。もちろん、ニューヨークや、ボストン、LAなどの大きい都市に比べたらまだまだ全然安いですが、それはもう次元が違います。


ちょっとまとまりが悪いですが、コロラド州、留学生で来るなら、よっぽどお金持ちじゃないとこれません。そして学費は今後間違いなくハイスピードで上がっていきます。大学院生なら色々奨学金をもらえる可能性も増えるので話は別ですが、もし学部で留学しようと思うなら、奨学金をもらえる可能性はかなり低いので、コロラドはあまりいいところではないかもしれません。



今日から数回にわたって、僕が住む、アメリカ・コロラド州の話をしようと思います。

といってもまだ来て3ヶ月くらいなので、道も全然覚えていないという状態なのに何を語るか、とコロラドの住民の方に怒られそうですが・・・。


最近、コロラドで一番の話題といえば、今日行われた住民投票かと思います。

といっても、不在者投票みたいなものもあり、正確に言えば今日が開票日、になります。


それでもって、何が住民投票にかけられたのかというと、州政府の財政に関する法案。

コロラド州は、1992年の住民投票で、毎年の州財政の支出をインフレーション以下にすること、そしてもし州の収入が支出以上になった時、州はその差額を州民に返還しなければならない、ということが決定されました。この支出制限は、アメリカの中でも最も厳しい制限といわれました。


基本的に州の予算というのは、インフレーションなどのせいで、毎年大きくなっていきます。この92年の法律はつまり、その予算が拡大していくスピードに、制限をかけたわけです。


そして今回の住民投票では、その法律をとりあえず5年間無効にしようというわけです。それとともに、州債というんでしょうか、それを発行して、州の支出を一時的に増やすという2つの法案で、それぞれCとDと名づけられています。そのせいでやたら最近、CとDという大文字をいたるところで見かけます。


90年代、コロラドは、インターネット産業などによって、景気が良い時代で、税収が増える一方、支出には制限が掛けられていたため、ある程度健全な財政が行われていました。しかし、21世紀に入って、アメリカが不況に陥ると、逆に税収は一気に減り、支出もそれに伴って減りました。住民への返金も2001年を最後に途切れたままとなっています。


そしてここからが問題なのですが、支出が減るとどうなるかというと、次の年の支出もそれに伴って減ってしまうということになります。


例を出すと、


2000年に1200億円の支出をしたとします。

2001年に景気が落ち込み、支出が1000億円まで下がるとします。


そうすると、2002年は、その年の収入がどうであろうと、インフレーションと同じ速さでしか支出を拡大できないため、インフレ率が3%だとすると、1003億円までしか支出は増やせません。


一時的な財政削減なつもりだったのに、結局その後もその水準のままになってしまうわけです。


そしてさらに問題なのは、この92年に決められた法律には例外があって、初等中等教育と、医療扶助に対する支出は、何があってもインフレーション以上のスピードで毎年増やさなければいけない、という条項があり、2001年以降、州の財政が悪化する中で他の分野の支出が削られていく中であっても、この二つの分野だけは着実に支出を伸ばしていたわけです。


これが可能となるためには、当然、どこかの分野を必要以上に削減しないといけないわけであって、コロラドでその対象となったのが、高等教育だったわけです。


例えば2001年からわずか3年で、州の中心的大学である、コロラド大学ボールダー校への州の支出は55%減り、コロラド大学は2001年より、校舎の建築などへの財政援助も行われてません。


当然のごとく学費は上がり始め、今年のアメリカ人学生への学費は去年と比べて28%上昇し、来年にいたってはこのままではさらに42%あがるという予測が出ています。


一部では、もしこの92年の法律が施行され続けるならば、コロラド州から大学への財政援助は2015年までに0になるという予測も出ています。今では、コロラド大学ボールダー校への政府の援助は全体の10%にまで落ち込んでいます。


以前、アメリカの州立大学が私立になることなどありえない、といったブログを書きましたが、展開次第ではその言葉撤回しなければいけなくなるかもしれません。


基本的に、財政だけを見ると、コロラド州は、高等教育への意識があまり高くありません。

というよりも年々そのステータスが下がってきています。

70年代には州の全体の支出の約25%を高等教育がしめていましたが、現在は一桁台に落ち込み、学生一人当たりの政府の支出もアメリカ50州の中で47番目と、かなり低いわけです。


コロラドに来るまで気がつかなかったのですが、コロラドの高等教育はかなり大変です。

ミネソタにいたときはそれはそれで大変だと思っていましたが、こっちはそれ以上です。


住民投票、どうなるのでしょうか?

明日また報告します。


このブログでは、折に触れて、Institutional Research(以下IR)というトピックに触れてきました。IRとは、一言で言うと、大学の個人情報データベースの管理、分析をするところになります。その起源は50年くらい前に遡るそうですが、実際に各大学に設置され始めたのは80年代くらいからになります。ということで、自分自身、このIRというものは日本の大学には欠かせないものになると主張してきていましたが、最近日本の大学でもその動きが出てきているそうで、大変素晴らしいことだと思います。(参考: http://homepage.mac.com/tetsu8_t/iblog/C107035926/E556821754/index.html


ということで、今日はその話題に関してですが、それではさらに一歩踏み込んで、そのIRが日本の大学で機能するためにはどうしたらいいのか、ということについて考えてみたいと思います。自分の中では大まかにあげて4つ挙げられると思います。あくまでも自分の推測の範囲だということは理解していただきたいと思います。


1.IRを担当する人の力量(経験・知識)


a. 統計を使った分析経験がある人 (経済分析、その他社会科学の分析において必要とされる統計の知識・経験を持った人、基本的に最低修士レベルの統計の知識が必要)


b. 統計のソフトウェアを使いこなせる人 (SPSSがアメリカでは主流、SASを使うところもあるが、非常に高い(約100万円)、日本ではどういったソフトウェアが主流なのでしょう?)


c. Accessなど、Relational Database を扱った経験がある人。最近では、Brio というものが出てきているそうですが、この詳しいところについてはわかりません。


d. アンケート、インタビュー、Focus Groupなど、その他Qualitative Analysisの知識・経験がある人


e. Excelの知識・経験がある人 (Pivot table や、マクロなど)


大学に関する知識もあるにこしたことはないですが、そこまで期待するのは結構難しいような気がします。ビジネスの世界なら、上記の経験を持つ人は沢山いると思うので、そっちの世界からリクルートするべきです。半年もいれば、その大学に関する知識は普通つきますし。


2.IRを統括する人の力量


これはどういうことかというと、IRを実際に行う人ではなく、その結果が報告される先、つまり上司になり  ます。この人が、IRに対する理解がないと、IRは宝の持ち腐れになります。また、この人が大学内で発言力がある人でもないと、やはりIRは機能しません。


IRが大学内で、どのような位置にあるのかは大学によって変わってきます。学長直結のところもあれば、副学長直結のところもあります。大学によっては、副学長の下のProvost(Provostの位置づけも大学によって変わるのですが、ここではVice Presidentの下ということにしておきます)の直属、という場合もあります。


IRを組織のどこに置くかはあまり重要ではありませんが、誰に対して報告するかは非常に重要となってきます。僕の意見としては、大学首脳と頻繁にコミュニケーションがとれる位置が一番いいと思いますし、また、大学首脳もデータを基礎においた大学運営というのを理解している人でないと、IRの研究結果は全て時間の無駄になってしまう恐れもあります。


ちなみに僕のいたコミュニティカレッジでは、Vice Presidentに報告していました。彼女は、Academic Affair担当だったのですが、学内では学長についで2番目に発言力がある人で、また、データの見方も理解している人だったので、そこのIRはしっかり機能していたように思います。


3.IRの学内における理解度+存在感


おそらく最初IRを設置した時の学内の反応は、「無反応」という表現が一番近いと思います。これではIRは機能しません。IRは、組織によってその効力が180度変わります。IRは、首脳部だけのために存在するわけではありません。現場レベルの意思決定も助けることもできるわけです。時には学生からの要求にもこたえることもします。いわば、大学に関わる全ての人の要求にこたえらえるIRこそ、本来あるべきIRの姿だと僕は思います。


4.個人情報に関する倫理の徹底


個人情報を扱うだけに、その管理は徹底しなければいけません。セキュリティの強化はもちろんとして、そのデータに関わる人たち(データ入力者も含む)の倫理観の教育、罰則などルールの徹底が必要になります。法律の問題もありますので、どこまで公表していいのかなどの、ルールをしっかり決めておかないと、後にとんでもないトラブルに陥る可能性もあります。大学の顧問弁護士と相談していく必要があるところです。



と様々、IRが機能するための条件を列記してきましたが、突き詰めて言えば、IRの役割というのは、大学によって変わってくるわけです。結局、どういう大学にしていきたいのか、その上で、IRはどのような役割を果たすべきなのか、という思考回路でIRを考えていかないと意味がないわけであって、ただIRを設置すればいい、というのは昨日のブログでも多少述べたように、アメリカの教育システムをただ意味もなく取り入れているだけ、ということになってしまいます。

最近、色々忙しくなってきて、ブログを書く時間が取れなくなってきてしまいました。毎日来てくださる方、どうもすいませんです。今日はようやく時間が取れたので、いつもより長く書こうと思います。


一般的に、アメリカは合理的な考え方を歓迎する国だと思われている節があります。例えば、徹底した能力主義の人材配置を行うといったことが、その具体的な例として挙げられるかもしれません。


しかし、アメリカであったとしても、その組織が人の集まりである以上、しがらみというものはあるわけです。これは一つの例ですが、ミネソタでは、州立大学(State University System 注:University of Minnesota とは別)で働くと、州政府の職員扱いになります。そこで働く人たちは、州の職員たちによって形成される労働組合に所属します。


この労働組合には、一つの決まりがあります。それは、長く労働組合に所属した人ほど、優遇されるというシステムです。それは、人よりも組合に貢献したわけだから当然といえば当然かもしれません。


しかし、このいわゆる優遇パッケージの中の一つに、再就職に関する条項があります。

これはどういうことかというと、例えば、一つのカレッジでポジションに空きができたとします。

そしたらその大学は、その空いたポジションを一般公募するわけですが、その時に、もし組合員が応募した場合、そのポジションは、もしその組合員が、基本的な要求を満たしているならば、自動的にその組合員に与えられなければなりません。その際は、インタビュー(面接)すら行われません。複数の組合員が応募した場合、長くその組合に所属している人にその仕事が与えられることになります。学長であっても、これに反対することはできません。


組合に所属するのは、高等教育機関で働いている人だけではなく、他の機関で働いている人もそうですから、空いたポジションは、まず組合内での競争があって、それで誰も応募しなければ、一般に申し込んでいる人をとるわけです。もちろんその時はインタビューが行われます。


だからこれは僕がコミュニティカレッジで働いている時の思い出ですが、いろいろな人がインタビューを経ないで入ってきていました。この人たちは、組合枠で入ってきたわけです。だから採用された人は、40-50代の人が多かったです。中には、大学で働くの初めて、なんて人もいたわけです。


日本では、アメリカの大学はかなり美化されているような気がします。大学職員は、能力主義の人材配置を行っているとか、成果主義だとか、様々言われているかもしれません。リーダーレベルや専門職で言えば、それはそれで間違ってはいないかもしれませんが、現場はそうともいえません。


大学というところは、そもそも成果を計るというところが出来ない組織です。企業だったら、利益、という明確な判断基準がありますが、大学のような非営利組織というのは、極端な話、100人いたらその100人が100通りの成果基準を主張する場所なわけです。そういう組織において、一元的な評価を下すことは不可能です。だから、結構職員というのはのんびりしています。


また、一方では、アメリカでは大学が毎年のようにどんどんつぶれていっている競争が激しい国だ、と思われています。大学が毎年つぶれている、というのは本当ですが、「どんどん」というのは嘘です。アメリカには、高等教育機関とみなされている機関が約6600ー6700あって、そのうちつぶれるのはごく少数で、それもほとんどが大学とはいえないような機関です。いわゆる普通の「大学」でつぶれたのは、


1997年 8大学

1998年 5大学

1999年 11大学

2000年 2大学

2001年 2大学

2002年 3大学    (全て私立) 


参考:http://chronicle.com/weekly/v48/i40/40a02401.htm#closed  (有料)


であって、全体の0.01%にも届くか届かないかの話です。日本はどうかは細かい数字は分かりませんが、大差ないのではないでしょうか?


日本で高等教育を語る上で、必ず引き合いに出されるのがアメリカの大学です。「アメリカではこうである」というのは、別に間違ってもいなければ、悪いことでもありません。比較は大事ですし、他の国で行われていることというのはかなり参考になります。ただ、気をつけなければならないのは、間違った情報を伝えてはいけない、ということです。とくにやってはいけないことは、自分の主張したいことを正当化したいがために、イメージが誇張されたアメリカの大学を引き合いに出すことです。議論の主導権を握るために、こういった「嘘も方便」みたいな手段は有効かもしれませんが、これを続けていくと、「嘘も100回言えば真実になる」わけです。


基本的に、このブログでは、「等身大のアメリカ高等教育を伝える」ということをその主目的としています。アメリカの大学にもすごいところがあれば、改善すべき点もあるわけです。むしろ改善すべきことの方がよっぽど多いような気もします。


しかし、そういった負の部分も背負い、バランスをとりながらアメリカの大学は発展をしてきています。僕はアメリカの大学を今の地位に押し上げてきたのは、その問題を対処する姿勢であった、そう思います。そしてその姿勢こそが、僕がアメリカの大学に魅かれる一番の理由です。


アメリカの高等教育システムをそのまま日本に持ってくることには、そこまで意味はありません。実際に文化など基礎的条件が違うので、教育システムも変わってきて当然であり、むしろ変わらなければおかしいと思います。


日本には日本の問題があって、それは日本人にしか解決できません。

アメリカでは正解であっても、それが日本で正解とは限りません。

そのためには、アメリカの大学を雲の上の存在のようなまなざしで見るのではなく、それを地上に引き戻して、客観的に相対化して見る必要があると僕は思います。そうなったとき、初めてアメリカの大学というものが見えてくるし、その本質が見えてくると思います。そして、相対化して初めて自分自身というものがまともに見えるのではないか、僕はそう思うわけです。そしてそれがこのブログを続ける理由な訳です。