アメリカの高等教育の特徴は大学院教育であるとよく言われます。
アメリカの大学院教育の魁となったのは、19世紀の後半に創立されたJohns Hopkinsですが、それ以来、アメリカの大学院教育は多くの人に高度な教育を提供してきました。
2000年の時点で、25-64歳のアメリカ人で、修士以上の学位を持っている人は、約1400万人になります。10人に1人は最低修士号を持っている、ということになります。
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日本でいうと大学院はほんの一握りの人がいく所、というイメージがありますが、アメリカの大学院はもっと大衆化が進んでいます。日常会話などで、たまに、"I'm thinking of going back to school"、といったことが聞かれますが、学校に「戻る」、といったような感覚が一般的な人々の大学院の見方のような感じがします。日本では、こういう場合は「進学する」だと思いますが、この辺が微妙ですが、日本とアメリカの大学院の捉え方の違いを表しているような気がします。
ともあれ、今日のテーマの、アメリカの大学院が機能する理由、ですが、これは言い換えれば、なぜアメリカの大学院の大衆化(しかも質を保ちつつ)がそこまで進んだのか、ともいえると思います。
これはアメリカの労働市場の影響が大きいと思います。
別の言い方をすれば、「社会の需要があったから」となります。
日本の社会と違って、アメリカの労働市場は、専門職市場です。日本のように、新卒一斉採用みたいなものはないし、基本的に中途採用です。仕事の募集も、会社として一斉に募集するのではなく、特定のポジションに空きができたから採用するという方が一般的です。
というと、どうなるかというと、一つのポジションに対する倍率というのは非常に高くなるわけです。新卒だけでなく、幅広い年齢の人がそのポジションを狙いに来ます。これは、役職が高くなればなるほど、また、責任が増えれば増えるほど、競争は激しくなります。そして、残念ながら、アメリカ社会では自動的にどんどん昇進するということは、特に今の時代はあまりないです。
そういう状況の下、当然の心理として、人々は自分のスキルアップを個別に行うわけです。いわゆる他人との差別化というか、いかに他の競争者と差をつけるか、自分の力を磨いた分、自分がやりたいポジションを手に入れる確率は高くなります。
しかし、仕事が細分化したアメリカ社会で、他の人よりも優れた専門的な力を身につけるというのは、なかなか一人でできることではありません。世界共通というか、独学というのは、なかなかできる人はそうはいません。
そこに答える形で、アメリカの大学院というのは存在するわけです。
つまり、社会人の間に、なんとかしてキャリアアップしたい、でも自分ではどうにもできない、でも何とかしなければ、この先昇進できない(可能性が高い)、そのような需要があるわけです。だから人々は競って大学院に行くわけです。
翻って日本ではどうなのかというと、はたして社会人の人たちの間に大学院に行かなければならいという需要があるかというと、ちょっと疑問です。やはりまだまだ年功序列が幅を利かす中で、その会社の中で積み上げたキャリアを中断してまであえて大学院に行くということに対してメリットがあるのか、なんとも言えません。
アメリカの大学院、とくにプロフェッショナルスクールは、純粋に学びたい人がいくところではなく、給料をアップさせたい人が行くところです。逆に言えば、だからこそ、大学院が大衆化したといえると思います。いわば、大学院というものがアメリカ社会の文化にマッチしたともいえます。
日本では、そもそも(アメリカ型の)大学院というものが社会から必要とされているのか?
もっとも今後そのような方向に時代は流れていくかもしれませんが、今の段階ではわからないですね。