45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。

 

かたつむりここまでの経緯

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病名発覚。平均余命は14ヶ月

手術後、家族の写真を見てもわからない夫

歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々

もうやるしかない。在宅介護の準備

2023年8月7日 手術から5ヶ月9日

 

再発した癌を小さくするため、1クール目抗がん剤治療が始まった。

 

テモゾロミド(テモダール)、吐き気どめを、5日間、右胸につくったポートから点滴で入れる。

 

夫のせん妄は薬により若干落ち着いたが、着替えや胃ろうを拒否することがあり、

 

面会に行っても布団を頭からかぶって話せない日が続いていたあせる

 

 

 

抗がん剤の投与は、被曝の恐れがあるため、細心の注意を払わないといけない。

 

点滴中は、管を抜いてしまわないように家族の付き添いが必須と言われた。

 

点滴の針がさせたことを医師が確認して抗がん剤を発注し、病室に届くまで1時間くらいかかるので

 

「点滴の針をさせたら電話で連絡します」と病院から言われていた。

 

 

 

抗がん剤点滴治療の1日目、病院からかかってきた電話は

 

「暴れて針が刺せなかったので、今日は中止にしますあせる

 

1日目、できなかった、、、ガーン

 

 

ということで、2日目は針を刺す時から付き添いをして夫を説得する事になった。

 

病室へ入ると、裸の夫が寝転がっている。おむつも半分取れかかっているガーン

 

看護師さんによると、着替えも拒否、おむつもゆっくりつけさせてくれない、とのことだった。

 

裸の夫にタオルケットをかけてあげて、手をさすってあげた。

 

服を着ないのには何か理由があるのかもしれないと思った。

 

「身体を何かが這っていて気持ちが悪い」と言ったことがあったので、

 

体に何かが当たるのが嫌だったのかもしれない。

 

 

 

リハ病院の時に言われた

 

「大勢の人に囲まれて、色んな人が話しかけると脳が処理しきれなくて、暴走してしまう時があります」

 

という言葉を思い出した。

 

今日は、最少人数で病室に静かに入ってきてもらって、針を刺す準備をしてもらうよう看護師さんに伝えてみた。

 

そして、抗がん剤治療2日目、針を刺す時がきた。

 

医師「いい?針さすよ」

 

「何をするんだ!!何でだ!!」

 

大声で睨みながら叫ぶ。今日もダメなのか・・・えーん

 

私は針のところへ夫の手がいかないように、ずっと手を握ったりさすったりしながら、

 

夫に、病気で点滴が必要なこと、点滴をしたら退院できることなどを説明した。

 

「おれの番じゃない!! 隣の人が先! 先生に聞いてこいって!」

 

夫にはまた、誰かが見えている。何人見えているのだろう。

 

私「聞いてきたよ。みんな終わったって。」

 

医師「次は〇〇(←夫)さんの番ですよー」

 

と医師も小芝居に付き合ってくれる。

 

 

 

しばらくして、夫が落ち着いてきて、点滴が刺せた!!!クラッカークラッカークラッカー

 

よかった!!本当に嬉しいおねがい

 

点滴の針がさせただけで、みんなが大喜びビックリマーク

 

点滴中は、ほぼ寝ていてくれたので無事終わった。

 

 

 

こんな風に、夫は入院中ほとんど服を着ず、点滴もできたりできなかったりして

 

1クール目の抗がん剤治療が終わった。

 

次は23日の休薬期間を経て2クール目が始まる。

 

 

 

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続きは4月3日(月)19時30ごろ更新します!

「要介護5、1週間の介護スケジュール」