山中伊知郎の書評ブログ -2ページ目

戦乱と民衆(講談社現代新書)

 戦乱については、英雄中心の歴史ばっかりじゃなく、民衆の側に視点を置いた歴史も残さなくては、みたいな趣旨の新書本。そんなに言われなくても、けっこう民衆側の視点での本もあるじゃないかと思いつつ、ほぼ流し読みだった。

 ただ、しばしば、ちょっと気になった記述が出てくる。たとえば幕末の戦乱の京都。たくさんの死骸が置き棄てられ、片づけられたわけだが、死骸に残った財布のカネを、戦った武士たちは奪うことがなく、片づけた地元の人間が獲っていき、中にはその金を元手に商売を成功させた人もいたとか。幕末の武士たちの「モラルの高さ」が感じられるエピソードだ。それに関連して、戦場では当たり前になっている「乱取り」、つまりモノや女性などを奪い去る略奪も、日本においては古代には、そう目立ってなかったなかったらしい。それが中世には大いに行われるようになり、戦国では民衆の側も落ち武者を殺して鎧兜を奪ったりするのが当然になり、江戸期の、それも島原の乱あたりを契機にプッツリとなくなっていったらしい。

 この本の著者たちは、戦った武士たちの視点ではなく、死体からカネを奪ったような人たちの視点からも歴史が語られるべき、としているが、それは興味深い。どんな武士たちがどれくらいのカネをもっていたのかを知りたい。()

教養としての世界史の読み方

 著者が古代ローマ史の研究家なんで、あくまでたとえ話の中心がローマで、ローマに歴史のすべてが詰まってる、みたいな言い方をするのは、まあ、ちょっと抵抗はあるが仕方ない。

 ただ、読んでいくと、なかなか興味深い知識や分析がちりばめられていた。

 「文明はなんで大河の畔から発祥したのか?」という問いには、気候変動で乾燥が進み、多くの人が水を求めて大河のそばに集まって来た、とか「世界史では同じことがほぼ同時に起こる」例としてローマ帝国と漢帝国が出来上がった大切な戦いがまったく同じ年だったこと、東洋の君主は民に姿を現さないが、西洋は現す、そこに共和思想が生まれるかどうかのもとがある、など。

 13世紀、マルコ・ポーロ以上に世界を股にかけて活動した旅行家・ウイグル人のラッパーズ・バール・サウマ―なんて人がいたのも、私にとってはほぼ初耳だった。

「すべての歴史は「現代史」である」という視点も、なるほどと思わせる。今のウクライナの問題も、カザの問題も、とにかくみんな「過去」をひきづりつつ現代に至っているのだ。

殿様は「明治」をどう生きたのか

 ここに出てくる殿様は松平容保や山内容堂、松平春嶽といった幕末期の歴史を飾った人物や、「十六代様」徳川家達のように

、明治以降も活躍したメジャーな面々が並んでいる。蜂須賀家の当主のように、普通に外務官僚として活躍した人物もいる。だいたいは石高も高い大大名。その中で異色なのが、わずか一万石。上総の請西藩・林忠崇だな。自ら脱藩して新政府軍と闘ったあげく、職を転々として生活困窮。人の家の離れに住まわしてもらって、ビンボー農民として土地を耕すようになったとか。ただ惨状を見かねて手を差し伸べる人があり、ようやく華族としても列せられ、94歳の長寿を全うしたという。

 まあ、よく生き抜いたね。 

大連ダンスホールの夜

 昭和、戦前の「満州」といえば、陰謀渦巻くというか、虚々実々というか、もうなんか、スパイだとテロリストだの大陸浪人だのが入り乱れて暗躍するイメージがあって、ミステリアスで魅力的。まあ、満洲に渡ったほとんどの日本人は、そんなのとは関係なく、農地を切り開いてたりしたんだろうけど。

 その満洲の玄関口にあたる大連をめぐる、いくつかの逸話を綴ったのがこの本。阿片を最もたくさん扱った阿片王、東洋のマタハリ・川島芳子、関東軍の隠された謀略、甘粕正彦や、原敬を暗殺した中岡艮一、ダンスホールをめぐる某殺人事件など、まあ、盛りだくさん。著者がかつて大連に住んでいたのも、リアリティの味付けを増す。

 決して自分が住みたいとは思わないが、映画や本で、あの当時の「満洲もの」を見たり読んだりするのは、ノスタルジックでもあり、心地よい。

イスラム戦争

 10年くらい前に、突然あらわれて中東の一部地域を「領土」にしてしまったイスラム国。今はISということになっているが、このイスラム国の成立を起点にしながら、イスラム世界と、それにたいする欧米諸国の対応や報道などについて触れていく。

 はっきり賛同できる点が一つ。なぜ欧米の報道が、自分たちの価値観にもとづいたフィルターでしか行われないのか、と疑問を呈し、しかもそれを日本は全面的に追随しているのはおかしい、と言い切っているところ。たとえば、イスラム国の指導者に対して、当時の報道は「容疑者」としているが、いったい何の「容疑」があったのか? 欧米の価値観押し付けに抗議して、「イスラムはイスラムとして生きるべき」と唱えるのが、果たして「容疑」にあたるのか? イスラムが女性教育を否定しているような報道ばかりされているが、本当にそうなのか? 女性がスカーフやヴェールで顔を隠すようにするイスラムの習慣は、「遅れた風習」なのか?

 一方、はっきり賛同できないのが一つ。著者は日本が平和憲法を守って、イスラムと欧米などとの橋渡し役になるのが平和への道、みたいなことを語っている。そりゃムリでしょ。世界中のどの国も、「自分たちにとって有利な状態での平和」を望んでいるわけで、みんなが武器を捨てて握手しよう、なんて感覚はない。かつてのアメリカも、世界一の軍備を背景にしていたから調停役にもなれたのだ。なんでこんな陳腐な結論をくっつけたのか、よくわからない。