山中伊知郎の書評ブログ
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超少子化

 


  なにはともあれ、今、日本が抱えている最大の社会問題といったら、この「少子化」。人が減れば、国の活力はなくなり、衰亡に向かうのは誰だってわかってるのだから。

 

 しかし、この、NHKスペシャル班が作った本を読んでも、まあ、たぶん外国人に門戸開放して、どんどん日本に移住してもらうくらいしか抜本的解決の方法はないだろうな、というのはイヤでもわかる。

 何しろ、この本で繰り返し提唱されているのは、高齢者向けの金銭などの手厚いフォローを、子育てする若い層や、子供自身にもっと振り分けろ、ってことなのだから。結婚する男女を増やすために若年層の雇用状況を安定させたり、子育てへの企業の理解を求めたり、なども、煎じ詰めてみたら、高齢者ばかり大事にしないで、もっと働き盛りの若い層やこれから成長する人たちを大事にしましょうね、なのだ。

 

 まあ、抜本的変革は難しい。高齢者、ないしは「既得権」の所有者たちが、自分たちの持っている「権利」を手放して、若い層に譲るとはちょっと考えられない。しかも、今や高齢者の方が人口が多くて、選挙の投票率も高いんだから。既得権者、強いぞ。生半可じゃ、下の人間に席を譲ったりはしない。

 となると、やはり最後に打てる手となると、外国からの門戸開放しかないのだが、この本では、ほぼそこは触れられてない。不思議なくらいに。

 異文化の人間が次から次に入ってきたら、年寄りにとっては住みにくい社会になるのは確かながら、受け入れるしかないだろうな。いや、もはや日本が外国人にとって住む魅力がある国ではなくなる可能性もある。ま、「落ち目」になっていくのを静かに受け入れるのも国の生き方の一つかもしれない。

人を殺すとはどういうことか

 


  人を2人殺して無期懲役になった殺人犯の手記。どうやって人を殺すに至ったかと、その後の長期刑の受刑者ばかりの刑務所で、どんな囚人たちと出会ったかなどについて、書かれている。

 

  といっても、事実を淡々と書いていくルポ中心というのではなしに、いささか哲学的というのか理屈っぽいというのか、「殺人」というものに対する自分の捉え方とか、死生観とか、そういった比重が案外重い。子供のころから「金持ちの息子」として特別な存在としてかわいがられ、ときに挫折はあったものの、どちらかといえば他人を上から見下ろすクセは治らない、と本人は書いている。そのためか、まず「正しいのは自分」といった前提から話を進めていくスタイルはややハナにつき、相手が約束を破ったから殺してしまった、みたいないい方は、「そりゃないだろ」とツッコミを入れたくなってしまった。とにかく理屈を語る部分は独善的で、読んで少しムカムカする。

 

 ただ、具体的に刑務所の生活や囚人たちを語る部分に来ると、さすがに生々しい。特に「殺人犯の肖像」は、一人一人の人間像がドラマになりそうなくらい興味深い。小心のあまりに忍び込んだ家で人を殺してしまった窃盗犯や、気弱でいじめの対象になっていた幼女強姦殺人犯をはじめ、多くは凶悪犯とは思えないような地味が外貌をしていて、だいたいは自分の罪を反省していない。「死んだ被害者が悪い」とさえ思っている連中が多いらしい。その一方で、ヤクザとして、組や親分のために人殺しをして入って来た人たちの中には「こんなに立派な人格の人間がいるのか」と驚く人も、ときには混じっているとか。(もっとも大多数のヤクザは虚栄心ばかりのクズだとも著者は言っているが)

 何だが、これを読むと、一つの美学に裏打ちされた生き方をする「ヤクザ」のほうが、何のビジョンも何の未来像もない「堅気たち」よりもえらいんじゃないかという気さえしてくる。

 もともと、『忠臣蔵』はもとより、かつては「仇討ち」という殺人を、公認どころか奨励していたのが日本の文化。となると、どこかで組や親分のために人を殺す「ヤクザの美学」は、日本人の心の琴線をくすぐるものがあるんだろうな、とも考えてしまった。

 

 本音なのか強がりなのか、著者は、「もう一生、刑務所から外に出なくていい」と断言している。ム所の中にいるからこそ、クリスマスの時に出る粗末なケーキが、娑婆で味わったどんな豪華グルメよりもおいしく感じる、もはや欲望に流された暮らしを送りたくはない、と。

 さて、仮出所の可能性が出た時も、ずっと平成な気持ちでいられるのか? この本が出たのが10年前なので、仮出所している確率もゼロではない。「出る」ないし「出られるかもしれない」時、何らかの心境の変化は起きているのかは、知りたい。

遺品整理屋は見た!

 

 

  よくテレビのニュース番組などで取り上げられる「遺品整理屋」の話。奥付を見ると2006年の本なので、すでに13年前。

  つまり、独居老人やひきこもり、孤独死などはこの本が出たころよりもさらに数が増えているわけで、悲惨さも増しているのだろうな、と思いながら読み進んでいく。

 

  もともと、ライターでもなんでもなく、遺品整理の会社の社長さんがブログに書き綴っていた原稿がまとめられて一冊の本になったもの。ある程度リライトはしているのかもしれないが、状況描写などはあまり凝っていない。死んだ現場の凄惨さや汚れっぷりなどは、「黒いタイルを張ったように部屋全体がゴキブリで覆い尽くされていた」くらいは書かれているものの、さほどおどろおどろしさは伝わってこない。

 孤独死、自殺、殺人をはじめ、登場する死に方のシチュエーション、割合パターン化されている。

 

 嘆き悲しむ人あり、ろくに会ったこともないのに、と迷惑そうな人あり、その「死」に直面した肉親、親戚などの反応が様々なのは、当然、予想もつく。かえって登場人物として気になったのは「大家さん」だ。貸していた家や部屋で人に死なれ、「大家さん」たちは、どのようにして、突然、降りかかってきた災難に対処するのか? そんな内容の本を捜して読んでみたくなった。

 しかし、これ読めば、大家さんが一人暮らしのお年寄りには部屋を貸したがらないとか、ホント、気持ちわかる。重たいリスク抱えるわけだから。

すべての婚活やってみました

 


  著者は、この本の前に『婚活したらすごかった』という本を出して当てた人物。この手のものは、客観的に、かつ社会的視点で「婚活」について分析する形と、自分が中に入り込んで体験する形が多いが、これはもう体験型。前の本で当てたので、よし、もう一丁やったろう、とのヤマっ気が全編に漂っている。

 通常の婚活パーティーからバスツアー、ハイキング、クルージング、インターネット婚活、はてはお寺で座禅と写経をした上での婚活まで様々を著者本人が体験し、一部は別人からの聞き書きで取り上げられている。

 

 それはそれでいいし、スイスイ読めるのだが、どうも読んだ後の後味の悪さが残ってしょうがない。この著者は、もはやあくまで自分自身は「婚活」ではなく、「婚活」取材として参加しているわけで、その立ち位置は、どこか「真剣な婚活」をしている人を客観的に、もっといえば優位なところから見ているのは確か。それに、見合いを申し込んでも会ってくれない、と嘆きつつ、けっこう何人かの女性を「つまみ食い」したのを自慢している。「50代でフリーランスの私はモテない」と自虐しながら、「でもホントはそうでもない」とニヤついている感じ。

 

 彼は、婚活パーティーにも「ナンバ目的」の人間がいる、と非難がましく書いているが、「取材目的で、しかもつまみ食いまでしている」のは、もっとタチが悪いのではないか。

 まあ、一回出した本がうまくいったから、またやっちゃえ、といった安易な姿勢は、誰もがやることなので非難はできないが。、

「ひきこもり」は、腸で治す!?

 

 


    この本も、つい先だって山中企画で出したもの。

  長崎の、東洋医学の医師にして「腸のオーソリティ」田中保郎先生には、ずっと世話になっている。この本がすでに7冊目だ。

  「心の病」は脳だけでなく、腸を診て整えなくては治らないケースが多い、というのは田中先生の長年の持論。今回は、その

「心の病」につながるものとして、今、社会問題になっている「ひきこもり」をテーマにしてみた。

  実際に、お腹を診る腹診と、症状に合わせた漢方薬の処方でひきこもり、登校拒否、うつ、パニック障害など、様々な病気を臨床で治療した経験のある先生ならばこその、説得力のあるお言葉が揃う。

 また「食」の専門家である高石知枝さん、腸整体の中山建三先生の章もある。

 世の中に、家族が「ひきこもり」で悩む人たちは多く、またひきこもっている当人の方々も多くは苦しんでいる。それを改善するのに脳ばかりに注目せず、腸にも目を向けるという選択肢もあるんじゃないか、との提言の書。

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