教養としての世界史の読み方 | 山中伊知郎の書評ブログ

教養としての世界史の読み方

 著者が古代ローマ史の研究家なんで、あくまでたとえ話の中心がローマで、ローマに歴史のすべてが詰まってる、みたいな言い方をするのは、まあ、ちょっと抵抗はあるが仕方ない。

 ただ、読んでいくと、なかなか興味深い知識や分析がちりばめられていた。

 「文明はなんで大河の畔から発祥したのか?」という問いには、気候変動で乾燥が進み、多くの人が水を求めて大河のそばに集まって来た、とか「世界史では同じことがほぼ同時に起こる」例としてローマ帝国と漢帝国が出来上がった大切な戦いがまったく同じ年だったこと、東洋の君主は民に姿を現さないが、西洋は現す、そこに共和思想が生まれるかどうかのもとがある、など。

 13世紀、マルコ・ポーロ以上に世界を股にかけて活動した旅行家・ウイグル人のラッパーズ・バール・サウマ―なんて人がいたのも、私にとってはほぼ初耳だった。

「すべての歴史は「現代史」である」という視点も、なるほどと思わせる。今のウクライナの問題も、カザの問題も、とにかくみんな「過去」をひきづりつつ現代に至っているのだ。