山中伊知郎の書評ブログ
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どん底地下芸人が、中野区議会議員になった 井関が、中野区から日本を変える

 我が「ビンボーひとり出版社」山中企画の、今年最初の新刊本だ。

 著者は井関源二。なんと高校を出てお笑い芸人の道を志してから30年以上、まったく売れることもなく、ほとんど「地下芸人」の世界で生きて来た人物だ。しかも、ここ10年ほどは、親の援助を受けてハンバーガーショップを開き、1年でツブした以外は、ほぼ無職の「おじさんニート」を貫いてきている。いわば「ろくでなし」。

 そもそも親が眼科医で、家も裕福なため、別に働かなくても何とか暮らしていけてしまうのだ。 

 そんな彼が、「自分も世の中のために汗を流したい」と一念発起し、「れいわ新選組」の区議会議員候補者募集に応募したのが2022年。なぜか審査を通ってしまって、2023年の選挙に中野区の候補者として立候補。定員42人の38番目ながらも見事に当選を果たす。

 それから、中野区議会での彼の快進撃は始まる。「サウジアラビアと組んで、コスプレ・イベントをやりましょう」「将軍吉宗が作った中野・桃園で、暴れん坊将軍・松平健を呼んで『マツケンサンバ』イベントを」「オタクとサブカルの街・中野は、かつて犬公方・綱吉が「お犬小屋」を作っていたのでも知られる「お犬様の街」。両方を合体させて、中野アニメ映画祭を創設し、グランプリには「大賞」ならぬ「犬賞」として、黄金のイヌのトロフィーを」などなど、議会の場で、次々とユニークな提案をぶちかますのだ。しかも、けっこう他の議員にウケて、具体化しているものまである。単に中野を活性化させるだけでなく、中野発で

日本を、さらには世界をもっと元気にするためのアイデアが次々と飛び出す。

 しかも、さすがお笑い芸人、かつてステージでのネタはウケなかったけど、議場に立てば、しゃべりもそこそこうまい。聴衆を沸かせる「ツボ」もそこそこ心得ている。まさに区議会議員という立場は「水を得た魚」。

 それに、「れいわ新選組」の大先輩であると同時にお笑い芸人としての大先輩である水道橋博士が、

「よし!  面倒見てやろう!」

 と応援してくれることになった。本の中で、井関と対談してくれただけでなく、7月21日(日)には、自らがプロデュースして、高円寺バンディットというライブハウスで、「井関源二出版記念ライブ」まで開いてくれることになったのだ。

 2年前は、ただの「おじさんニート」だった男が、ひょっとすると、本当に日本や世界を動かすようになるかもしれない。

 これはまあ、そういった、一風変わった「ジャパニーズ・ドリーム」の本。

戦略で読み解く日本合戦史

 定番の武将の分析とはだいぶ違う所が。読みどころ。武田信玄、上杉謙信、それに北条氏康に対する「武将」としての評価が織田信長より高く、信長は「武将」というより「革命家」だと規定。鉄砲が定説でいうほど実戦で大きなインパクトはなかったとか、兵農分離が出来た信長軍と比べて、信玄軍が農繁期には戦えなかったとの話は違うとか、いろいろ出てくる。ちょっとひねっているが、案外説得力のある本。

戦乱と民衆(講談社現代新書)

 戦乱については、英雄中心の歴史ばっかりじゃなく、民衆の側に視点を置いた歴史も残さなくては、みたいな趣旨の新書本。そんなに言われなくても、けっこう民衆側の視点での本もあるじゃないかと思いつつ、ほぼ流し読みだった。

 ただ、しばしば、ちょっと気になった記述が出てくる。たとえば幕末の戦乱の京都。たくさんの死骸が置き棄てられ、片づけられたわけだが、死骸に残った財布のカネを、戦った武士たちは奪うことがなく、片づけた地元の人間が獲っていき、中にはその金を元手に商売を成功させた人もいたとか。幕末の武士たちの「モラルの高さ」が感じられるエピソードだ。それに関連して、戦場では当たり前になっている「乱取り」、つまりモノや女性などを奪い去る略奪も、日本においては古代には、そう目立ってなかったなかったらしい。それが中世には大いに行われるようになり、戦国では民衆の側も落ち武者を殺して鎧兜を奪ったりするのが当然になり、江戸期の、それも島原の乱あたりを契機にプッツリとなくなっていったらしい。

 この本の著者たちは、戦った武士たちの視点ではなく、死体からカネを奪ったような人たちの視点からも歴史が語られるべき、としているが、それは興味深い。どんな武士たちがどれくらいのカネをもっていたのかを知りたい。()

教養としての世界史の読み方

 著者が古代ローマ史の研究家なんで、あくまでたとえ話の中心がローマで、ローマに歴史のすべてが詰まってる、みたいな言い方をするのは、まあ、ちょっと抵抗はあるが仕方ない。

 ただ、読んでいくと、なかなか興味深い知識や分析がちりばめられていた。

 「文明はなんで大河の畔から発祥したのか?」という問いには、気候変動で乾燥が進み、多くの人が水を求めて大河のそばに集まって来た、とか「世界史では同じことがほぼ同時に起こる」例としてローマ帝国と漢帝国が出来上がった大切な戦いがまったく同じ年だったこと、東洋の君主は民に姿を現さないが、西洋は現す、そこに共和思想が生まれるかどうかのもとがある、など。

 13世紀、マルコ・ポーロ以上に世界を股にかけて活動した旅行家・ウイグル人のラッパーズ・バール・サウマ―なんて人がいたのも、私にとってはほぼ初耳だった。

「すべての歴史は「現代史」である」という視点も、なるほどと思わせる。今のウクライナの問題も、カザの問題も、とにかくみんな「過去」をひきづりつつ現代に至っているのだ。

殿様は「明治」をどう生きたのか

 ここに出てくる殿様は松平容保や山内容堂、松平春嶽といった幕末期の歴史を飾った人物や、「十六代様」徳川家達のように

、明治以降も活躍したメジャーな面々が並んでいる。蜂須賀家の当主のように、普通に外務官僚として活躍した人物もいる。だいたいは石高も高い大大名。その中で異色なのが、わずか一万石。上総の請西藩・林忠崇だな。自ら脱藩して新政府軍と闘ったあげく、職を転々として生活困窮。人の家の離れに住まわしてもらって、ビンボー農民として土地を耕すようになったとか。ただ惨状を見かねて手を差し伸べる人があり、ようやく華族としても列せられ、94歳の長寿を全うしたという。

 まあ、よく生き抜いたね。 

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