源氏将軍断絶
ちょうど大河ドラマで『鎌倉殿の十三人』をやるころにあてて出した本なのだろうが、細かい部分をすっ飛ばして、大雑把に読んでも、それなりに定説と違う解釈などが出てきて、読んでて飽きない。たとえば頼朝は最初から「征夷大将軍」を狙っていたわけではなく、「大将軍」とつけば実はよかったのであり、ただ「征東大将軍」は木曽義仲、「惣官大将軍」は平宗盛が名乗って、どちらも滅亡して縁起が悪いから「征夷」にしたという話。『吾妻鏡』は、北条氏主導で作られた書物で、二代目将軍・頼家や三代目将軍・実朝をより暗愚、無能な人物に印象付けようとしているが、どうも別の資料を見ると、そんなことはなかったらしいという話。
つまり鎌倉幕府初期については、どうしても『吾妻鏡』がナンバーワン資料として珍重されるものの、北条氏に都合がいいように書かれた部分も多く、もっとしっかり事実を検証すべき、との提案が入っている。
細かい記述はほとんど頭に入らなかったものの、そうした大枠だけは理解できた。
僕とニュー・ミュージックの時代
「ニュー・ミュージック」と呼ばれた70年代の音楽を、発売されたアルバムを通して振り返るコラム集。
著者の泉麻人さんとは、タブレット純の本での取材を通して、何度かお会いしている。しかし、とりあげられた楽曲の記事以上に、泉さんが当時過ごしたキャンパス・ライブなどに関する部分に注目した。私とはほぼ同い年なのに、その大学での暮らしぶりがぜんぜん違うのだ。周囲には流行りのニュートラに身を包んだ女子大生たちがいて、彼女たちとウエストコーストのミュージックを流しつつ湘南あたりをドライブしたり、青山や六本木で遊びまくったり。おいおい、慶応と早稲田の違いはあるとしても、これが同時代の学生ライフかよ、とやや呆れてしまった。まあ、その頃、私は毎日、大学近辺の雀荘で麻雀したり、夜になるとサントリーホワイトを飲みに大隈通りの馴染みの喫茶店に行ったり、高田馬場の栄通りあたりで、やっぱり安酒を飲んでいたり。少なくとも周囲にニュートラの女のコはいなかった。
リッチでオシャレなキャンパスライフとビンボ臭い学生生活。それがそのまま50年続いちゃったような人生の軌跡だな。
少年Mのイムジン河
フォーククルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』の作詞や、『イムジン河』の訳詞で知られる松山猛が、『イムジン河』と出会った前後のことを書いた、一種の自伝本。といっても、字のロゴも大きくて70ページくらいしかなくて、30分もあれば読めてしまう。
ほとんど絵本に近いような作りだ。民族差別に目覚めたり、反戦活動に共感したり、戦後すぐに生まれた世代の若者ならくぐりぬけるであろう「洗礼」を思い切り受けまくっていた様子がよくわかる。昭和21年生まれだもんな。私は29年生まれだが、ここまでもろに「洗礼」は受けてない。この8歳の違いがよくわかる本。
60年代フォークの時代
今、タブレット純と「カレッジフォーク聖地純礼」という本を出すべく取材を始めていて、すでにきたやまおさむさん、杉田二郎さん、イルカさんなどのインタビューは済ませているところ。ただ、実は私自身はもともとフォークの歴史もよく知らなかったし、フォークの中でも、どこまでがカレッジフォークで、どれがそうじゃないのか分類もよくわからない。それで、こういう本を読んで少しでも基礎知識を身につけようと思ったのだ。
ある程度わかった。とりあえず最初は、アメリカンフォークをコピーしたファッションとしてのカレッジフォークが主流で、それが中心地が東京から京都などの関西になっていったあたりでアングラフォーク,社会派フォークなどにどんどん枝分かれしていき、60代後半のゲリラフォーク集会で、社会派の流れは一つのピークを迎える。それが落ち着いたあとには、フォークの「商業性」の部分が次第に大きくなっていって、70年代には「ニューミュージック」といったくくりの中で、音楽業界のメインロードを歩むようになる。ま、そんなとこかな。
でも、まだ今一つ、どこまでがカレッジフォークなのかの境目ははっきりしなかった。たとえばフォーク・クルセダーズは大学生たちが作ったバンドだからカレッジフォークなのだろうが、その活動は明らかに、そうしたワクを飛び出している。彼らが、大手レコード会社を頼らない自主レコード発売をキッカケに大ブレークしたことで、カレッジとは関係のない岡林信康とかも出てきたりもしているのだ。いったいどこまでを「カレッジフォーク」として括ったらいいのか。とにかくそのへんはタブレットの判断に従うしかない。
ただ、インタビューで、当時いた当事者たちのナマの声を聞けるのは、やはり興奮する。あと、境目がわからない点でいえば、まだフォークとロックの境目も、どうもよくわからない。
太平洋戦争への道1931-1941
「昭和史のレジェンド」ともいえる人たちが、満州事変から太平洋戦争に至る道について、なぜ日本がその道をたどっていったのかを語る対談集。
こりゃけっこうわかりやすい。満州国建国から、それほど明確な目標もなく対中国への泥沼戦争に突入し、そのあげく「中国から撤退せよ」とのアメリカの申し出も断って、太平洋戦争でぶつかってしまったあたりの軌跡。ちょこちょこは戦争回避の話し合いをしているのに、そのたびに関東軍と言うか、軍隊がそれをつぶしていった経緯もよくわかる。仕方ないっちゃ仕方ないんだろう。軍隊も自分らが権力持てば、そりゃ武力を振りかざしたくなるのは自然の流れ。調子に乗ったマスコミも、「そら、もっとやれ!」と煽り立てて、国民まで乗っちゃったのだから。こういうのを読むと、「だから戦争は反対しなくちゃ」みたいな落ちになりがちだが、まあ、時代の流れとして、どうやったって、結局は、戦争は止められなかっただろうし、日本が負けるエンディングも回避できなかっただろうことは見えてくる。と言う以上に、よく本土決戦まで行かずに戦争終えられたってそっちの方に感心する。昭和天皇はエラい。
本土決戦までやってたら、北からソ連、南からアメリカに攻められて、日本も朝鮮半島みたいな分断国家になったろうな。