こんにちは
前回の記事では 人類は ”世界の権力者たち” によって・・・
知らぬ間に ”洗脳されている” のであり・・・
人類は これまでの ”オリンピックの栄光” を ”重視する状態”・・・
さらには アスリートたちの ”メダリストの栄光” を ”崇拝する状態”・・・
そのような ”洗脳された状態” から ”目を覚ます時” に 来ている。
・・・という内容を ご紹介しました。
”近代オリンピック” というのは・・・
1896年の 第一回・アテネ大会から スタートしましたが・・・
その目的は ”古代の平和の祭典の復興” を めざした オリンピックであり・・・
それは アマチュアリズムによる ”純粋なスポーツの祭典” でした。
その後 第一次世界大戦後から オリンピックは その性質を 変えるようになり・・・
それは 国家の ”国力を比べる目安” として 国際社会から 認知されるようになり・・・
まさに ”国を挙げてのメダル争い” というものが 始まったのです。
やがて オリンピックは ”政治色” を さらに 強めてゆき・・・
ドイツの ナチス政権下では その後の ”戦争への準備” に 利用され・・・
ドイツ国民の ”国威発揚” ”民族の結束の強化” に 利用されました。
つまり ドイツ国民を ”難なく戦場に送り込むため”・・・だったのです。
その後も 世界各国は 国民の ”国家意識の強化” を 目的として・・・
”オリンピックへの参加” を ”重視する姿勢” を とり続けてきたのです。
つまり 私たちにある ”国家意識” ”民族意識” とは 何を 意味するのか?
それは 他国との間における ”優越意識” を 発生させるものです。
それは ”どちらの国が 優れているのか?” を 明確にするものであり・・・
さらには ”どちらの国が 強いのか?” ということを 明確にするものです。
それは まさに ”戦争の目的” と ほとんど 同じであり・・・
私たちは そのことを 現在も ”意識できない状態” に おかれているのです。
私たちが ”意識できない状態” で・・・
何者かによって ”支配された状態” で 日常生活を 送っているのが・・・
いわゆる ”洗脳された状態” と 表現されます。
つまり 私たちの ”国家意識” や ”民族意識” が ”強ければ 強いほど”・・・
私たちは 国家によって ”支配され易い” という 状態です。
それゆえに 私たちは 過去の 人類のように・・・
”戦争(戦場)” へも いとも簡単に 送り込まれてしまう というような・・・
まさに ”危機的状況” に 現在も 置かれていると 考えられるのです。
これと 同じ内容を 過去記事でも 書いておりました。
今回の記事でも その内容を 再編集して ご紹介します。
それでは 以下が 2018年の 記事の内容です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
私たちは 現在 ”宇宙時代” に 突入しています。
そして それが 意味するものは ・・・
もはや ”これまでのような考え方” では ”通用しない” ことを 意味しています。
人類は これまで どのように 生きて来たのか?・・・
それは 自分の生きる “国家” を 何よりも 大事にして 生きてきたようです。
その理由とは ”国家” とは・・・自分自身の ”生きる場所” であり・・・
さらには 自分自身の ”利益の実現の場” であるからです。
そして ”他国” について どう考えて来たのか? といえば・・・
”他国” とは “自国” と 全く別の “利益集団” なのであり・・・
そこから 国家同士の “利益の比較” が 始まることになり・・・
それによって 国家同士の “利益の優越性” が 問題になり・・・
さらには どちらが ”優れた民族であるのか?”・・・ということが 問題になるのです。
そこから 国家・民族同士での ”争い” が 始まることになり・・・
そうなれば “利益” の ”奪い合い” も 始まることになり・・・
やがて 国家・民族同士での “戦争” が 始まることに なってしまったのです。
これについては “国家・民族同士” だけでなく・・・
“宗教集団同士” でも 頻繁に 起こることになり・・・
人類は このような ”優越性の争い” によって・・・
人類史上で 繰り返し ”殺し合ってきた”・・・のです。
そして ”身近な例” として・・・
”サッカーのワールドカップ” や ”オリンピック” などにおいて・・・
自国の 代表選手を ”熱狂的に” 応援するのも・・・
それは ”国家の優越性” を 実現するためであり・・・
それは スポーツによる いわゆる “代理戦争” を 意味するものでも あるのです。
そして それが さらに ”何を 意味するのか?” といえば・・・
私たちは 無意識のうちに “国家主義” を ”植えつけられて” いるのです。
さらに 私たちが ”自分の国家” への ”愛情” を 抱くこと・・・
つまり 私たちが ”愛国心” などを 抱くことは・・・
それは 将来の “戦争の準備” を させられている ことも 意味します。
つまり 私たちは 日常から ”知らず 知らず” のうちに・・・
“国家の優越性” を ”意識” させられて 生きているのであり・・・
その 延長線上に ”国家間の争い” である ”戦争” が 発生するのです。
そして “戦争の真実” というのは・・・
国民が 自分自身の “国のために戦う”・・・というのは・・・
完全なる ”建前(たてまえ)” です。
つまり ”戦争の真実” というものは・・・
国民たちは “国家権力者” のために 戦ってきたのであり・・・
“国家権力者” の ”利益” のために・・・
多くの国民たちは “命を捨てた” のです。
それが 人類が 繰り返してきた “愚かな歴史” でした。(※)
そして 権力者たちは・・・
国民の ”愛国心” を ”奨励する” 傾向が 強いのですが・・・
それは ”戦争” を 有利に 展開するための ”布石” であり・・・
国民を ”スムース” に ”戦場に送り込む” ための ”戦略” なのです。
私たちは ”過去の歴史” を 十分に 理解することが 必要であり・・・
決して 権力者たちに ”ダマされない” ことが 重要なのです。
そして 私たちは 現在 ”宇宙時代” に 突入していますが・・・
このような “国家” という “狭い枠組み” に いつまでも とらわれていては・・・
さらには ”愛国心” などを ”生きる支え” などに していることは・・・
今後 “普通に生きる” ことも ”危うく” なるようです。
つまり 人間として ”今後の世界” に ”通用しない” ことに なるのです。
私たちは この世界に ”何のために 生きているのか?”・・・
それは “国家権力者たち” のために・・・
自分たちが “誰かを殺す” のでは ないでしょう。
私たちは ”これまでのような意識” で 生きていれば・・・
いずれ ”権力者たち” に ”利用される” だけで・・・
この世界で “生きる意味も喪失する” ことに なるのです。
つまり 私たちは ”宇宙時代” に 突入した この時期に・・・
これまでのように “国家主義” を 中心にして 生きることは・・・
つまり ”愛国心” などという ”狭い考え方” に とらわれることは・・・
もはや “時代遅れ” であり・・・
それ自体が もはや ”ナンセンス” であると いえるのです。
そして この ”宇宙時代” に ふさわしい 発想というのが・・・
2500年前に “原始仏教” を 興していた・・・
“ブッダの教え” であると 言えるのです。
”ブッダの教え” とは・・・
人間 ”個人の欲望” や “個人の利益” から ”離れる” ことを 第一にしており・・・
それは その 延長上にある “国家の利益” も ”考えない” ことになります。
つまり “戦争” とは・・・
“国家の利益” を 守って 拡大させるために 起きるのであり・・・
ゆえに “ブッダの教え” とは・・・
”戦争の根本原因” を “完全に消滅させる” 思想なのです。
私たちは この世界で ”何のために 生きているのか?”・・・
それを 改めて 問い直す 必要があるようです。
そうでなければ 私たちは ”近い将来”・・・
さらには ”死後の来世” においても・・・
”人間同士” の ”殺し合いの世界” で 生きなければ ならなくなります。
私たちは 今こそ ”宇宙時代” を 強く 意識し・・・
これまでの ”誤った考え方” を ”根本から変える” ことによって・・・
人間としての “本当の生き方” を ”自覚する” 必要があるのです。
”宇宙時代” では ”国家意識” や ”民族意識”・・・
さらには ”愛国心” というような ”狭い考え方” で・・・
人間同士が ”殺し合っている場合” では ありません。
つまり 私たちは ”人類全体” を ”愛する” ことが 必要なのです。
そのことを 私たちは 現在 冷静に 自覚する 必要があるのです。
先月から このブログでは 人間の ”愛” について 考えて参りました。
そして ”本物の愛” というものは・・・
その 対象者を ”特定の個人” や ”特定の集団”・・・
つまり ”特定の国家” などに ”限定” するのではなく・・・
すべてに ”平等” に 与えることが ”本物の愛” であると 考えられました。
私たちは この人生では・・・
”本物の愛” を ”自覚” して ”実践” することで・・・
この世界で ”本当の意味” での・・・
”完成された人生” を 実現して 参りたいですね。
それが 自分自身が ”永遠の幸福” に 導かれることを 意味するのです。
(以上が 2018年の 記事の内容です)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
”洗脳状態” というものは 非常に 恐ろしいものであり・・・
日本を代表する 天才作家と 言われていた ”三島由紀夫氏” も・・・
”大日本帝国” による ”洗脳の犠牲者” だったようです。
数多くの 傑作小説を 執筆した 三島氏でしたが・・・
1970年11月に 日本を代表する 文化人としては 信じられないような・・・
日本政府への ”クーデター” を 画策することになり・・・
”自衛隊の軍事力” を 利用してまで 実行しようとしましたが・・・
自衛官たちからの 猛反発を受けて その場で ”割腹自殺” しました。
それは 当時の日本を 激震させた 大事件であり・・・
さらには 日本の文壇における あまりにも ”大きすぎる損失” でした。
では なぜ そのような 優秀な人物が そんな最期を 迎えたのか?
それは 彼が ”大日本帝国時代” に 青年期を 送ったからであり・・・
さらに 彼は ”非常に優秀な人物” で あったがゆえに・・・
”国家権力者(当時の皇室)” に ”非常に近い場所” で 生きたからのようです。
そこで 彼は ”国家への忠誠心” が 非常に 強くなり・・・
その ”強い意思” が 戦後になっても ずっと 残り続けたようです。
当時の ”国家への忠誠” というのは・・・
”天皇(神としての存在)” のために ”命を捨てる” ことでした。
そして 多くの日本人は ”自発的” に 地獄の戦場へ 赴いたのです。
さらに ”戦死すること” が ”最高の名誉” として 考えられたのです。
しかし 三島氏は ”身体の弱さ” が 理由で 最前線へ 送られずに・・・
彼は ”戦死すること” が 遂げられなかったのです。
そのことを 彼は その後も ”非常に悔やんでいた” と 伝えられていました。
つまり 彼は ”国家のために死ぬ” ことが ”最大の忠誠” と 考えており・・・
いつか 自分も ”国家のために死ぬ” ことが ”最大の美徳” だという・・・
”国家による洗脳状態” に 陥っていたことが 考えられます。
それで 彼は 戦後の日本が・・・
まるで ”アメリカの植民地” のような ”情けない状態” に 見えたのであり・・・
そこで 自分が 現在の日本を・・・
”過去の栄光” に 満ちていた ”大日本帝国時代に戻そう!” と 決意してしまい・・・
まさに ”暴挙” ともいえる クーデター計画を 実行したようです。
それが 三島氏が 陥ってしまった ”悲劇の真相” であると 考えられます。
三島氏のような きわめて ”優秀な人物” で あったとしても・・・
”国家による洗脳” からは ”逃れられなかった” という 現実があります。
私たちも これまでの 人生において そして 現在も・・・
”決して 間違ってはいない” と 考えていることが・・・
実は この世界の ”真理に反する” ことも あり得るのです。
現在 私たちは ”宇宙時代” に 生きているのであり・・・
これまでのような ”国家” や ”民族” を ”第一に考える” というような・・・
きわめて ”狭い思考法” で 生きる時代では ありません。
そして これまでのような ”オリンピック” に 対する ”幻想” も・・・
ここで きっぱりと ”捨て去る” ことが 必要なのです。
皆様も 現在の ご自身が・・・
”深刻な洗脳状態” に あることが 考えられます。
そして そこから ”脱出” するためには どうすればいいのか?
それが 原始仏教としての ”ブッダの教え” が 役立つのです。
つまり 私たちは この世界の ”真理” を 知ることによって・・・
自分自身の ”現在の状態” を 正確に 知ることができます。
そして ご自身が 現在 ”洗脳状態” に あることが ”自覚” できれば・・・
今後の 自分自身は ”どのように 生きるべきか?” が わかります。
さらには 今後も ”洗脳される危機” が 死ぬまで すっと続く・・・
そもそもの ”人間の状態” からも ”脱出してしまう” ことが・・・
ご自身にとっての ”最善の道” であることも おわかりになるでしょう。
(※) ”太平洋戦争の真実” についての 内容である・・・
”戦争の真実 と 原爆投下 2” の 記事は こちらから お読み下さい
”本物の愛” についての 内容である・・・
”愛 とは 平等 である” の 記事は こちらから お読み下さい
そして ブッダの教えの 実践方法である・・・
”八正道” の 解説記事は こちらから お読み下さい
また 2018年の記事は こちらです