身近に迫ってきました。。
遠方の友人が感染しました。
病院と保健所へ電話したのですが、家で安静に、と言うだけで、検査して貰えず、1週間ほどで熱が下がり、2週間で元気になったので治った、と言う認識です。。
感染源ははっきりしていて、友人と居酒屋で食事し、その友人は熱と味覚異常が出て、その後私の友人が発熱。
もう一人は親族が経営している会社の従業員の家族です。
その方は、やはり家で安静に、との指示で家で寝ているうちに急に悪化し、お亡くなりになってしまい、看病の家族にもうつってしまいました。
どの方も人数にはカウントされてないと思います、変死?と言う報道もありました。
これらを聞くとはっきり感染が確定すれば周囲に隔離や自宅待機が及び影響が大きいため、ジッと家で回復を待つ、と言うケースも意外に多いのではないかと感じます。
コロナ
WHOが、このコロナ感染症はパンデミックになったと言ったそうです。
最初の急激な拡大の起きた武漢は落ち着きを取り戻し、次々と工場が再開されるようで、ピークと言える時期は僅か2か月ほどだった、と言う今のところの状況。
各国が中国全土からの外国人の入国を早々に制限する中、日本だけは湖北省に限定し、その分、多くの感染者が入ってきて国内に広がりました。
世界で一番多いのはもちろん中国だけれど2番は日本だ、日本と日本人は危険、と言う認識を与えたのですが、今はどうでしょう。
意外な事にそれほどまでの爆発的拡大にはならず、韓国 イラン イタリアに抜かれ、ぼちぼちと言った感じ。
そして注目すべきはこれから広がるであろう欧米やその他の国々です。
果たして次々と日本を抜き去って感染者を増やしていくのかどうか。
台風や地震などなど自然災害の大国である日本。
感染症と言う見えない害に対し、どう対処できるのか、よくやったと言われるような、国内から見ても、国外から見ても、そして将来の検証に対しても、さらには過去の先祖に対しても、まずまずできたよと言われるような対峙になる事を祈ります。
いつか冷たい雨が
久しぶりの更新です。
歌手 イルカ の いつか冷たい雨が の一節なのですが、
♪ 小さなオリに閉じ込めて バカにしたり 汚がったり
人間だけが偉いんだ なんて事だけは思わないで下さい ♪
♪ 私が土になったら お花達よ そこから咲いて下さい ♪
この歌詞は 非常に日本の文化を表していると思います。
人間は死んだあと、最後の審判で復活し、永遠の命を得る事になっていますので、死体は大切に保存しなければならないのですが、これはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通です。
ですので 焼き殺す = ホロコースト (ナチスの虐殺はそのひとつ) は最も残虐です。
ヒトが土になり、お花達と言う次の命に繋がるのは日本的発想ではないでしょうか。
輪廻と言う仏教の考え方も近いのかも知れませんが、そこには花という思想は出て来ない気がします。
そしてもう一つの人間観としては、神に似せて作られた、というのですから、歌詞にある、人間だけがエライ、という事です。
そこから人は自尊心を持ち、他をバカにしたりできる、許される、という事が出てくると思います。
すると差別してしまう。
出発点が、人間だけが偉い、訳ですので、これは避けられない。
価値観の根底のところが違う。
正しいとか言うことでなく、違いがあるという事実については、他の国の人々に認識してほしいです。
ご自分の名前が イルカ になったのは偶然のようですが、クジラ の問題とも関係してくると思いますので何か不思議です。
権力を持つには、人々の自尊心に訴えるという方法があり、日本も例外ではないと思いますが、その内容は同じではないという事だと思います。
狼
人間は互いに狼である。
ホッブズは、互いに狼のままでは安心して生活できないため、王や議会に権限を与えて統治させる社会契約説を唱えました。
狼である状態は、また、万人の万人に対する闘争とも言われるようです。
現在の社会は競争を発展の推進エンジンとしていますが、もはや競争は闘争となり、生活を脅かしさえしてきているように感じます。
日本の文化では対立はケガレを生じ秩序を乱すため避けるのですが、狼から人になる知恵とも言えそうです。
狼であれば緊張を強いて安らぎを奪い、ストレスを生んで体調は戦闘モードに切り替わり、執着的になります。
こーだ、あーだ、との批判は粘着質になっていて、ストーカー的でネット依存のような状態です。
対立はこころの健康を奪うだけでなく、体の健康も損ないます。
狼の闘争を減らす知恵として社会契約と言うようなことを持ち出さずとも、ぎすぎすする対立は避けた方が良いよね、という和の文化で紛争を解決し人類に貢献する可能性がある気がします。
ヤンとピケティ
初のアジア系大統領候補 台湾系のヤンは、最低所得補償、ベーシックインカム月額10万円給付を主張し人気があるようです。
一方、資本主義がうまく機能しなくなってきた、と言っていたピケティも、何と25歳になったときに1000万円ものお祝い金を支給をしてはどうか、と提案し注目されます。
新著はまだ英語版も出てないので日本語版はまだまだ先でしょうけれども、他には、取締役の半数を労働者に割り当てる、大株主であっても議決権は最大10%までとする、などを改善策に掲げます。
企業は決算で損益計算書と貸借対照表を作成しますが、富裕層であっても個人の税額を計算するときは確定申告をするだけです。
つまりこれは損益計算書だけですので、一定額の収入のある人はその資産についても申告し、資産税を徴収すればよい。
企業についても、法人税は利益に対する税なので、資産に対する資産税も取れるはずです。
富裕層からの税金で再分配を行い、経済を活性化できます。
多くの人がお金を使う事で経済を良くできるのに、富裕層に収入が集中し、経済の停滞する原因になっています。
ヤンとピケティの主張に人気があるのは、人々の社会や経済の発展への希望を持たせてくれるからではないでしょうか。
磁気嵐
磁気嵐の危険が指摘されています。
太陽の活動が活発になったとき、磁気が乱れオーロラが発生するらしく、通常は北極や南極の近くで見られるようですが、2015年には北海道で11年ぶりに観測されたそうです。
1989年の大規模な嵐ではカナダ、ケベック州で全戸が停電しました。
歌人、藤原定家の日記に、1204年、京都で1週間の間に何度もオーロラが見えたことが書かれています。
1770年にも同様の記録があり、これは世界的に有名な1859年のものより2割ほど強い磁気嵐だったようです。
電気と無関係に作動しているインフラ、水道やガスなどなどは皆無でしょうから、世界中が大混乱となり、復旧に数年かかると言うより、回復不可能な部分も相当に出てきそうです。
2012年の太陽の爆発では、9日差で地球は直撃を免れました。
100年に一度の大雨が毎年降る昨今、磁気嵐に襲われるのはいつか、と言う状況にあるようです。
未就学の子供
外国にルーツのある15歳までの義務教育の年齢の子供は日本に12万人いて、そのうち2万人ほどは未就学と推定される、と言う報道がありました。
いまの行政の仕組みではこの子供を就学させるシステムがなく、確かにその子供たちに教育の機会を与える必要はありそうです。
さらに記事では、高校の年齢の子供について、親の事情で就学できていないケースについても支援が必要だとしていました。
ではもし母国にいればどうかと言えば、ほぼ就学は難しい状況のようですが、しかし欧米なら就学支援の制度は充実しているようで、それが日本には不足だ、と述べています。
しかし。
日本の子供についても義務教育の後は家庭の問題な気がします。
義務教育の年齢の子供さえ就学させる仕組みがないと言っているのに、その年齢を過ぎた子供については、強制することなどできません。
文化の違い、価値観の違いを尊重すべきです。
高校くらいは、は、日本の子供にさえ押し付けになるのに、そうでない人にまで強要するのはそれこそ人権侵害です。
多様性の否定です。
記事では、本人は行きたがっている、それを親が許さない、との取材を紹介しています。
その親子間の仲介をする場があってもいいかも知れませんが、一方的に自分の考えに従わせるべきではない。
話を聞いてあげる、と言うところまでではないでしょうか。
価値観の押し付けは、戦争を経て非常に危険だと私たちは学習したはずなのです。
学校も休みになる祝日は気になる所ですが、2月23日はまだ平成だったため天皇誕生日は今年はなし。
これが逆なら、年2回になるのでしょうか、何だか重みが薄れるような。。
核
北朝鮮は核開発を武器に国際社会に挑み続けています。
さて、人権は人類共通の普遍的な尊厳を守る権利、なのでしょうか。
すると、地球上のすべての人は人格を尊重されることにおいて平等でなければならない筈です。
しかしその理想を阻む様々な現実があり、そのひとつはこの核の問題です。
米国は核を持っているが北朝鮮は持っていない、これでは対等な対話、例えば南北戦争終結への交渉は成り立たない、と言う理屈でしょう。
常任理事国、米英、露、仏、中国は核を持つことが許され、インド、パキスタン、イスラエルの例外を除けば他の国は持てない。
国として格差がある、ということは、その国で一定の政治的権力を有するすべての国民は、そうでない国の人々とは同じではないことを意味します。
グローバル化の進む中で、人間が一つの町で暮らしていると仮定すれば、その人々だけは拳銃を持ち歩き、それをちらつかせ、そうでない人々はその言わば指導的立場の幹部に従わざるを得ない。
一種の奴隷とまでは言わないにしても、階級が存在していると言えます。
上の階球と下の階級。
現実問題として必要悪だという事なら、ぺナルティを負うべきです。
ユーロ
英国のEU離脱が前進したようですが、世界史の中で、やはり欧州は特別な位置を占めると思います。
欧州各国間の紛争が絶える事はなく、やがてそれは欧州外の世界をも巻き込みました。
争いをなくすにはどうすればいいか、と言う理想を求めざるを得ない状況を背景に、EUに結実していきます。
そしてユーロが誕生しました。
米国の覇権と基軸通貨ドルは不可分で、政府が発行するドルで世界中の原油を含むすべてのものやサービスが購入できます。
基軸通貨国でない国で輸入が輸出よりも多い赤字が増えれば、その通貨はやがて下落しますが、ドルだけはいくら輸入を増やしても下落しません。
全ての国がドル紙幣を受け取るからです。
フランスはこれと同じ強い通貨を持ちたいと考え、ドイツを説得して自国の弱さを補うシステムの構築に成功しました。
第二次大戦はドイツと日本が米英と戦いましたが、日独の生産力が強くなってきたため、叩かれた、と見る事もできます。
その証拠は、戦後のこの両敗戦国の経済発展を見れば分かります。
輸出力が増し、通貨が強くなれば今度は価格競争力が下がりますから、為替は均衡します。
しかしドイツにとってユーロはいつまでもこの通貨高が起きない訳ですので、輸出を増やし続けられるメリットもあります。
為替変動による輸出入の不均衡是正装置が働かないという、非常に厄介な、その厄介さによって結局は軋轢の起きてしまう、そういう仕組みがユーロな気がします。
ひとつの欧州は理想かも知れませんが、共通通貨と言う為替の固定化によって経済力の不均衡が是正されないなら、いつかは再び分裂するしかないのではないでしょうか。