核 | xyavのくしゃくしゃブログ

北朝鮮は核開発を武器に国際社会に挑み続けています。


さて、人権は人類共通の普遍的な尊厳を守る権利、なのでしょうか。


すると、地球上のすべての人は人格を尊重されることにおいて平等でなければならない筈です。


しかしその理想を阻む様々な現実があり、そのひとつはこの核の問題です。


米国は核を持っているが北朝鮮は持っていない、これでは対等な対話、例えば南北戦争終結への交渉は成り立たない、と言う理屈でしょう。


常任理事国、米英、露、仏、中国は核を持つことが許され、インド、パキスタン、イスラエルの例外を除けば他の国は持てない。


国として格差がある、ということは、その国で一定の政治的権力を有するすべての国民は、そうでない国の人々とは同じではないことを意味します。


グローバル化の進む中で、人間が一つの町で暮らしていると仮定すれば、その人々だけは拳銃を持ち歩き、それをちらつかせ、そうでない人々はその言わば指導的立場の幹部に従わざるを得ない。


一種の奴隷とまでは言わないにしても、階級が存在していると言えます。


上の階球と下の階級。


現実問題として必要悪だという事なら、ぺナルティを負うべきです。