経済政策(’22) | 夜半の月

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常ならむ 此の世と言えど あまりにも 想いはただに 夜半の月とは【自作】

徒然なるままに、医療や法律や経済や和歌などや音楽や映画やツーリングやエビアクアリウムについて書いて行こうと想います。研究者の目から見ての大学や受験についても書きます。

 

さて経済政策を考える際には当該対象国民の一般的行動原理と経済理論が重要となる

 

それは国民自体の嗜好と行動原理が認識されないと政策が目指す方向へ国民の行動も経済活動も成果も得られないからで有る。経済理論には基本的にハイエクなどやシカゴ学派などを中心にした7つの学派を無理に統合した新古典派経済学と実証実験と実証分析して確立されて現代経済体制を構築したケインズ経済学と同様に人間分析と徴税吏の知識とを援用して確立したアダムスミス経済学と緻密に経済活動を分析して確立したマルクス経済学が有る。現代経済がケインズ経済学に依拠して構築され運用されている状態で現代社会で主流となっている新古典派経済学による経済政策は全て無効で失われた40年になっている。

さて、新古典派経済学の問題点は市場原理主義で夢想家後転的市場修正でハイエクはケインズと論争して対立する立場と言える。それは理論を仮想写像世界でのみ考える夢想家ハイエクと、理論を現実実像世界から構築する思想家ケインズとの対立で、そこから経済から法律や政策を考える際への立場の違いが発生する。この市場原理主義の夜警国家をアダムスミスの諸国民の富が基と言ってる無知がいるが、この思想はハイエクなどでアダムスミスは情報と資本力の非対称性から市場は適切に規制すべき唱えている。

 

 

 

 

ところで先日記述した通りにチッソ水俣事件や紅麹事件など企業活動や医療や介護の現場では後転的解決では発生した被害の影響を考えると市場原理主義がダメな事は明らかで有る。故に前転規制で市場では適切な規制が必須だと言えよう。

 

 

そしてアダムスミスが前提としている人物像は長期的視野に立つ利己主義者で道徳感情論が前提で有る。

 

 

 

底の浅い解釈で経済体制を論じる人間では資本主義と社会主義は対立した体制で扱われるがマルクスが資本論で史的唯物論から資本主義が高度に発達して資本主義の経済システムが桎梏と化した時社会主義から共産主義へと進化すると述べていて革命が起こったドイツに期待を寄せたが上手くいかず落胆して三流の農業国家で労働者がほぼいないロシアや中国など眼中に無かった。

コレら理論を踏まえた上で経済政策は主張して欲しいものだ。

そもそも新古典派経済学が価格均衡や労働市場均衡でグラフを出して来るが私や友人は理系なんで数字の入ってないグラフを見ると失笑してしまうし、その変なグラフをなんか積分や微分で分析しているのを見ると本当に憫笑してしまう。