障害児・障害者心理学特論(’19) | 夜半の月

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常ならむ 此の世と言えど あまりにも 想いはただに 夜半の月とは【自作】

徒然なるままに、医療や法律や経済や和歌などや音楽や映画やツーリングやエビアクアリウムについて書いて行こうと想います。研究者の目から見ての大学や受験についても書きます。

 

さて本論は厳密に言えば機能的脳機能障害と器質的脳機能障害を取り上げて臨床心理学的極一部の視点からしか取り上げていないので、もし学位論文や査読付論文だと審査対象外として却下されるか題名変更と内容充実を要求されるか学位論文自体不合格となるだろう。

因みにウチの学派や私の界隈にはギフテッド持ち発達障害ー高機能自閉症が多かったが、彼や私がこういう定型発達の方々をどう見てるかをついでに指摘していきたいと考える。

低機能発達障害については極めてきめ細かい支援が必要だとは考えるがそれは出来ない事への支援だけで出来る事を伸ばす事と他者への共感性の不足とコミュニケーションの欠落は敬語を中心とした言葉使いの支援をすればかなりマシになる。昔は職人にする事で上手く社会に溶けこましていた。現代でも職人的仕事は多数あってそういうところへの就職支援が重要になってくるであろう。

 

ギフテッドにとっての初等中等教育は怠いの一言で本人の習得状況から高等教育を受けられるようにすべきであって、でないと怠くて寝てたりするか外へ遊びに行くか読書してるしか無くなる。だいたい1回読んだり聴いたらしたら覚える人間にとって単純な初等中等教育の何処に興味や知的好奇心を満たす内容が有るのか甚だ疑問にくらい推量して欲しいものだ。ウチみたいに小学生の時点で高校や大学行ってる兄弟や従兄弟がいると確実にその参考書や教科書読んでいるので小学校や中学校で習う内容はバカにしか見えない。特に教育学部出身や地方国立大学出身の教員のレベルの低さには呆れるのと平常点重視で知ってるからノート取って無い高機能自閉症やギフテッドの生徒から点数を引く非常識さと相俟って未だにムカついている奴が結構いる。

定型発達者は20歳が能力のピークなので大学教育も限界を迎えるのが早く就職しか無くなるが少しでも大学で学んだことで社会に役に立っていくのがやりがいだと思うことにしている。

 

 

パラリンピック見てると死にかけの末期喘息患者からすると障害者に生きてるだけでやっとの障害者が多数の中で頑張る事を要求するな。頑張る事を要求する風潮を創るな。パラリンピックの思想はナチスドイツの第二の大罪の障害者抹殺の思想と何ら変わらないことを認識しろと考える。