写経屋の覚書-フェイト「今回は9月5日に行なわれた李化甫の第2回尋問だね」

写経屋の覚書-はやて「ここで得た情報と金九供述の矛盾を突くんやな」

写経屋の覚書-なのは「そういうことだよ。じゃ、見ていくよ」

写経屋の覚書-李化甫供述2_1
写経屋の覚書-李化甫供述2_2

   李化甫 再招

問当初에金昌洙가与誰某幾名으로汝家에同留라가日人을殺害写経屋の覚書-ha17얏스며汝与昌洙로本有前面耶아

供鴟河浦을渡来ㅎㄹ時에同行人이十七名이옵더니渡津後에十三名은他処로向去写経屋の覚書-ha17옵고同昌洙가与三人으로同到矣家写経屋の覚書-ha17야留写経屋の覚書-ha17옵다가日人을殺害写経屋の覚書-ha17写経屋の覚書-ssa17으며本与昌洙로未有前面이의다

問金昌洙가行凶写経屋の覚書-har17時에同行三人도並力行凶写経屋の覚書-ha17얏스며伊時凶器写経屋の覚書-nan17何許物品耶아

供金昌洙行凶時에同行三人도亦為作梗写経屋の覚書-ha17옵기挽留次近進写経屋の覚書-ha17은즉同昌洙가驟来一打写経屋の覚書-ha17옵더写経屋の覚書-ha17同行三人中에一人이出言曰此漢도打殺写経屋の覚書-ha17리라写経屋の覚書-ha17고欲打写経屋の覚書-ha17기에逃走写経屋の覚書-ha17写経屋の覚書-ssa17오며伊時黒夜에咫尺을難弁이은즉凶器写経屋の覚書-nan17何許物品인지未詳的見아의다

問金昌洙가自称義兵이라写経屋の覚書-ha17믄日人을殺害ㅎㄴ前耶아後耶아

供日人殺害写経屋の覚書-han17후에左統領金某라写経屋の覚書-ha17는書函을出視写経屋の覚書-ha17더니다

建陽元年九月五日      起草書記朴永来


李化甫 第2回尋問

問 最初金昌洙が誰、何人とお前の家に泊まっている時に日本人を殺害し、お前と昌洙は前に会ったことがあったのか。

供 鴟河浦を渡った時、同行者は17人いたが、渡った後13人は他所へ向かって行き、昌洙が3人と私の家に到着して泊まっている時に日本人を殺害した。昌洙とは前に会ったことはなかった。

問 金昌洙が凶行に及んだ時、同行者3人も協力して凶行に及んだが、この時の凶器はどんなものだったか。

供 金昌洙が凶行に及んだ時、同行の3人もまた妨害して引き留め、近づいて進ませないようにし、金昌洙が駆けてきて殴ったら、3人の中の1人がこいつも打ち殺せと言って打とうとするので逃走したのであり、この時夜中で近い距離も見えにくく、凶器がどんなものだったかは詳しく見ていない。

問 金昌洙は義兵を自称したが、日本人を殺害する前だったか、後だったか。

供 日本人を殺害した後左統領金某という書状を出して見せた。


写経屋の覚書-フェイト「金九の同行者3人、えーっと鄭一明・金長孫・金致亨も犯行に協力したんだね。土田が逃げられないように立ち塞がってとおせんぼとかスクラム組んだのかな?」

写経屋の覚書-はやて「ほんで足止めされた土田に金九が駆けよってきてどついたんやな。同行者3人の誰かが「こいつもいてまえー」って李化甫に迫ったんで、李は逃げた言うんやね」

写経屋の覚書-なのは「獄長が『金九は誰を殺したか(三)』でこういうことを言ってたんだけど、その答えも出たね」

んー、質問者が「金昌洙が巨事をする時」で、李化甫が「金昌洙が犯行をやらかす時」ねぇ・・・。(笑)
ハングル翻訳版じゃなくて原文見たいな、やっぱ。

写経屋の覚書-フェイト「うん。取調官が『金昌洙가行凶写経屋の覚書-har17時』つまり直訳なら『金昌洙が凶を行ないたる時』、こなれた日本語に直すと『金昌洙が凶行に及んだ時』だね」

写経屋の覚書-はやて「李化甫が『金昌洙行凶時』、これも『金昌洙が凶行に及んだ時』で、要するに両方とも『金昌洙が犯行をやらかす時』やね。巨事は朝鮮語で途方もない仕事、偉大な所業ちゅうええ意味やねんけど、ハングル版で原文を意訳しよったんかな?」

写経屋の覚書-なのは「現在はハングル版が見られないから推測するしかないんだけど、ハングル表記で巨事は거사、犯行は범행、凶は흉だから、機械翻訳特有の漢字間違いでもなさそうだしね。都合よく『意訳』したと見た方がよさそうだね」

写経屋の覚書-フェイト「やっぱり朝鮮近代史の史料取扱いでこういう詐術を仕掛けてくるんだね…」

写経屋の覚書-はやて「以前よう言われとったなぁ。韓国政府は漢文で書かれた自国の史料をハングル訳する段階で、都合の悪いところは適宜に改竄して自国民を騙しとるって…さすがに全部が全部そうやとは思えへんけど…」

写経屋の覚書-なのは「ハングル版を機械翻訳するさいの錯誤を不勉強な日本人があげつらったりとか、そもそも韓国側が漢文からハングル訳する際にまちがったってこともありえるとは思うんだけど、今ここに実例が出てきたわけだよねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「あー、ハングルをある程度読めたり、同音異義語の漢字間違いの存在を知っとったら避けられる早とちりいうんはあるやんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「一つでも実例があると他のも疑われても仕方ないよねぇ。ま、史料原文を読めば問題なんて起きないんだけどねw」

写経屋の覚書-フェイト「原文で読もうとすることは大切だよね。取調官が金九が義兵と名乗ったのは殺害の前か後かと尋ねてるけど、どういう意図なんだろう?」

写経屋の覚書-はやて「先に義兵と名乗って殺害したんやったら、土田が多額の金銭を所持しとることをあらかじめ知っとって、金銭目当てに土田殺害を計画、ほんで金銭目当てを隠すために義兵の行動と見せかけるつもりやったん(ちゃ)うかちゅう疑いが出るん(ちゃ)う?」

写経屋の覚書-なのは「うーん、それなら殺害後に義兵を名乗っても変わらないと思うよ。じゃ、今回はここまでにして、次回は同じ日に行なわれた金九の第2回尋問を見るよ」

鴟河浦事件に関する報告(1)
鴟河浦事件に関する報告(2)
鴟河浦事件に関する報告(3)
鴟河浦事件に関する報告(4)
金九は何を供述したか(1)
金九は何を供述したか(2)
写経屋の覚書-はやて「今回は金九の第1回尋問やね!楽しみやわぁ」

写経屋の覚書-フェイト「はやてちゃん、かなり期待してたんだね」

写経屋の覚書-はやて「そら、海州府取調では鴟河浦事件のこと否認しとったのに、李化甫も逮捕尋問されて知らんぷりが通じへんようになった後の供述やからね。何言いよんのか楽しみやん」

写経屋の覚書-なのは「あははは。じゃ、1896(建陽元)年8月31日の金九の第1回尋問、始まります」

写経屋の覚書-金九供述1_1
写経屋の覚書-金九供述1_2
写経屋の覚書-金九供述1_3

 海州居金昌洙年二十一 初招

問 汝之行事写経屋の覚書-nan17已有李化甫明的指告写経屋の覚書-ha17니以実直告写経屋の覚書-ha17

供 矣身이本年正月二十四日에自龍崗으로向安岳時에中路에셔逢平壌居鄭一明과咸境道定平居金長孫과同郡居金致亨写経屋の覚書-ha17야同船越鴟河浦写経屋の覚書-ha17와店主李化甫에게尋到写経屋の覚書-ha17야夕飯을喫写経屋の覚書-ha17고穏宿写経屋の覚書-han17後清晨에早飯을畢写経屋の覚書-ha17고離程写経屋の覚書-ha17写経屋の覚書-ha17写経屋の覚書-ap17写経屋の覚書-nan17写経屋の覚書-thai17店幕法意가床次를行人에老少를分別写経屋の覚書-ha17야進次写経屋の覚書-ha17写経屋の覚書-ap17写経屋の覚書-nan17写経屋の覚書-thai17其中断髪写経屋の覚書-ha17고佩刀写経屋の覚書-han17殊常写経屋の覚書-han17人이坐写経屋の覚書-ha17야先次로달나写経屋の覚書-han17즉店人이先給食床写経屋の覚書-ha17写経屋の覚書-ap17기에心甚憤然写経屋の覚書-ha17야其人의根抵를採探写経屋の覚書-ha17은즉果是日人이옵기에不共戴天之讐를思写経屋の覚書-ha17옵고腔血이突起写経屋の覚書-ha17야即地日人売目之際에以足으로推蹴写経屋の覚書-ha17야顛사後以手로打殺写経屋の覚書-ha17야投之江氷写経屋の覚書-ha17엿스며同来人三名으로如干財銭을担来写経屋の覚書-ha17야店主에게八百金을任置写経屋の覚書-ha17고其外銭貫은三名이路資로請求写経屋の覚書-ha17옵기給与以送写経屋の覚書-ha17고矣身은日人의環刀를奪取写経屋の覚書-ha17고驢子一匹을給価七十五両買家写経屋の覚書-ha17야単騎로向載寧而去라가同年五月에還到矣家러니海州巡捕에게現捉写経屋の覚書-ha17야到此写経屋の覚書-ha17온事

建陽元年八月三十一日
仁川港警務官金順根
罪人 金昌洙    


 海州居住 金昌洙 21歳 第1回尋問

問 お前の行なった事は已に李化甫が明らかに言ったことがあるので正直に言え。

供 私が今年の正月24日に龍崗から安岳に向かった時、途中で平壌居住の鄭一明と咸境道定平居住の金長孫と同郡居住の金致亨に逢い、同じ船で鴟河浦に来たので、店主李化甫を尋ねて夕飯を食べ宿に泊まった。次の早朝に朝飯を食べ終えて出発しようとしたが、店幕のきまりが、食膳を配膳する(床次를行)際、旅人の年齢を分別して順に進めていくのに、その中に断髪して佩刀した怪しい(殊常)人が坐っており、順番を先にするよう言うと店員が先に食膳を出したので、心は甚だ憤然とし、その人の根底を探ると果して日本人であったので不倶戴天の仇と思って体内の血が突起した。
そこで、日本人がよそ見をした時に足で蹴飛ばし倒しその後は手で打ち殺して凍った川に投げ込んだ。同行の3人で若干の金銭を持ってきて、店主に800両を任せ、その他の金銭は3人が路銀として要求したので渡した。
私は日本人の刀を奪って驢馬1匹を75両で買い、乗って載寧に向かって行き、5月に家へ帰ってきて、海州巡捕に逮捕されてここに至る。

建陽元年8月31日
仁川港警務官金順根

写経屋の覚書-フェイト「取調官の金順根が「既に李化甫が明らかに言ったことがあるので」って言ってるのは、前回に見た李化甫の尋問のことだね」

写経屋の覚書-なのは「うん。ここでは、金九は1人で殺害と死体遺棄を行ない、土田の所持金から同行者3人に路銀を渡して残りの800両は李化甫に任せたって言ってるんだよ」

写経屋の覚書-はやて「『白凡逸志』で主張しとった、土田譲亮は陸軍軍人だ!なんてことはどこにもあらへんね」

写経屋の覚書-なのは「うん。獄長も触れているけどどこにも見当たらないね。それと5月に逮捕されたと言っているのは間違いじゃなくて、旧暦で言っているんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、逮捕された1896(建陽元)年6月21日は、旧暦だと…5月11日になるんだね」

写経屋の覚書-はやて「海州府での取調でも金九は旧暦で話しとったなぁ。まぁ李化甫の供述ともそんなに変わらへん内容やね」

写経屋の覚書-なのは「このあたりではまだ金九供述と李化甫供述の整合性が取れるんだけどね…きりがいいので今回はここでおしまいにして、次回は9月5日に行なわれた李化甫の第2回供述を見るね」

鴟河浦事件に関する報告(1)
鴟河浦事件に関する報告(2)
鴟河浦事件に関する報告(3)
鴟河浦事件に関する報告(4)
金九は何を供述したか(1)
写経屋の覚書-なのは「国債報償運動も終わったし、今回からは鴟河浦事件について再開するよ」

写経屋の覚書-はやて「おっ、金九の薬屋殺しやね。前は海州府での報告供述を見たけど、今回はどんなん見るん?」

写経屋の覚書-なのは「1896(建陽元)年6月21日に逮捕された金九は、海州府での取調べの後、仁川に移送されたんだけど、今回からはそこでの取調べ内容について見るなの」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?獄長日記で取り上げてなかった?」

写経屋の覚書-なのは「うん。金九は誰を殺したか(三)で、韓国IDから紹介されたハングル版を機械翻訳した、というかたちで取り上げていたね」

写経屋の覚書-はやて「2006年2月のエントリーか。もう、6年半も前のことになるんやねぇ…で、獄長が取り上げとるもんをわざわざ取り上げるっちゅうことは、これまでの例に照らしたら、史料原文そのものを入手したってことやろね?」

写経屋の覚書-なのは「さすがはやてちゃん、話が速い。『白凡金九全集3』(白凡金九先生全集編纂委員会 1999)に収録されているのを見つけたから複写・写経したんだ」

写経屋の覚書-フェイト「え?獄長は出典は国家報勲処の「『独立運動史資料集11/義烈闘争史資料集』(らしい)」って言ってたよね?」

写経屋の覚書-なのは「そっちも調べたけど収録されてなかったんだよ。獄長にこの史料の存在を教えた韓国IDか獄長の勘違いだったのかもしれないね」

写経屋の覚書-フェイト「ウィキペディアの『鴟河浦事件』の項目を見ても、どうやら獄長日記とこの史料のハングル版の翻訳版をもとにしたままで史料原文には踏み込めてないし、紹介する価値はあるってことかな?」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。ウィキペディアの朝鮮の近現代史に関する項目については、獄長日記を参考にして、獄長の引用した史料もそのまま紹介していたものが多いんだよ」

写経屋の覚書-はやて「あー、2007年の年末に『独自研究の排除』言うて全部消去されたんやけど、それまではウィキから獄長日記へぎょうさんリンク貼ってあったもんなぁ。森林令施行規則(一)の枕で「人のブログ参考にして史料パクるだけで、リンクは外すってのがムカツクのは事実」って書いてたんは、数年後に作者もようわかるようになったんやて」

写経屋の覚書-フェイト「パクられるほうの立場になったからね。でも、パクる人が出現するほど知名度は高くないし、もう朝鮮ネタの需要も下火だろうから、杞憂だと思うよw」

写経屋の覚書-なのは「フェイトちゃん、言うことがきついねーw じゃ、まず1896(建陽元)年8月31日の李化甫の第1回尋問の内容を紹介するよ」

写経屋の覚書-はやて「え?李化甫って宿屋の主人やろ?なんで金九やなくてそっちの尋問が先なん?」

写経屋の覚書-なのは「金九と李化甫の尋問内容を見ると、二人の第1回尋問・第2回尋問は同じ日に行なわれているんだけど、どうやら先に李化甫の訊問をして、そこで得た情報を金九の供述と突き合わせて問い質すって流れなんだよね。だから先に李化甫の訊問を見るの」

写経屋の覚書-フェイト「李化甫も一応容疑者扱いなんだね」

写経屋の覚書-はやて「あー、前にも言うとったなぁ。共犯者やから800両を任せられたいう可能性もあるわけやしね。しかも事件直後3月の平原警部訪問と6月の渡邊巡査訪問時には逃亡しとるし、疑われんのもしゃーない言うたらしゃーないやんね」

写経屋の覚書-なのは「うん。この時点での論理的可能性としては、純然たる目撃者なのか、共犯者で分け前にあずかったのか、いちおう両方ともあり得るってところなんだよね。じゃ、見ていくよ」

写経屋の覚書-李化甫供述1_1
写経屋の覚書-李化甫供述1_2
写経屋の覚書-李化甫供述1_3

 安岳郡鴟河浦店主李化甫年四十八 初招

問 日本人土田譲亮被害事汝矣店主로金昌洙行事를当詳見写経屋の覚書-ha17엿스리니無一隠諱写経屋の覚書-ha17고従実直■写経屋の覚書-ha17

供 矣身이本土店主이옵더니本年二十四日晩後에名不知日人一名이与通辞児一名으로来到写経屋の覚書-ha17야買食夕飯写経屋の覚書-ha17고休息之際에匪徒金昌洙가率匪党四名写経屋の覚書-ha17고自龍崗으로越津而去이오며行人十三名도一時諧来写経屋の覚書-ha17야請夕飯故로炊飯以進이러니日人則与船人으로休宿次出往船泊処写経屋の覚書-ha17고通辞児一名과船人一名은憩宿于矣店而金昌洙偕来人도同為留宿이다가及其天明時写経屋の覚書-ha17야催飯会喫之際에日人도回倒矣店写経屋の覚書-ha17야喫飯後居無何에通辞児가以汲汲様으로突入内庭写経屋の覚書-ha17야言写経屋の覚書-ha17되方将日人과匪徒가闘鬨写経屋の覚書-ha17야事甚危急写経屋の覚書-ha17니追往救護写経屋の覚書-ha17写経屋の覚書-ha17옵기聞甚驚駭写経屋の覚書-ha17와出門視之写経屋の覚書-ha17니金昌洙가日人을拘執乱打写経屋の覚書-ha17옵기欲為挽留写経屋の覚書-ha17온즉矣身을反為恐嚇殴打写経屋の覚書-ha17야不敢近接이옵고旋踵傍見写経屋の覚書-ha17온즉金昌洙가日人을打殺写経屋の覚書-ha17야曳棄江辺写経屋の覚書-ha17옵고環刀一柄을奪取仍佩写経屋の覚書-ha17며驢一匹을買得騎往写経屋の覚書-ha17야不知所向이오며日人殺害写経屋の覚書-ha17믄金昌洙가分明写経屋の覚書-ha17온事

建陽元年八月三十一日
仁川港警務官金順根
罪人 李化甫   

写経屋の覚書-なのは「作者が訳したものをつけるよ」

 安岳郡鴟河浦 店主 李化甫 48歳 第1回尋問

問 日本人土田譲亮が害された事件、店主は金昌洙の行なった事を詳しく見たはずだから何も隠さず正直に言え。

供 私は店主で今年の正月24日の晩、名前を知らない日本人1人と通訳1人が来て、夕飯を買い食べて休息した際、匪賊金昌洙が匪賊徒党4人を率いて龍崗から渡し場に来た。旅人13人も一時に来て夕飯を要請するので、飯を炊いて給仕していたら、日本人が船員とともに宿泊しようと停泊している船に行き、通訳1人と船員1人が宿に宿泊することになった。
金昌洙は同行者と宿に宿泊し、夜が明けると飯を催促し、食べようとするときに、日本人が宿に帰ってきて飯を食べた後そのまま座っていた。しばらくのち通訳が急いで内庭に来て「日本人と匪賊が争っていて、事態はたいへん危険だから来て助けてほしい」と言った。それでたいへん驚き門を出て見てみると金昌洙が日本人を掴んで執拗に殴っていて、引き留めようとしたが私はかえって怖くなり殴打するのを敢えて近づかず踵を返して傍観すると、金昌洙が日本人を打ち殺して引き摺り川に投げ込み、刀1本を奪い佩びて驢馬1匹を買って乗り去ったので、どこに向かったかは知らないが、日本人を殺害したのは金昌洙というのは明らかなことだ。


写経屋の覚書-はやて「李化甫は最初は現場におらんかったんやな」

写経屋の覚書-フェイト「土田の雇っている通訳の林学吉が事件を知らせたので駆けつけたってことだね」

写経屋の覚書-なのは「今回はかなり短いんだけどここまでにして、次回は同じ8月31日に行なわれた金九の第1回尋問を見るよ」

鴟河浦事件に関する報告(1)
鴟河浦事件に関する報告(2)
鴟河浦事件に関する報告(3)
鴟河浦事件に関する報告(4)