「国債報償運動も終わったし、今回からは鴟河浦事件について再開するよ」
「おっ、金九の薬屋殺しやね。前は海州府での報告供述を見たけど、今回はどんなん見るん?」
「1896(建陽元)年6月21日に逮捕された金九は、海州府での取調べの後、仁川に移送されたんだけど、今回からはそこでの取調べ内容について見るなの」
「あれ?獄長日記で取り上げてなかった?」
「うん。金九は誰を殺したか(三)で、韓国IDから紹介されたハングル版を機械翻訳した、というかたちで取り上げていたね」
「2006年2月のエントリーか。もう、6年半も前のことになるんやねぇ…で、獄長が取り上げとるもんをわざわざ取り上げるっちゅうことは、これまでの例に照らしたら、史料原文そのものを入手したってことやろね?」
「さすがはやてちゃん、話が速い。『白凡金九全集3』(白凡金九先生全集編纂委員会 1999)に収録されているのを見つけたから複写・写経したんだ」
「え?獄長は出典は国家報勲処の「『独立運動史資料集11/義烈闘争史資料集』(らしい)」って言ってたよね?」
「そっちも調べたけど収録されてなかったんだよ。獄長にこの史料の存在を教えた韓国IDか獄長の勘違いだったのかもしれないね」
「ウィキペディアの『鴟河浦事件』の項目を見ても、どうやら獄長日記とこの史料のハングル版の翻訳版をもとにしたままで史料原文には踏み込めてないし、紹介する価値はあるってことかな?」
「そういうこと。ウィキペディアの朝鮮の近現代史に関する項目については、獄長日記を参考にして、獄長の引用した史料もそのまま紹介していたものが多いんだよ」
「あー、2007年の年末に『独自研究の排除』言うて全部消去されたんやけど、それまではウィキから獄長日記へぎょうさんリンク貼ってあったもんなぁ。森林令施行規則(一)の枕で「人のブログ参考にして史料パクるだけで、リンクは外すってのがムカツクのは事実」って書いてたんは、数年後に作者もようわかるようになったんやて」
「パクられるほうの立場になったからね。でも、パクる人が出現するほど知名度は高くないし、もう朝鮮ネタの需要も下火だろうから、杞憂だと思うよw」
「フェイトちゃん、言うことがきついねーw じゃ、まず1896(建陽元)年8月31日の李化甫の第1回尋問の内容を紹介するよ」
「え?李化甫って宿屋の主人やろ?なんで金九やなくてそっちの尋問が先なん?」
「金九と李化甫の尋問内容を見ると、二人の第1回尋問・第2回尋問は同じ日に行なわれているんだけど、どうやら先に李化甫の訊問をして、そこで得た情報を金九の供述と突き合わせて問い質すって流れなんだよね。だから先に李化甫の訊問を見るの」
「李化甫も一応容疑者扱いなんだね」
「あー、前にも言うとったなぁ。共犯者やから800両を任せられたいう可能性もあるわけやしね。しかも事件直後3月の平原警部訪問と6月の渡邊巡査訪問時には逃亡しとるし、疑われんのもしゃーない言うたらしゃーないやんね」
「うん。この時点での論理的可能性としては、純然たる目撃者なのか、共犯者で分け前にあずかったのか、いちおう両方ともあり得るってところなんだよね。じゃ、見ていくよ」
「作者が訳したものをつけるよ」| 安岳郡鴟河浦 店主 李化甫 48歳 第1回尋問 |
問 日本人土田譲亮が害された事件、店主は金昌洙の行なった事を詳しく見たはずだから何も隠さず正直に言え。 |
供 私は店主で今年の正月24日の晩、名前を知らない日本人1人と通訳1人が来て、夕飯を買い食べて休息した際、匪賊金昌洙が匪賊徒党4人を率いて龍崗から渡し場に来た。旅人13人も一時に来て夕飯を要請するので、飯を炊いて給仕していたら、日本人が船員とともに宿泊しようと停泊している船に行き、通訳1人と船員1人が宿に宿泊することになった。 |
「李化甫は最初は現場におらんかったんやな」
「土田の雇っている通訳の林学吉が事件を知らせたので駆けつけたってことだね」
「今回はかなり短いんだけどここまでにして、次回は同じ8月31日に行なわれた金九の第1回尋問を見るよ」鴟河浦事件に関する報告(1)
鴟河浦事件に関する報告(2)
鴟河浦事件に関する報告(3)
鴟河浦事件に関する報告(4)


